書評

ディストピアの追体験

江南亜美子

 遠野遥がディストピア小説を書くとこうなるのか、という驚き。スターバックスやABEMAといった実在する固有名が物語世界に登場するとき、そこが遠く隔たった架空の王国ではなく、読者たる私たちと地続きの世界だとの錯覚が起きる。感染症が蔓延し、東京五輪が開催される、少し前の日本。だがこの物語で女たちは自由意思を持たない。
 語り手は二人。一人は有あり紗さという女子中学生だ。特殊な学院に通い、教師から「指示される前に、我々の望みを察知して動けるように」との教育を徹底される。この国では女性たちが容姿、年齢、既往歴などの情報のもと、12段階のランクに分けられる。日焼けは厳禁。遮光カーテンと日傘に守られた病的なまでの彼女たちの白さが、「吸血鬼」のあだ名のゆえんだ。15歳の学院生たちは最も価値が高く、加齢とともにランクは下がる。
 有紗の父親はフードの配達人だ。経済的に無理をするのは、娘をよりよい結婚相手に嫁がせたいから。富裕層の男性は最大二人まで妻帯でき、最短で半年ごとにその妻を交換できるのだ。
 もう一人の語り手は医師の白井だ。美み優ゆうという妻への気遣いを怠らず、女性をモノ化しない稀有な存在にみえる。美優と美術館で知り合ったことで、有紗は白井家に出入りするように。交互に現れる白井と有紗のモノローグが、世界の異様さを際立たせていく。
 SF的なガジェットは投入されない、並行世界的なディストピアにあって、女性たちは歴史の学習を禁じられ、筋トレも禁じられ、と思えば、流行の兆きざしという曖昧な方針転換で日焼けを推奨され、人形のように生きる。彼女たちがいかに反旗を翻すのか、価値観の転覆は何によってもたらされるのか。読者の鬱屈と反転への期待感は否応なく高まるが、著者はそう簡単にカタルシスを与えてくれない。
 マスキュリニティは世界に浸透しきっている。法改正や刑罰の厳罰化が、人間の深層の差別意識を変えられるのかという問題も浮き彫りになる。白井は生身の妻ではなく、妻という概念を弄もてあそんでいるにすぎない。「今わたしは幸せであると胸を張って言うことができます」との有紗の言葉は、最大のアイロニーだ。遠野遥らしい怒りの一撃が胸に刺さる。

「青春と読書」2026年5月号転載

日傘で隠された心の声

松井玲奈

 遠野遥の『吸血鬼』を読んだ。タイトルからてっきり吸血鬼が出てくる話かと思いきやそうではなく、物語の中心にいるのは美しさを十二等級に割り当てられる世界にいる少女たちだった。作品を読みながら考えていたのは「吸血鬼」とは何ものなのかということだった。
 女性は皆「おひつじ」から「うお」までに選別され、社会的地位が高い男性たちがまだ若い女性たちを妻として迎える。その設定に最初は驚きながらも、次第にこれは現実とも繫がるものではないかと感じ始める。
「おひつじ」と「おうし」の女生徒だけが集められた学院は中学校で、そこに通う有紗は先生からの教えをしっかりと守る子どもだ。日に焼けないように徹底的な日焼け対策をとり、学院の中は分厚い遮光カーテンで閉め切られている。特徴的な日傘をさす生徒たちの学院を周りの人たちは「吸血鬼学院」と呼ぶ。あまりにも白い肌が彼女たちをそう見せているのだろう。私自身も日焼け対策をしてはいるが、それは自分の肌を守るためであり誰かのためではない。
 しかし、彼女たちが肌を白く保つ理由はいい夫に出会うためである。肌の白さは美しさの評価に繫がり、大人の言いつけをしっかりと守る従順の証にもなる。
 生まれた家が裕福ではない有紗はより良い環境を知ったとき、自分の家にわずかな不満を感じるようになる。父はフードデリバリーの仕事をして彼女を学院に通わせるために頑張ってはいるが、それでも家の壁のシミや、天井の低さ、切り詰めた生活から抜け出したいと感じてしまう。彼女の友人たちもまた、良い成績を残し今よりも環境のいい家に嫁ぐために大人の言いつけを守っていた。
 より良い環境を望むことはごく自然な人間の欲望ではある。しかし、そんな女性たちを何の苦労もせずに男性の金で生活をしている、とみなす男性もいるのだ。
 この物語は有紗とは別に美容外科医の白井の目線からも語られる。有紗は物語の内面を、白井は外側を埋めていくように感じられた。
 白井は一見すると理解のある優しい男性に思えた。半年に一度妻を選び直す他の男性とは違い、一人の妻を大切にしている。妻が不安にならないよう他の女性との深い接触を避けるし、女性はアクセサリーではないからと見せびらかすようなことはしない。女性を下に見ることなく対等に扱い、優しく丁寧に接している様子は、確かに他の男性とは違うように映った。
 しかし、生まれた時から無意識的に浴び続けてきた思想というものは簡単に拭うことができない。白井の父は政治家であり、裕福な家庭だ。他の人に比べ金銭的に困ることもなく育ってきた彼には、社会的地位の低い人の気持ちや感覚は想像の範囲でしか理解できない。それは彼の友人である景虎との会話で浮き彫りになってくる。
〈あなたの知らないところで、あなたは常に守られ、優先されてきたのでしょうね。あなたの知らないところで、色々な人があなたに気を遣ってきました。私もその一人です〉
 と彼は語る。
 それを白井は〈私は景虎の友達だから、ストレス発散くらいには付き合ってやらないといけない〉と受け取るのだ。彼を優しい人間だと受け止めていたが、それは本質的な優しさではない。
 白井には景虎の言葉は何も届いていないのかもしれないと怖さを感じた。それと同時に、取り乱した相手を受け止めてやれる自分を演じることが私たちにもあると思った。人に手を差し伸べる優しさは心からのものか、自分が安全圏にいるから生まれる心の余裕かで印象は随分と変わるだろう。
 知り合いがある時「イケメンであればあるほどいい」と口にしていたことがあった。賛同しかねる思想だとは思いながらも、美しいものは人であれ、ものであれ喜んで受け入れられるのかもしれない。
 私たちは無意識に選別を行いがちだ。事実、私自身も「昔は可愛かったのに老けたよな」という非常に腹立たしい言葉を投げかけられたことがある。この時の私は突然自分を評価されたことが悲しく、それと同時に苛立ったのだ。この苦しさは突然自分自身が他人によって意味づけられ、評価されることへの不快感だったのかもしれない。
 物語の中の女性たちは自分の等級が年齢とともに落ちていくことに不安を抱えている。家にいるときでさえ父親に気を使い、学院にいても、外にいても常に男性の選別の目に晒されるのは居心地のいいものではないだろう。
 しかし、男性側にも苦しみがある。社会的に成功を収めなければ収入も上がらないし、優れた妻を娶ることもできない。結婚することのできなかった男性は世間からの疎外感に苦しめられることになる。光と闇が生々しく描かれ、どこか人ごとのようには感じられなくなってくる。
 男性が女性の評価を図る一方、女性もより良い家に嫁ぐために無意識に男性を値踏みしている。見られ、選ばれる側もまた相手を見定めているのだ。
 物語が進むほどに、あなたは白井か有紗かはたまたそれ以外の人間のどの思想を持っているかと突きつけられているようにも感じられた。
 人は他者の時間や行為、期待を受け取りながら生きている。自分だけは何も奪っていないとは言い切れない。反対に、誰かに与えることで自分の存在を確かめることもあるだろう。そう考えると吸う者と吸われる者をきれいに分けることはできない。
『吸血鬼』は異質な者の物語ではなく、他者から何かを受け取り、また奪いながら生きる全ての人間の物語なのではないだろうか。

「すばる」2026年11月号転載