内容紹介
天才と謳われる早逝の詩人、シルヴィア・プラス。
作者のショッキングな自死から半世紀以上を経た2019年、未発表短篇「メアリ・ヴェントゥーラと第九王国」が新たに発見され、大きな話題となった。
プラスの短篇について「詩にも長篇にもない独自の魅力が、どの短篇にも見つかるのではないかと思う」と評する柴田元幸氏が、強く惹かれた作品を選んで訳した短篇集。
赤いネオンの点滅する停車場で、両親に促されるままに行先の分からない列車に一人乗り込んだ少女の不思議な体験を描く「メアリ・ヴェントゥーラと第九王国」、大きなハリケーンが来た日の病院の騒動を活写する「ブロッサム・ストリートの娘たち」、人々が眠っているときに見る“夢”を集めることに没頭する女性を描く「ジョニー・パニックと夢聖書」など、大人向け短篇7篇と子供に向けて書かれた「これでいいのだスーツ」を収録。
【収録作品】メアリ・ヴェントゥーラと第九王国/ミスター・プレスコットが死んだ日/十五ドルのイーグル/ブロッサム・ストリートの娘たち/これでいいのだスーツ/五十九番目の熊/ジョニー・パニックと夢聖書/みなこの世にない人たち
プロフィール
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シルヴィア・プラス (Sylvia Plath)
アメリカの詩人、作家。ボストン生まれ。生前に刊行されたのは詩集『The Colossus(巨像)』(1960)と自伝的小説『ベル・ジャー』(1963 )のみ。死後1965年詩集『エアリアル』、1977年に短篇・エッセイ・日記の抜粋『ジョニー・パニックと夢聖書』、1981年『The Collected Poems(全詩集)』などが出版され、この『全詩集』でピュリッツアー賞を受賞。2019年、執筆から60年以上を経て『メアリ・ヴェントゥーラと第九王国』が刊行された。
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柴田 元幸 (しばた・もとゆき)
1954年東京都生まれ。翻訳家、東京大学名誉教授。著書に『生半可な學者』(講談社エッセイ賞受賞)、『アメリカン・ナルシス』(サントリー学芸賞受賞)など。現代アメリカ文学のみならず、古典も含めて多くの翻訳を発表。トマス・ピンチョン『メイスン&ディクスン』の翻訳で日本翻訳文化賞受賞。編集代表を務める文芸誌「MONKEY」および英語文芸誌MONKEY New Writing from Japanでは鮮烈な企画を展開、日米の読者を魅了している。2017年、早稲田大学坪内逍遥大賞受賞。
対談
書評
降りられない列車、尽きることのない話
出口菜摘
シルヴィア・プラスの短篇「メアリ・ヴェントゥーラと第九王国」は、一九五二年十二月、プラスが二十歳の時に執筆され、長らく日の目を見ることはなかった。アメリカのインディアナ大学リリー図書館が所蔵するアーカイヴに眠っていた本短篇は、二〇一九年にイギリスの出版社が、創立九十周年記念本の第一弾として発表し話題を集めた。プラスは激しい感情を書きつける詩人、また、半自伝的小説『ベル・ジャー』の筆者として知られるが、初訳の三篇と新訳の五篇が収録された本書を開くと、詩とも長篇小説とも異なるプラスの世界に引きずり込まれる。
表題作「メアリ・ヴェントゥーラと第九王国」は、プラス自身が「幻想的で象徴的すぎる」と母親に宛てた手紙に書いているように、「心温まるシンプルなお話」ではない(註1)。主人公メアリは、両親に追い立てられるように、北に向かう汽車に乗せられる。目的地である終点「第九王国」がどのような場所なのか、また、なぜ一人で旅に出るのかも知らされていない。疑問と不安の影がただようまま、メアリを乗せた列車は走り出す。
車内は思いのほか快適で、照明の光で赤いビロードの座席はワイン色に輝いている。メアリの隣には、編み物をする年配の女性。彼女はこの汽車に何度も乗っていると語り、旅慣れた様子。他の座席には、喧嘩する兄弟と仲裁する気配のない母親。ビジネスマンの姿も見える。メアリはくつろいだ気分になり、隣席の女性と会話したり、食堂車でサクランボ入りジンジャーエールを楽しんだりする。車内で甘いお菓子を買うこともできる。女性曰く、「この汽車に乗ってると、時が経つのをほとんど感じない」。それほど細やかにサービスが用意され、乗り心地がいいように計算されているのだ。
しかし、旅が進むにつれて、冒頭の場面で拭いきれなかった不安が次第に大きくなっていく。そもそも車窓からの風景も不穏さをはらんでいた。秋の午後の空には、「オレンジ色の平べったい円盤という感じの太陽」が垂れ下がり、閉鎖され寂れた停車駅や不毛な農地が窓の外を流れていく。地下のトンネルは長く、その内壁には氷がはりつき、明らかに外気温下がっている。けれど、メアリと隣席の女性以外、誰も違和感を抱く者はいない。
メアリが向かう「第九王国」とはいったいどんな場所なのか。震えながら、「次の汽車でうちへ帰るわ」と叫ぶメアリに、女性はこう告げる。
「この路線に帰りの列車はないのよ」女性は穏やかに言った。「第九王国に着いたら、もう戻りようはない。そこは否定の王国、凍りついた心の王国なのよ。名前はいろいろあるけれど」
途中下車も、戻ることもできないと知ったメアリは取り乱し、顔をしわくちゃにして泣き始める。
この短篇を執筆していた頃、プラスはダンテの『神曲』を読んでいたことから、第九王国と『神曲』の「地獄篇」で描かれる第九圏との関連を指摘する評論もある(註2)。ダンテの描く、すり鉢状の最下層にあたる氷地獄は、裏切り行為を行なった罪人たち送られる極寒の地。たしかに九の序数や凍てつく寒さなど、ダンテからの影響を見ることはできる。けれど、第九王国の不気味さは、同乗の女性が語るように、「名前はいろいろある」ことで、終点へ向かう汽車に、この短篇が書かれた冷戦期のアメリカ社会を読み込むことや、読者それぞれが置かれた、逃げ場のない状況を重ねることもできるだろう。作品の冒頭で落ちた影はメアリを覆い、わたしたち読者の足元まで長く伸びる。メアリは、旅で一緒になったこの女性に自分の感情をぶつけるうち、ある決断をする。そしてストーリーはいっきに加速する。
「メアリ・ヴェントゥーラと第九王国」だけではなく、プラスの短篇は読者を不思議な場所へと連れていく。ハリケーンが来た夜の病棟を描いた「ブロッサム・ストリートの娘たち」や、州立公園でキャンプをする夫婦が熊に遭遇する「五十九番目の熊」。「ジョニー・パニックと夢聖書」では、他人のカルテを読むことに病みつきになる女性が登場する。精神科で働く彼女は、ジョニー・パニックなる人物の秘書として、人々の夢を収集する。プラスの短篇は、ときにシュールで、エキセントリックともいえる設定でありながら、登場人物たちのクセのある会話に親しみを覚え、ユーモラスな比喩に吹き出してしまう。おしゃべりを隣で聞いているようなリアリティと、現実から浮遊する感覚が、ひとつの作品のなかに同居する。本を閉じても、登場人物たちの会話が耳の奥に残る。それは本書の最後に置かれた短篇「みなこの世にない人たち」のなかで聞こえる、ある呼びかけのように、奇妙でいて懐かしい。静謐な佇まいをした本書には、短篇作家としてのプラスの声がいっぱい詰まっている。
註1 一九五五年一月二十九日付の手紙。Plath,Sylvia. The Letters of Sylvia Plath, Volume Ⅰ:1940-1956. Edited by Peter K. Steinberg and Karen V. Kukil, Harper Collins,Kindle,2017.
註2 Kukil, Karen V. “The Genesis of ‘Mary Ventura and the Ninth Kingdom.’” The Hudson Review, Spring 2019, http://hudsonreview.com/2019/05/the-genesis-of-mary-ventura-and-the-ninth-kingdom/#.Ymzfii2Muw4.
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