十五年にわたる連載期間を経て、ついに刊行される恩田さんの新刊『鈍色幻視行』は、映像化を試みるたびに不慮の事故が起きる“呪われた”小説、『夜果つるところ』をめぐるミステリ・ロマン大作です。今回は、作中に映像に携わる人物が多数登場することにちなんで、数々のヒット作を手掛ける脚本家・野木亜紀子さんとの対談が実現! 「小説」と「脚本」という表現方法の異なるお二人に、それぞれの創作論についてたっぷりと語っていただきました。

構成/タカザワケンジ 撮影/フルフォード海 ヘアメイク/鈴木智香(A.K.A) スタイリスト/重光愛子(A.K.A) (すべて恩田陸さん・左)

読み始めたら止まらない

――恩田さんの新刊『鈍色幻視行』は、クルーズ船のツアーに乗り込んだ小説家と映像関係者が“呪われた”小説をめぐって織りなすミステリアスな物語です。今日はお二人に小説家、脚本家それぞれの立場から、創作についてお話を伺いたいと思います。まず、恩田さんが野木さんとの対談を希望されたとのことですが、その理由から教えてください。

恩田 私は脚本の評判がいいドラマは見ることにしていて、野木さんの『アンナチュラル』が面白いと聞いてDVDで一気見したんです。『MIU404』も続けて見て、どちらもすごく良かった。その時はオリジナルを書かれる方なんだなと思っていたんですが、野木さん脚本のアニメ映画『犬王』を見てびっくりしたんです。しかも、あとで古川日出男さんの原作を読んだんですけど、原作の良さを巧みに生かして映画にされている。これほど見事に脚色された映画も珍しいなと思いました。
野木 そう言っていただけて光栄です。
恩田 『鈍色幻視行』の中にも小説の映像化の話や脚本家が登場しますが、私は脚色という行為そのものにも興味があります。野木さんにそのあたりの話をぜひお聞きしたいと思いました。

――野木さんは『鈍色幻視行』をお読みになっていかがでしたか?

野木 いただいた見本が分厚かったので、毎日ちょっとずつ、五日くらいかけて読もうかなと思ったんですが、読みだしたら止まらなくなっちゃって。さすがに一日で読み切るのは良くないと思い、いかんいかん、ちょっと落ち着こうと三分の二ぐらいで一回止めて、でも結局翌日には最後まで読んでしまいました。連ドラで言うところの、「次は? 次は?」という引きが強くて。とても面白かったです。
恩田 ありがとうございます。
野木 あの、“十五年の連載期間”ってどういうことだろうって疑問に思ったんですけど。
恩田 他にもいろいろな作品を並行して書いていて、結果として長期間になってしまったという……。連載媒体が途中で変わったりとかいろいろと事情があって、これだけかかってしまったんですけど、あり得ないですよね、脚本では。
野木 そうですね。撮影が始まっちゃいますからね(笑)。
恩田 そこはもう、私の不徳の致すところでございます(笑)。
野木 恩田さんはすごくたくさんの小説を書かれていらっしゃいますよね。いつも何作か並行して書かれているんですか。
恩田 私は並行しないと書けないタイプなんです。ずっと同じ話を書いていると飽きてしまう。一つの小説だけ最初から最後まで書けって言われたら、きっと書けないと思います。
野木 そうなんですか。私はなるべく並行したくないんですよ。並行してると、あっちを書いて、こっちに戻った時に「私、何しようとしてたんだっけ」とすぐには取り戻せなくて。
恩田 それは私もあります。毎回、前回書いた部分を読み返さないと「何だっけ、これ?」みたいになります。
野木 なるんですね。安心しました(笑)。でも、並行したほうがいいんですね。『鈍色幻視行』は、最初にどれくらいまでストーリーの構想があったんですか。
恩田 十五年前なのであまり覚えていませんが、なきに等しかったような。
野木 『夜果つるところ』という呪われた小説があって、小説家の存在も謎めいている。映画化しようとした脚本家が死んだらしい、くらいの前情報で読み始めたのですが、実際に読んでみると「起」の部分で推理小説かなと思ったんですよ。
恩田 当初はそのつもりだったんです。でも、途中からだんだん変わってきちゃって、創作論的なほうに移っていったということがありまして。
野木 そうか。十五年ですもんね。変わりますよね。でも、そこが面白かったです。ジャンルがさりげなく変わっていくんですよね。途中でホラーみたいになって「どういうこと? えー!」というところもあった。連ドラだったら、毎週その回が終わった次の日に「あれ見た?」と、友人と話したくなる感じがずっと続きました。
恩田 素晴らしいフォローをありがとうございます(笑)。

どこまで書くかはせめぎ合い

野木 今までたくさん小説を書かれてきて、キャラクターもすごい人数になりますよね。『鈍色幻視行』も登場人物の数が多いじゃないですか。主要人物のプロフィールは事前に作りますか。
恩田 作らないですね。メインの登場人物が何人かいて、その関係性で他の人が出てくるっていう感じなんですよ。この人はこういう性格だから友達はこういう人、みたいに芋づる式に出てくる。あと、しゃべらせてみないとその人の性格ってわからなくないですか。会話を書いているうちにだんだんこの人はこういう性格なんだってわかってくるので、最初から細かく設定は考えないです。でも、映像だとそうもいかないのかな。
野木 そうですね。最初にキャストを押さえないといけないっていうのがあって、企画書にもわりと細かく書きますね。役者さんにとっては自分の役の書き込みが少ないと「これだけ?」となるかなと思うので、取りあえず履歴書みたいな経歴と、今後こうなっていきますみたいなものは作ります。
恩田 素朴な疑問なんですけど、原作ありの脚色とオリジナルの脚本だと、オリジナルのほうが現場で撮りやすいように気を遣ったりするのかなと思うんですけど、どうですか。
野木 チームと予算規模によりますね。たとえば『アンナチュラル』とか『MIU404』のチームは、けっこうムチャなことをやるんです。なので、あまり気にしないで書きますね。『アンナチュラル』では二話でいきなり「冷凍コンテナのトラックを池に落としたいんだけど」と言ったらちゃんとやってくれたし、『MIU404』でも、「ハムちゃんを井戸に落としたい」って─。
恩田 あの井戸のシーン! 印象的でしたね。こんな井戸どっから探してきたんだろうって。本物の井戸ですよね。
野木 そう。外側は本物ですけど、中はスタジオにただの土管を置いているだけなので、下手な監督が撮ったらしょぼいことになっちゃうんですよ。だけど、そこは塚原あゆ子監督の腕が立つので、このチームならっていう信頼関係があるとムチャなシーンも書けるんです。プロデューサーや監督が「できない」って言ったら、「まあそうだよね」っていったん引いて、「じゃあここまではできるかな」とか、せめぎ合い、戦いですね。
恩田 野木さんの最新作『フェンス』を拝見したんですけど、あの撮影も大変だったんじゃないかと思ったんです。
野木 そうですね。あれはWOWOWで全五話ですけど、半分以上沖縄ロケなので予算もかかるし、米軍基地内って基本的にはカメラが入れないので、それらしく見えるように創意工夫が必要で。
恩田 よく撮ったなと思いました。素晴らしかったです。それに派手にやらないところが好きでした。クライマックスでがーっと警察が突入したりって犯罪ものでよくありますけど、そういうことをやらない。主役の女性二人が助け合って切り抜けるシーンにポリシーを感じました。
野木 ありがとうございます。派手にすりゃあいいってもんじゃないですよね。扱ってるものが沖縄で、政治や歴史のような大きいものが関わってくるだけに、地味に個人に落とし込んでいかないと、とは考えていました。

脚色は原作の換骨奪胎

恩田 脚色の話に戻るんですけど、『犬王』は、原作のグルーヴ感というか、疾走感が映画にも宿っていて、トーンが一致しているように思いました。この原作を脚色するってどうやって? みたいな難しさはなかったですか。
野木 脚本としてはわりとシンプルです。疾走感みたいなところは、監督の湯浅政明さんのアニメ力がオバケなところがあるので、言語化できない部分はだいたい湯浅さんです。原作より手が十倍ぐらい伸びていたりとか、「こんなだったか!?」っていう。私も見てびっくりしました。湯浅さんのイマジネーションがすごいんです。
恩田 わかります。私、湯浅さんの『マインド・ゲーム』がすごく好きなんです。
野木 私もあの作品、大好きです! とはいえ『犬王』に関しては、私はいかに原作を残すかについて湯浅さんと戦ったって感じです。放っておくと湯浅さんのイマジネーションがほとばしりすぎて、原作から離れたディテールがどんどん出てきちゃう。それで、話がつながらなくなったり、物語の根幹がぶれてしまいそうになった時に、「ここの意味合いが変わっちゃったら、この後ろが意味なくなっちゃうんですよね」といった話し合いを細かくやりました。原作を映像化する以上は、離れすぎてはダメですよね。だったらオリジナルでやれよっていう話になるので。
恩田 私は映像化については、「映像と小説は別物だとわかってますからお任せします」というスタンスなんです。ただし、「この原作を映像化しようと思った部分は大事にしてくださいね」とはお伝えするようにしています。
野木 そうですよね。脚色って換骨奪胎だと思うんです。原作を一回分解して作り直す。脚本ができると原作者チェックがあるじゃないですか。それに関して原作者としてはどうなんですか。
恩田 めったに文句は言わないですね。昔はひどいのがありましたけど、最近はそうでもない。日本の映像界がここ十年ぐらいで、やっと脚色の意味をわかるようになったんじゃないかと思いますね。上から目線で失礼な言い方ですけど。
野木 確かにそうなってきましたよね。SNSの普及も関係しているのかなと思います。昔はやったもん勝ちみたいなところがあったけど、今はちょっとしたことでも原作ファンに叩かれるじゃないですか。
恩田 映像化するということがいかにリスクが高いことかを昔はあんまりわかっていなかったんでしょうね。それによく言われることですけど、アメリカのアカデミー賞には脚色賞があるけど、日本のアカデミー賞にはない。
野木 オリジナルが少ないという面もあれど、あっていいと思います。
恩田 脚色賞がないというところに、原作を映像化する意味をわかっていないことが象徴されていると思うんです。脚色って難しいですよね。濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』がアカデミー賞の国際長編映画賞を受賞しましたけど、脚色賞にもノミネートされていて、私は脚色賞を取ってほしかったんです。あれこそ脚色だなと思ったから。もし取っていたら日本の映像界の脚色についての考え方も変わるんじゃないかって期待があったんですよね。
野木 恩田さんは、自作の映像化作品で気に入っているものってあるんですか。
恩田 『蜜蜂と遠雷』は驚きましたね。まさか映像化できると思わなかったので。石川慶監督から「映像化したい」というお話をいただいた時も、「またまたそんな」みたいな感じで、きっと実現しないだろうと思っていたんです。でも、できあがった作品が本当に素晴らしかった。ちゃんと映画になっていて、すごく良かったんです。
野木 石川監督、アーティスティックなタッチの作品を撮られますよね。
恩田 石川監督は自分で脚本も書くし、編集もされる方ですけど、それこそ脚色が上手な方だと思いますね。
野木 逆にこれはないわって思ったものはありますか。
恩田 ありますね。とある作品の映像化で、すごく惜しかったことがあったんです。初稿の脚本が素晴らしかったんですよ。このまま撮ってくれたらもう完璧って思ったのに、なぜか監督がどんどん余計な場面を増やしてしまって。登場人物がたくさんいるので、監督がそれぞれの場面が撮りたいって言うんですよ。
野木 そういう監督いますね。そういう時はプロデューサーが監督を止めてくれないといけないんですけどね。『鈍色幻視行』に出てきましたね。あんなシーンいらないって脚本家がぽろっと言う場面。私、読んでいて「ひえー!」って思いました(笑)。
恩田 いるじゃないですか、こういう絵を撮りたいから無理やり入れちゃうみたいな監督。
野木 いる。
恩田 だから、それは違うって思ったの、すごくよく覚えていて。
野木 もったいないですね。私だったら監督と喧嘩になったと思う。
恩田 なまじ初稿が良かっただけに悔しかったんですよね。

タイトルは「バーン!」と出てくる

野木 話は変わるんですけど、恩田さんの小説はどれも素敵なタイトルですよね。『蜜蜂と遠雷』もそうだし、『六番目の小夜子』『夜のピクニック』も。『三月は深き紅の淵を』は、なんてかっこいいタイトルなんだと思って、新刊の時にタイトル買いしました。『鈍色幻視行』も、作中作の『夜果つるところ』もいいですよね。私、タイトルが思い付かなくて悩むことが多いのでぜひ伺いたいんですけど、どうやって決めてるんですか。
恩田 私はタイトルが決まらないと書けないんですよ。何となく雰囲気があって、タイトルが出てきてようやく書き始められる。
野木 『鈍色幻視行』だったら、グレーの海のイメージがあって、とか?
恩田 そうですね。映画のポスターのようなものを思い浮かべるんです。映画のポスターって作品の雰囲気が出てるじゃないですか。暗いとか、明るいとか、青春ものとか、ホラーものとか一目でわかる。そこにタイトルがバーン! と出てくる感じ。それが浮かばないと書けないです。
野木 すごい……。でも、まったく参考にならなかった(笑)。バーン! っていつ来るんですか? どこからどうバーン! に行き着くのかを知りたいです。
恩田 普段からいつもタイトルを考えているんです。タイトルを考えるのが好きなんですね。
野木 考えるのは何かキーワードを見つけた時ですか? それとも情景を見た時とか?
恩田 いろいろですね。本当にいろいろ。たとえば映画を見て、私だったらこの結末にしない、みたいなきっかけでひらめく時もあるし、昔読んだあの本のイメージで、といったことを考えていて出てくることもあるし。野木さんの『けもなれ(獣になれない私たち)』は面白いタイトルだと思うんですが、すぐに出てきたんですか?
野木 『けもなれ』はそうですね、すぐというわけでもないですけど、プロットを考えて、企画書を作った時に付けたような気がします。でもあれ、すごく反対されたんですよ。
恩田 いいタイトルなのに、どうしてですか。
野木 「どんな話なのかわからない」とか「キャッチーじゃない」みたいなことを言われて。しかも、他のありきたりなタイトルと並べられて視聴者モニターにアンケートを採ったら、『獣になれない私たち』が一番得票数が少なくて。でも、「そんな可も不可もないタイトル付けるぐらいだったら、一番ピンとこないものを付けたほうが逆にいいんじゃないか」って説得して通したんです。恩田さんに褒めていただけて嬉しいです。

わかりやすさとわからなさ

――『鈍色幻視行』の中で映画評論家の武井京太郎がインタビューに答えて「真実があるのは、虚構の中だけだ」と言いますよね。お二人は小説と脚本という違いはありますが、虚構を作るという共通点があります。フィクションの持つ力についてはどうお考えでしょうか。

恩田 その武井が言ったことについては、わりと私自身の本音ですね。虚構でなければ語れない真実があると普段から思っています。
野木 私、読んでいてそのページの角を折りました。「人生の中に真実はないのさ」というセリフ。ないか、そうかあ、って。
恩田 虚構の中で真実に触れる瞬間があるっていう実感があるんですよね。リア充が何だっていう。現実の人生が充実したからって、そこに真実があるわけじゃない。
野木 でも、世の中には虚構を必要としない人もいますよね。映画もドラマも見ない、小説も読まない人。
恩田 いますね。そういう人が見ている世界ってどういう世界なんだろうって、それはそれで興味深いんですけど、自分がそうなりたいとは思わないですね。
野木 私もそうですね。気が付いた時には虚構に触れている人生だったので。でも、同じ虚構でも、映像よりも小説のほうが自由だなって、よく思います。
恩田 そうですか。どんなところが?
野木 小説って、どれだけぶっ飛んだ人物、ぶっ飛んだ世界観でもいいというか。ドラマって共感を優先するところがあるんですよ。でも、共感を呼ぶものだけだと世界が狭くなるんですよね。そこは普段から脚本を書いていて、ジレンマとしてありますね。世の中、共感一色も気持ち悪いじゃないですか。
恩田 気持ち悪いですよね。
野木 だから、私の場合は共感できる人物を置きつつ、いかにそれとは違うものをドラマに忍び込ませるか、ということをやっています。自分とは違う人物、理解できない人物を少しでも登場させて、共感だけがすべてじゃないよねってことを提示できたらいいなと思ってるんです。

――共感というお話が出ましたが、わかりやすさはどうですか。視聴者なり読者にとってのわかりやすさは意識されていますか。

野木 作品によって違いますね。映画はわかりにくくてもやっちゃえってところはありますけど、ドラマだと放送時間帯とか対象年齢にもよります。たとえばテレビ東京の深夜枠だったら、大人がわかればいいじゃないですか。『コタキ兄弟と四苦八苦』なんかはそうですね。でも『MIU404』なんかは、プロデューサーから「小学生にもわかるように」って言われましたから。
恩田 ムチャ振りですね(笑)。
野木 ですよね(笑)。「何言ってんだよ」とか文句言いながら、でも、一応目配せはする、みたいなことはあります。『フェンス』の場合は、有料放送のWOWOWだし、ハイブローなところを狙ってはいたんですけど、そもそも沖縄に対する知識がない視聴者が多いはずなので、そこはわかるようにしないと伝わらない。
恩田 わかりやすさって難しいですね。私はトレンドは意識しないし、そもそも最大公約数は目指さない。自分と同じようなものを好きであろう人が一定数はいるだろうと思っていて、その人たちに向けて書いているので、わかりやすいかって言われると……。
野木 読みやすさは考えますか。
恩田 読みやすさは考えます。
野木 『鈍色幻視行』はつるつる読めました。
恩田 つるつる読んでもらいたい。そのあたりは気にしますけど、わかりやすい題材を書こうとは思わない。今の時代に合わせてもどうせすぐ古くなるし。
野木 「今こういうものが受けてるから書いてよ」みたいなものは書かないってことですよね。それ、ダメなテレビマンがやりがちな提案です(笑)。
恩田 こんなに移り変わりが速い時代で、しかもコンテンツは少数多品種。何が当たるかなんて誰にもわからない。自分の好きなものをやるしかないと思っています。でも、私は自分をエンタメ作家だと思っているので、リーダビリティーは大事にします。でも、リーダビリティーとわかりやすさがイコールなのかというと別にそうではないんですよね。
野木 わかります! わからないものが面白い、というのが「わかります」(笑)。『鈍色幻視行』も読みやすいけど、ある意味、わからない話でもありますよね。でも、現実だって結局、わからないわけで。
恩田 そう、わからない。でも、それも面白さの一つなんじゃないかっていうのを、フィクションでやっていきたいと私は考えています。

「小説すばる」2023年7月号転載