直接民主制へ移行し、国会が廃止された近未来の日本。
国民による直接投票で行われる首相選挙は大荒れだ。
二大政党が擁立する首相候補に加え、出馬を表明して人心を一気に掴んでいく人気YouTuber ――。
果たして、社会はどちらへ舵を切るのだろうか。
堂場瞬一さんの通算195冊目の作品にして、実験的政治小説第二弾『ポピュリズム』の世界観を語ってもらった。

構成/宮田文久 撮影/露木聡子

直接民主制でも変わらないもの

――『ポピュリズム』の舞台は、国政が直接民主制に移行した近未来の日本。第五回首相選挙をめぐってスリリングなドラマが展開しますが、駆け引きが非常に生々しいところが小説として魅力的です。現行の選挙の空気すら感じさせますね。

堂場 国民が首相を直接投票で選ぶ時代が訪れたとしても、実は選挙というものは生々しいままなのではないか、という見立ての小説になっています。ジャンルとしてはSFに入るような、シミュレーション要素の多い作品であり、直接民主制ならではのディテールも書き込んでいますが、人間のやることはさして変わらないだろう、という思いもあるんですね。

――本作は単体で楽しめる小説でありつつ、直接民主制に移行して四年後の日本を描いた『デモクラシー』の続編的性格も持ちます。直接民主制になってから十五年後の首相選挙、という設定になっていますね。

堂場 『宴の前』では地方選挙を、『小さき王たち』三部作では国政選挙を描いてきました。そのうえで「現在の停滞した政治体制が、思いきり変わったならばどうなるのか」を考えてみたのが、直接民主制に移行した日本を描いた『デモクラシー』でした。「抜本的な改革を!」とは政治家の誰もが叫びますが、実際には誰もやらないわけであり、ならば国会廃止後の日本というラディカルな設定にしてしまえば、見えてくるものがあるのではないかと思ったわけですね。

――ひとつの思考実験ですね。

堂場 『デモクラシー』で中心になったのが、二十歳以上の日本国民のなかから議員がランダムに選ばれる「国民議会」。いわば、立法府の話を書いたわけですね。内閣の長である首相を直接選挙で選ぶプロセスを書いた『ポピュリズム』は、行政府を取り上げている小説である、とも言えます。

――未来の日本の国政を、順々にイメージしていっているわけですね。

堂場 日本がこれから百年スパンでどうなっていくのか、思いっきり想像力を駆使して書いてみたい――そう思っての第二弾なんです。ただ、直接民主制になってから十五年経っても大して世の中が変わっていない、というのもミソなんですね。

――政党もまだ残っていますね。『ポピュリズム』は基本的には群像劇ですが、中心的な登場人物がふたりいます。かつて国会廃止・国民議会創設を成し遂げた新日本党で、広報を務める新世代のふかたま。新日本党の躍進で政権与党の座から転がり落ちて以降、国会復活を目指してきた民自連で選挙局長を務めている、元国会議員のしろこうすけ。彼らを中心に展開するドラマは、政治の奇妙なねじれを感じさせます。

堂場 作中に、珠希がこんな思いを抱く場面があります。「新日本党は日本を変えた。これからも変えていかなくてはいけない。改革者は、希望が実現した瞬間に、それをキープしていくために保守主義者になるというが、新日本党はそうであってはいけない」。逆にいえば、こう念じさせるほどに、革新だったはずの新日本党がいつの間にか保守化しつつあるわけです。権力の側に立った瞬間、直接民主制という理念が固定化していってしまう。一方で、下野してしまったにもかかわらず、その後も旧態依然としている民自連は国民へのアピール力に欠ける状態。政党は停滞気味なんですね。

――新日本党は、元弁護士で女性局長兼政調会長のおおを担ぎ出し、党内の人材に欠く民自連は、テレビコメンテーターとして炎上スレスレの発言で話題の大学教授・じまやすに白羽の矢を立てる。人気YouTuberのベテラン芸人・しろやまたくが無所属で出馬し、選挙戦をひっかきまわす……妙に現実感を抱きます。

堂場 大胆に変革を遂げた社会に生きているつもりでいても、実は奥に潜んでいる本質はほとんど変わらないのではないか。それが私の抱く、近未来の選挙のイメージなんです。選挙をおこなえば、おそらく現在の私たちがもっているメンタリティーの延長線上にある世界が展開するだろう、つまり人気投票になってしまうのではないか、ということを『ポピュリズム』では描いているんです。

「地に足のついた噓」をつく

――人気投票と化してしまった首相選挙の只中で、新日本党・民自連の両陣営は右往左往する。地方議会も解散は目されているが実行はまだ、という設定ですが、社会全体がポピュリズム化していることは、SNSの描写などを通じて伝わってきます。

堂場 昨今の国内ニュースを見ていると、地方自治体の首長選・議員選も含めて、まさにポピュリズム的な動きが目立つようになってきていますよね。動画配信が駆使されるなかで人々の重心が一気に傾くのを私たちは目撃していますし、YouTuberが出馬したり当選したりすることも、もはや珍しくない。こうした動向は世界的な政治情勢の流れを受けている面がありつつ、国内での過去のさまざまな選挙に人気投票的な側面があったことも、我々は知っています。衆院選や参院選で擁立され、当選していったタレント候補・議員なんて、その最たるものですよね。

――今作では「今の首相選挙では何よりもイメージが大事」という台詞も登場します。そんな首相選挙にYouTuberが出馬する世界観も、過去・現在と地続きなのですね。

堂場 私としてはやはり、選挙をめぐる精神性は、日本が直接民主制となって以降の国政においても同じなのではないか、むしろ首相選挙では顕著になるのでは、と見ています。だから『ポピュリズム』という小説は、直接民主制になった日本という架空の世界を描く点では革新的な側面を持つのですが、書かれている内容は保守的なところがあるんですよ。

――近未来のシミュレーション小説というと、現実から大胆に飛躍させたフィクションというイメージがありますが、『ポピュリズム』はむしろ「地に足のついた噓」をついている印象を受けます。

堂場 まさにそうかもしれません。読者の皆さんにリアルに感じてもらうためにこそ、一生懸命にフィクションという噓をついている、という逆説的なところがある。たとえば『ポピュリズム』では、直接民主制に移行してなお党内政治はぐちゃぐちゃで、さまざまな人間の思惑が交錯しています。近未来の政治の場にも我々がいま見聞きしているリアルな政治の感覚が入ってきて、当然党内で揉めるだろうと私は思って書いているわけです。

――国会が存在しないなか、政党が何をするのか、暗中模索している感があります。

堂場 首相選挙で立候補者を擁立する母体、というぐらいの役割しか残っていない、と言えるかもしれません。『ポピュリズム』の日本では、立法府の国民議会はランダムに選ばれた国民によって運営され、官僚がバックアップしている。政党がやるべきことなんて、ほとんどないんですよ。だからこそ、自分たちの立場を補強するために首相を輩出しようとするし、革新勢力は権力の座についた瞬間に保守化する。こうした直接民主制ならではの細部を空想しつつ、現実的なリアリティーを持たせながら書き進めていくことには、不思議な快感を覚えました。

――投票システムの描写が記憶に残りました。有権者は「投票用の端末で、投票したい候補者の名前をタップして、『投票』ボタンを押すだけ」。投票データは各都道府県の選挙管理委員会でリアルタイム集計され、投票終了と同時に中央選管のサーバーに送られる。中央のサーバーに負荷がかからないシステムは、現実味がありますね。

堂場 このあたりは、まるっと噓をつく楽しさがありますね。普段、たとえば警察組織などを描く際は、ノンフィクションとは言わないまでも、記述はそのレベルに近づけていく。今回は、基本的に全部噓。しかもリアルな噓なんです。物語の後半でもうひとり、城山とは異なるYouTuberの泡沫候補が登場しますよね。

――作中では供託金を一億円準備する必要があるとされ、YouTuberも含め立候補のハードルは高いですが、それでもあしかわきんなる大食いYouTuberが出馬を表明します。

堂場 この泡沫候補が、とある騒動を起こす場面がありますが、これも“さも起こりそう”なことなんです。噓をいかにリアルに見せるか、ずっとニヤニヤしながら書き進めていた小説なんですよ(笑)。

――珠希がネット番組制作会社からの転職組というのも印象的でした。動画やSNSでの発信やマーケティング的な感性が重視され、異分野の人間が選挙の裏側で働くようになりつつある現実感覚が滲みます。

堂場 私は選挙とマーケティングは実は別物だろうと考えるたちではあるのですが、ともあれそういう人たちが一気に政治の世界になだれ込んできて、ネット戦略などに携わっていくことは想像に難くない。他方で民自連の選挙局長の田代は、国会議員として食えなくなり、政党職員のようなかたちの仕事に就くしかない。このように新旧入り乱れ、人が蠢いている、というのが直接民主制での首相選挙の状況だろう、と想像したわけです。

――「新」の側である人気YouTuber・城山の一挙手一投足、その影響の読めなさに、新日本党・民自連ともに頭を悩ませます。

堂場 ここは、読者の皆さんに問いを投げかけたところなんです。いま、SNSは大きく政治に影響を及ぼしている。けれども、SNSや動画配信によって左右される票数というのは、ときと場合によって違うでしょうし、不透明で予測がつきづらいものでしょう。ひとりの候補者が当選する場合、これくらいの数の「いいね」があればいい、という指標がわかればもうすこし考えようもありますが、本当のところは誰もわかっていないのでは。今回、城山をめぐるさまざまな動きや反応は、あくまで思考実験をおこなうための一例として描いてみたもの。ここから広げて考えうることはたくさんあるはずですので、ぜひ読みながら皆さんにお考えいただければと思っています。

――『ポピュリズム』というタイトルにしても、人気投票という選挙の内実を前面に出しつつ、その裏にさまざまなニュアンスも潜ませているように感じます。大衆の感情に振り回されるだけではなく、権謀術数的に頭を働かせ、画策する人たちが作中にたくさん登場しますね。たとえば民自連が首相候補として外部から招き入れた尾島は、やはり舌禍が懸念され、党としてのコントロールも利きにくい。ではどうするのか、という点も読みどころです。

堂場 その意味では、旧来の政治勢力である政党、そしてそこに集っている人々による“抵抗”の話でもある、と言えるかもしれません。直接民主制となり、国民議会が運営される時代となってなお、「自分たちが政治を動かしているんだ」という意地ですね。とはいえ、政党に残されたそうしたわずかな力も、やがて本当の終焉を迎えていく可能性もありますし、『ポピュリズム』はそのプロセスの途中を描いた小説かもしれない。そのあたりもまた、読者の方に読み込んでいただければ嬉しいですし、私も今後、たとえば未来史の年表を作り込みながらさらに考えてみたいとも感じています。その年表からまた、新しい小説が生まれることもあるやもしれませんね。

堂場瞬一

教科書的説明から外れた現実

――本作を読んでいると、いまの現実のゆがみも気になってきます。たとえば国会は日本国憲法第四十一条で「国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である」と定められているにもかかわらず、実際は議員立法の成立は少なく、内閣提出法律案は成立件数が多い。それなのに、「国権の最高機関」だと言うための理屈に関しては、憲法学者のあいだでも意見がわかれるようです。

堂場 我々が教科書的な説明としてインプットされてきた、三権分立という国家権力のありようも、だんだん現実との間でズレが生まれてきてしまっている、ということなのかもしれませんね。だったらどうすればいいのか、と尋ねられても、明確な答えを持っている人はなかなかいない。それでも分析・研究していくというのが学者の方の仕事ならば、フィクションで応答するのが作家の仕事でしょう。

――選挙の行方を楽しく追うエンターテインメント小説であり、いまと未来の社会を二重に問う作品でもありますね。

堂場 その点に関しては、書いた身で言うことかどうかはわかりませんが、直接民主制になった『ポピュリズム』の日本社会って、なかなかに危うい気がしませんか。首相選挙になったら大混乱という感じで、この最中に海外から何かしらの干渉があったら一発でアウトなのでは、という想像も膨らみますね。

――たしかに……首相選挙も第五回を数えてなお、こんなに混乱しているんだな、と読みながら思いました。実際に我々の社会も国家体制としてはかなり綱渡り状態というか、隙間がありますよね。現在の感覚とつながるところのある近未来の直接民主制が、実は危なっかしいというのは、いろいろ考えさせるものがあります。

堂場 首相選挙なんてやってるけれども、「これで本当に大丈夫か?」と思っちゃいますよね。そもそも『デモクラシー』や『ポピュリズム』という小説は、いまの日本社会の状況や政情に対して「いまのままで大丈夫か?」と問い、根源的なレベルで変革が起こったらどうなるかを考えるものです。しかしガラリと体制が変わってなお、いまの我々のリアリティーに連なる世界が広がり、しかも危うい状況にあるならば、より根源的なレベルで考え直していかないとまずいということになる。私はシンプルに「これからの日本社会はどうなっていくんだろう」とすごく心配ですし、もっとみんなで考えていい話だと思います。

――ラディカルな設定の『ポピュリズム』の先で、よりラディカルに考えるというのは、かなりの難題ですね。対症療法的なものなら思い浮かぶかもしれませんが……。

堂場 窮余の策に関しては、実現可能性はゼロに近いであろうものの、私の頭のなかにもアイデアはあります。ひとつは、行政を海外、たとえば情報技術の人材に富んでいるインドなどにアウトソーシングしてしまう、ということです。先ほど触れたように、国家権力を三権分立したうちの行政権を持つのが内閣ですから、おいそれと国外にアウトソーシングできるものではないとわかってはいるのですが、やはりこれも思考実験のひとつとして、有効なのではないでしょうか。

――情報技術に関する作中の描写では、官公庁の統廃合とAIの積極的導入を結びつけて有権者へ訴えるのが、人気YouTuberの城山というあたりも興味深いですね。

堂場 AIなんて、老政治家の人たちにはほとんどわからない話でしょう。そんなAIを用いてムダを省き、行政改革していくんだということを、YouTuberが訴えていく時代。未来の話ですが、なんだか身に覚えがありますよね。実は、ムダを省くということならば、首相選挙自体がムダの塊かもしれないのですが……このあたりは、『ポピュリズム』のなかでも焦点があたるトピックのひとつです。

――いろんな議論が交錯するなかで、城山が支持を集めていきますよね。候補者がYouTuberというと単にイロモノとして捉えがちですが、むしろマトモに見えるというか、説得力がある点が現代的です。

堂場 もしかしたら私が“城山推し”なのかもしれない……(笑)。それは半ば冗談としても、政治というのは基本的に善と悪が渾然一体こんぜんいったいとなって揺れ動き続ける世界だと思っているんです。本作の隠れたキーワードとして、『善良な独裁者』という言葉が登場し、城山もそれをひょうぼうしていきます。日本も含めて世界中に、きょうじんなリーダーシップを発揮してくれる政治家への期待感があると思い、そうした気分を『善良な独裁者』と表現してみたのですが、これもまた、善悪がされづらい政治のありようを反映しているのかもしれません。

堂場瞬一

200冊の、その先へ

――今冬に堂場さんの刊行作品が200冊となることを記念して、「the200」という“全国ツアー”の真っ最中ですね。各地に足を運び、書店員さんと触れ合ったりサイン会をしている楽しい様子は、公式noteで読むことができます。今作『ポピュリズム』は、195冊目にあたりますね。

堂場 書店員さんはもちろん、日頃から堂場作品を愛読してくださっている読者の皆さんと直接触れ合う場を設けたい、と思っての“全国ツアー”なんです。191~200冊目の新刊に関して、出版社の垣根を越えてツアーを展開していまして、二〇二五年一月からほぼ毎月のように、各地にうかがっています。福岡、神奈川~東京、再びの東京、そして五月の仙台を経て、このインタビューが掲載される号の発売直前には、札幌にいるはずです。「ランプライトブックスホテル札幌」という、本屋とカフェが併設された素敵なホテルで、「作家とトークナイト」と題したイベントを開催する予定で、参加者の皆さんからの質問にもお答えできればと思っています。

――第十三回小説すばる新人賞受賞作の『8年』が二〇〇一年に刊行され、100冊到達が二〇一五年。そこから200冊までのあまりのスピードにクラクラします。

堂場 たしかに、そう考えると早いですね。なんだか自分でも変だなというか、100冊に手が届いたのがついこの間だったはずで、200冊到達があっという間だなという気はしているんですよ(笑)。とはいえ、実はこれでも執筆スピードは抑えているんですが。

――一日で約五十枚というハイペースで書いていらして、なお抑えているんですか?

堂場 すでに還暦も迎えまして、ちょっと目がつらくなってきていることもあるので、フル回転にならないようにセーブしながら書いているんです。船や航空機には、できるだけ長距離ないし長期間航行できる「巡航速度」というものがありますが、まさにそんな感じですね。

――刊行ペースからすると、にわかには信じがたいですか……。今後に関して、何か意識されていることはありますか。

堂場 これまで支えてくださった読者の皆さんに、今後も楽しんでいただける小説をお届けしつつ、若い層の読者の方々にも届けていく、ということですね。先日のトークショーですごく若い参加者の方々がいて、どこで自分の作品と出会ったのかと尋ねたら、「親が読んでいた」というお答えだったんですね。「すでに二世代にわたって読んでくださっているんだ!」と、嬉しさと同時に恐ろしさも感じました(笑)。いや、でも本当にありがたいことですね。これからも全力で……いや、長く走り続けられるスピードで、面白い作品を書いていければと思います。

「小説すばる」2025年7月号転載