『沈黙をあなたに』刊行記念対談 柳原孝敦×いとうせいこう「最後にユーモアが競り勝つ小説を書いて、この世から去った」
この度刊行される『沈黙をあなたに』は、二〇二五年四月に亡くなったマリオ・バルガス゠リョサの最後の長篇です。主人公は音楽研究家で、ペルーの民衆音楽、クリオーリョ音楽に光を当てた作品。遺作となったこの作品をめぐって、訳者の柳原孝敦さんとバルガス゠リョサの愛読者であるいとうせいこうさんに語り合っていただきました。
柳原さんは、「訳者あとがき」に「若くして世界文学の表舞台に躍り出ていわゆるラテンアメリカ文学ブームを牽引し、そしてその最後の生き残りとなっていたマリオ・バルガス゠リョサ」と書かれています。まずは、柳原さんにバルガス゠リョサのデビューと日本でのラテンアメリカ文学ブームについての話から始めていただきました。
構成/増子信一 撮影/chihiro.
スターになるべくして生まれた作家
柳原 「あとがき」に「世界文学の表舞台に躍り出た」と書きましたが、バルガス゠リョサの最初の長篇小説『都会と犬ども(街と犬たち)』(一九六三)は、スペインのセイクス・バラールという出版社がプロモーションとして始めた賞(ビブリオテカ・ブレベ賞)に応募して受賞したものです。賞金もさることながら、初刷りもかなりの部数を刷ったそうです。
いとう 大キャンペーンですね。
柳原 出版社がキャンペーンとしての文学賞をつくったり、エージェント制度が確立してきた初期の頃に、ちょうどバルガス゠リョサはデビューしたんですね。もちろん作品そのものも面白いのですが、文学市場においてつくられたアイドルという感じはありますね。
いとう それって、いかにもリョサっぽい感じがあります。
柳原 しかも、その後も実にたくさんの賞をとっている。長篇第二作の『緑の家』(一九六六)は、ベネズエラのロムロ・ガジェーゴス賞の第一回受賞作です。『世界終末戦争』(一九八一)は、一九八五年に国際文学賞リッツ・パリ・ヘミングウェー賞を受賞しましたが、これも第一回の受賞者です。
また、セルバンテス賞というスペイン政府が主催する賞があり、それは業績に対して与えられる賞なのでベテランが多いのですが、バルガス゠リョサは最年少で受賞した(一九九四年、五十八歳)。そして、二〇一〇年にはノーベル文学賞。文学賞ハンターというのでしょうか、そういう感じですよね。
いとう 容姿もイケてるし、スターになるべくして生まれた感じはありましたね。一時は大統領になろうとしたわけだから(一九九〇年ペルー大統領選に出馬したが、アルベルト・フジモリに敗れる)。
柳原 バルガス゠リョサは歌手のフリオ・イグレシアスの元妻、イサベル・プレイスラーと愛人関係だったのですが、そのプレイスラーが最近回想録を出して、バルガス゠リョサからもらった手紙を公開したんです。それを読んだサンティアゴ・ロンカリオーロというもっと若い世代のペルーの作家が、ガルシア゠マルケスの『コレラの時代の愛』以来、こんなにロマンチックなラブレターは読んだことがないというぐらい、ものすごくロマンチックな手紙を書いていたらしい。
彼女とは、ちょうどこの『沈黙をあなたに』が出た頃に別れたようですが。
いとう じゃ、最後は一人だったんですか。
柳原 そうですね。多分この本を書き上げた頃にはある程度死を覚悟していたのだと思います。
いとう なるほど。身辺の整理をしていたというところもあるのかな。

ラテンアメリカ文学ブームを振り返る
柳原 日本でラテンアメリカ文学がブームとなったのは、『集英社版 世界の文学』(全三十八巻、一九七六~七九)でラテンアメリカの作家たちの作品を積極的に採り入れたことがきっかけの一つだと思います。その後、そこに収録された作品を中心に新たに『ラテンアメリカの文学』(全十八巻、一九八三~八四)が編まれ、ブームが加速したわけですね。ちょうどその『ラテンアメリカの文学』の企画が持ち上がっていた頃(一九七九年三月)、バルガス゠リョサは国際ペンクラブ会長として来日しています。
いとう『ラテンアメリカの文学』が出ていたのは、日本でラテンアメリカ文学がめちゃめちゃ盛り上がっていたときですね。
柳原 そう、ガルシア゠マルケスがノーベル文学賞を受賞したのが一九八二年ですからね。
いとう 一群のラテンアメリカ文学は、日本の作家にもかなり影響を与えたし、世界的にもやはり大きな影響があったわけですよね。
ところで、この『沈黙をあなたに』は遺作、最後の作品ということになるわけですが、リョサの作品でまだ日本で翻訳されていないものはあるんですか。
柳原 いや、小説は全部翻訳されています。ただ、現在品切れになっているものもあって、なかでも『パンタレオン大尉と女たち』(一九七三)という作品が、ぼくは結構好きなんです。
いとう どういう風に好きなんですか。
柳原 ペルーのアマゾン地帯で軍の連中が地元の女性たちに性暴力をふるうなどいろいろな問題を起こすので、軍がパンタレオンという大尉に、民間人のふりをして軍人向けの売春宿をつくれと命令する。パンタレオンは忠実に任務を遂行して成功するのですが、あまりにも真面目にやるものだから、地元のラジオ局にネガティブキャンペーンを張られて破綻するという話です。
映画化が二度(一九七五年、二〇〇〇年)ほどされている。二度目のものが『囚われの女たち』というタイトルで、今DVDが日本で手に入ります。時代を感じさせる内容ですが、一度授業でその映画を学生に見せたら結構評判よかったですね。
いとう へえ、面白そう。
柳原 それこそ『ラ・カテドラルでの対話』(一九六九)のような、会話の中で一行進むと次にいきなり場面が飛んじゃうという技巧もある一方で、軽いユーモアがあって、バルガス゠リョサの一つの転換点だとみなす人もいる小説です。
いとう その前の『緑の家』とか『ラ・カテドラルでの対話』などの真面目路線から、『フリアとシナリオライター』(一九七七)のユーモア路線へ行く最初の作品ということですね。
柳原 『パンタレオン大尉と女たち』と『フリア~』は七〇年代半ばで、その頃にちょっと軽い感じになったわけですね。
ロマンチックな魅力、“天丼”のおかしさ
いとう その軽い感じが、ぼくは断然好きなんです。もちろんその前の大作然としたものもすごいとは思いますけど、『フリア~』は抜群に面白い&技巧的で、先ほどリョサのラブレターがロマンチックだったといわれましたけど、『フリア~』もめちゃめちゃロマンチックじゃないですか。いつもキスばっかりしているし(笑)。
今度の『沈黙をあなたに』だって、主人公トーニョに片思いの女性が常にいたりというロマンチックな側面があって、そこが好きなところというか。トルコのオルハン・パムクのロマンチスト的なところともちょっとつながっている。
柳原 バルガス゠リョサというと、政治を扱った大作というイメージがありますが、一方でそういうロマンチックな恋愛やエロティシズムも書いている。
いとう ぼくは以前、くりぃむしちゅーの上田(晋也)くんから、「近頃面白い小説ありませんか」って訊かれたとき、ちょうど読み終えたところだったから、『フリアとシナリオライター』は面白いから読んだほうがいいよといったんです。しばらくしてから「あれは面白いんですか?」って(笑)。
あ、そうか、主人公のシナリオライターに政治的な意図があるのか、といったような感じで読んじゃうと、エロティシズムとかユーモアの部分が割と伏せられていくというか、それがごまかしのように見えてしまい、また違ったものにも読めてくる。そこはすごく難しいんだなと思った。
柳原 あるとき、中国文学の藤井省三さんがちょうど教授会で目の前に座っていたんですけども、『フリア~』を読んでいて、「何でこの人(シナリオライターのペドロ・カマーチョ)はこんなにアルゼンチン人を嫌うんだ」と。ぼくは「それはアルゼンチン人だからでしょう」というふうに答えたんですけど、ペドロ・カマーチョが何かにつけてアルゼンチン人を悪しざまにいうところなんかも本当に面白い。
いとう 面白い。我々の世界でいうところの“天丼”(同じボケやギャグを、二度、三度と繰り返すこと)ですね。『沈黙をあなたに』では、その役割はネズミでしょう。やたらとネズミが出てきて、その度に主人公が痒みに襲われる。一応なんで出てくるのかの理由は書いているけど、それよりネズミが何回も出てくるというところのおかしさを狙っているなという感じで、実にいいタイミングでネズミが出てくる。
柳原 最初に読んだ後は、冒頭の数行目にネズミのことが書かれていることを忘れていたんですけど、訳し始めたら、こんな初めから出ているじゃないかと気づいた。
いとう ロマンチックだったり、ユーモラスだったり、皮肉だったり、『フリアとシナリオライター』と『沈黙をあなたに』は、姉妹的な作品になっているように思いますが、意図的にそうしているのでしょうかね。
柳原 『フリア~』に出ている音楽が『沈黙をあなたに』でも再生されたり、ネズミの駆除会社の人とか出てきたりと、つながりは結構ありますね。
実はぼく自身、この一年ぐらい刺激性の皮膚炎になっていて、最近は大分よくなったのですけど、発疹とかいろんなものが出て、体が痒くて仕方がない。搔いては痛くなるということに悩まされながら、トーニョがネズミに悩まされるこの話を、分かる、分かる、搔きたくなる気持ち分かる、と思いながら訳していったんですよ。
いとう そうか、柳原さんもネズミにやられていたんだ(笑)。

真面目一辺倒なリョサがたどり着いた意外なラスト
柳原 『沈黙をあなたに』の原著は二〇二三年ですが、その前に書いた『激動の時代』(二〇一九)は、グアテマラへのアメリカ合衆国の軍事介入を扱っていて、中身はそんなに長くはないんですけれども、路線としては大作路線に近いものです。
いとう 一方にそうした大作路線がちゃんと置かれていないと、こっちのユーモア、ロマンチシズムが本当につまらないものになってしまう。ものすごい抑圧があったり、許されない暴力みたいなものがあるというような世界の中で、ユーモアを使ってなんとか生きていこうぜっていう感じが、またたまらないわけですよね。
柳原 結局、ユーモア、ロマンチシズムもののほうが最後になったわけですね。
ただ、バルガス゠リョサは人格的には真面目一辺倒な人って印象があるんですね。
いとう あ、そうなんですか。
柳原 もちろん詳しくは知らないですけど、この人は真面目過ぎて、ぼくはきっと友達にはなれない感じがして(笑)。
いとう えー、そうなんだ。でも、『フリアとシナリオライター』以前と以後という意味でいうと、以後は相当おふざけも入っているじゃないですか。『フリア~』の場合、後半、シナリオライターが本当にでたらめで、ナンセンスコメディとして世界一じゃないかと思うほどです。この遺作の場合は、それは少し抑えめですが、きちっとその要素が入れ込まれている。
そういうコメディ的要素を入れながらも、『沈黙をあなたに』の中では、しきりに融和だ、多様性だといっている。これほど多くの国がどんどん多様性を失っていっている中で、予言みたいに、融和なんだ、多様性なんだって激しくいうのは、リョサらしい未来予測が含まれている作品なんじゃないかとも読めますよね。
柳原 そういうふうに読んでくださるとありがたいです。ありがたいって、ぼくは作者じゃないけど(笑)。
ここでは音楽のことを扱っていますけど、ぼく自身、ペルーのクリオーリョ音楽について詳しくは知らないのですが、実在のミュージシャンがストーリーに関わってくる人物として出てくるので、この人はどんな歌を歌っているんだろうと、YouTubeなどでいくつか実際の音源を聴いたりもしました。
いとう そういう意味では、彼流の音楽史みたいなものを残そうという気持ちもあったんでしょうかね。
柳原 多分、ここで書かれているクリオーリョに関する考察は、音楽の専門家からすれば、これは違う、あれは違うというのはきっとあるんだろうとは思います。でも、そこには彼なりの解釈というより、登場人物なりのいろいろな解釈が入っているような気がします。
いとう 現実とフィクションとが入り乱れているという意味で、『フリアとシナリオライター』も、どこまでが本当のことなのかって思いながら読むわけですが、そこが楽しいわけですよね。
この『沈黙をあなたに』でびっくりしたのは、「えっ、最後、こう終わるんだ」って、何回も読みましたね。
柳原 終わりは衝撃というか、意外というか、そういうところがありましたね。
いとう そう、なんていったらいいのかな。技巧ともいえない、でも、うまい人じゃなきゃ成立しないだろうなという。どの一行が決め手なのか、ぼくは研究者じゃないから分からないけど、でも、そう考えたくなるような終わり方ですね。
リョサ自身、これで去っていくつもりでそれをエンディングにしているわけだから、そこはしっかり考えていたと思う。大ざっぱにいってしまえば、軽く終わるということの微妙なタッチが、「ああ、おしゃれだな」という感じですね。
柳原 ぼくは逆に生真面目に過ぎるのか、最後がこんなに軽くていいのかと(笑)。でも、楽しめるものには違いない。
いとう というか、議論があってしかるべきだし、その議論が人のためになると思います。
柳原 バルガス゠リョサのファンではないペルー研究者たちからすると、ここで引き合いに出されている何冊かのペルーのナショナリズムに関する本やそれに関する議論というのは、賛成するにしろ、反対するにしろ、この読み方をめぐって、きっといろいろいいたくなると思う。まだそういった専門家たちからの反応は聞いていないので、なんともいえませんが。
いとう でも、リョサ自身もそれは分かっていて書いているはずだから、ちょっとカッカさせてみようかと思っていたところもあるかもしれない。
それに、最終的にユーモアへ行ったということに、だんだん緩くなってきたという言い方もする人たちもいるとは思う。でも、最後にユーモアの力が競り勝つという小説を書いてこの世から去ったというふうにぼくは見たいですね。マルケスは学生にも割と読まれているけど、リョサってそんなに読まれていない。もったいないと思うんですよね。リョサの読みやすさということを、ここで是非強調しておきたいですね。

「リマこそが俺の地だ」
柳原 一つだけ残念だと思うのは、ぼくはバルガス゠リョサは『密林の語り部』(一九八七)のようなアマゾン地帯、密林を描くと面白い作家だと思っているので、最後に密林ものを書いてほしかったなと。
いとう 結局、都会派として終わったんですね。
柳原 やっぱりリマっ子ですよね。
いとう そうか。自分が愛しているところを描いて終わる。
柳原 晩年はずっとスペインに住んでいたんですけど、最後はリマに戻って死にましたからね。
いとう あ、そうなんですね。
柳原 やはり、「リマこそが俺の地だ」
みたいのがあったのかもしれない。
いとう うんうん。それはそうなんでしょうね、きっと。そういうロマンチックさもあるということですね、この人には。
柳原 『沈黙をあなたに』を出す頃にはしょっちゅう病気で入院していたので、これが最後だということを覚悟はしていたのでしょう。当然作家ですから、ほかのアイデアとかもたくさんあったのだろうけれども、仕上げられそうなのはこれだ、もしくは、最後に仕上げるならこれだ、という思いがあったのではないかと思います。
いとう 最後、ロマンチックで都会的な作家だと思われてもいいという気持ちが、少なくともあったのだと思いますね。
柳原 残された資料などは全部プリンストン大学に寄贈されているので、これからはアーカイブでの研究が進み、新たな作品が発見されるかもしれないですね。
いとう それは楽しみですね。
「青春と読書」2026年1月号転載
プロフィール
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柳原 孝敦 (やなぎはら・たかあつ)
1963年鹿児島県名瀬市(現・奄美市)生まれ。東京外国語大学大学院博士後期課程満期退学。東京大学大学院人文社会系研究科教授。著書に『ラテンアメリカ主義のレトリック』、(エディマン/新宿書房)、『テクストとしての都市 メキシコDF』(東京外国語大学出版会)。訳書にアレホ・カルペンティエール『春の祭典』(国書刊行会)、ロベルト・ボラーニョ『野生の探偵たち』(共訳、白水社)、セサル・アイラ『文学会議』(新潮社)、フアン・ガブリエル・バスケス『物が落ちる音』(松籟社)など。
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いとう せいこう (いとう・せいこう)
1961年、東京都生まれ。早稲田大学法学部卒業。編集者を経て、作家、クリエーターとして、活字・音楽・舞台など、多方面で活躍。著書に小説『ノーライフキング』『想像ラジオ』(第35回野間文芸新人賞受賞)『存在しない小説』『鼻に挟み撃ち』『我々の恋愛』『どんぶらこ』、エッセイ集『ボタニカル・ライフ』(第15回講談社エッセイ賞受賞)、『「国境なき医師団」を見に行く』、「文芸漫談」を活字化した奥泉光との共著『小説の聖典』『世界文学は面白い。』『漱石漫談』などがある。
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マリオ・バルガス゠リョサ (Mario Vargas Llosa)
1936年、ペルーのアレキパに生まれる。20世紀後半の文学を代表する作家のひとり。
1959年に短篇集『ボスたち』でデビュー。初の長篇『都会と犬ども』で注目を浴び、生涯にわたってセルバンテス賞など数々の受賞歴を誇る。2010年にはノーベル文学賞を受賞した。
著書に『緑の家』『ラ・カテドラルでの対話』『フリアとシナリオライター』『世界終末戦争』『密林の語り部』『チボの狂宴』『楽園への道』『ケルト人の夢』『激動の時代』など多数。
2025年4月13日に逝去。本書は著者が生前に刊行した最後の小説となった。
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