編集者のテマエミソ新刊案内
時田翼32歳、農協勤務。
小柳レモン22歳、ファミレス勤務。
真夜中の庭で出会ったふたりの、始まりの物語。
時田翼32歳。九州の田舎町で、大酒呑みで不機嫌な父と二人で暮らす。趣味は製菓。
ある朝、隣人の老婆が庭のゆずを盗む現場を押さえろと父から命じられる。小学校からの同級生鉄腕とゆず泥棒を捕まえるが、犯人は予想外の人物で──(「大人は泣かないと思っていた」)。
小柳レモン22歳。バイト先のファミリーレストランで店長を頭突きしてクビになった。
偶然居合わせた翼に車で送ってもらう途中、義父の小柳さんから母が倒れたと連絡が入って……(「小柳さんと小柳さん」)ほか全7編収録。恋愛や結婚、家族の「あるべき形」に躓き、傷ついてきた大人たちが、もう一度、自分の足で歩き出す姿を描いた寺地はるなさんの最新刊『大人は泣かないと思っていた』。
「青春と読書」8月号に、評論家の北上次郎さんが書評を寄せてくださいました。
ぜひたくさんの方にお読みになっていただきたく、テマエミソ新刊案内に転載いたします。
書評
いまこの作家に注目だ
北上次郎(評論家)
小学一年生の翼が、黄色い通学帽に桜の花びらをいっぱいあつめてきたときのことを、ずっと後年、母の広海が思い出すくだりがある。
「落ちてるのを拾ってきたの?」
母が尋ねると、伏せた睫毛が震えていた。息子の翼は、そこいらの女の子よりずっと泣き虫だった。
「枝を折ったらかわいそうだから」
そう言った翼は三十二歳になり、農協に勤めている。彼が高校生のときに家を出た広海はいま、摘まれた花は本当にかわいそうなのだろうか、と考えている。
他人にはけっして迷惑をかけないと翼が決めたのは、この挿話で明らかなように、母が家を出ていってからではない。母のいるときからそういう子であった。花を摘む人生を選んだ母の造形は、翼を浮き彫りにするための物語的装置にほかならない。
本書はそういうふうにひっそりと生きてきた青年が、一歩足を踏み出すまでの一年間を描いた連作長編だ。翼、隣家の孫娘レモン、幼なじみの鉄也、母の広海、農協の同僚・平野貴美恵、鉄也の父・義孝と、視点人物を次々に変え、さまざまなドラマを積み重ねていくが、ただいま絶好調の寺地はるなの新作だけに、まことに絶妙で、充実した読書を堪能できる。でぶでやさしい放射線技師の小柳さんの造形に見られるように、点景人物までをも巧妙につくりあげているのは特筆ものだろう。うまいうまい。
家族の不和と絆、女性の忍耐と自立、そして友情、さらに恋--何一つとして目新しい素材はないけれど、寺地はるなは、それを私たちがこれまで見たことのない風景であるかのようにつくりあげる。まるで魔法を見ているかのようだ。結果として、私たちの、そして読者の、一度きりの生が鮮やかに立ち上がってくる。寺地はるなはこれまでも水準以上の作品を書き続けていたけれど、『みちづれはいても、ひとり』『架空の犬と、嘘をつく猫』、そして本書と3作連続の傑作とは素晴らしい。いまこの作家に注目だ!
(「青春と読書」2018年8月号掲載)
著者プロフィール
- 寺地はるなてらち・はるな
- 1977年佐賀県生まれ。大阪府在住。会社勤めと主婦業のかたわら小説を書き始め、2014年『ビオレタ』でポプラ社小説新人賞を受賞しデビュー。著書に『ミナトホテルの裏庭には』『月のぶどう』『今日のハチミツ、あしたの私』『みちづれはいても、ひとり』『架空の犬と嘘をつく猫』などがある。
- 大人は泣かないと思っていた
- 寺地はるな 著
2018年7月26日発売
ISBN:978-4-08-771144-8
定価:本体1600円+税
- 購入する
- 電子版を購入する