2.43 清陰高校男子バレー部 next 4years2.43 清陰高校男子バレー部 next 4years

著者プロフィール

壁井ユカコ【かべい・ゆかこ】

沖縄出身の父と北海道出身の母をもつ信州育ち、東京在住。学習院大学経済学部経営学科卒業。第9回電撃小説大賞〈大賞〉を受賞し、2003年『キーリ 死者たちは荒野に眠る』でデビュー。「2.43 清陰高校男子バレー部」シリーズの他、『空への助走 福蜂工業高校運動部』『K -Lost Small World-』『サマーサイダー』『代々木Love&Hateパーク』「五龍世界」シリーズ等著書多数。

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プロローグ

スイングバイ

 ある夏休み、“2.43”という記録をたまたま耳にし、灰島公誓はいじまきみちかはそのスポーツに興味を持った。

 景星けいせい学園の運動部寮からひと気が消えるのは盆暮れ正月だけである。夏休み中も約百名の運動部生が共同生活を送りつつ部活動に励んでいた。その夏は地球のどこか反対側で世界陸上が開催されていて、寮の談話室に夜ごと陸上部員がひしめいてテレビの前に陣取っていた。

 2.43──二メートル四十三センチは、走り高跳びの現役選手の最高記録とのことだった。一九九三年から破られていない世界記録二メートル四十五センチにもっとも近い選手として、今大会こそ世界記録の更新なるかと大いに盛りあがっていた。陸上部員のど真ん中で気にせずあぐらをかいて灰島が走り高跳びの決勝の中継に見入っていると「チカがバレー以外見てる!?」とバレー部の仲間に明日は槍が降るんじゃないかという大袈裟な驚き方をされた。

 灰島にとってもそれは縁がある数字だった。

 バレーボール男子のネットの高さも二メートル四十三センチだ。

 バレーのネットの上端に沿って走り高跳びのバーが置かれたところを想像すると、この高さをどうやったら背面跳びで越えることができるのかと驚く。バレーのスパイクジャンプの世界最高到達点は三メートル八十センチ台ある。そのレベルの選手になるとスパイクの際にネットの上に胸まで余裕ででるので、やろうと思えばネットの向こうに飛び込めそうではある。もちろん走り高跳びと同様に向こう側で分厚いマットに受けとめてもらうことが前提だが。

 走り高跳びの選手をして“ハイジャンパー”と呼ぶと知り、それならばバレーボール選手ももう一つのハイジャンパーだろうと思った。

 数多あまたあるスポーツの中でも、器具を使わず自らの身一つをもって、“世界でもっとも高く跳ぶ者たち”だ。

 ハイジャンパー──……

 弓なりに背を反らしてテイクバックを完成させた黒羽祐仁くろばゆにの一八九センチの長身が空中にふわりと浮かぶ。ネット越しに見あげるその姿に灰島はその言葉を重ねる。美しく、気貴く、灰島にとってなによりも尊いスパイカーたちを表す言葉。最高到達点三五〇センチは日本人選手ではトップクラスの一人だ。しかもまだ伸びしろを宿した高校三年生。

 ここにあがったトスにはどのタイミングで、どこでインパクトするかは知り尽くしている。空中でこちらの守備を視界に捉えてなにを考え、どのコースを抜きにくるかも、まるで心が共鳴するかのようにわかる。

 完璧に仕留めるイメージをもってブロックに行った。

 豪腕からの強打がブロックを打ち砕かんとする。景星学園が誇る盤石の組織ディフェンスが待ち構える。ガンッと人間の手と革のボールが立てるとは思えない硬質な打撃音を残してボールがブロックを通過した。だがワンタッチを取って跳ねあがったボールに長身リベロの佐藤豊多可ゆたかが「っしゃ、オーライ!」とジャンプして届く。

 “春高はるこう”の愛称で知られる“春の高校バレー”三日目、センターコート進出が懸かる準々決勝。東京都代表・景星学園に挑むのは二大会ぶりにしてやっと二回目の全国大会出場となる福井県代表・清陰せいいん高校。三連覇を懸けて王者の道を邁進する東京の強豪私立に北陸の小さな公立校が玉砕覚悟で立ち向かうという構図だった。

 だがこの対戦が二年前の同大会、同じ準々決勝の再戦であることを覚えている観戦者もいくらかはいるだろう。

 そして七十回を超える大会史上でおそらく前代未聞なことに、二年前はともに清陰側で力をあわせて景星と戦った二人が、三年生になった今大会では黒羽が清陰側、灰島が景星側に別れてネットを挟んでいた。

 景星に比べて選手層が厚いとはとても言えない清陰では苦しい状況の攻撃はすべてエースの黒羽に託される。それでも点を取るために打たねばならないのがエースだ。二年生のセッターに向かって黒羽はいかなるときも気丈にトスを呼び続けていた。

 あっち側でトスをあげて助けられたら──と、頭をよぎった無理な考えに胸がぎゅっと痛んだ。

 でもその一方で、どうしたってわくわくしているのだった。

 二年間待ってた。二年前に二人で一緒に戦い抜いて、涙も経験した、この夢舞台で次はライバルとして戦えるのを楽しみにしてた。清陰の出場が決まったときにも組みあわせが決まったときにも、絶対に景星とあたるまで負けるなよと祈ったほどだ。

 よくここまで来たな……。戦力の少ないチームのエースを背負ってここまで引っ張ってきたんだな。どれだけ頑張ってきたんだろうな。強くなったんだろうな……。

 けど……ここまでだ、黒羽。

 この試合は王者・景星学園を背負って、全力で倒す。高校六冠の看板をひっさげて次のステージに乗り込むために。

 豊多可がコート中央に高く返したボールの下に灰島が入って構えるあいだに、スパイカーとなる残り四人が助走に下がる。──キュッ! シューズの底が床をこする鋭い音がコート上で相次ぎ、取って返して怒涛どとうのごとくネットに向かって助走する。ユニフォームにあしらわれた星が降り注ぐようなイエローのラインが象徴するとおり、九メートルのコート幅を使って隕石群を降らすような攻撃を仕掛ける。清陰の前衛ブロッカー三人で防げるものではない。山勘で動けばゲスればブロックがばらばらになり景星により有利になる。

 景星コート、清陰コートすべてに感覚神経の翅脈しみゃくを張り巡らせて味方の攻撃を通す場所を探しながら、

 ゲスるなよ、慌てないでリードブロック徹底──!

 心の中だけで清陰側に飛ばした灰島の指示に共鳴したかのように、

「ゲスんな! 慌てんとリード徹底!」

 とネットの向こうで黒羽の指示があがった。トスをあげる瞬間、嬉しくて頬がゆるむのを抑えられなかった。

 第一セット25-17、第二セット25-15。セットカウント2-0のストレートで景星学園が準々決勝を制し、三年連続となるセンターコートに堅実に駒を進めた。ユース代表として国際大会も経験した黒羽を擁する清陰も要所で好プレーを見せたが、点数だけ見れば景星の横綱相撲だった。

 二年ぶりの出場となった清陰は前回出場と同じ準々決勝で姿を消した。

 唯一の三年生である黒羽を下級生が囲んで「すんません、先輩っ……」と涙に頬を濡らした。一年生時の同じ舞台では、初めて経験する大きな敗戦を受けとめきれず自らが泣きじゃくった黒羽だった。だが二年後の今日、目を赤らめながらも涙はこぼさず、後輩一人一人の肩を叩いて「ありがとな」と声をかける姿があった。

 整列、礼のあと両コートエンドから選手がセンターラインに走り寄る。景星側から灰島がネットの下に左手を差しだすと、清陰側で黒羽がプラカードを右手に持ち替えて左手を差しだした。

「負けるつもりで挑んだわけやないけど、やっぱ完敗やったなあ」

「春からはすぐそばで助けられる」

 ネットを挟んで灰島が言うと黒羽が赤い目を軽く見開いた。それから嬉しそうに笑った。

「迎えに行くから。春休み」

「……あ、ほーいやおれ、春休みハワイ行ってるわ」

 と、逞しくなった顔から一転、思いだしたように黒羽がとぼけた顔で言うので灰島は「はあ?」と声を裏返らせた。

「じいちゃんの誕生日が三が日やでそれにあわせて正月に行く予定やったんやけど、おれの春高あったで三月にしたって言われたらおれも行かんわけにいかんやろー」

「知らねえよ。っていうかそんなことよりなんでおれまでこうなった、、、、、んだよ……」

「なんちゅうかまあ、それは正直すまん」

 と一応申し訳なさげに謝る黒羽の首には花で編まれたハワイアンな首飾りがかけられている。ただの浮かれた奴にしか見えないので殴ってやりたくなるが、そういう灰島の首も同じもので飾られていたりする。「おまえんちの親戚は百年たっても変わってなさそうだな……」

「ほんではぁ、我らがボンとぉ、大江おおえさんとこの公誓くんの東京での前途を祝しましてぇー、僭越せんえつながらわたくしぃ、ボンのいとこおじ、、、、、にあたります塩宮幸三が音頭を取らせていただきます。三本締めでお願いいたします。皆様お手を拝借ぅー」

 三月上旬の昼下がり、福井県紋代町もんしろちょうで一つきりの、単線の駅の短いホームには溢れんばかりの町民が押しかけ、長大な横断幕まで広げられていた。

 ハワイは常夏なのだろうが北陸の山間の町はまだ春めいてもいない。防寒着で着ぶくれした上から南国の花の首飾りを提げてほどよく日焼けをした季節感が遭難事故を起こしている人々と向きあっているとくらくらしてくる。……いとこおじってどういう線で繋がる親戚なんだ、と現実逃避してやりすごす灰島である。

 黒羽のじいさん本人はこういう場に顔を見せない人物だが、横断幕にしたためられた豪快な墨字は見覚えがあった。黒羽のじいさんの筆だ。

『祝・大学合格 黒羽祐仁 灰島公誓』

 合格を祝われてもまあ、二人とも大学側からスポーツ推薦の声をかけられて話を受けた形なのでよほどのことがなければ落ちないやつだ。

 景星の卒業式を終えて寮も退居し、実家──父親が暮らす都内のマンションに一度帰ってからまもなく、灰島は福井へった。福井は母方の郷里だ。幼少期に母を亡くすまでは一家三人で福井に暮らしていた。

 あっちはまだ寒いぞと父が言うので着込んできたのだが、福井駅に着いたときには覚悟していたより寒くなかったので拍子抜けしてマフラーをゆるめた。温暖化の影響なのか駅前のロータリーには雪の影もなかった。JRの駅は記憶にあるより綺麗になり、いつも駅員が立っていた有人改札が自動改札になっていた。福井市街を流れる足羽あすわ河川敷のソメイヨシノの並木道があと一ヶ月もすれば視界がけぶるような壮観な桜色に染まるだろう。

 が、油断させられたのは福井駅周辺の「都会」だけだった。ローカル線に乗り換えて紋代町を目指すうち、車窓から見える景色に如実に雪が増え、空はどんよりした雪雲に覆われはじめた。

 ああ、これが福井の冬だった。

 雪起こしの雷が一日中不機嫌そうに空の奥で唸っていて。気が塞ぐような荒天が続く長い冬の先に訪れる春を待ちわびた。

 ひさしぶりに祖父母に顔を見せた。食い切れないほどの飯を食わされつつ、町の大地主であり未だ現役で黒羽本家当主であるじいさんの喜寿の祝いだとかでハワイ旅行に行っていた黒羽の帰りを待った。例によって大型バスをチャーターして企画された一族総出のツアーだったらしい。

 昨日帰ってきたばかりの黒羽と連れ立ち、今日、二人で東京へ発つ。

 景星の寮にあった私物のほとんどは次の住まい、、、、、でも使えるので寮から直接送ってある。手荷物は袈裟懸けにしたエナメルバッグとドラムバッグ一つずつ。

 線路の両脇に残る雪の小峰を猛々しく吹きあげて近づいてきた二輛編成の電車がホームに停まった。この季節は手動開閉になるドアを黒羽と左右から引きあけ、見送りの人々に一応それでもありがたく挨拶をして、一輛目の車輛に乗り込んだ。

 暖房でぬくまった車内のボックス席に座ってからも雪がちらほら舞うホームで町民たちが万歳三唱していた。戦時中かよ。運転士もその雰囲気に感化されたのかなんだか知らないが、パァーン、と高く一つ警笛が響いた。

 町が変わっていなすぎてうんざりしつつも、そんなところすら心のどこかでは懐かしんでいた。そしてあらためて身が引き締まる思いがした。

 黒羽の見送りが主目的とはいえ、「大江さんとこの公誓くん」も当たり前のように黒羽と並べて送りだしてくれた。景星を卒業するまでは自分のけじめとして福井に帰らなかったのだが、本当はいつだって“帰ってきていい場所”だったんだ。ずっとここに、変わらずにあったんだ。

 灰島の人生の岐路において、この町が何度も出発点になった。

 今回もここに帰ってきて、ここからまた出発する。

 視力に難がある灰島の目には、結露した窓ガラス越しに見えるホームの景色がすぐにぼやけていく。横断幕に太々と書かれた自分と黒羽の名前だけが最後まで見えていた。

「いってきます」

 と呟くと、進行方向向きに座っていた黒羽も後方に首をひねり、窓に両手をつけて「いってきまーす!」と明るい声を張りあげた。

 いってきます──今回は二人で。

 JR福井駅まではこのローカル線でおよそ一時間だが、途中の七符ななふ駅で下車し、高校一年時にだけ通った七符清陰高校に立ち寄った。

 かつて練習に明け暮れた体育館ではなく、「新しいほう」の体育館に黒羽が鼻高に灰島を連れていった。

 もともと部活動に力を入れている学校ではなかったのでバレー部の練習も週の半分は砂地の屋外コートという環境だったのだが、男子バレー部が全国大会出場を果たしたことに乗じて練習環境の改善を求める声が運動部全体で高まり、第二体育館が去年の晩秋にやっと竣工したそうだ。

 灰島にとっては思い出はない体育館だが、その入り口の前で思い出深い二人が待っていた。

 三十センチ差の長い影と短い影が並んで立つ姿にすぐに懐かしさがこみあげてきた。

「お、来たか」

 長躯ちょうくのほうがクールに片笑かたえみ、

「灰島。ひさしぶりやな」

 短躯のほうは生直きすぐに破顔一笑した。「小田さん、青木さん。関西にいるんじゃ……」すこし驚きながら灰島は大学生らしいのかどうかはよくわからない私服の二人に歩み寄った。

「どや。体育館の新しさだけなら景星に負けんくなったやろ」

 と青木が得意顔で館内へ顎をしゃくった。第二体育館新設の運動の発起人が清陰在学当時の青木である。

 校舎からは離れた場所にあり渡り廊下でも繋がっていない。ガラス戸の出入り口を入ると靴脱ぎ場があり、まだぴかぴかしたスチール製のロッカーが碁盤の目状に並んでいるのが見えた。「おれは一ヶ月しか恩恵受けれんかったでがっかりですよー。もっとはよできればよかったのにー」一年生の頃の三年生を前にすると黒羽が甘ったれた口調になって頬を膨らませた。

「天井が高そうですね。床材と照明も見たいです。エアコンは……」さっそく灰島が青木と小田のあいだに割り込むようにして館内に目を凝らしていると、くすくすという含み笑いが聞こえた。

 両側の二人が苦笑して目配せしあっていた。「……あ」挨拶もまだろくにしていなかったことを思いだし、いったん身を引いて殊勝しゅしょうに二人と向きあった。

「…………おひさし、ぶりです」

 言葉を探したが二年分溜め込んだ感謝や報告を短い挨拶ではとてもまとめられなかった結果余計に短くなってしまい、ぼそっと言ってうなだれると、小田が噴きだした。

「ああ。元気そうやな。活躍ぶりはこっちにも伝わってたわ。黒羽には年末に会ったときも言ったけどな。あらためて二人とも、高校卒業と大学合格、おめでとう」

「はい。ありがとうございます」

「関東一部、欅舎けやきしゃ大、か。小田より三村みむらを選んだっちゅうことけ」

 冗談半分に青木が皮肉った。つまり半分は本気の皮肉ということだ。「おれの背中なんて追わんでいいんや。追うような背中やないやろ」と小田が青木をたしなめ、

「三村んとこへ行くことにしたんやな?」

 小田の口ぶりには皮肉はなかった。

 灰島は黒羽と視線を交わした。悪びれることだとは思っていない。二人に向きなおって堂々と答えた。

「はい。三村すばると一緒にやる約束がまだ果たされてませんから──」

 去年の十一月末、都内で数ヶ所の会場に分かれて開幕した全日本インカレを灰島は一人で見に行った。正確には景星のチームメイトたちと一緒に出掛けたのだが、それぞれ目当ての大学があったので各会場に散ったのだ。

 灰島の目当て、欅舎大の初戦がはじまる前にちょうど着いた。

 階段状の二階スタンドの最前列までおりていって手すりの前に立った。スラックスのポケットに両手を突っ込み、ブラウンのブレザーの上に巻いたマフラーに顎を沈めて一階フロアを見下ろす。

 公式練習前のアップ中で、ゲームパンツの上はまだ練習用のチームTシャツを着た欅舎大の選手たちがコートで身体を動かしている。三村の姿もその中にあった。

 三村統。福井県高校バレーの常勝校・福蜂ふくほう工業高校の絶対的エースとして、かつては県内で愛された選手だ。

 しかしその三村は下にジャージのロンパンを穿いたままだった。レシーブ練の球打ちをしているコーチとボール籠のあいだに立ち、コート上であがる掛け声に大きな声でまざりながらコーチにボールを渡す役をしている。

「まだそんなとこにいるのかよ……」

 険しい視線でその様子を睨んで灰島は独りごちた。

 アップが終わる頃になるとベンチ入りメンバー以外のサポートメンバーは慌ただしくフロアの出入り口から姿を消した。フロアではベンチ入りメンバーが三々五々アップを抜けて裏に引っ込み、背番号がついたユニフォームに着替えて戻ってくる。一方サポートメンバーは応援のため灰島がいるスタンドにあがってきた。

 三村がこっちにあがってきたらひと言言ってやろうと灰島が考えていたときである。

 上下ユニフォームに着替えた三村が最後に走ってフロアに現れた。ロンパンを脱いだ左右の膝には存在感のあるプロテクタータイプのサポーターを装着している。後ろ手でシャツの裾をゲームパンツに突っ込みながらアップに再び合流した。

 灰島はにわかに手すりから身を乗りだした。

「なんだよ、今日エントリーされてんじゃん!」

 独り言を超えた声量になり、すぐ横の座席にぞろぞろと入ってきた欅舎の部員たちがこっちに気づいた。

「景星の制服……うお、灰島だ」

「って、うちに推薦で来ることになってる……?」

「高校六冠の“天才セッター”……」

 灰島がくるっと横の列を振り向くと囁きあっていた部員たちがぎょっとして口をつぐんだ。

「おれ個人は今五冠ですけど、六冠ひっさげて来年行きます」

 景星が高校六冠を達成し、一ヶ月後の春高で七冠に挑もうとしているのは事実だ。だがその一冠目に灰島は関わっていないので“個人では五冠”だ。

「お、おう……」「すげぇな……」などとどよめいただけで引き気味になっている部員たちに軽く会釈してコートに目を戻した。

 四年生から順に若いナンバーをつけるのが通例なので二年生の三村の胸と背についたナンバーは17番と大きい。ベンチ入りはしてもスターティング・メンバーではなく、試合がはじまると三村はウォームアップエリアに下がったが、リザーブの選手たちの一番前で絶えずコートに声を送り、自チームの得点時には大きな身振りで盛りあげていた。

 灰島はみぞおちに手すりが食い込むほど乗りだしていた身を引き、また仁王立ちして両手をポケットに突っ込んだ。隣でメガホンをかしましく鳴らして応援を送る部員たちが興味深げにときどき横目を送ってきた。

 その試合中には結局三村がコートに送り込まれる機会はなかった。

 まだか……。でももうすこしだ……。間にあえ……。

 ウォームアップエリアで声をだしながら小刻みに足踏みしている三村の姿に焦れる気持ちをこらえて灰島は念じた。

 間にあえ……間にあわせろよ。おれのほうから行ってやるんだ。“悪魔のバズーカ”が、このまま終わりはしないだろ?

著者プロフィール

壁井ユカコ【かべい・ゆかこ】

沖縄出身の父と北海道出身の母をもつ信州育ち、東京在住。学習院大学経済学部経営学科卒業。第9回電撃小説大賞〈大賞〉を受賞し、2003年『キーリ 死者たちは荒野に眠る』でデビュー。「2.43 清陰高校男子バレー部」シリーズの他、『空への助走 福蜂工業高校運動部』『K -Lost Small World-』『サマーサイダー』『代々木Love&Hateパーク』「五龍世界」シリーズ等著書多数。

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