「機動戦士ガンダム」の最終話で、アムロ・レイは「まだ僕には帰れる所があるんだ。こんな嬉しいことはない」と呟く。子供の頃にガンダムを観た僕は、その台詞の意味をずっと考えていた。一年戦争が終結したとはいえ、そこにはもう、これまでのような日常は存在しない。帰りを待っている家族も、故郷も、ホワイトベースもない。しかし、それでもアムロは、帰れる所があると信じたのだ。コロニーが落ちたわけではないけれど、僕も実家を失っている。今は自分の家族がいて、帰る場所はあるけれど、それでも「故郷」について考えることはある。自分の魂が帰る場所とは、果たしてどこなのだろうか、と。

 マルコ・バルツァーノ『この村にとどまる』は、イタリアの南チロル地方にあるクロン村を舞台にした小説だ。ドイツ語圏のクロン村では、ムッソリーニによってイタリア語の使用が強制され、ヒトラーはドイツへの移住を推奨し、村民の意思を無視したダム建設の計画が進められていく。語るための言葉と、生きていくための場所が分断されていくなかで、村にとどまろうとする人々は、自分たちの故郷を、単に誰かが帰ってくるための場所ではなく、手放してはいけない魂そのものだと捉えているように思う。表紙にも描かれている「湖面から聳え立つ教会の鐘楼」を見れば分かる人もいるかも知れないが、計画は滞りなく進み、クロン村はすでに湖の底に沈んでいる。

『この村にとどまる』マルコ・バルツァーノ/著 関口英子/訳(新潮クレストブックス)

 呉明益『海風クラブ』は、台湾東部にある海豊村という小さな村が舞台になっている。こちらの小説では、自然豊かなその村の近くにセメント工場ができることになり、故郷を守ろうとする人々と、暮らしをよくするためなら仕方ないと考える人々、この村に戻ってきた人や外から来た人、三者三様の抵抗と諦めが描かれている。「巨人が存在する」というファンタジックな世界観ながらも、シビアな現実として、工場建設が阻止されることはない。そして、それでも人生は続く。

『海風クラブ』呉明益/著 三浦裕子/訳(KADOKAWA)

 身も蓋もない言い方をすれば、帰れる場所があろうがなかろうが、僕たちは生きていかねばならない。アムロはララァとの対話のなかで、人間同士が分かり合える可能性を見出した。ホワイトベースを脱出した仲間たちのことを思った時、彼は、そこにある「未来」に帰れると信じたのだろう。僕には帰省する場所も、集まる親族もいない。しかし、皆に読んでほしい原稿がある。今日も、MacBookが待っている家に帰ろう。