恥ずかしい時、悔しい時、モヤモヤする時……思わずネガティブな気持ちになったときこそ、読書で心をやすらげてみませんか? あの人・この人に聞いてみた、落ち込んだ時のためのブックガイド・エッセイです。
番外編(後編):会社に行きたくない時
案内人 集英社文芸編集部スタッフF~J
2022年10月14日
思わずネガティブな気持ちになってしまった時に読みたい本を、さまざまな分野で活躍する方々にお薦めいただくエッセイ連載「ネガティブ読書案内」。
今回は番外編第二弾。新たな編集部スタッフ5人が、社会人なら誰もが身に覚えのある「会社に行きたくない時」にお薦めしたい本をご紹介します。
①『辻征夫詩集成』辻征夫/著(書肆山田)

ときどき
会社にいくのがいやになるから
いかないんだ
ベッドにひっくりかえって
ちりぢりばらばらの
友だちのことなんかかんがえている
ひとりで笑って
あれこのまえおれが笑ったのはいつだっけ
なんてかんがえたり
へんだろおれって
こんなすっとぼけた書き出しから始まるのは、辻征夫さん(1939-2000)の「伝言」という詩。
現在、一番手に取りやすい辻さんの本は、岩波文庫の『辻征夫詩集』で、これは谷川俊太郎さんがセレクトしたもの(なお、この「伝言」は収録されていません)。辻さんの詩は、谷川さんの詩とよく似たところもあるけれど、谷川さんにはけっして書けない詩も多い。サラリーマンと無縁だった谷川さんと違って、辻さんはずっと「勤め人」として詩を書き続けてきた詩人だった。
ある日
会社をさぼった
あんまり天気が
よかったので
こう始まるのは、「ある日」という詩。
辻さんは、千葉県は船橋市の団地に一家4人で住んでいて、当時、実家に寄生していた私の家の、となり町にいらした。辻さんは、ある日、会社を休んで自宅にいた私に電話をかけてきて(もちろん昔の話なので、ケイタイではなく固定電話だ)、「あのさ、ちょっと家に来てほしいんだけど。娘に迎えに行かせるから」といって、私の家の近所まで、上のご息女が車に乗って迎えに来られるということがあった。となり町までの十数分のドライブのあいだ、娘さんとなんというか気まずい時間を過ごしたことだけを覚えている。いい天気ですね、なんて言ったのだろうか。こういうとき、いったいどんな話題で話をつなげればよいのか、20代の私は知るよしもなかった。
――編集者F
②『地球の歩き方 ムー 異世界(パラレルワールド)の歩き方 超古代文明 オーパーツ 聖地 UFO UMA』地球の歩き方編集室/編(学研プラス)

突然だが、UFOを見たことがある。小3の秋、中央線の車内から空に浮かぶ銀色のそれを見て、床を転げまわりたいくらい嬉しかった。あの頃はUFOやネッシーやノストラダムスを信じていた。
しかしその後、1999年の7の月には何も起こらなかった。ミステリーサークルは人間がベニヤ板と縄で作ったことがバレたし、ネッシーの撮影者はあれが模型だと暴露した。そう、ぜんぶ嘘だったのだ。
そうして私は大人になり、社会人になった。
会社に行きたくない時、旅をしたくなる人も多いのではないか。私もそうだ。おそらく無意識に日常から離れたいからだと思う。
そんな時に出合ったのがこの本だ。世界の不思議を取り上げる雑誌「ムー」と、「地球の歩き方」がコラボした一冊だ。旅行ガイドのフォーマットで、ストーンヘンジ、エリア51、ピラミッドなどオカルト心をくすぐる世界の名所を徹底的に紹介している。日本からは与那国島の海底遺跡(?)などが載っていた。
本を開いたら、子どもの頃の気持ちが蘇り、日常を忘れられた。この本に広がる世界は、うまくいかない仕事、職場のやっかいな人間関係、そういったものの対極にある。なんてったって「異世界」なのだ。楽しい。
子どもの頃は想像だけで異世界へ旅ができた。色んなことを知ってしまった今だけど、この本を使えばまだ旅ができる。会社という日常に疲れた時に、ぜひ手に取っていただきたい。
わかっている。小3の時に見たUFOはきっとヘリウム風船だろう。パチンコ店とかで配っていたやつ。だけど、あの日の自分にとってあれはUFOだった。
そう信じたほうが世界はきっと面白い。
――編集者G
③『石の裏にも三年 キミコのダンゴ虫的日常』/北大路公子著(集英社文庫)

雨の朝は憂鬱です。どんよりと分厚い雲、ぐずぐず濡れた地面を見ると、会社に行くのがおっくうに。精神を安定させる働きがあるセロトニンは、日光を浴びると分泌されるのよね……太陽カムバーック! などと脳内で吠えながら、晴れていたら自転車で5分の駅までの道のりを、15分かけてしぶしぶ歩きます。うう、靴の内側にじわじわ水が染み込んできた……。
そんな時は北大路公子さんの日記エッセイを思い出します。『生きていてもいいかしら日記』『枕もとに靴 ああ無情の泥酔日記』『石の裏にも三年 キミコのダンゴ虫的日常』……後ろ向きというか俯きがちというか寝そべり気味なタイトルたち。本を開く前にタイトルにもう癒される。すごい。
北大路さんは北海道住まい。雪かきマストの冬を呪いながらビールを飲み、かさむ灯油代を嘆きながらビールを飲み、愉快な仲間たちとウニ三昧温泉三昧トラブル三昧の旅をしながらビールを飲み、迫りくる〆切から逃避しながらビールを飲み、うっかり屋外に出しっぱなしにして凍らせてしまったビールも飲み、と、いつもビールを飲んでいらっしゃいます。素敵。ご一緒したい。北海道で自分もウニ三昧温泉三昧しながらビールを飲む姿を想像。いいですねいいですね。至福じゃないですか。
……と、夢想するうちに駅に着きます。ありがとう北大路さん。靴の中はぐずぐずだけど、筋肉痛になるくらい雪かきしないといけない冬の北海道を思えば、これくらいのこと、何でもないです。今日も一日、やり過ごしてまいります。いえ、頑張って仕事してきます!
――編集者H
④『ねにもつタイプ』岸本佐知子/著(ちくま文庫)

会社に行きたくないのである。そんな時に本を読もうとは思わないのである。正直言うと、そんな時は映画を観に行くわ、と自覚しているのだが、そんなこと言ったら元も子もないので頑張って考えてみた。
仕事柄か、積読本が多すぎて娯楽で本を再読する余裕などないのだが、刊行当時繰り返し読んでた本があったことを思い出した。岸本佐知子さんのエッセイ集『ねにもつタイプ』である。
文庫版カバーの表4の内容説明にはこう書かれている。「読んでも一ミクロンの役にも立たず、教養もいっさい増えないこと請け合いです。」
事実と妄想が綯交ぜになった五十三篇から成るエッセイで、不思議な世界に連れて行ってくれる。中でも印象に残る一篇は「かげもかたちも」だ。作者が住んでいる私鉄O線の、S駅近くの線路沿いにある、車窓から見るボクシング・ジムのことが書いてある。かくいう私もS駅近辺に住んでいて、その存在を知っていたので、読みながら「グフッ……」と変な声が出てしまうほど嬉しくなったのを記憶している。作者と同じ目線で見てみたくて、車窓からジムの中を窺ったことがあるが、速度が速すぎてボクサーの残像だけが網膜に残るという結果となった。因みに、S駅の大規模工事により線路が地下に潜った今でも、ジムは同じ場所にある。
このエッセイを書くため本書を再読してみた。刊行から12年経つ今でもやはり面白くて、どうして変わらず面白いのか、考えてみた。作者の筆力もさることながら、やはり「一ミクロンの役にも立たない」からだと思った。だけど私にとって楽しさΩミクロンなので、凄く役に立ってることも間違いない。
今度の休日、あのボクシング・ジムを見に行ってみようかと思う。地上からだけど。その後、映画でも観に行こうかな。
――編集者I
⑤『食記帖』細川亜衣/著(リトル・モア)

会社に行きたくて行きたくてしかたない。
何をやっても寝ない赤子を抱っこしながら、切実に願った日のことを覚えている。できれば一生会社をさぼって寝っ転がり、だらだら本を読んでいたい人生だったのに。
睡眠、食事、トイレ。何一つ自分の意思で選択できない生活が続くと、簡単に人は詰む。そうして詰んだ人は、会社に行きたい、自分の裁量で好きなように働きたいし会社の向かいのタリーズでお茶したい、と寝ない赤子と一緒にさめざめ泣いた。
その頃、ほんのわずかな隙間時間に読んでいたのが人の日記だった。メイ・サートンの『70歳の日記』や植本一子さんの『かなわない』など。目の前の事象(主に寝ない赤子)に必死すぎて、疲労困憊のまま今日も何もできなかったと落ち込んでいる時に、誰かの日々の格闘が、日々のよろこびが、ものすごく心に沁みた。
なかでも料理家である細川亜衣さんの『食記帖』は、文字通り毎日の食事を記録した日記で、美味しそうな食卓に心躍るだけでなく、折々に綴られる幼い娘・椿さんを育てるお母さん目線のあれこれを読むのが大好きだった。朝から不機嫌な子どもに翻弄されたり、子どもの目線から見える世界の美しさに感動したり。全く異なる人生を送る細川さんと自分が一瞬だけ交差する時、文字の連なりの向こうからエールを送られているような、そんな気がしていた。
寝ない赤子は、眠れない時は自分で児童書を黙々と読む幼児に成長した。疲労困憊の毎日は続いているけれど、「今日は会社をさぼってだらだら本を読みたい」と夢想できるぐらいには元気になってきた。そろそろうまいこと仕事をやりくりして有給をとって、『食記帖』を読み返したい。
――編集者J
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