恥ずかしい時、悔しい時、モヤモヤする時……思わずネガティブな気持ちになったときこそ、読書で心をやすらげてみませんか? あの人・この人に聞いてみた、落ち込んだ時のためのブックガイド・エッセイです。
第48回:「自分には帰れる場所がない」と思った時
案内人 荻堂 顕さん
2025年11月15日
「機動戦士ガンダム」の最終話で、アムロ・レイは「まだ僕には帰れる所があるんだ。こんな嬉しいことはない」と呟く。子供の頃にガンダムを観た僕は、その台詞の意味をずっと考えていた。一年戦争が終結したとはいえ、そこにはもう、これまでのような日常は存在しない。帰りを待っている家族も、故郷も、ホワイトベースもない。しかし、それでもアムロは、帰れる所があると信じたのだ。コロニーが落ちたわけではないけれど、僕も実家を失っている。今は自分の家族がいて、帰る場所はあるけれど、それでも「故郷」について考えることはある。自分の魂が帰る場所とは、果たしてどこなのだろうか、と。
マルコ・バルツァーノ『この村にとどまる』は、イタリアの南チロル地方にあるクロン村を舞台にした小説だ。ドイツ語圏のクロン村では、ムッソリーニによってイタリア語の使用が強制され、ヒトラーはドイツへの移住を推奨し、村民の意思を無視したダム建設の計画が進められていく。語るための言葉と、生きていくための場所が分断されていくなかで、村にとどまろうとする人々は、自分たちの故郷を、単に誰かが帰ってくるための場所ではなく、手放してはいけない魂そのものだと捉えているように思う。表紙にも描かれている「湖面から聳え立つ教会の鐘楼」を見れば分かる人もいるかも知れないが、計画は滞りなく進み、クロン村はすでに湖の底に沈んでいる。

呉明益『海風クラブ』は、台湾東部にある海豊村という小さな村が舞台になっている。こちらの小説では、自然豊かなその村の近くにセメント工場ができることになり、故郷を守ろうとする人々と、暮らしをよくするためなら仕方ないと考える人々、この村に戻ってきた人や外から来た人、三者三様の抵抗と諦めが描かれている。「巨人が存在する」というファンタジックな世界観ながらも、シビアな現実として、工場建設が阻止されることはない。そして、それでも人生は続く。

身も蓋もない言い方をすれば、帰れる場所があろうがなかろうが、僕たちは生きていかねばならない。アムロはララァとの対話のなかで、人間同士が分かり合える可能性を見出した。ホワイトベースを脱出した仲間たちのことを思った時、彼は、そこにある「未来」に帰れると信じたのだろう。僕には帰省する場所も、集まる親族もいない。しかし、皆に読んでほしい原稿がある。今日も、MacBookが待っている家に帰ろう。
プロフィール
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荻堂 顕 (おぎどう・あきら)
1994年東京都出身。早稲田大学文化構想学部卒業後、様々な職業を経験する傍ら執筆活動を続ける。2020年「私たちの擬傷」で第7回新潮ミステリー大賞を受賞。21年、新潮社から同作を改題した『擬傷の鳥はつかまらない』を刊行し、デビュー。24年『不夜島』で第77回日本推理作家協会賞(長編および連作短編集部門)、25年『飽くなき地景』で第46回吉川英治文学新人賞を受賞。
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