内容紹介
東京から福岡の山奥に移住し、猟師として生活している明神マリア。
猟友会の会長・吉中剛太郎と、ここ最近感じている山の違和感について話していた。なぜか、山から獣の気配が消え去っている――、と。
ある日の帰り道、マリアは森からかつてない強い気配を感じ、身構える。
それは、この五年の猟師経験で見たこともないような巨大な猪から発せられたものだった。
後にその正体は、江戸時代から言い伝えが残る金色の猪「イノガミ」だと、剛太郎に教えられる。
過疎に苦しむ村で、恐怖と葛藤を抱えながら自然と向き合う猟師たち、そして平穏な暮らしを願う村人たち。
伝説の猪との対峙の先に見えるものとは。
手に汗握る猟師と害獣の死闘を描く、著者初の現代小説!
プロフィール
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矢野 隆 (やの・たかし)
1976年福岡県久留米市生まれ。2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞してデビュー。2018年、福岡市文化賞受賞。21年『戦百景 長篠の闘い』で第4回細谷正充賞、22年『琉球建国記』で第11回日本歴史時代作家協会賞を受賞。著書多数。
エッセイ
人と獣の住処が重なりはじめた今だからこそ……
矢野 隆
はじめは世間話だった。
コロナ禍まっただなかの2021年10月。小説すばるの新連載にむけての打ち合わせを行った。先々代のS編集長と、当時まだ担当になったばかりの担当編集者のT君と三人で、一般的になり始めたばかりのZoomを用いての打ち合わせであった。デビューしてから十数年。マンガやゲームなどのノベライズを除けば、私は歴史・時代小説なるジャンルの作品をずっと書き続けてきた。例外はない。歴史を題材として用いた物語ばかりを書いてきた。
「現代モノを書くつもりはないんですか?」
これまで幾度も投げかけられてきた質問である。その度に私は「別に歴史・時代小説にこだわっているわけではないので、面白そうな題材があれば、現代モノを書くこともあるかもしれません」と答えてきた。だが、現代を舞台にした小説を書くことに抵抗がなかったというと噓になる。もともと歴史・時代小説というジャンルの作品でデビューしたし、現代モノを書くノウハウを持っていない。歴史モノを書くのはいろいろと調べなければならないでしょ? とよく言われるが、私にとっては現代モノの方こそ、面倒な調べものが多いのではないかと思ってしまうのだ。
歴史上の諸々を調べることは、もはや日常になっている。だからなんの抵抗もない。いっぽう、読者のみなさまが日々触れている日常を描く現代モノは、細かいディテールにいたるまで徹底的に調べなければならないのではないかという先入観がずっと付きまとっていた。正直にいえば、現代モノを書いた今でも、その想いは変わらない。
2021年のZoomでの新連載にむけての打ち合わせは、当然私の主戦場である歴史・時代モノを前提にして進められた。それ以外の選択肢など、おそらくその場にいた三人の誰も考えていなかっただろう。
この日のために私と担当のT君が二人で考えていた題材を、S編集長も同席して練り上げる打ち合わせが続く。ああでもない、こうでもないと、画面とにらめっこしながら三人で語り合ったのも良い思い出である。一時間ほど語らった頃であっただろうか。話は作品から逸れて、私の日頃の生活へと移っていった。
「最近、猟師の友達と知り合ったんですけどね。あぁ、剣術の方の繫がりで。そうなんですよ。その猟師さんたちも刀を振るんですよ。もちろん真剣ですよ。竹を斬ったりもするし」
実話である。
私は十三年ほど前から、真剣を用いた抜刀術の修行を続けている。その縁で、猟師の方々と知遇を得るようになり、いっしょに遊ぶようになった。
友人たちの厚意で、猟友会の事務所にお邪魔させていただいたり、実際に鹿をさばくところを見学させていただいたりしたことを、S編集長と担当のT君に語っていると、作品の話をしていた時よりも、二人の目が輝き出した。
「それ、凄くおもしろいですね!」
「え……?」
目をキラキラさせて続きを聞きたがる二人を前に、世間話だと思って語っていた私は言葉を失ってしまった。
そのような経緯で『猪之嚙』という作品ははじまったのだ。
山や猟師たちのことを知りたいと、担当のT君が福岡まで出向いてくれて、私の友人たちと一緒に取材をしたり、じっさいに私が友人の巻狩りに参加させてもらって鹿を仕留める現場に立ち会ったりと、狩猟の現場に触れながら準備を進めた。そうして、一年あまりの準備期間の末に、私のはじめての現代モノである『猪之嚙』は小説すばる誌に掲載されることになった。
主人公の明神マリアは、先述した友人の一人をモデルにしている。作中に登場する多くの人物にもモデルが存在している。
これまでも登場人物と、実際に存在する誰かのイメージを重ねて描くということはあった。だが、ここまではっきりとモデルを準備して書いたことは初めてだ。舞台となる福岡県も、私が生まれてから四十九年間住み続けている土地である。
唯一、私の創作物があるとすれば、それは今回の標的となる“イノガミ”である。作中、マリアが“軽自動車並み”と評することになる巨大な猪だ。
もし、常識では考えられない大きさの獣が人を襲った時、現代の猟師、そして行政はいかにしてそれと相対するのか?
執筆していた最中も、熊に関する事件は頻発していたが、その被害は、年々拡大の一途を辿っている。本作に登場する“イノガミ”は巨大な猪である。人の力では敵わない獣という意味では、熊と同じだ。
人と獣の住処が重なりはじめた現代。猟師たちはいかにして獣たちと向き合っているのか。
日頃の報道などで獣害に興味を抱かれたならば、ぜひ『猪之嚙』を手に取っていただきたい。山の獣と対峙する猟師たちを、間近に感じることができるはずだ。
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