プロフィール
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石川 宗生 (いしかわ・むねお)
1984年、千葉県生まれ。オハイオ・ウェスリアン大学天体物理学部卒業。約3年間の世界放浪、メキシコ・グアテマラでのスペイン語留学などを経て、翻訳者として活動。2016年、短編「吉田同名」で第7回創元SF短編賞を受賞。2018年、受賞作を含む短編集『半分世界』を刊行。2020年刊行の『ホテル・アルカディア』で第30回Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞。
石川宗生『ホテル・アルカディア』刊行記念エッセイ
こうしてインドから歌と物語が生まれました
執筆者:石川宗生
いきなりだが、『ディア・プルーデンス』というビートルズの曲をご存じだろうか。真っ白なカバージャケットで有名な通称ホワイト・アルバムに収録されている、ジョン・レノン作詞作曲の知る人ぞ知る名曲である。
こんな誕生秘話がある。
一九六八年、インド哲学に傾倒していたビートルズはインド・リシュケシュを訪れ、約一ヶ月ほどヨガ・アシュラムで瞑想の修行をした。このときほかにも数々の有名人が滞在していたのだが、うち一人が、女優ミア・ファロー(映画『ローズマリーの赤ちゃん』のヒロインでフランク・シナトラの元結婚相手)の妹であるプルーデンス・ファローだった。彼女は瞑想に没頭するがあまり、食事もろくにとらず瞑想小屋から出てこなくなった。ビートルズの面々は出てくるように呼びかけ、そこからインスパイアされたジョンが『ディア・プルーデンス』を書いたのである。エピソードそのまま、外に出ておいでよと優しく歌いかけるすばらしい楽曲に仕上がっている。
さて、なぜこんな楽曲紹介から入ったかというと、まず単純に(自己紹介も兼ねて)僕がビートルズのファンだからである。
中学生のときに魅入られ、いかにもティーンエイジャーらしくギターやベースをコピーし、歌詞も丸暗記してそこから英語を覚えた。構文はそっくりそのまま、単語だけ入れ替えればそれなりに使え、学校の英語のテストでもそれなりの点数を叩き出せた。その影響もあってのちにアメリカの大学に留学し、翻訳の仕事をするようにもなった。
それとーーこれが最も決定的かつ宣伝的な理由だがーー、このたび刊行となる『ホテル・アルカディア』に影響を与えたからだ。
そもそもは約二年前、編集者さんからなにかしらのテーマで毎月二本のショートショートを連載しませんかというお話をいただいた際に、あの楽曲のことが頭に浮かんだのだった。プルーデンスみたいに閉じこもってしまった女の子を元気づけるため、たくさんの物語を語り聞かせるという枠物語はどうだろう? たとえば舞台をホテルに移すのは? 支配人の一人娘が自室にこもってしまい、たまたま投宿していた芸術家たちが同情を寄せ自作の物語を語り聞かせるというのは?
溢れ出てきた。
枠物語にするならば、その代表格である『デカメロン』みたいにおかしみと不思議さに溢れたものをたくさん語ろう。小さな動物たちが体に棲み着いた男女の話に、星になった死者を天体観測する話。運命の五色の糸に翻弄される女の話とか、AIが書く脚本通りに生活を営む街の話。
語られる物語はさも別々の人がものしたように(二一編のショートショートが収録されているのだが)二一通りの色をつけよう。
そして閉じこもっていながら、女の子が色んな物語世界を旅していくような感じにしようか。物語の奥へ、奥へと。枠物語の枠自体もどんどん移り変わり、語り手と聴き手の、ひいては現実と物語の境目さえもなくなってしまうまでに。
かくて様々な角度や熱量を取り込みうねりくねり膨らんでぽんっと弾けたもの、それが『ホテル・アルカディア』となったのだ。
こんな後日談がある。
去年末に僕もリシュケシュに行った。小説取材は執筆前にするのが当然だが、僕の場合は今作を仕上げたあとで。ただ単に、ビートルズの一ファンとして行きたい欲を堪(こら)えきれずに。
元来、旅が好きだった。大学の夏休みに東南アジアを周遊したのをきっかけに、その後も中南米、欧州、中東、中央アジアとバックパッカー旅を度々してきた。イギリスやインドにも足を運んだことはあるのだが、ビートルズゆかりの地に今ここで行ったら人生の楽しみが減じてしまうような気がして敬遠してきた。けれどもう三〇代半ばに差し掛かったし、そろそろいいかと切符を一枚切ることにしたのだ。
肝心のヨガ・アシュラムは観光地化されていた。石造りの建物は当時の面影を残したまま、各所に「大食堂跡」や「メインホール跡」と立て札が設置されていた。
かつてジョン・レノンがいたという瞑想小屋も残されていたが、なにより目を瞠(みは)ったのは、ファンたちが壁という壁に残していったグラフィティやメッセージだ。ビートルズはもちろん、プルーデンスらしき絵も無数に描かれていた。ただの複写ではなく、自分なりの色と形と言葉でもって表された鮮烈な万感のかたまりが、美の奔流となって四方の壁を多次元に貫いていた。それ全体が一個の芸術であり、巨大な祈りであるかのようだった。
そのときになって、僕はようやく筆をおけたような気になった。『ホテル・アルカディア』で書き起こしたものも、たぶんここにあるものとそう変わらないのだ、と。
(青春と読書 2020年4月号より転載)
集英社文芸・公式|note【https://note.com/shueisha_bungei】にて
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