2.43 清陰高校男子バレー部 next 4years2.43 清陰高校男子バレー部 next 4years

著者プロフィール

壁井ユカコ【かべい・ゆかこ】

沖縄出身の父と北海道出身の母をもつ信州育ち、東京在住。学習院大学経済学部経営学科卒業。第9回電撃小説大賞〈大賞〉を受賞し、2003年『キーリ 死者たちは荒野に眠る』でデビュー。「2.43 清陰高校男子バレー部」シリーズの他、『空への助走 福蜂工業高校運動部』『K -Lost Small World-』『サマーサイダー』『代々木Love&Hateパーク』「五龍世界」シリーズ等著書多数。

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第一話 砂漠を進む英雄

4. ANALYSTS

 四月二十九日、土曜日。八重洲大学バレー部員を乗せた大型バスは午前十一時に千葉県U市総合体育館の駐車場に入った。八重洲大のキャンパスは北関東は茨城県に所在する。ほとんどの試合会場は遠征の距離になるため大学から大型バスで全体移動するのが基本になっている。

 アナリストの越智および主務や学生連盟委員の部員は朝から作業があったため、主務が運転する車で先発して九時半に会場入りしていた。

「バスの中でやってきたっていうんでミーティングなしで。コート入る前に一回集合だけするそうです」

 スタンドで機材の確認をしていた越智に学連委員が伝えに来てすぐに下のフロアへおりていった。

 渋滞の影響があったそうで第一試合の開始時刻になっていたが、八重洲の今日の試合は第二試合だ。サブアリーナはない体育館なのでメインアリーナの廊下の空きスペースで各自必要なテーピングやストレッチをして小一時間過ごし、下級生やマネージャーはそのあいだにドリンクやアイスバッグを準備してベンチに持ち込む荷物を不足なく揃え、十一時四十五分過ぎ、第一試合が第二セット中盤まで進むのを目安に選手、スタッフの全員が廊下に集合した。

「礼! よろしくお願いします!」

 主将・太明倫也たいめいみちやの号令で扇形に集まった部員一同がおごそかに礼をした。

「よろしくお願いします!!」

 男子大学生約三十名の声が低い音域でハモる中でも、太明の隣で直角にお辞儀をした破魔清央はますがおのバス・バリトンがオーケストラを底から支えるように骨太に響いた。

 越智も主務らとともに選手の後方でそれにならった。自分の体育館用シューズの結び目を見つめて数秒間の静止。のち、

「なおれ」

 と一声目より抑えた太明の号令で全員が頭をあげる音が重なった。軒並み長身の選手が目の前に連なって越智の視界は遮られているが、金髪を揺らして姿勢を戻した太明の頭越しに一人だけ部員のほうを向いて立っている監督の顔が見えた。

 八重洲大学監督・堅持勲けんもちいさお。眼光鋭く頬がけた還暦間近の監督だ。いかにもガチガチの体育会系を長年率いてきた指導者の凄みを滲ませている──実際の人柄も第一印象そのままだが、練習計画や戦略戦術の方針は部員主導で決めているので堅持は口をださない。あの眼光で学生のやり方を黙って見ているだけなのはむしろ余計に緊張を強いるのだが。その練習計画や戦略戦術の根拠となるデータを提供するのがアナリストなので責任は重大だ。

 関東一部所属十二チームが総当たり戦を行う春季リーグ、全十一日の戦いの後半に突入した第七戦。八重洲大の今日の相手は欅舎大。灰島、黒羽、そして三村のチームとの対戦だ。

 先週末の第五戦、第六戦で欅舎は大智大と秋葉大に連勝し、六勝0敗を守って勝率で一位タイにつけている。同率一位は八重洲大、横浜体育大、慧明大、東武大。去年の秋季リーグのベスト4に、同六位だった欅舎が食い込む健闘を見せている。

 しかし八重洲にとっては取りこぼしがあってはならない相手だ。

 六戦目までの欅舎の相手は秋季リーグ七位以下と格下だったが、残り五戦の相手は五位以上の格上ばかりが残っている。これまでのようには通用しない。いや、させない。

 堅持への挨拶のあと太明が前にでて部員たちに向きなおった。まず破魔が太明に身体を向けると、顔を向けただけだった他の部員が急いで倣う。床の上でシューズのつま先が向きを変える音が破魔の足もとを起点に扇形に広がった。

「昨夜のミーティングどおりやるべきことやれば勝てる相手だけど、今大会のダークホースだ。慧明戦まで一セットも落としたくない。──いいか、締めてッぞッ!!」

「おうッ!!」

 軽く足を開いて直立し主将の話を聞く部員たちの低い声が床を打った。

「越智はいるか?」

 と太明がつま先立ちになって後方を見渡した。「は、はい!」急に名指しされたので越智は緊張しながら「あっここです」と手をあげて場所を申告した。

「欅は一年ルーキーコンビをまだスタメンで使ってきてない。データ取らせないつもりなのか……。あのコンビと高校で戦ってるのは強みだ。自信もって意見よこせよ」

「はい。強みっていってもおれは負けてますが……唯一あのコンビに勝った経験ある直澄も頼りになります」

 と越智が振ると不意打ちを食った浅野がきょとんとしたが、

「あはは、責任分担されちゃいましたね。では微力を尽くして潰します」

 気負いのなさそうな口調できっちり請け負った。身体ができている八重洲のレギュラーメンバーの中では浅野は線が細い。堅持のようなタイプの監督が浅野に声をかけたのは不思議だし、それを受けて八重洲に来た浅野の心理にも不思議なものはあった。浅野の出身校である景星学園は旧態依然とした体育会系と対極にあるチーム気質だ。三年前に全国制覇を遂げて以降若い監督がよくメディアに取りあげられるようになった。

 それを言うなら最大の不思議は堅持が太明のような主将を認めていることだが……。

「第三セット終わりました!」

 試合の進行を見に行っていた部員がアリーナの出入り口に姿を見せて試合結果を報じた。五セットマッチをストレートで制してはやばやと終了だ。

「入るぞ!」

 太明の声で集団がばらけ、廊下にまとめた荷物やボール籠を下級生が分担して出入り口に群がる。火照ったユニフォーム姿でぞろぞろと中からでてくる選手たちと交錯して鉄扉の周囲が一時混雑する。一年生の旗持ちが真っ先に混雑をくぐり抜け、部旗を広げて飛びだしていった。

 くぐもって響くときの声を聞きながら越智は廊下に残ってメンバーを送りだした。別の出入り口に目をやると、欅舎の選手たちが同じように鉄扉に群がって一人一人抜けていくところだった。三村の頭もその中に見えた。

 高校時代の灰島・黒羽コンビを知っていることが越智の強みならば、三村に対しても同じくその強みはあるのだが、三村の名前は太明の口から挙がらなかった。ちくりとした悔しさが胸に刺さった。

 統、今日はでるチャンスあるか……?

 越智の視線に気づかず、あるいは気づいても振り向いたかどうかはわからないが、三村は前の部員に続いて鉄扉をくぐっていった。

 越智一人がスタンドへ上る階段へきびすを返した。

 最前列の手すり際にはビデオカメラを設置済みだ。ビデオのそばに確保した席に座り、ノートパソコンを開いてビデオを有線で繋ぐ。ヘッドセットを装着し、耳もとのスイッチを二秒押して電源を入れる。ヘッドセットを起動しているうちにパソコンの画面上にビデオから届くライブ映像が映った。ヘッドセットのほうはスマホと無線で繋がっている。左耳にかけるタイプのイヤフォン部から口もとにマイクが延びているものだ。

 ベンチとの通信が確立し左耳に声が聞こえた。

『もしもーし。繋がった?』

 マネージャーとしてベンチに入る主務の裕木ゆうきが左耳に左手をあてつつスタンドを見あげて右手を振ってきた。ちなみに八重洲に女子マネージャーはいない。

「はい、聞こえてます。映像行ってますか?」

『オッケー。来てるよ』

 ベンチでノートパソコンの画面を確認した裕木から応答がある。越智のパソコンを介してビデオの映像をベンチでも見られるようにしている。

『じゃあいったん置くから。あとでよろしく』

「了解です」

 裕木がヘッドセットを一度はずしてベンチに置き、ボール練の球出しのためコートへでていった。ベンチスタッフもやることは多い。

 上のほうの席でがさごそとコンビニのレジ袋の音がした。この時間に試合のないチームのアナリストが今のうちに昼食タイムにしたようだ。漂ってきたおにぎりの匂いに空腹を刺激されてちょっと集中力を乱される。越智もコンビニで買っておいた携帯用のチョコレートをリュックからだしてひと粒口に放り込んだ。浪人時代ですら甘いものはまず口にしなかったのに、アナリストになってから気づくとチョコレートをリュックや自室の机の中に常備するようになっていた。

 脳に糖分が行き渡るあいだしばしパソコンから目を離し、両チームの練習風景をスタンドから眺めた。

 八重洲、欅舎の両選手たちがネットを挟んで手前と奥のコートに分かれている。八重洲の練習Tシャツは黒。欅舎のそれは白なので、さながら碁石を碁盤上で二手に分けて配したかのようだ。

 両チームともセッターが二人ずつ入り、レフト側とライト側にスパイカーが列を作ってスパイク練に移ったところだ。四箇所から譲りあって順にスパイクを打ちあう。八重洲側のレフトとライトから一本ずつ欅舎側のコートへ打ち込むと、暗黙の了解で八重洲側は次は欅舎側から打たれるのを待つ。

 欅舎はレフト側に四年生で今大会スタメンセッターを務めている野間、ライト側にリザーブセッターである灰島が入っていた。ついつい灰島の列を意識して見ていると、順番が来たミドルブロッカーがCクイックの助走に入るのがふと気になった。

「あいつC持ってたんか……?」

 二年生の控えのミドルブロッカー、福田だ。だが灰島がサインをだすと福田は助走軌道を変え、灰島の目の前に入ってAクイックを打った。

 基本的にセッターはネットに右肩を向けて立ち、右目でネットの向こうの敵のブロッカーを認識しながらセットアップする。自コートのレフト側を向いているため、レフトから打つスパイカーにはフロントセットを、ライトから打つスパイカーには振り向かずにバックセットをあげる。Aクイックはセッターの目の前で打つクイック、Cクイックはセッターのすぐ背後で打つクイックのことだ。

 スパイカーにとっては利き手の側からあがってくるボールのほうが一般的には打ちやすい。Cクイックは自分の左から来るトスを打つため左利きのほうが得意とされる。左利きのミドルブロッカーがいない欅舎にはCクイックの武器がない──正確にはマークする必要があるほど使ってこないというデータが頭に入っていたので気になったのだが……結局なんだったんだ……?

「野間さん、後ろ!」

 と、思考に沈んでいた越智の耳を灰島の鋭い声が貫いた。

 野間が自分の列から打ったスパイカーと話すためネット際を離れ、ちょうど破魔のCクイックのコースに入る形になった。

 とっさにしゃがんだ野間の頭の上を破魔の左腕さわんが打ち抜いたボールが文字どおり間一髪で通過した。ズシンッ……と欅舎のコート上で重い音が響いた。

 そう、破魔がまさにCクイックのスペシャリストである左利きレフティのミドルブロッカーだ。バックセットがあがった直後に左腕から凄まじい威力のスパイクが叩き込まれる。

 すぐに破魔が欅舎側のコートに入り、野間の肩を叩いて謝罪した。野間が手振りで破魔に応えて立ちあがったが、ネットをくぐってきた破魔にぬうと覆いかぶさるように立たれると腰が引けていた。破魔にあがったボールだけがゴムと人工皮革ではなく鉛でできていたのではないかと思うような音だった。そんなものが危うく頭を直撃するところだったのだから無理もない。

 ネット際にいれば向こう側から打たれたスパイクがぶつかることはない。不用意に移動した野間の落ち度といえば落ち度だ。

 浮き足立ってるな……。手前味噌だが格が違う相手だ。緊張感は相当あるだろう。

 欅舎の様子を観察しているとコートだけではなくベンチでも慌ただしい動きが起きていた。

 欅舎も四年主務の久保塚くぼづかがマネージャーとしてベンチに入っているが、ベンチの前で久保塚がスタンドを見あげて両手を振ったり跳びはねたりとオーバーな挙動をしていた。耳にはヘッドセットを装着していたが、それを使わずついにはスタンドに向かって怒鳴りだした。

染谷そめやあーっ! あのバカどこ行ってやがる!?」

 フロアの怒鳴り声を輪唱で追いかけるような声がどこか近くでかすかに聞こえ、越智はスタンドを見まわした。

 U市総合体育館のスタンドは背もたれのないベンチ型の座席が並んだシンプルな造りだ。詰めれば一列に十人座れる座席の端を越智は二人分占有していたが、同じ列の向こう端に欅舎のアナリストの荷物が置いてあるのに今気づいた。第一試合のときはなかったはずだ。隣のコートのデータを取っていたのか、あるいはまだ来ていなかったのかは知らないが。

 だが本人は離席中だ。パソコンやリュックと一緒に席に置きっ放しにされているヘッドセットから割れた声が漏れていた。試合前にトイレを済ませにでも行っているのか……ん?

 最前列と二列目の隙間の床に欅舎のジャージが落ちていた──いや、中身、、がある。

 越智はノートパソコンを置いて立ちあがった。座席の向こう端まで横移動し、最前列から裏を覗き込むと、ベンチとベンチの隙間に挟まってぶっ倒れている人間がいた。

「あのー、下から呼ばれてますけど。もう試合始まります」

 かがみ込んで肩を揺さぶると、

「……んあっ? まじ!?」

 と突然むくっと頭が跳ね起きたのでごっつんこしそうになって危うくのけぞった。

 欅舎でアナリストを務める三年の染谷。別に交流があるわけではないが、毎試合近くに座るアナリスト勢は自然みんな顔見知りだし、ある意味自チームの選手たちとはまた別種の連帯感もある。

 状況を思いだそうとするように染谷がきょろきょろしてから、頭の上であきれている越智を仰ぎ見た。

「おっ、八重洲の……おっ? もう試合始まる?」ヘッドセットから未だ漏れている怒鳴り声に気づくとやっと覚醒したようだ。ヘッドセットに飛びつくなり耳にあてる前にマイクにかじりつき「はいはいはいすいませんっ、一瞬寝てました一瞬」一瞬か……? いつからあそこに挟まってたんだ。

 半眼をやっただけで越智が自席に戻ろうとすると、

「あっ八重洲の。ありがと」

 とカフェイン入り栄養ドリンクのキャップをひねりながら染谷がフランクに礼を言ってきた。越智のほうは我ながら無愛想に顎を突きだして応えた。自席に戻ってパソコンを膝の上に置きなおす。栄養ドリンクを一気飲みした染谷も「おっしゃ眠気飛んだ!」と座席に座りなおして自分のパソコンにかじりついた。

 大会期間中のアナリストは睡眠不足だ。越智も平日は練習に参加し、土日は第一試合から第三試合まで腰を据えてデータを取り、帰ってから寮でデータの整理やビデオの編集、ときには気になったところを何度も見直し……といったことをしていれば睡眠時間は多くて四時間やそこらになる。今日も寝たのは二時間程度で寮を出発し、裕木の車の中で不足分を多少補充できただけだ。

 寝不足自慢をしたいわけではないし、それでなにかの優劣が決まるわけではないのはもちろんだ。だが……。

 真摯しんしになにかに費やしてきた時間と努力が、どうか裏切られることなく正当に報われる世界であって欲しいと、どうしても越智は願ってしまう。三村のことを思うと……。

 今日も三村はリザーブスタートだ。コートに入るスターティング・メンバーを送りだすとウォームアップエリアに走って下がる。最難関の八重洲戦に臨むにあたって欅舎は博打ばくちを打たず、いつもの四年でスタメンを固めてきた。リベロのみ四年ではなく、ディグリベロ(自チームにサーブ権があるときのリベロ)が二年の江口えぐち、レセプションリベロ(相手にサーブ権があるときのリベロ)が三年の池端いけはた。リベロは二人までエントリーでき、サーブ権が移動するごとにその二人が交互に入る体制をとるチームもある。なおリベロの交代は一セット六回までの交代枠に数えられない。

 八重洲のスタメンも四年中心だ。日本代表の合宿や遠征スケジュールと重なると主力の半数を欠いて戦わねばならない試合もあるが、今週はフルメンバーがしっかり揃っている。

 ミドルブロッカーの破魔、オポジットの大苑おおぞの、ウイングスパイカーの神馬かんばが八重洲の三本の矢──といっても一本一本でもめっぽう太い。三人とも高校バレーの一時代を築いた長野県の北辰ほくしん高校出身で、今やシニアの日本代表の期待の若手として招集されている。

 大苑も左利きだ。オポジットはセッター対角のポジションで、主にライトサイドからの攻撃を担うためCクイックと同様の理由で左利きのほうが利がある。レフトエースに神馬を置き、破魔・大苑の左利き二人が強力なライト布陣を形成する。

 破魔の対角のミドルブロッカーにそん。神馬の対角のウイングスパイカーには去年から浅野が起用されるようになりスタメンに定着した。浅野とセッターの早乙女さおとめだけが三年だ。

 そして六人制バレーボールの七人目のスタメンとなるリベロに主将・太明。ユニフォームのナンバーは1番だが、リベロというポジションはルール上ゲームキャプテンになれないため、キャプテンマークを示す胸側のナンバーのアンダーバーは2番の破魔がつけている。

 八重洲のユニフォームはシャツからパンツまで黒で統一されている。“八重洲ブラック”と畏敬をもって呼ばれるカレッジカラーの鉄黒てつぐろだ。胸と背のナンバーはシルバーで、その上部に金糸で入った校章が燦然さんぜんと輝いている。

 鉄黒の集団の中で太明が放つ色が良くも悪くも目に刺さる。リベロのユニフォームは八重洲ブラックと対照的なゴールデンイエロー。そこから生えた金色の頭がユニフォームと半ば同化して全体的にとにかくキラキラしい。ディグリベロもレセプションリベロも八重洲は太明一人が担う。

『それじゃよろしく、越智』

 ベンチに座ってヘッドセットを装着しなおした裕木の声が左耳に届いた。

 試合開始だ。スタートポジションの確認を受けた十二人の選手がコートに散る。

 越智はボトル缶のブラックコーヒーをひと口飲んで口の中のチョコレートの甘さを洗い流した。チョコレートをひとかけとブラックコーヒーをひと口。寝不足の脳に糖分が補給され、仕上げにカフェインが引き締める。試合前に集中力を高めるための越智なりのルーチンだ。まあ科学的な効果が実際にあるのか知らないが。

 ボトルを締めてリュックに放り込み、膝の上のノートパソコンに両手を置く。キーボードのホームポジションの突起を人差し指で軽く確認し、視線はコートに据えて一時静止。意識的に深呼吸し、とくん、とくんと胸に聞こえる心拍を抑える。

 他校の試合のデータを取るときより自校の試合は仕事が格段に増え、緊張感もまったく違う。去年一年間は四年生のアナリストに師事して教えてもらいながら補佐的な役割を担っていたが、今年から越智がチーフアナリストとして責任を負っている。チームを勝たせるための情報を提供し、負けているならばなにが悪いのかを見つけだし試合中に打開策を打たねばならない。アナリストにとっても自校の試合は「本番」だ。

 欅舎が一点取ってローテーションを一つまわすあいだに八重洲は二点や三点の連続得点を重ね、最初の一周がまわった時点で15-6という大差がついた。

 一セットにつき二回まで使えるタイムアウトの二回目を欅舎が早くも使い切った。選手たちが円陣を組んで話しているあいだに欅舎の監督・星名ほしながリザーブの23番と24番を呼ぶのが見えた。待ちかねていたように24番の灰島がすぐさま駆け寄り、23番の黒羽もあとについてくる。

 星名はタイムの取得と選手交代はまめにやる監督だが、堅持がベンチで動かずとも座っているだけで床が沈みそうな存在感を放っているのに比べれば、言っては悪いが存在感は薄い。あまり手広く声をかけて熱心に選手を集めるほうでもないので、濡れ手であわで灰島と黒羽をまとめて獲得した、とどちらか一人でも欲しがっていた他校の監督たちはたいそう羨んだようだ。

 何故なぜあの二人が欅舎に来たのか、福井の人間ならわかる──三村がいるからだ。そして星名が海老で鯛を釣るために三村を取ったわけでもない。高校三年当時、三村にはスポーツ推薦をもらうのが厳しい条件があった。それを気にせず三村を迎え入れたのが星名だけだった。

「一年コンビ呼ばれてます。たぶん黒羽を前衛から入れるんで、タイムあけて一つまわったら」

 マイクに告げると八重洲ベンチ前にいる裕木が欅舎ベンチを振り返ってメンバーチェンジの兆候に気づいた。『さんきゅ。こっちから見えてなかった』

 この試合ここまでは特に越智が意見を言う必要はなかったが、仕事をするときだ。使命感でぴりりとした辛味が身に走った。

「黒羽にはクロス締めてください。打力あるんでワンタッチのケアは下げて、もし抜けたらかなり浅いところに落ちるんで太明さん前にだしてください。野間は中使ってきませんでしたが灰島はクイックもbickビックも図太く使ってきます。ブロックちょっと中に寄せてもいいかもしれません」

 越智が伝えた内容が裕木から太明に言い送られる。堅持は監督用のパイプ椅子に脚を組んで座ったままタイムアウト中も黙っている。プレー中もまずめったに立ちあがることはない。

 タイムアウトを挟んで17-7で欅舎がメンバーチェンジを申請した時点で、点差は十点まで広がっていた。

 トスをあげるセッターおよび、スパイクを打てないリベロを除くとスパイカーは四人いることになる。前衛ウイングスパイカーがレフトから入り、中央からは前衛ミドルブロッカーがクイックに、中央後ろから後衛ウイングスパイカーがbick(バックセンターからのクイック)に、さらにオポジットが前衛でも後衛でもライトから──というのが基本形であり、最大数の攻撃を繰りだす理想形だ。

 高校レベルまでなら得点源となる時間差攻撃(主に前衛ウイングスパイカーがクイックの後ろから打つコンビ攻撃)はブロックのレベルがあがるにつれ効果が薄れるため、これにかわって後衛ウイングスパイカーにバックアタックで決める力が必ず求められる。

 八重洲側の正面玄関である前衛のど真ん中を守るのが破魔だ。予想どおり灰島がクイックで中を抜いてくるが、破魔の威圧感にクイッカーが怯んでぺしんっとはたいただけになった。強打なら破魔が叩き落としていたが、軟打で山なりのボールになったのが欅舎側に幸いした。ブロックの先に軽く触れたボールが欅舎側にふわっと戻って再び欅舎の攻撃チャンス。

 もう一回、中で来る──灰島の性格から越智は予測したが、ミドルブロッカーと後衛ウイングスパイカーがもう自分には来ないと気を抜いたか、攻撃に入らずサイドのカバーにまわろうとしていた。灰島もレフトの黒羽へあげざるを得ない。

 その瞬間、動かぬ山のように中央で構えていた破魔が動いた。大柄な身体が俊敏なステップで横移動し、サイドブロッカーの大苑とともに壁を形成する。黒羽が打ち抜くのが一瞬早い。さすが灰島との息はぴったりだ。他のスパイカー陣のようなためらいが微塵みじんもない。二枚ブロックの扉が目の前で閉まる寸前、ぎりぎりボール一個分の隙間をスパイクが抜けた。

 越智が伝えたとおり太明がディフェンスのラインをあげている。高い打点から鋭角に突き刺さったボールが太明の胸に入り、ドゴンッと高く跳ねあがった。

 ボールの威力にのけぞりながら「直澄!」と太明から声が飛んだ。後衛の浅野が太明が繋いだボールをバックセンターから直接スパイクする。欅舎側で灰島、黒羽の一年二人を含む三枚ブロックが中央に集まる。

 右手でボールを打つ刹那、浅野が空中でしゃがむように身体を縮めて両手をボールに添えた。スパイクジャンプの頂点から降りぎわジャンプセット! セッターもできる浅野の得意プレーだ。灰島の反応も速い。即座にトスを追ってサイドへブロックに行く。浅野のトスを打つのは八重洲のレフトエース、神馬。

 一年生一人にとめられては日本代表は背負えないとばかりに神馬がパワーで一枚ブロックを吹っ飛ばし、長くなりかけたラリーに終止符を打った。

 越智はスタンドで一人「……っし」と拳を握った。

 手応えあり、だ。今大会注目を浴びる一年生ルーキーコンビを八重洲が盤石のバレーで押さえ込んだ。たった一点が決まるあいだに八重洲の総合力の高さが示されたラリーとなった。

著者プロフィール

壁井ユカコ【かべい・ゆかこ】

沖縄出身の父と北海道出身の母をもつ信州育ち、東京在住。学習院大学経済学部経営学科卒業。第9回電撃小説大賞〈大賞〉を受賞し、2003年『キーリ 死者たちは荒野に眠る』でデビュー。「2.43 清陰高校男子バレー部」シリーズの他、『空への助走 福蜂工業高校運動部』『K -Lost Small World-』『サマーサイダー』『代々木Love&Hateパーク』「五龍世界」シリーズ等著書多数。

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