小川洋子さんの最新短編集 『掌に眠る舞台』が刊行される。この作品集には演じる、 観る、観られるーー特別な関係が生まれる「舞台」にまつわる8編の物語が収められている。小川さんが足しげく劇場に通うことになったのはある歌声に魅せられたから。その声の主であるミュージカル俳優・福井晶一さんとの念願の対談が実現した。

構成/すばる編集部 撮影/中野義樹 (2022・6・27 東京にて)

【前編より続く】

歌を仕事にすることを選んで

小川 ジャン・バルジャンを演じる福井さんはたった一人舞台に立ち、それを帝劇ならば2000人の人が見ています。普通の人間は一生のうちに一度としてできない経験をされているんですから、やはり特別な役目を、宿命を背負って生まれてこられたんですよ。
福井 本当に命縮みそうですけどね、一回一回。
小川 でも、北海道の野球少年がなぜミュージカル俳優になられたんですか。
福井 姉が舞台が好きだったんです。僕も子どものときから歌うことは好きで、歌を仕事にできたらいいなと思っていました。あと、野球も同じくらい好きで、小学校の卒業文集に将来の夢を歌手かプロ野球選手と書いたぐらいです。高校までは甲子園目指して野球をしていました。バンドブームがあったりして、ギターも買ったりはしましたが。高校球児の夏が終わってすぐミュージカルに興味を持ち、劇団四季の「CATS」札幌公演に姉に観に行かないと誘われて、あっ、これならできるかもしれないと勘違いしちゃったんです(笑)。
小川 できたじゃありませんか(笑)。
福井 「CATS」を観たその衝撃で、内容がどうとかというよりも、華やかなステージで自分も歌いたい、歌の好きな自分なら仕事にできるんじゃないかなと、そのとき東京に行くと決めたんです。ただ、実は野球で就職が決まっていました。なので1年は仕事をしながら野球をしてお金を貯めて、翌年ミュージカルの専門学校に入りました。
小川 劇団四季は一発で合格されたんですよね。すばらしい。
福井 男性の受験者が少なくラッキーだったと思います。当時、志願者は圧倒的に女性が多かったんです。舞台芸術学院の1期先輩に濱田めぐみさんがいるんですけど、ハマちゃんは1度めは落ちているので。
小川 えーっ。
福井 学院の中でもずば抜けてうまかったあのハマちゃんがと驚きました。
小川 そこにも運というか、巡り合わせというか、自分の力以外の何かがありますね。
福井 本当は音楽座を志望していたのですが、たまたま劇団四季のオーディションが先にあり、合格の通知を受けたのも運命なんだろうなと。
小川 「CATS」へのご出演は2000回だそうですね。
福井 2000回以上、三つの役で出演しました。
小川 18歳の少年の時観た舞台に自分が立つなんて。感慨深いものがおありだったんじゃないですか。
福井 無我夢中でした。札幌のJRシアターというところで立たせていただいたんですが、初参加でタンブルブルータスとマンカストラップという二つの役を同時に覚えて、タンブルブルータスで6週間出た後にすぐにマンカストラップも演じ、それは本当に大変でした。
小川 想像するだけですけれど、浅利慶太さんのご指導は厳しかったですか。
福井 劇団四季の稽古場には「一音落とす者は去れ」という有名な格言が貼ってあって、本当に一音聴こえなかっただけで去っていった人もいます。僕もマンカストラップを演じている時、浅利先生が札幌までいらして、全然駄目だと、次の日に東京に帰されて交代ということがありました。
小川 残酷な世界ですね。
福井 そこから2年ぐらいまたアンサンブルの時代があり、再びマンカストラップをやる機会があって、そこで何とか先生に認めていただきました。
小川 それにしても2000回以上とは。飽きないものですか。
福井 よく訊かれるのですが、僕はいつも新鮮にやらせてもらっていました。「CATS」の稽古に入るときに先輩から、「舞台に立つ2時間半、とにかくあなたは猫で生きなさい」と言われたのが強く残っていて、毎回その言葉を思い浮かべながらやっていたので、猫という人間ではないものを演じることに喜びと、楽しさがありました。もちろん体が疲れていたりするときは大変でしたけど、それ以上にやりがいのある役でした。僕自身が公演委員長という立場を引き受けてからは、舞台を引っ張って背中を見せなきゃいけないという気持ちもあったので、慣れてとかだれてとかということはなかったと自分では思っています。
小川 猫、つまり、さっきも言いましたけど、舞台上ではこの世のものじゃない何かになるという典型的なパターンですよね。人間でさえないものになる。
福井 メイクをして、しっぽつけると、マジックがかかるんです。
小川 四季を辞める決断というのは何かきっかけがあったんですか。
福井 入団1年めにアンサンブルで出た作品「美女と野獣」の野獣役をやりたいという一つの目標が叶ったからですね。外の世界でもやってみたいという思いはその数年前からあって、年齢的にもチャレンジするなら今じゃないかと。すばらしい役者さんは劇団四季以外にもたくさんいらっしゃるので、そういう方と一緒にお芝居してみたいとも思いました。
小川 それで「レ・ミゼラブル」のオーディションをジャベール役でお受けになったんですよね。
福井 はい。自分の中ではジャベールしか選択肢はなかったんですけど、友人に薦められて両方出してみたら、新しいバルジャンをつくりたい制作と僕のタイミングがうまくかみ合ったんです。ただ躓きましたけど……。
小川 運命を恨まれたんじゃないですか。
福井 ジャン・バルジャンが決まって、昔から応援してくれてた方、家族、友人たちとみんな本当に喜んでくれた中で稽古中に大怪我をしてしまったので、どん底でした。
小川 あれも必要な経験だったのかなと思えるときが来ましたか。
福井 経験しなくてもいいものではありましたが、バルジャンを演じる上でその思いというのは助けになりました。
小川 アキレス腱が切れた絶望の感情の中にジャン・バルジャンを演じるのに必要な何かが潜んでいたと。
福井 あくまで今思えばですけれど。俳優としてそこまで順調に行き過ぎていたんじゃないかなと思うし、挫折を味わったことで演じる一つのヒントを得たと思います。
 怪我が治っていよいよデビューの前に、オーケストラのみなさんに付き合っていただいて公演後の帝劇で「独白」を一人で歌ったのを見ていてくれた仲間がいるんです。彼らは今でも「あのときの福井さんには取りつかれたものがあって忘れられない」と言ってくれる。僕自身は必死だっただけですが、なにか言い知れぬ感情が出ていたんだろうなと。
小川 舞台を観ている私たちは、歌の歌詞の意味を理解して、それを解釈して感動しているわけではなく、人間の肉体が発している、言葉にならない何物かを受け取って、意味も分からず感動しているんです。それを発するのが俳優さんの大事なお仕事です。だからこそ人生経験は何一つ無駄にはならないと思います。身に起きた良いことも悪いこともどういうふうに解釈するかということで生まれてくるものがあるでしょうから。
福井 若い頃は僕も勉強不足だったので、自分の感覚だけでやっているところがあったんですけど、劇団四季が重きを置くのは言葉。言葉、言葉、言葉とよく浅利先生はおっしゃって、言葉が一音でも届かなかったら作品は駄目になる、感情の前に言葉だと。物語を一言一句ちゃんと伝えれば感動が伝わると教えられてきた。それに劇団は同じ仲間で長い時間稽古を積み上げられる環境でしたが、辞めたあとの公演は1か月ぐらいの稽古で本番がくる。自分自身というものをもっとアピールしなきゃいけないし、自分が作品で求められているものが何なのかを考えるようにもなりました。どういうふうに演じたいかとか、この台詞をどうしゃべりたいか、自分から発する主体性をしっかりと持たなければと。役の捉え方は年々変わってきています。
小川 まず台本が手元に届くと、どういう読み方をされるんですか。
福井 邪魔されないようにゆっくり読みます。最初から台詞にして読むと、全体の流れ、ストーリーが入ってきにくい。自分の台詞ばかりを追う癖があるので、そうならないように、落ち着いた静かなところでまず読むようにしています。そこから徐々にワンシーン、ワンシーンの中で何が求められているかとか、自分の役がこのシーンでどういう役割なのかというのを分析していく。あとは、想像力じゃないですけど、台本に書かれていない部分の役の背景、たとえば具体的な年齢が書かれていないこともあるので、それを自分で勝手に設定してという形です。
小川 この間必要があって『ハムレット』の脚本を読んだのですが、登場人物たちが死をさまざまに画策するのに、誰一人計画していた死に方はできない。演出の仕方次第で最後は喜劇にもなるななんて思いました。「ユニコーンを握らせる」という短編でも取り上げた『ガラスの動物園』も読んでいたときはローラという女の子の孤独が胸にしみたのですが、母のアマンダ役を麻実れいさんが、ローラを倉科カナさんがされた公演を観たら、むしろ母の狂気のほうがわーっと迫ってきて、脚本読んで観に行くのも面白いなと思いました。
福井 『密やかな結晶』が舞台化されたとき、お書きになったものを観る気分はいかがでしたか。
小川 小説の中におじいさんという人が出てくるんです。名前はなくて、おじいさんとしか呼ばれておらず、主人公の「わたし」に心の底から仕えている。「わたし」は自分より大事な人で、この人のためなら死んでもいいという気持ちで尽くしているおじいさんの役を20代の村上虹郎さんがなさったんです。今回福井さんがジェニーを演じられたことにつながる、一種の鄭さん独特のマジックですよね。
 小説の中には、おじいさんが「わたし」に対して持っている愛情みたいなものは直接的には書かれていないのですが、鄭さんはそれを村上虹郎さんに歌わせたんです、「ソロモンソング」のように。彼が一人で買物かごを持って歌うシーンがあって、それは原作にないオリジナルで、作家が書かなかったことを作家が思いもつかない方法で表現された。それを楽しめるのは作家一人なので、特権だなとうれしかったですね。

小川洋子×福井晶一対談

出会いはどこにあるか分からない

小川 私の話で恐縮ですが、最初に魂を福井さんにつかみ取られたのは「ジャージー・ボーイズ」なんです。
福井 それを伺いたいんです。普通はみなさん中川晃教くんや海宝直人くんにいくと思うんですよ(笑)。
小川 どこで人生、推しに出会うか分かりませんね。舞台を観る人は必ずしも主役を見ているわけじゃないんです。アンサンブルの中に、えっ、何この人? と惹きつけられて、プログラムで名前を確認したくなる人に出会うようなお芝居もあります。「ジャージー・ボーイズ」もソロでは一節ぐらいしか歌われませんでしたよね。
福井 基本は低音のコーラスですからね。
小川 ニックは4人の中で一番切ない存在です。彼にも才能があったのに、途中で自ら辞めて去っていく、その後ろ姿を見送るときに胸にじーんときてしまって。
福井 ニックを演じた者としてうれしいです。
小川 まだ全然お芝居に目覚めていなかったので、たった1枚しか切符を取っていなくて、ホワイトチームとレッドチーム、どっちでも私はその時点ではよかったんです。だから、もし赤を取っていたら、吉原さんのファンクラブに入っていたかもしれない(笑)。
 本当に運命としか言いようがないですね。それで福井さんのプロフィールを調べているうちに、お父さんが数学者であるということに、さらに心ときめいてしまいました。数学者の小説を書いていますし、愛着があったんですね。そして元野球少年でいらっしゃる。まさに私が好きになる条件が全部そろっている。
福井 僕も阪神ファンです。
小川 それまでは甲子園球場にたまに阪神の応援に行くぐらいしか趣味がなかった人生に一つ大きな別な喜びを与えていただいて感謝しております。
福井 『博士の愛した数式』を読んだとき、数学と野球、阪神ファンであることに縁を感じて、他人ではないように思いました。
小川 『博士の愛した数式』を書いたかいがありました(笑)。
福井 前世でつながっているのかもしれません。
小川 「ジャージー・ボーイズ」とともに印象深いのは「ホイッスル・ダウン・ザ・ウィンド」です。コロナ禍で数日だけ開いたときの切符を持っていまして、観ることができてよかったです。ぜひ再演していただきたい。ジャン・バルジャンとは違う、妻を失った悲しみから立ち直れず、子どもたちの悲しみにまだ寄り添えていない父親役でしたね。
福井 そうですね。逆に子どもたちのほうが大人でダメダメな父親でした。
小川 福井さんの持っている父性が違う方向に出ていました。最後、不協和音がわーっと鳴り響く中、福井さんの歌声、あのお父さんの歌声が、希望につながっているようなラストで、もう一回観ようと思って大阪でも切符取っていたのですが叶いませんでした。
福井 作品も曲もいいですし、ぜひ再演したいです。
小川 それからガーシュウィンの手紙の朗読劇も好きです。
福井 「アメリカン・ラプソディ」。すてきな作品ですよね。
小川 土居裕子さんが歌うブルースもすばらしかったけど、福井さんの朗読も素敵でした。朗読の声も魅力的です。
福井 それなら小川さん、僕のために何か書いていただけますか(笑)。

舞台を愛する人たち

小川 最近は小説のオーディブルもあるので、ぜひ作品を朗読していただきたいです。
福井 僕も一つ伺いたいと思ってきたことがあるんです。作中に出てくる「無限ヤモリ」は本当にいるんですか。
小川 いえ、いません。空想の産物です。
福井 実際にあったらすごいなと調べてみたのですが出てこなくて。細かく描写されているのでつい信じてしまいました。徹底的に取材されたりするんですか。
小川 いえ、案外取材はしていないんです。ほんのささいな現実との出会いが、思いも寄らない空想の世界を生み出す。そこが小説の神秘的なところです。
福井 舞台のことを小説の題材にしていただいたことには感謝しかないです。僕ら役者としては、本当にありがとうございますと申し上げたい。そして読んでいて楽しかったです。自分が演じ手なので、どの物語も感情移入できて、しかも本当に思いもつかないような世界に連れていっていただいた。役者にとっては身近な自分の物語として読めました。また舞台を愛する人たちも本当に楽しく読めるし、舞台に興味がない人もこれを読んだら、舞台ってすごいすてきなところなんだなと思えるんじゃないかな。本当に楽しく読みました。何度でも読み返したいです。
小川 ありがとうございます。今の言葉だけで私は本望でございます。それにしても舞台というのは魔法がかかっていますよね。大げさにいえば、一旦劇場に入ると生きて帰れるかなとさえ思います。たとえば地下にある劇場だと階段を下りていくと出られないんじゃないかという不安に襲われたりする。終演後外に出て、思いのほかまだ明るかったり、あるいは真っ暗だったり、世界が入ったときと全然違っていて、劇場に入ったときの自分と出たときの自分が別物になっているような気分を味わえます。
福井 3時間と短い時間ですけど、現実を忘れられる夢の世界です。
小川 同じことを小説は全部言葉でやらなくちゃいけないという不自由さがあるんですけれど、舞台は、音楽で、セットで、衣装で、役者さんの動きでといろんな挑戦ができて、言葉から解放される喜びがあります。
福井 この9月には「北斗の拳」の再演があるのでまたぜひいらしてください。
小川 もちろんです。私は子育てが終わって、両親を見送って、犬も死んじゃってみたいな状態だったときに「ジャージー・ボーイズ」に出会いました。何か応援したい人が人生には必要なんだなと思いますね。子どもから手が離れて、心配したり、愛情を注いだりする相手がいなくなっちゃって、そういうものを求めているときに推しって現れるんですね。
福井 推し活、ありがとうございます。
小川 人間ってやっぱりそういうものなんですね。自分のことだけを一番に考えたらいい、思う存分小説を書けばいい時代が来たのに、何で私はこんなに劇場に来ているんだろうと思ったりもしますが(笑)。
 私はこうして今日お話しできて一つ夢が叶いました。福井さんはなにか夢がおありになりますか。
福井 いま子どもが3歳なので、この先息子も楽しめるような作品に出られたらいいなと思っています。オンライン配信ではすでに僕の出ている作品を観たりしているのですが、劇団四季時代に演じた「ライオンキング」のお父さんのような、家族で楽しめるような作品にかかわれたらいいですね。
小川 それは素敵ですね。
福井 あと、もう一つは、出身地である北海道で何かやれたらと思っています。鄭さんが北海道の札幌座さんとコラボして、1か月札幌で稽古して公演したのち、東京の浅草九劇でも上演するらしいんです。いいお仕事だなと思います。僕もいつか地元である北海道を中心にした公演にかかわってみたいですね。
小川 そのときは北海道に参ります。いつまでもお元気で舞台に立ち続けて、長生きしてください。それだけが望みです。これからも応援しています。今日は本当にありがとうございました。

小川洋子×福井晶一対談
福井晶一(ふくい・しょういち)
1973年、北海道生れ。
1995年劇団四季研究所入所。「美女と野獣」
「ウエストサイド物語」「アイーダ」などに主演。
退団後、2015年から「レ・ミゼラブル」で
ジャン・バルジャン役を務めている。
主な出演作に「ジャージー・ボーイズ」
「シャボン玉とんだ 宇宙までとんだ」「ポーの一族」
「てなもんや三文オペラ」など。
9月25日よりミュージカル
「フィスト・オブ・ノーススター~北斗の拳~」の
再演にてラオウ役が決定している。

「すばる」2022年10月号転載