佐々木譲さんが手掛ける改変歴史警察小説、「抵抗都市」シリーズが完結を迎えるにあたり、佐々木さんと須賀しのぶさんによる初の対談が実現。
しかし実は、お二人のご縁は約三十年前にさかのぼり……。
緻密に構築された作品世界とそこに込められたメッセージ、そしてお二人の出会いについてもお話しいただきました。

構成/杉江松恋 撮影/藤澤由加

現実と背中合わせのif

――まず佐々木譲ファンでもある須賀さんに本作のご感想を伺えますでしょうか。

須賀 もう本当に面白かったです。第一部の『抵抗都市』は、ロシアの統治下に置かれた日本の主権を取り返そうと考える軍部を中心にした話でした。第二部の『偽装同盟』はせいの人々の話で、社会の分断や貧富の差の問題に寄り添って、そこから悲しい犯罪が生まれるということを書かれている。そして第三部の『分裂蜂起』では、ロシアの十月革命と連動して日本でも同じ革命を起こそうという人々が現われる。この一連の流れが素晴らしいと思いました。これは最初から考えていらっしゃったんですか。
佐々木 三部作にするつもりで、十月革命を第三部に絡めるところまでは決めてありました。
須賀 日露戦争で負けた日本というifは本当に面白い発想だと思うんですけど、第三部では実際の歴史が物語の陰に浮かびあがり、いま私たちが生きている現代の危険な空気に重なってくる部分があります。空寒い感じがあって、ずっとぞくぞくしていました。

――この三部作では実際の歴史に寄り添いながら毎回違った趣向が凝らされますが、『分裂蜂起』ではどんなところを見せ場にしようと思っていらっしゃいましたか。

佐々木 ロシアの十月革命にあわせて日本でも同じような動きが起こる話にはしようと思っていました。ただ、主人公の新堂しんどうは警察官ですから、一貫して市民の安全を守る立場なんです。彼を国家の側で働かせたくはなかった。今回、日露戦争で傷を負いながらも生きて帰ってきた男が理不尽にも殺されてしまいます。新堂のモチベーションは、それをやった者への怒り。警察官という立場ではありますが、かなり私的な思いで彼は行動しています。
須賀 東京砲兵こうしょうがロシア資本の自動車会社プチロフに接収された話は『抵抗都市』で書かれています。プチロフ工場といえば血の日曜日事件の発端でしたから、ここでもいずれ何かがあるのかと思って、わくわくして待っていました。

――すごい読者だ(笑)。

須賀 主人公である新堂が、お国のためとかではなく、自分の意志で行動するところが作品の美点だと思うんです。新堂には、りょじゅんで兵隊が物のように扱われて仲間がみんな死に、自分は生き残ってしまったという事実について、国に対する怒りがずっとあります。『抵抗都市』ではそれが直接軍部に向きましたが、『分裂蜂起』では、戦争の現実を知らない人たちが東京を血の海にすることも辞さないということへの怒りになっています。『抵抗都市』の軍人と『分裂蜂起』の革命家は本質的に一緒で、個人には全然寄り添っていない。そこに対して、新堂が個人として命懸けで阻止しようとする。その気持ちが痛いほどよくわかりました。

――須賀さんご自身は、一連の歴史小説で大国の運命に翻弄される個人を書き続けてこられましたが、その点でも新堂には共感する部分があるのではないでしょうか。

須賀 動乱の時代には個人が押しつぶされ、自己犠牲が美徳みたいに言われてしまうこともあります。そこでどう生きるかでその人の真価が問われるという思いがあるんです。国という大義に流されて、自分を重ね合わせてしまう人もたくさんいるでしょうが、その恐ろしさは歴史が証明しています。現在もそういう時代になりかけている。私はそこに問題提起し続けたい。だから三部作を拝読して、これだよ、と感動しました。
佐々木 須賀さんの『また、桜の国で』の主人公・棚倉たなくらまことはポーランドの日本大使館職員ですが、最終的には個人の信義に基づいて行動しますよね。新堂と近いところもあり共感しました。
須賀 ありがとうございます。私が初めて読んだ佐々木先生の作品は第二次大戦三部作の『ベルリン飛行指令』で、参考にすらできないぐらいすごかった。私は登場人物の事情を書き込んでしまうほうなんですが、佐々木さんは長々と書かれず、さりげない一行で読者にわからせてしまう。こういう書き方はどうすればできるんだろうって、ずっと思っているんです。
佐々木 いや、私はむしろ、このぐらい書かなきゃ駄目じゃないかな、って須賀さんの作品を読んで思いましたけど(笑)。
須賀 『分裂蜂起』に、新堂がある人物を取り押さえる場面が出てくるじゃないですか。あそこで、その人物が思ったより細くて、全然筋肉がなかった、と書かれている。それだけでその人がどういう人生を送ってきたか、どれだけ貧しかったかということが伝わってくるんですね。登場人物一人ひとりの人生をしっかり見つめていらっしゃるからこそ書けるんだと思うんです。
佐々木 一面的な類型で人間を書きたくないという気持ちはあります。『分裂蜂起』で読者が連想するのは、たぶん連合赤軍事件ではないでしょうか。私の世代だと、革命運動について考えるときはそこを通過しないわけにはいかないですが、種明かしをすると、それとは別にベースになっているのは『悪霊』なんです。ドストエフスキーがお好きな方は、重なるキャラクターもわかると思います。

――人物造形だけでなく、作中でその登場人物が果たす役割ということですね。

佐々木 もう一つ種明かしをしてしまうと、プチロフ工場での新堂の立場は『レ・ミゼラブル』のジャベールです。ジャベールの位置に新堂がいるんです。
須賀 ジャベールはジャン・バルジャンを追い詰める敵の立場ですね。夢中で読んでしまいましたが、言われてみれば、と思いました。そうやっていろいろな要素を入れていらっしゃるんですね。
佐々木 ちなみにクロポトキン『麵麭パンの略取』を暗記している人物には、レイ・ブラッドベリ『華氏451度』を重ねています(笑)。

二人の意外な出会い

――須賀さんは集英社のコバルト・ノベル大賞から一九九四年にデビューしていますが、佐々木さんはそのときに選考委員を務めていらっしゃったそうですね。

佐々木 はい。実は私もコバルト文庫から三冊本を出しています。「鉄騎兵、跳んだ」でオール讀物新人賞をいただいたあと、文藝春秋での修業期間にコバルトの編集者からエッセイのご依頼をいただきまして。後に短篇を書き、その後には書き下ろしの文庫を出してもらいました。だから私、コバルト出身なんです(笑)。
須賀 大先輩ですね(笑)。当時コバルト・ノベル大賞には読者大賞というものがあったんです。私はそれを「惑星童話」でいただいたんですけど、選考委員の先生方からは耳が痛いご指摘をいただきました。初めて書いた小説でしたから、なってなかったんだと思うんです。でも佐々木先生だけが、この人はストーリーテリングの才能がある、とおっしゃってくださって。その言葉を胸に、私もちゃんとしたものを書けるかもしれない、と思いながら必死に食らいついていきました。本当に感謝しています。
佐々木 「惑星童話」はSF設定で、架空の植物が出てくるんです。その植物の名前がすごくよくて、センスが好きだとお伝えした記憶があります。一緒に選考をしていた眉村卓さんも、「いいよね。これは」っておっしゃっていましたよ。
須賀 嬉しいです。当時、コバルトの選考委員に佐々木先生がいらっしゃることは知っていたんです。でもまさか『ベルリン飛行指令』の作者だとは思わなくて、同姓同名のどなたかだろうと(笑)。

――佐々木さんは青春小説から出発されて、エンターテインメントのジャンルはほぼ制覇されています。作域は意図して広げていかれたのでしょうか。

佐々木 初めは自分に何が書けるかわからないから身近な題材を手がける。それで青春小説が多いんです。でも書いているうちに、もしかしたらあれはいけるかも、と思うようになる。書きながら、自分の技量を確かめつつ広げていきました。
須賀 すごいです。私は歴史好きなもので、そこから外れると途方に暮れがちなんですね。それではいけないと常々思っていて、佐々木さんみたいにいろいろなジャンルを書いていきたいんです。
佐々木 好きな題材を書いていくのは、それはそれでいいことだと思いますよ。

――近年の佐々木さんは、改変歴史ものの長篇を連載される一方で、並行して戦前を舞台にした時間SF短篇もお書きになる。近い題材を長篇でも短篇でも書かれていますよね。そういう使い分けを自然にやられている印象があります。

佐々木 題材と言えば、須賀さんは、うわ、ここを書くか、というものを選ばれますよね。たとえば『革命前夜』では東ドイツの崩壊、『また、桜の国で』ではワルシャワ蜂起ですよ。これは冒険小説のベテランでもなかなか手を出せない題材なのに、真っ正面から書いていた。本当に、感嘆しきりです。
須賀 ありがとうございます。私がリアルタイムで知って最も衝撃を受けたのがベルリンの壁崩壊だったので、『革命前夜』ではそれを書いてみようかなと。『また、桜の国で』は、その前に『神の棘』という長篇でナチス政権下のドイツを書いているんですけど、彼らに侵略されたポーランドのことも書くべきでは、と編集者が言ってくれたんです。それでワルシャワ蜂起を選んだんですけど、資料がほとんどなくて、やむなくポーランドまで足を運びました。

――佐々木さんも資料がないようなときは現地取材に行かれるんですか。

佐々木 『ストックホルムの密使』を書いた頃まではまだ、第二次世界大戦の当事者が存命で、直接話を聞くことができたんです。ただ、その後はもう難しくなりました。とりあえず書けるかどうかわからないけど現地に行ってみるということをずいぶんしています。私、ベルリンの壁崩壊の日にモスクワから成田へ向かう飛行機の中にいたんですよ。成田に着いて、ベルリンの壁崩壊のニュースを知りました。ソ連の崩壊はバルト三国から始まると思って、あの時期に取材していたんです。十一月八日にモスクワに戻って、九日の夜の便でした。もし一日ずれていたら、飛行機をキャンセルしてベルリンに行ったでしょうね。

佐々木譲×須賀しのぶ小説すばる対談

想像力の豊かなよく

須賀 この三部作はロシアに占領された街の描写が本当に素晴らしくて、この東京が存在しないというのが信じられないくらい作り込まれています。これをどういうふうに書かれたのか、ぜひ伺いたいです。
佐々木 まず、ロシアが日本を占領したとしたら、軍はどう配置されるだろうと。皇居を囲むような形に置かれるだろうし、ロシア人街はニコライ堂を中心にできていく。統監府は丘の上の一番いい場所に設けられて……、というふうに必然的に決まっていった部分はありました。
須賀 今回、特に胸を打たれた描写があって。秋になって樹々の葉が落ちたから、警視庁から統監府がよく見える、というところ。あれが本当にリアルで、その時代に現地で生きている人じゃないと絶対言えないと思うんですけど、どうやったらすらっと書けるんですか。
佐々木 すらっとではないですけど(笑)。見てきたような噓をついて。

――須賀さんは登場人物の中でもコルネーエフが特にお好きだと伺いました。

須賀 え!? どうしてそれを……。すみません、いったん気持ちを落ち着かせてもいいでしょうか。
 ……はい。私、コルネーエフさんが最初に出てきたとき、ロシア側の憲兵だから身構えたんですけど、実はめちゃくちゃいい人で、職務には忠実だし、本当にフェアです。『抵抗都市』で新堂に「ロシア人の命と日本人の命は同じではない」と言うんですよね。言い方はひどいけど、事実じゃないですか。だからおまえは絶対日本人を守れよ、と新堂に警告してくれているわけですよね。そして、新堂のピンチにはちゃんと手を差し伸べてくれる。『分裂蜂起』で彼がどうなってしまうのか逆に怖くて、死んだらどうしよう、ってずっと心配していました。

――コルネーエフには、いくつか祖型になるキャラクターがいますね。

佐々木 核になっているのはロシア映画です。絵面は『アンナ・カレーニナ』かな。ロシア帝国の軍人というと、私はその映像でイメージしてしまうんです。

――人物造形については須賀さんにもお聞きしたいんですが、たとえば『神の棘』では、存在のありようが血のつながらない双子のような二人が主人公になりますよね。彼らはナチズムとキリスト教というまったく違うものを背負って対立するキャラクターです。毎回そういう構造を意識して人物配置をされているのでしょうか。

須賀 特に決めているわけではないですが、今おっしゃった対立というのは毎回入っていますね。昔から、トーマス・マンが大好きだったんです。マンの作品はアンビバレンツが大きな核になっていて、一つの事柄に対する相反する要素を中心に据えるというのは、私も意識していることです。
 今作の新堂は、すごくフェアで優しい人だと思うんですが、一方で世界に対して怒りを抱えている部分もある。しかし暴力には訴えず、あくまで法の下でやっていこうとする。彼からはそのせめぎ合いをいつも感じます。新堂には戦地帰りのPTSDという問題があり、彼がどういうふうに自分というものを取り戻していくかというのが三部作の中でずっと描かれます。時には手を差し伸べてくれる人からも距離を取ってしまうほどに過去を引きずっていて。それがもどかしいんですけど、彼の心情は描写から本当によく伝わってくるんです。

――新堂を戦争の記憶を背負った人物に設定したきっかけは何でしょうか。

佐々木 日本が日露戦争で負けたという設定を思い付くと同時に、主人公は戦争で傷を負っていなけりゃならないと考えました。大日本帝国の敗北という国家にとっての傷だけではなく、戦場に駆り出されたがゆえの傷を持っていなければ意味がない。そうでなければ日露戦争を引っ張ってくる必要はないんです。

――佐々木さんの書かれる主人公は常に魅力的ですが、どんな思いで造形しておられますか。個人である、というところに大きな意味があるように思いますが。

佐々木 たとえば大戦三部作でも、主人公の行動原理は個人的な黙契でした。見返りのためではなく、個人同士の約束があるからその行為に身を投じる。警察小説に関していえば、私は主人公の警察官たちに一言も正義なんて口にさせたことはありません。法にだけるんです。
須賀 私が『ベルリン飛行指令』を読んだのは十代のころだったんですけど、佐々木さんの書かれる主人公たちが、個人の意志を貫くというありようが本当にかっこよくて、こうでありたいと当時強く思いました。主人公の安藤啓一あんどうけいいちを通じて、あまり語らなくても行動で心情は示せるということを教わりましたし、多感な時期の心をかなり持っていかれました(笑)。
佐々木 ありがとうございます。読者が読んで、こいつはかっこいいや、と共感できる主人公を書きたいと、いつも思っています。

佐々木譲×須賀しのぶ小説すばる対談

日本の未来に抱く思い

佐々木 この三部作を書き出したときの思いというのは、第一に今に対する問題意識なんですよ。私は『裂けた明日』という近未来小説も書いているんですが、あれは日本がまた中国に対して愚かな戦争を始めてしまい、最終的には中国も含めた外国軍に敗北するかもしれない、という未来予測から始まっているんです。同じように、この三部作に出てくるロシアも未来の中国で、裏にあるのは日本と中国の関係なんです。

――第一部『抵抗都市』の連載時には、社会の分断や格差の拡大が今ほど進んでいなかったと思います。現在の状況は、佐々木さんとしては想定外だったでしょうか。

佐々木 『裂けた明日』は、日本国民がファシズム政権を成立させたために破滅に突き進んでしまった後の話です。その政権が出来たのが二〇二四、五年ぐらいという設定だったのですが、本当にできちゃったな、という思いはあります。
須賀 加速度的に現実が追いついてきてしまった部分があって、怖いですね。
佐々木 『抵抗都市』を書き始めた当時はまだ漠然とした不安だったのですが、『裂けた明日』のあたりでポイント・オブ・ノー・リターンを過ぎてしまったと感じました。物書きは炭鉱のカナリア、人がまだ酸欠に気づいていないときに鳴いて危機を知らせる役割だとカート・ヴォネガットは言っています。それをここ何年かやってきたつもりでしたが、自分の声は空中に消えていっただけでした。不安を通り越して、無力感があります。
須賀 私はこれまで、あくまでエンターテインメントとして、正確にその時代を書くことを目的としていたんですけど、『また、桜の国で』のときだけは、はっきり危機感を持って書きました。先日この作品が朗読劇になりました。「愛国心」のような美辞麗句を濫用しているときは、言葉は絶対に正しい使い方をされていないというのが一番言いたかったことなんですけど、そこが若い方にもきちんと伝わったようで嬉しかったです。そういうことを書くのも大事なのかな、と最近は思うようになりました。

――佐々木さんはここまで、大正から昭和前期にかけて改変歴史世界を書いてこられましたが、この時代はまだ作品にされる予定がおありなんでしょうか。

佐々木 ロシア占領下の東京にかなり愛着が湧いてきて、これで終わるのはちょっともったいない気はしています。この設定で全然違う話を書けないか、と思ったりしますね。
須賀 舞台が魅力的すぎます。『分裂蜂起』にも分厚い人生を感じさせる人物がたくさん登場しましたが、たとえば彼らが出てくるスピンオフがあれば読んでみたいです。この舞台の物語をもっと、というのは多くの読者が望んでいるはずですから、声を大にして言っておきたいと思います(笑)。

「小説すばる」2026年1月号転載