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日の出

日の出

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佐川光晴 著
2018年5月2日発売
ISBN:978-4-08-771140-0
定価:本体1600円+税

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明治の終わり、13歳の清作は、徴兵から逃れ故郷を飛びだす。
北陸から九州、そして横浜へ──。
鍛冶職人として生きる清作を襲う数々の試練。
一方、清作を曾祖父にもつ現代の女子大生・あさひは、教職免許のために猛勉強中だった……。
時代をへだてたふたりの希望の光が、小さく輝きはじめる。

佐川光晴『日の出』刊行記念エッセイ

祖父のフトコロ
佐川光晴

 現在、四十二階建てのグラントウキョウノースタワーが聳(そび)え立つJR東京駅八重洲北口には、かつて国際観光会館が建っていた。戦後間もない一九五三年に落成した八階建てのビル「ヂ」ングはよほど目立つ存在だったようで、五六年に青森県弘前市から高校の修学旅行で初めて東京を訪れた私の父は、バスガイドの女性が国際観光会館について詳しく説明したことを、その威容とともによく覚えているという。それから八年後の六四年三月七日に、父は国際観光会館の創立者である多田三郎の末娘と結婚し、翌六五年二月八日に誕生したのが私である。

 多田三郎は旧姓を伊藤といい、加賀藩小松で本陣をつとめていた商家・伊藤屋の次男として明治三十(西暦一八九七)年に生まれた。少年の頃から傑物としてその名を知られていたそうで、当人も海軍兵学校に入って大将になるつもりでいた。ところが視力が悪くなり、海軍入りを断念。失意の中、同郷の若者たちと南米チリに商業移民として渡り、日本から輸入した雑貨品などの販売で財を成した。そして、敗戦後に平和国家として再出発した日本を観光によって発展させようと思い立ち、東京駅前の一等地を借り受けて国際観光会館を建てたのである。
 私は一九八七年四月から八八年三月までの一年間、ガセイ南米研修基金の研修生として中南米諸国を漫遊した。チリのサンチアゴで日本大使館を訪ねて祖父の話をすると、その時に小松から来た方がお一人存命しているという。さっそく連絡を取っていただき、翌日大使館内でお会いした。
「伊藤三郎の孫です」と言うと、「伊藤さん。私の兄より一つ年上だった」と応じられた。柔道の達人である祖父が、酔ってチリ人の女性にイタズラをしようとした米兵を投げ飛ばしたという逸話が事実だったことも確かめられた。帰国後、祖父にサンチアゴでこういう方にお会いしたと報告すると、「ああ、〇〇の弟だ」とはっきり覚えていたのに驚いた。祖父は一九九一年に九十四歳で他界したが、このたび『日の出』の中で「浅間幸三郎」として蘇ってもらった。

 時は明治四十一(西暦一九〇八)年、十三歳の中学生・馬橋清作(うまはしせいさく)は徴兵を逃れるために故郷の小松から出奔する。清作の父・和作は中学校の教師だったが、馬橋本家の要請で志願兵となって日露戦争に従軍し、戦闘中に負った傷によって帰国直後に死去してしまう。生来の臆病で、父の二の舞になることを恐れた清作は三つ上の先輩である幸三郎の手引きにより、岡山県美作(みまさか)の鍛冶屋にかくまわれて修業につとめる。しかし、家長となった兄・栄作の追手がせまり、清作はさらに筑豊の炭鉱地帯へと逃げてゆく。幸三郎も近視が進んだことで海軍兵学校に入れず、鉄道敷設のために朝鮮半島に渡る。
 清作を主人公とする明治・大正編と並行して、清作のひ孫に当たる女性・あさひを主人公とする現代編が描かれる。中学校社会科の教師をめざし、やがて教師になっていくあさひは清作の数奇な生涯をほとんど知らない。しかし、百年の時を隔てた曽祖父とひ孫の人生は微妙にシンクロしている。二人を結びつけるのは「朝鮮」との関わりだ。

 明治維新による文明開化は日本の伝統的な生活を大きく変容させた。男は髷(まげ)を結わなくなり、家の外では洋服に靴が一般的になっていく。魚だけでなく獣肉を食べ、人力車や蒸気機関車、それに自動車が人々を遠くまで運んでいく。ランプが部屋を照らし、やがて家々にも電灯がともる。
 それに勝るとも劣らない変化は、日露戦争後に多数の朝鮮人が日本に移り住むようになったことだ。大日本帝国の保護下に置かれた朝鮮では多くの農民が土地を追われてやむなく日本に渡り、その大半は炭鉱や工場で働く低賃金労働者となって日本の産業を支えた。ところが、日本の小中学校は朝鮮人の子供たちが日本人と同じ学校に通うのを嫌がった。しかも、朝鮮人たちが自主的に教育機関を立ち上げると、日本政府は朝鮮語での教育を厳しく禁じた。一九四五年八月十五日の敗戦=朝鮮解放後も多数の朝鮮人が日本に留まった背景には言葉の問題があったのである。いかなる理由であれ、教育の機会を奪うことは、将来にわたって大きな禍根を残す。それは現在の日本で問題になっている「こどもの貧困」についても言えることだ。

 私の妻は小学校の特別支援学級の教員をしているが、近年授業についていけずに普通学級から特別支援学級に移る児童が増えているという。履修する内容が増えたのに加えて、多忙を極める教員に余裕がなくなり、フォローが必要な児童を置き去りにせざるを得なくなっているからだ。また、大学の教育学部を卒業しても、過労死のラインを遥かに超える長時間労働に恐れをなして、教員になるのを断念する学生も多いという。しかし、あさひはそうした実状を承知のうえで中学校社会科の教師となり、在日コリアンの生徒と日本人の生徒との関係に真摯に向き合っていく。
 一方、筑豊炭鉱を離れた清作は川崎の朝鮮人町に身を潜める。朝鮮生まれの女性と所帯を持ち、包丁を打ちながら穏やかな生活を送っていたが、一九二三年九月一日午前十一時五十八分、相模湾を震源とする巨大地震が起きる。ちょうど昼時で、火を使っていた家庭が多かったため、各所から発生した火災によって十万人を超える死者が出た。さらにパニックに陥った人々の中から、日ごろ虐げられている朝鮮人たちが混乱に乗じて放火や強盗をおこない、集団で東京に攻め込もうとしているとの流言が生じた。そして、デマを真に受けた人々により、罪のない朝鮮人が多数殺害されたのである。
『日の出』を上梓しようとする今、私がつくづく思うのは、歴史を直視することの難しさである。とくに自国の政府や人々が犯した恥ずべき行いを認めるのは容易なことではない。しかしながら、起きてしまった出来事を直視し続ける以外に道はない。

 困難な時代を生き抜きながら、清作も幸三郎もあさひも鍛えられていく。とくに清作が鍛冶として金鎚を打つ場面は描いていて楽しかった。小説家になる以前、屠畜場でナイフを握っていた私に鍛冶は親しみの湧く職業である。つまり『日の出』は、私が若き祖父の懐に飛び込み、直々に鍛えられて、ともに成長していくという、極めて個人的な物語でもあるのだ。
 最晩年まで、爽やかで、女性にやさしく、自信に満ち溢れていた祖父は私の憧れだった。本書を亡き祖父・多田三郎に捧げる。

(「青春と読書」2018年5月号より)

著者プロフィール

佐川光晴さがわ・みつはる
1965年東京都生まれ、茅ヶ崎育ち。北海道大学法学部卒業。2000年「生活の設計」で第32回新潮新人賞受賞。
02年『縮んだ愛』で第24回野間文芸新人賞受賞。11年『おれのおばさん』で第26回坪田譲治文学賞受賞。
小説に『生活の設計』『ジャムの空壜』『静かな夜』『おれたちの青空』『おれたちの約束』『おれたちの故郷』『大きくなる日』等、エッセイに『牛を屠る』『主夫になろうよ!』『おいしい育児』等がある。

日の出

日の出
佐川光晴 著
2018年5月2日発売
ISBN:978-4-08-771140-0
定価:本体1600円+税

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