内容紹介
台湾出身で日本で暮らす思云(しうん)は、ひと月前に別れた恋人りさと共にエジプトを訪れる。手配がキャンセルできず、交際が終わった記念としての観光旅行だった。二人は、別れの原因となった事柄について言葉を交わすのだが……(「地の果て、砂の祈り」)。
台湾に住む清猗(チンイー)と永真(ヨンジェン)は、小学生のとき一緒にRPGゲーム〈仙剣奇俠伝〉に熱中していた。大学生となった二人は、ミャンマー出身の采荔(ツァイリー)と三人でアパートを借りることに。卒業後、清猗と、芷離(ジーリー)と名前を変えた永真は、それぞれに日本に向かった。そして、祖国に戻った采荔と連絡が途切れたことをきっかけに再会し……(「東京奇俠伝」)。
アイデンティティをめぐる思索と実践、恋愛と友情の多様なかたちを芥川賞作家が描く、連作中編小説。
プロフィール
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李 琴峰 (り・ことみ)
1989年、台湾生まれ。作家・翻訳家。2013年来日。早稲田大学大学院日本語教育研究科修士課程修了。2017年、『独り舞』で第60回群像新人文学賞優秀作を受賞しデビュー。2021年、『ポラリスが降り注ぐ夜』で第71回芸術選奨文部科学大臣新人賞、『彼岸花が咲く島』で第165回芥川龍之介賞を受賞。2026年、『日本語からの祝福、日本語への祝福』で第15回梅棹忠夫・山と探検文学賞を受賞。著書に『星月夜』『生を祝う』『シドニーの虹に誘われて』『月を見に行こうよ』他。著書に『星月夜』『生を祝う』『シドニーの虹に誘われて』『月を見に行こうよ』他。
書評
知性と感性が星々のようにまたたく小説
倉本さおり
世界の途方もない広さと、自分の途方もないちっぽけさと。
旅をめぐるかつての恋人たちの物語を軸に、知性と感性が星々のようにまたたく小説だ。この世の真理に触れたときに湧きあがる寂しさにも似た充足と、旅愁に洗われた静かな願い――読み終えてみると、このロマンティックなタイトルそのものが李琴峰という作家のまなざしを宿していることに気づく。
本書には二つの中篇が収められている。表題作は、一か月前に別れた元恋人と二人きりで海外旅行をする羽目になった〈私〉が、黄金色に燃えるナイルの夕景をよそに惨めな気分で歩いている場面から幕をあける。
航空券とホテルを予約したのは八か月前。今からキャンセルしても渡航費は返金されない。だったら二年間続いた交際の記念に、と互いに割り切って臨んだつもりなのに、ダブルベッドの部屋が予約されていたこともあってきまりの悪さが先に立つ。おまけに観光初日でぼったくられ、目当ての神殿に入ることもできないままとぼとぼ引き返す両者のあいだに会話はない。それでもこの二人――〈私〉と〈りさ〉は気晴らしに別行動をとることすらできないのだ。なぜなら、ここは言葉も宗教も文化も違う異国だから。しつこいタクシーの客引きたちは屈強そうな髭ぼうぼうの大男ばかりで、東アジア人の女二人が歩いているだけで当然のように眺めまわされるから。
別れた恋人同士の、いかにもよくある気まずい旅模様をユーモラスに描きながら、「女と女」という組み合わせゆえに浮きあがる社会の不均衡を同時に手渡してみせる作者の技量に舌を巻く。それだけではない。〈私〉と〈りさ〉のあいだには性愛をめぐって越えられない溝が横たわっている。せせこましい社会の規範や抑圧のなか、地の果てや海の隅のような場所を一緒に夢見た二人でも、互いの傷を肩代わりすることはできない。
同じ主題は併録の「東京奇俠伝」のなかでも残酷に繰り返される。後味はけっして甘やかではない。だが、この小説の言葉は鮮やかに重力を切り裂き、悠然とたちのぼる景色は平らかな光となって、世界の美しさを諦めない者たちの行く手を浩然とおしひろげるのだ。
「青春と読書」2026年9月号転載
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