内容紹介
1995年1月17日未明、阪神・淡路大震災が発生した。
神戸市内の高校から都内の大学に進学し、東京で働いていた青年は、早朝の電話に愕然とする。
かけてきたのは高校時代の友人で、故郷が巨大地震に見舞われたという。
慌ててテレビをつけると、画面には信じられない光景が映し出されていた。
被災地となった地元には、高齢の祖父母を含む家族や友人が住んでいる。
彼は、故郷・神戸に向かうことを決意した。
鉄道は途中までしか通じておらず、最後は水や食料を背負って十数キロを歩くことになる。
山本周五郎賞を受賞した作家が自らの体験をもとに、震災から30年を経て発表する初の現代小説。
プロフィール
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砂原 浩太朗 (すなはら・こうたろう)
1969年生まれ。兵庫県神戸市出身。早稲田大学第一文学部卒業。2016年「いのちがけ」で第2回決戦!小説大賞を受賞。21年『高瀬庄左衛門御留書』で第9回野村胡堂文学賞、第15回舟橋聖一文学賞、第11回本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞。22年『黛家の兄弟』で第35回山本周五郎賞を受賞。他の著書に『いのちがけ 加賀百万石の礎』『藩邸差配役日日控』『霜月記』『夜露がたり』『浅草寺子屋よろず暦』など。
インタビュー
書評
間にあるもの
塩田武士
小説を書く際、私は常に「間にあるもの」を意識する。
近松門左衛門は「虚と実との間に慰みがある」と論じているが、その皮膜は「虚実」のみならず「新旧」や「明暗」にも当て嵌まる。
私が震災をテーマにした小説の執筆を断っているのは、今の筆力ではこの「間にあるもの」が見えないからだ。
圧倒的な事実を前に、フィクションにする意義が見出せず、また執筆するのに最適なタイミングもつかめない。つまり「虚実」と「新旧」の間に、何が存在するのかが分からないのだ。
そんな背景もあって、担当編集者から本作『冬と瓦礫』の書評を依頼されたときは、正直言って戸惑った。しかも作者が砂原浩太朗さんという。
砂原さんと言えば、端正な文体に油断ならない展開、時を超えて人間を描くことに長けた時代小説の名手だ。当然ながら、自らのジャンルで既に根強いファンを持つ。その砂原さんが現代小説、しかも震災をテーマに執筆すると聞いて不安になったのだ。しかし、だからこそ、作者の心意気を感じた。
「吐き出さずにはいられない」――ときに小説家は、一切の打算なく物語を書く。その剥き出しになった作家性に触れてみたいと思った。
主人公の川村圭介は、四歳になる前に両親が離婚し、以後は母方の実家がある神戸で育った。大学進学を契機に上京し、そのまま東京の会社に入社して四年目を迎える。そして一九九五年一月十七日。
朝、神戸に住む親友の進藤から電話を受けたとき、寝床にいた圭介は震災に気づいていなかった。しかし、テレビに映る惨状を目にして言葉を失う。
幸い家族は無事だった。会社で気遣われるものの、圭介の日常はもどかしいほど平穏だ。だが、電話で祖父の声を聞いた圭介は心をかき乱され、水のペットボトルや食料など約三十キロの荷物を背負い、神戸の実家を目指す。
発生三日目、関西の鉄道網はまだ傷だらけだった。兵庫県西宮市で高校の恩師に電話して車を出してもらったが、国道が車で埋まっていて先へ進めない。結局、車を降りた圭介は、重いバックパックを背に十数キロの道を歩くことになった。
水の流れないトイレ、傾いたマンション、鳥居が壊れた神社、消えたままの信号――この“旅”に出てくる風景が実にリアルで、私の記憶がその一つひとつを裏付けていく。
阪神・淡路大震災が起きたとき、私は兵庫県西宮市内に住む中学三年生だった。あまりの激しい揺れに全く身動きが取れず、初めて死を意識した。足元に本棚が倒れ掛かり、夥しい量の食器が一斉に割れる音を耳にしても、毛布に潜り込むのが関の山。
家族の無事を確認した後、窓を開けて街を見た私は絶句した。至る所で煙が上がり、周囲の家々が崩れていた。それから経験した非日常の生活の中で、私は紙一重で「明暗」が分かれることを知った。
作中、神戸に帰った圭介が、祖母に早起きの習慣がなければ、箪笥の下敷きになっていたと気づくシーンがある。震災時、私の父は出張で関西にいなかったが、在宅していれば家具の下敷きになっていたのは間違いなく、冷や汗をかいたのをよく憶えている。
圭介は家族を県外の親戚の家に避難させる段取りをつけていた。そんな孝行も虚しく、祖父との因縁や母との確執、実父に抱く諦念などに翻弄され、一致団結できない家族像が浮かび上がる。
モヤモヤとした気持ちを抱えながら親友の進藤に会いに行く圭介。神戸市内の人工島に住む進藤の一家もまた、不自由な暮らしを余儀なくされていた。
作中、ある出来事をきっかけに取り乱した圭介に対し、進藤が言い放つ。
「この街でやっていくしかない奴らが大勢おるんや」
家族は県外に避難し、圭介自身も東京へ帰る。その罪悪感や疎外感が、彼を特別な存在にしていた。
果たして、自分は被災者なのか――。
震災からひと月が経って、ようやく私は風呂に入ることができた。隣町の銭湯の浴槽に身を沈め、お湯の温かさに、ありがたさに一人泣いた。そして感謝の念に浸るとともに、罪悪感を抱いた。
淡々と進み、静かに幕を下ろす物語に殊更感情移入できたのは、主人公の圭介や彼と同じ境遇だった砂原さん、そして読者である私が、被災 者と自認できず、一方で余所者とも言い切れない「間にあるもの」だからだろう。
物事を極端に単純化する今の世で、この厳かな小説が果たす役割は大きい。
「小説すばる」2025年1月号転載
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