
内容紹介
「別の生き物になりたい」。
筋トレに励む会社員・U野は、Gジムで自己流のトレーニングをしていたところ、
O島からボディ・ビル大会への出場を勧められ、
本格的な筋トレと食事管理を始める。
しかし、大会で結果を残すためには筋肉のみならず「女らしさ」も鍛えなければならなかった――。
鍛錬の甲斐あって身体は仕上がっていくが、
職場では彼氏ができてダイエットをしていると思われ、
母からは「ムキムキにならないでよ」と心無い言葉をかけられる。
モヤモヤした思いを解消できないまま迎えた大会当日。
彼女が決勝の舞台で取った行動とは?
世の常識に疑問を投げかける圧巻のデビュー作。
プロフィール
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石田 夏穂 (いしだ・かほ)
1991年埼玉県生まれ。東京工業大学工学部卒。2021年「我が友、スミス」が第45回すばる文学賞佳作となり、デビュー。同作は第166回芥川龍之介賞候補にもなる。他の著書に『ケチる貴方』がある。
火曜は脚の日だ。五台横に並べられた右端のパワー・ラックに陣取ると、まずはバーベルを引っ掛けているフックの高さを調整した。右のフックを、ずずずと二十センチほど低くする。左のフックも、同じ高さに合わせる。私の身長は、一五五センチだった。
バーベルが肩の高さになると、肘をやや曲げ、バーベルを目の前に握った。ひんやりと手に冷たいバーベルを支えに、片足ずつ脚を前後にぶんぶん振る。一分足らずの、見様見真似のウォーム・アップだった。脚の付け根に、引っ張られる感覚が走った。
屈み込み、バーベルの下に肩を添える。プレート(重り)をつけていないバーベルは二十キロだ。すっと立つ。直立すると、バーベルの下に入っていた親指を、他の指と同じ位置に添え直す。こうしないと、どういう加減か、最下点で踏ん張った時に手首が痛くなるのだ。このマニアックなアドバイスを私に施したのは、このジムの従業員だった。実際にやってみると、本当に手首の苦しさは解消した。
脚幅を調整し、正面の鏡に顔を向けると、どこか澄ました表情の自分が、間抜けにバーベルを担いでいる。
息をつくと、ひょこひょこと十回スクワットした。終わるとバーベルをフックに戻し、左右に五キロのプレートをつけ、スプリング・カラーで固定した。三十キロで、もう十回。さらにプレートを追加し続け、五十キロになった時点で、一度水筒の水を飲んだ。ここからが本番なのである。
バーベル・スクワットはしんどいが、どうにも外せない種目だ。動員する筋肉が多いだけに、達成感もひとしおだからだろう。考えてみれば、筋トレというのは不思議な行為だ。大方誰にも頼まれていないのに、重りを持ち上げたり、引っ張ったり、振り回したり、特定の非日常的な動作を繰り返すのだから。そこだけ抜き出した光景には、何やら前衛パフォーマンスのようなシュールさが漂う。
五十キロは、私の体重に等しい。おりゃっと担ぐと、真っ直ぐ立っているだけで、なかなかの負荷だった。バーベル直下にある骨と骨の間隔が詰まり、身長が縮む錯覚を覚えた。だが、ここで「重い」とか「止めよう」とか「できない」とか、余計なことは考えない。私は無慈悲な指揮官よろしく、スクワットを始める。深々と腰を落とす、スローモーションのスクワットだ。私の赤く上気してきた額には、てらてらと屋内の汗が反射する。
職場と自宅の中間地点にあるGジムに入会してから、一年と三ヵ月が過ぎた。
Gジムの唯一にして最大の欠点は、スミスが一台しかないことだ。スミスもといスミス・マシンは、バーベルの左右にレールがついたトレーニング・マシンである。レールがついているとバーベルの軌道が自ずと定まるため、バランスに気を使う必要がない。つまり、フリー(ダンベルないしはバーベルのみを使う筋トレ)では危なっかしいチャレンジングな高重量でも、スミスなら比較的安全に扱えるのだ。
二十分後、バーベル・スクワットを終えた私は、ジムの端に位置するスミスの様子をチラと横目で窺った。視線の先ではネイビー・カットの三人組が、依然としてベンチ・プレスに励んでいる。私は、あのスミスで次の種目をやりたかった。ところが、あの三人組の様子では、あと百年はスミスを明け渡さないかに見える。三人組はプレートを増やしたり減らしたりしながら、順繰りにスミスの中で踏ん張っていた。所謂「合トレ(合同トレーニング)」だが、会社員の私は百年も待機するわけにはいかず、仕方なく予定を変更することにした。筋トレくらい、一人でやれよ。一匹狼の私は、胸の中で嚙みついた。

筋肉アイドル・才木玲佳さんによる
『我が友、スミス』読書感想インタビュー&
読書しながらレッツ宅トレ「才木式リーディング トレーニング」は
こちらからダウンロードできます。
オンライントークイベント
※2022年3月12日に実施された配信のアーカイブです
書評
❝自分❞であるための友、スミス
吉田伸子
人じゃないんか~~っ! と思わず心の中で突っ込んでしまったのは、私だけではない、はず……。
本書のタイトルにある「スミス」とは、スミスさん、ではなく、スミス・マシンという「バーベルの左右にレールがついたトレーニング・マシン」のことなのだ。
そのことは、冒頭も冒頭、3ページめで明らかになる。そもそも、勘の良い方なら、表紙のイラストがムキっとした腕の女性だし、帯にだって「ボディ・ビル大会の出場を目指す会社員」とあることから、スミス=スミス・マシンだと、ピン!と来たかも。とはいえ、「我が友」、ですからね。人だと思いますよね? ね?
ただ、どうして、マシンが「我が友」なのかといえば、それこそが本書のテーマでもあるわけで、そこを考えれば、実に秀逸なタイトルだな、と思う。
本書の主人公・U野は入社七年目の会社員だ。「別の生き物になりたい」「誰に傷つけられるでもなく、同情されるでもない、超然とした生き物になりたい」とジムでのトレーニングを始めたU野。それは会社や社会という❝理不尽❞から逃れるためだったはずなのに、ボディ・ビル大会のお約束、という新たな❝理不尽❞がU野を待ち受けていたーー。
U野の日々のトレーニングはもちろんのこと、女性のボディ・ビル大会というのが、どういうもので、何を求められるのか、といったことが詳細に描かれていて、それだけでも面白いのだけど、本書の白眉はやはり、大会当日のU野の選択にある。その選択をした瞬間こそ、U野が本当の意味で「別の生き物」として覚醒したのだ。あのシーンは、何度読んでも痛快だ。
大会の後の日々も、ジムで黙々とトレーニングをするU野の前にあるのは、スミス・マシンだ。U野が求め続ける限り、スミスはそこにある。鍛えるべき肉体の、その手段として、確かに、そこに。U野の友として。
この煌めく個性に、激賞続々!!
ボディビル競技という、多くの人にとって未知の世界を内側からリアルに描き、ぐいぐい読ませる力量がすばらしい。何よりも、書き手が本当に好きなことを自由に書いている喜びが伝わってきた。新たなる筋肉文学の誕生を祝いたい。
――岸本佐知子氏(翻訳家)
筋肉だけにフォーカスした小説はたぶん文学史上初めてだろう。「文学史上はじめて」をデビュー作で実現してみせた才能に脱帽。
――内田樹氏(思想家・武道家)
人間でいるのは疲れる。別の生き物になりたい。
私たちはなれるだろうか。例えば「美しいけだもの」になれるだろうか。
その問いに対する答えがこの小説にありました。
――町田康氏(作家)
鍛え上げて自分を追い込んで新しい世界へ、のはずが、女磨きを強要された。いびつな世界の歪んだ鏡と対峙しつつ奮闘する彼女が、遂に自分の正像を選び取る。ユニークな題材とテーマに果敢に取り組む姿勢と、新人離れした筆力に圧倒された。
――篠田節子氏(作家)
ボディコンテストに出るまでの過程、わたしの事が書かれているのかと錯覚してしまうくらいでした。トレーニーの知り合いが増えて思う事、それは「真っ直ぐな人が多い」ということです。だからこそ、自分を洗脳して頑張り続けるのかもしれません。
――ほのか氏(CanCam専属モデル)
笑ってしまったほど細かくて、辛かったこともユーモラスに表現されてとてもリアル。
ボディ・ビルに励んでいたあの日々が懐かしく感じたのと同時に密かに
もう一度”別の生き物”になりたい願望が湧きました。ほどほどにね….
今年の原動力になる一冊です!
――LiLiCo氏(映画コメンテーター)
極めて好きな小説。テーマはキャッチーだが、それを選んでおいて、キャッチーさを消していくような、作者の視点や文章のバランス感覚、比喩のセンスがモロ好みであった。逸材〜!!
――新井見枝香氏(書店員・エッセイスト・踊り子)
他者に消費される身体を脱ぎ捨て、主体性のもとに鍛えよ。そして笑え。「ガチ」のボディビル大会を目指し、自己改造にまい進する「私」の倒錯と闘争の物語。
――江南亜美子氏(書評家)
筋トレに対する見方がガラリと変わってしまって、もう戻れない。「筋肉は裏切らない」とか言いますけど、この筋トレ小説も裏切らないので読んだ方がいいですよ!
――トミヤマユキコ氏(ライター)
世俗を離れストイックに自己探求に勤しむはずが、背を向けたはずのベタな「らしさ」や「べき」が追いかけてくる。シュールで小気味良い筆致で繰り広げられる、物珍しくも大真面目なマッスル×ジェンダー成長譚から浮かび上がる、普遍的な「それな!」。
――長田杏奈氏(ライター)
なぜ女がボディ・ビル? そう思った全ての人に読んで欲しい。ボディ・ビルの世界まで追いかけてきた「女らしさ」というウェイト。厳しい筋トレとモヤモヤとの戦いの先に彼女が見つけたのは、「自分で決めた理想の身体」という解放。
――井谷聡子氏(関西大学准教授/スポーツとジェンダー、セクシュアリティ研究)
なかなか鋭い衝撃を喰らってしまった。
ただ、筋トレをする、その様子の描写が文学で有り得るのか、そんな自問自答をしながら読み進めていたのだが、面白さが先に立っていつの間にか物語に飲み込まれていた。
――江藤宏樹氏(広島 蔦屋書店書店員)
断言しよう!石田夏穂は文学界のイチローである!!
ほとんどの人には外野のフィールドだと思われるボディ・ビルというニッチな世界から、ジェンダーによる生きにくさを抱えたことのある読者の心のど真ん中にレーザービームでストライクを投げ込んでくる。将来的にもかなり高い打率で我々の記憶に残る作品を産み出す作家になることを期待させるデビュー作だ。
――阿久津武信氏(くまざわ書店錦糸町店書店員)
私は主人公のU野とは真逆で、可愛らしいものが大好きで、身体を鍛えたりすることとは生涯無縁だろうと思います。
ですが、U野の「別の生き物になりたい」という祈りにも似た想いには強烈なシンパシーを感じます。清々しいカタルシスが感じられるラストには、胸が熱くなり、同志を見つけた気持ちになりました。
――市川真意氏(ジュンク堂書店池袋本店書店員)
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