プロフィール
-
山下 澄人 (やました・すみと)
1966年、兵庫県生まれ。富良野塾2期生。96年より劇団FICTIONを主宰。2012年『緑のさる』で野間文芸新人賞を、17年「しんせかい」で芥川賞を受賞。その他の著書に『ギッちょん』『砂漠ダンス』『コルバトントリ』『鳥の会議』『小鳥、来る』などがある。
【書評】死生観の深さに胸打たれる
評者:豊﨑由美(書評家)
口のきけない母親を孕(はら)ませて消えた父親。五歳で酒屋へもらい子にやられ、最初は可愛がられたものの家業が傾くにつれネグレクトに遭い、いったんは母親の元に帰りながらも、十歳にして小さな神社の裏を登っていったところにある穴で〈いぬ〉と共に浮浪児暮らしを始めたトシ。
五歳の時に酔っ払った母親に突き飛ばされたせいで生涯足を引きずって歩くことになり、その母親も中学生の時に自殺して、父親の兄がやっている見世物小屋に行かされるも、中学卒業と同時に出奔し、同じ年のトシと穴で暮らし始めるようになったサナ。
山下澄人の『月の客』は、親をはじめとする大人たちや社会の助けをほとんど受けられず成長していく少年と少女の一生を、作者ならではの、何の断りもなしに、過去と現在と未来を融通無碍(ゆうずうむげ)に行き来する筆致で描いた、無惨な、しかし美しい、そして切実な小説になっている。
ほとんど口をきかないトシ。どんどん太っていき、学校でひどい言葉でからかわれていたサナ。ある因縁からアイスピックで人を刺し、施設に入れられるトシ。運送会社の事務員にもぐり込んだのを端緒に、さまざまな仕事に就き、愛してもいない男たちと寝て、各地を転々とすることになるサナ。見世物小屋で鶏の首を噛みちぎる女として働くようになり、トシの弟ラザロを妊娠する母親。施設を出所後、見世物小屋で犬と会話ができる〈犬少年〉として働くようになるトシ。巡業で訪れた雪の街で、男とラブホテルに入っていくサナを見かけるトシ。車に轢かれ死んでしまう幼いラザロ。母親にラザロを生ませ、暴力をふるってばかりいる男の耳をナイフでそいで逃げ、いぬと共にほら穴に帰るトシ。
たくさんの出来事がたくさんの記憶を引き出す式に、時系列をシャッフルした声で物語られていく先にあるのは阪神・淡路大震災だ。燃えさかる街の火の中から〈ぼんやりとした丸い、白い、風船、光る、風船、のようなもの〉が、大きな月に向かってゆっくり上がっていくのを見るトシ。公園のピンクの象の中で被災した後にほら穴に向かい、トシといぬに再会するサナ。
トシとサナだけではなく、大勢の人物の声や思いや記憶が溶け合うこの小説を読んでいると、わたしたちが“わたし”だけで出来ているのではないこと、目を開けて見ている現実の時間だけを生きているのではないこと、夢も死もまたわたしたちの生の時間なのだということが、切実に了解されていく。小さくて大きい、大きくて細やか、細やかで大胆、大胆で優しい。山下澄人の死生観の深さに胸打たれる素晴らしい作品だ。
<青春と読書 2020年6月号WEB版より転載>
新着コンテンツ
-
インタビュー・対談2025年12月17日
インタビュー・対談2025年12月17日佐々木 譲×須賀しのぶ「物語に託した現代社会への警告」
佐々木譲さんの改変歴史警察小説、「抵抗都市」シリーズが完結を迎えるにあたり、三十年来のご縁がある須賀しのぶさんとの初の対談が実現。
-
インタビュー・対談2025年12月17日
インタビュー・対談2025年12月17日篠田節子『青の純度』ハワイ島取材記-歩いた 調べた 泳いだ-
『青の純度』執筆にあたり、著者がハワイに取材に訪れた際の出来事を綴っていただきました。
-
お知らせ2025年12月17日
お知らせ2025年12月17日小説すばる1月号、好評発売中です!
新年号は桐野夏生さん、馳星周さん、島本理生さんの新連載豪華3本立てスタート! 宇山佳佑さん×大橋和也さんの特別対談も。
-
連載2025年12月17日
連載2025年12月17日【会いたい人に会いに行く】 第15回 宇山佳佑さん(作家)→大橋和也さん(なにわ男子)
小説家デビュー10周年を迎える宇山佳佑さん(作家)と大橋和也さん(なにわ男子)が、来し方とこれからを語り合う
-
連載2025年12月15日
連載2025年12月15日【ネガティブ読書案内】
第49回 鈴木 俊貴さん
泣きっ面に蜂が襲ってきた時
-
新刊案内2025年12月15日
新刊案内2025年12月15日沈黙をあなたに
マリオ・バルガス=リョサ 訳/柳原孝敦
ノーベル賞作家でありラテンアメリカ文学を牽引した巨匠による、喜劇と悲劇、そして音楽と本と祖国への愛に満ちた人間賛歌。