本稿は、共同通信社の配信記事をきっかけとした小説『青の純度』の「参考図書不記載」をめぐる騒動を受け、作品の創作過程について、著者の篠田節子さんが自ら読者のみなさまにご説明するものです。
※去る10月30日に共同通信社にお渡ししましたが、全文は掲載・配信されなかったため、編集部から改めて、全文を公開いたします(文芸ステーションに掲載するにあたり、一部加筆修正されております)。

 この秋、自著『青の純度』の新聞書評に端を発した風評被害の当事者となった。

 デビュー以来、三十五年間、ベストセラーには無縁ながらも、本好きの方々のおかげで地道に作品を執筆、発表してこられたのだが、今回、思わぬところで(あまりありがたくない形で)脚光を浴びる事になった。

 SNSには無縁なため、具体的にはどんな発信がなされ、ネット上でどんなコメントが飛び交っているのか追えなかったのだが、作品に関する誹謗中傷の根っこには、私に限らず創作と創作者をめぐる根強い誤解があるような気がした。

 一冊のノンフィクション、あるいは研究書、あるいは一個人の身の上話があれば、並外れた「文才」を持つ者は、たちどころに、一本の小説に仕立て上げることができる。

 温泉宿に長逗留し、資料も何も置かれていない和机の前にすわり、名作を紡ぎ出す。

 あるいは酒と薬、異性との濃厚かつ乱脈な関係を繰り広げる中で、凡人には思いも及ばぬ人生の深みを発見する。

 文士にまつわるその手の神話伝説はさておき、現代、一般的に出回っている小説がそうして書かれることは、まずない。

 ではどうしているのか。

 作家自身によってあまり語られないのは、自分の小説の創作過程を明かすなど野暮の骨頂とだれしもが思うからだ。

 しかし今回の、原田裕規氏の「参考図書不記載」への疑問に答えて、それを明かそう。

 小説家を小説家たらしめているものが、「天才的な文学的センス」とは限らない。インスピレーションは、確かに、思いも寄らぬところから降ってくるし、ストーリーもまた苦労することなく勝手に立ち上がる。

 しかしその先は、その物語を説得力のある、リアリティーと臨場感あふれる小説に作り上げるための、根気、体力、時間、資金を必要とする地道で膨大な作業が待っている。

 ブルドーザー方式。この段階の作業を私はそう呼んでいる。

 とにかく資料を集める。ネットでいくつものキーワード検索をして、引っかかってくるものをとにかく集める。

 書籍、論文、ネット記事、噂話。

 集めながら、取捨選択し、多くは除外していく。

 書籍に絞って言うと、中身を読まずに、除外するものについては、テーマと無関係なもの、すでに自分の知識と認識の中にあるもの、難解すぎて理解できない専門書など、その他いろいろだ。

 そうして複数の情報を集める傍ら、関係者に会って話を聞く、小説に登場する場所に足を運び、生の情報を集め、五感を使い風土と空気を吸収する。

 読者に努力を強いることなく、読み手を作品中に引き込んでいくことを求められるエンタテインメント小説ほど、数多くの資料にあたり、現場取材を行い、あるいはそれまでに作家が生き、学んできた知見に基づき、多大な労力をかけて創作される。これは私に限ったことではなく、すべてのエンタテインメント作家について言える。

 特定のノンフィクションや評論だけを下敷きにして小説家が作品を書くことは、ありえない。

 他人の著作物からの搾取などという倫理的問題以前に、そんなことをしても、退屈極まる作品しか生み出せないからだ。「面白くない」。その一点で、失格となるのが、エンタテインメントの世界の厳しさだ。

 以下、原田氏と読者の疑問に答える形で、小説『青の純度』の創作過程について、私の感想や主張を排除し、事実のみを記述する。  

 『青の純度』の着想を得たのは2017年冬。母の介護で疲弊していた折、リゾートホテルでたまたま目にした、それまでバブル絵画と一蹴していたラッセンの絵に、心ならずも癒された実体験による。

 その後、母が施設に入り、自身のがんの治療が一段落した2020年から、文書やネットによる資料収集と、関係者へのインタビュー、展覧会や画廊への取材などを開始した。

 『ラッセンとは何だったのか?』という本の存在を知ったのは、2021年の秋のことで、その際、Amazonで購入を試みたが品切れ絶版のため断念。しかし当書籍が地元図書館にあることがわかり、図書館の複写機でコピーを取ってもらうために、内容を確認したところ、それが原田氏一人の手による「ラッセン論」ではなく、複数の執筆者による多様な評論とコメントで構成された評論集と判明したため、求める資料ではないと判断し、そのまま窓口に返却した。

 その時点で物語の骨子がすでに固まっており、本書はラッセンの絵に着想を得たミステリー小説ではあるが、評伝小説、モデル小説ではなく、何よりラッセンの作品や流行の有様、ファンの心情、販売手法等々について、私自身がリアルタイムで見て知っており、ラッセンや当時のラッセン現象についての情報は必要なかった。そうしたことから、小説『青の純度』の取材は日系移民の問題やハワイ島、悪質商法の詳細などが中心となっている。

 2022年11月に取材の総仕上げとして、担当編集者、現地コーディネーターとともにハワイ島に行った。

 現地では複数のギャラリーを回り、ロバート・トーマスをはじめとするマリンアート関連の取材、日系人墓地、寺院等、日系移民に関連する取材、現地のダイビング事情についての聞き込み、富裕層の所有する別荘地の見学等々を行った。

 執筆については、2022年3月から取りかかっており、当時の担当者に冒頭部分を見せ、雑誌「小説すばる」に掲載してもらえるかどうかを打診。連載の約束をした後、約一年をかけ、2023年4月第一稿を執筆完了、推敲を経て2023年11月号より「小説すばる」で連載を開始する。

 一年間の連載後、単行本化に際し、再度推敲。改稿のうえ今年2025年7月に単行本として刊行した。

 原田氏が書評という形で拙著を取り上げてくださったのはありがたい。しかし「自著が参考にされているのに、巻末の参考文献一覧から外されているのはなぜか」との疑問を氏が呈した時点で、版元ないしは、私自身に問い合わせがあったなら、多くの憶測に基づくWeb上の誹謗中傷は避けられたに違いない。

 小説『青の純度』を読んでマリンアートに興味を持たれた読者が、『ラッセンとは何だったのか』という実在するアーティストを扱った評論集を手に取る。こうしたことは読書の醍醐味であり、小説家冥利につきることでもある。

 願わくばより健全かつ生産的な形で、そうした書籍の紹介や興味の橋渡しがなされて欲しかった。

 次に何の本を読もうか、と思ったとき、とかく同一ジャンル、ついつい同じ作家の作品に手を伸ばしたくなるが、一冊の本の背後には、思いがけないほど広い世界が広がっている。私の作品が、評論、ノンフィクション、小説を問わず、関連したモチーフ、テーマを扱った他の書籍に読者を誘う入り口になってくれたらうれしい。 

12月17日(水)発売の「小説すばる」2026年1月号に、篠田節子さんが『青の純度』の取材過程について記したエッセイ「ハワイ島取材記―歩いた 調べた 泳いだ―」が掲載されます。文芸ステーションでも同内容を掲載予定です。ぜひご覧ください。