書評

降りられない列車、尽きることのない話 

出口菜摘 

 シルヴィア・プラスの短篇「メアリ・ヴェントゥーラと第九王国」は、一九五二年十二月、プラスが二十歳の時に執筆され、長らく日の目を見ることはなかった。アメリカのインディアナ大学リリー図書館が所蔵するアーカイヴに眠っていた本短篇は、二〇一九年にイギリスの出版社が、創立九十周年記念本の第一弾として発表し話題を集めた。プラスは激しい感情を書きつける詩人、また、半自伝的小説『ベル・ジャー』の筆者として知られるが、初訳の三篇と新訳の五篇が収録された本書を開くと、詩とも長篇小説とも異なるプラスの世界に引きずり込まれる。 
 表題作「メアリ・ヴェントゥーラと第九王国」は、プラス自身が「幻想的で象徴的すぎる」と母親に宛てた手紙に書いているように、「心温まるシンプルなお話」ではない(註1)。主人公メアリは、両親に追い立てられるように、北に向かう汽車に乗せられる。目的地である終点「第九王国」がどのような場所なのか、また、なぜ一人で旅に出るのかも知らされていない。疑問と不安の影がただようまま、メアリを乗せた列車は走り出す。 
 車内は思いのほか快適で、照明の光で赤いビロードの座席はワイン色に輝いている。メアリの隣には、編み物をする年配の女性。彼女はこの汽車に何度も乗っていると語り、旅慣れた様子。他の座席には、喧嘩する兄弟と仲裁する気配のない母親。ビジネスマンの姿も見える。メアリはくつろいだ気分になり、隣席の女性と会話したり、食堂車でサクランボ入りジンジャーエールを楽しんだりする。車内で甘いお菓子を買うこともできる。女性曰く、「この汽車に乗ってると、時が経つのをほとんど感じない」。それほど細やかにサービスが用意され、乗り心地がいいように計算されているのだ。 
 しかし、旅が進むにつれて、冒頭の場面で拭いきれなかった不安が次第に大きくなっていく。そもそも車窓からの風景も不穏さをはらんでいた。秋の午後の空には、「オレンジ色の平べったい円盤という感じの太陽」が垂れ下がり、閉鎖され寂れた停車駅や不毛な農地が窓の外を流れていく。地下のトンネルは長く、その内壁には氷がはりつき、明らかに外気温下がっている。けれど、メアリと隣席の女性以外、誰も違和感を抱く者はいない。 
 メアリが向かう「第九王国」とはいったいどんな場所なのか。震えながら、「次の汽車でうちへ帰るわ」と叫ぶメアリに、女性はこう告げる。 

  「この路線に帰りの列車はないのよ」女性は穏やかに言った。「第九王国に着いたら、もう戻りようはない。そこは否定の王国、凍りついた心の王国なのよ。名前はいろいろあるけれど」 

 途中下車も、戻ることもできないと知ったメアリは取り乱し、顔をしわくちゃにして泣き始める。 
 この短篇を執筆していた頃、プラスはダンテの『神曲』を読んでいたことから、第九王国と『神曲』の「地獄篇」で描かれる第九圏との関連を指摘する評論もある(註2)。ダンテの描く、すり鉢状の最下層にあたる氷地獄は、裏切り行為を行なった罪人たち送られる極寒の地。たしかに九の序数や凍てつく寒さなど、ダンテからの影響を見ることはできる。けれど、第九王国の不気味さは、同乗の女性が語るように、「名前はいろいろある」ことで、終点へ向かう汽車に、この短篇が書かれた冷戦期のアメリカ社会を読み込むことや、読者それぞれが置かれた、逃げ場のない状況を重ねることもできるだろう。作品の冒頭で落ちた影はメアリを覆い、わたしたち読者の足元まで長く伸びる。メアリは、旅で一緒になったこの女性に自分の感情をぶつけるうち、ある決断をする。そしてストーリーはいっきに加速する。 
 「メアリ・ヴェントゥーラと第九王国」だけではなく、プラスの短篇は読者を不思議な場所へと連れていく。ハリケーンが来た夜の病棟を描いた「ブロッサム・ストリートの娘たち」や、州立公園でキャンプをする夫婦が熊に遭遇する「五十九番目の熊」。「ジョニー・パニックと夢聖書」では、他人のカルテを読むことに病みつきになる女性が登場する。精神科で働く彼女は、ジョニー・パニックなる人物の秘書として、人々の夢を収集する。プラスの短篇は、ときにシュールで、エキセントリックともいえる設定でありながら、登場人物たちのクセのある会話に親しみを覚え、ユーモラスな比喩に吹き出してしまう。おしゃべりを隣で聞いているようなリアリティと、現実から浮遊する感覚が、ひとつの作品のなかに同居する。本を閉じても、登場人物たちの会話が耳の奥に残る。それは本書の最後に置かれた短篇「みなこの世にない人たち」のなかで聞こえる、ある呼びかけのように、奇妙でいて懐かしい。静謐な佇まいをした本書には、短篇作家としてのプラスの声がいっぱい詰まっている。 

註1 一九五五年一月二十九日付の手紙。Plath,Sylvia. The Letters of Sylvia Plath, Volume Ⅰ:1940-1956. Edited by Peter K. Steinberg and Karen V. Kukil, Harper Collins,Kindle,2017. 

註2  Kukil,  Karen V. “The Genesis of ‘Mary Ventura and the Ninth Kingdom.’” The Hudson Review, Spring 2019, http://hudsonreview.com/2019/05/the-genesis-of-mary-ventura-and-the-ninth-kingdom/#.Ymzfii2Muw4. 

「すばる」2022年7月号転載