採録『森羅記』トークイベント 北方謙三「歴史に仮託して現代人の心情や行動原理を書く。それが私の歴史小説であり歴史小説観です」
北方謙三さんが“人生の集大成”と明言する一大歴史巨編『森羅記』シリーズ。第一巻『狼煙の塵』の刊行を記念して、去る2025年10月に、東京・神保町でトークイベントが開かれました。読者と顔を合わせ、「一対一の勝負」(=質疑応答)をするのは久しぶりだと高揚気味に語る北方さん。40年来のファンから、最近読み始めたという方まで、幅広い読者が集った熱気あふれるイベントの一部をお届けします。
構成/砂田明子 撮影/相馬徳之(千代田スタジオ)
――イベントは北方さんのひとり語りからスタート。
こういう会は久しぶりで、今日は楽しみに来ました。以前は定期的に、読者108人との「北方梁山泊の会」をやっていたんです。読者というのは無理無体を言うもので、あるとき、こんなことがありました。『水滸伝』の登場人物・呉用は、火の中に飛び込んで死ぬんです。ところが「梁山泊の会」である方が、「死体が出ていないから生きているはず」だと言うんですね。「焼けて死んだだろう」と私は答えましたが、そうした声があまりにも多い。結果、呉用を『楊令伝』で生き返らせた。それまで大して人気がなかったのに、復活後、ものすごい人気者になりました。
今日は何でも聞いてください。質問というのは一対一の真剣勝負。怖いけど、面白いですよ。
日本人の不屈さを書く
質問の前に、新しいシリーズについて少しお話しします。『チンギス紀』は「紀」、『森羅記』は「記」です。『チンギス紀』は一人の物語ですが、『森羅記』はたくさんの人の物語、つまり群像だから「記」なんですね。たくさんいる登場人物のうち、主人公の一人が日本人で蒙古襲来に対する部隊を指揮した北条時宗です。
元が攻めてきたときに戦った松浦水軍の本拠地は、私の故郷・唐津(佐賀県)なんですよ。最初の歴史小説『武王の門』で唐津を書き、それから巡り巡って最後の小説になるであろうというところで、再び唐津に戻ってきた。故郷が私の死に場所を用意してくれたのかもしれないと思うくらい、何か因縁を感じます。
この松浦水軍や、南宋と行き来する禅宗の僧侶を通じて、鎌倉幕府には大陸の脅威が伝わっていました。元がいつ攻めてくるかわからない、ということですね。朝鮮半島にある高麗という国はすでに攻められていて、国土が死体の山になったと知って、幕府は強烈な恐怖を感じている。だからかなり前から準備を進めてきたわけです。豪族を組織化したり、水軍を準備したりしているものの、最盛期の元って、南宋からユーラシア大陸の大部分が国土みたいなものなので国力からいったら百対一くらいでしょう。しかしその百の力に対して、日本人は決して屈しない。日本は独立国なんだと、絶対に屈しない。そうした日本人の不屈さと、国とは何か、祖国とは何かという問いかけを込めて『森羅記』を書き始めました。
これまで、つらい物語も書きましたが、最終的には楽しめるもの、読んでよかったなと思えるもの、誰にでもわかるものを書きたい。小説というのは小学生とまではいわなくても、中学生が読んでもわかるものでなくてはならないんです。同時に、本当は誰にもわからないのが創造物です。そうしたものを目指して最後まで書き上げますから、皆さん、今後サイン会などで、「完結させてください」は禁句ね(笑)。死ぬと思われてるんだな、と思いますからね。

夜中、書けない自分を斬る
――ここからは質疑応答の一部をご紹介します。
Q いつか元寇と北条時宗を書きたいと、先生は考えていらっしゃったんですか?
全然考えていません。長編は『チンギス紀』でやめるつもりだったから。終わったころには立ち上がることもできない状態で、脊柱管狭窄症の手術をして、しばらく杖をついて歩いていました。今はわりと平気になったんですけど。
それでも書こうと思ったのは、『チンギス紀』を終えると、その先が見えたからです。蒙古では帝位争いがあって、クビライが皇帝になる。クビライが何をしたかといえば元寇で、そのときに対抗するのが北条時宗である。時宗の親父やじいさんの時代から大陸の脅威が受け継がれてきた状況のなかで、もしかしたら本当の日本人を書けるかもしれない、と思ったんです。初めから書こうと思っていたと言えたらよかったかもしれませんが、時宗を書こうと思ったのは、『チンギス紀』の後ですね。
Q 『破軍の星』以来のファンです。当時と今と、歴史小説の捉え方、書き方、思いに違いはありますか?
全くありません。まず歴史小説を書くと往々にして、何年何月何日に何々があったとか、この騒乱はこういう意味があったとか、歴史解説を書きたくなるもので、現に書いている作家もいます。そういう書き方の頂には司馬遼太郎さんがいて、その山を越えるなんて、とんでもないことです。
私はそうした歴史小説を書いていません。歴史学にも基づいていません。何を書いているかといえば、要するに、ハードボイルド小説なんです。描写で物語を紡いでいく。そして、書いているのは現代人です。歴史に場所は借ります。歴史的な事象も借りる。歴史に仮託して現代人の心情や行動原理を書くのが私の歴史小説であり歴史小説観で、これは『破軍の星』の頃から今にいたるまで、全く変わっていません。
Q 「吹毛剣」などが出てくる作品を読むと、「物」に思いを込められていると感じます。北方先生にも思い入れのある持ち物はありますか?
当然ありますよ。まず万年筆。これは仕事の道具だから手の延長みたいなものです。それから日本刀を持っています。夜中に、畳表を丸めた巻き藁をじっと見るんです。じっと見ていると、自分自身に見える瞬間がある。その瞬間、日本刀でスパッと斬るわけ。よし、書けない自分を斬った、さあ書こうと、机に向かうとまた書けない自分がいるんだ(笑)。そういうふうに精神統一したいときに日本刀を見たり、斬ったりします。
Q 先生が愛用されている万年筆、「黒旋風李逵」という名前だったと存じておりますが、今も使われていますか?
ちょっと待ってね。「黒旋風李逵」をお見せします。
(現場で披露&歓声)
前はこれで原稿を書いてましたが、使っているうちにペン先が太くなってくるんです。そうすると一字一字が潰れるから、今はサイン用にしています。

「ブラディ・ドール」シリーズは私にとっての「梁山泊」
Q 今年、先生のファンになりまして、皆さんに追いつこうと、一心不乱にたくさんの作品を読んでいるところです。私は仕事柄、食品に興味があるんですが、先生の作品には現代の日本にはない美味しそうな食べ物がたくさん出てきます。いちばん食べたいものは何か、お聞きしたいです。
『森羅記』は海の物語だから、日本人がよく食べる魚がたくさん出てくるのとは違って、『チンギス紀』は、羊しか食べてないわけ。で、生の羊肉にかけて食べるとほっぺが落ちそうになっちゃうという調味料を書いたんです。選ばれたやつしか食わせてもらえないという秘伝のタレ。それを自分で作ってみたい。新しい読者になってくれてありがとうございます。
Q 今の時代、男として生きるってどういうことでしょうか。
そういうことを難しく考えない。だけど、一言だけ言いましょう。簡単だよ。約束を破らない。卑怯なことをしない。二つだけ守れば大丈夫。約束を破らないと決めた瞬間に、いい加減な約束はできなくなるんだよ。卑怯なことをしないと決めた瞬間に、ヘンなことはしなくなる。そうやって背骨を持って生きていれば、人生間違うことはありません。頑張れよ。
Q 先生のご著書の中では「ブラディ・ドール」シリーズと「約束の街」シリーズが好きで、気持ちが落ち込んだときに読み返しては元気づけられています。先生の中でこれらのシリーズにはどのような重きが置かれているか教えていただきたいです。
初期に書いた「ブラディ・ドール」は男たちが集まってきて命を削る物語で、これは私にとっての「梁山泊」なんだね。たとえば藤木というキャラクターは、『水滸伝』の楊志と林冲になったんですよ。そうやってこのシリーズの男たちはその後の物語の中に生まれ変わっていった。つまり物語はずっと連環するし、人も連環する。人の命運は尽きるからそれぞれの人を書いた物語は終わるんだけど、物語自体に終わりはないということです。最後に私の原点のような作品を思い出させてくれてありがとう。
そろそろ時間が迫ってきました。皆さん、小説があってよかったと思いませんか。創造物は、生きるためには必要ないけれど、人間らしく生きるためにはあったほうがいい。私はそういうものを書いている自負があるし、これからもできる限り力を尽くします。今日はこんなにたくさん来てくださって、優しい皆さんと話ができてとても嬉しかったです。また会いましょう。

「青春と読書」2026年2月号転載
プロフィール
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北方 謙三 (きたかた・けんぞう)
1947年佐賀県唐津市生まれ。中央大学法学部卒業。81年『弔鐘はるかなり』で単行本デビュー。83年『眠りなき夜』で第4回吉川英治文学新人賞、85年『渇きの街』で第38回日本推理作家協会賞長編部門、91年『破軍の星』で第4回柴田錬三郎賞を受賞。2004年『楊家将』で第38回吉川英治文学賞、05年『水滸伝』(全19巻)で第9回司馬遼太郎賞、07年『独り群せず』で第1回舟橋聖一文学賞、10年に第13回日本ミステリー文学大賞、11年『楊令伝』(全15巻)で第65回毎日出版文化賞特別賞を受賞。13年に紫綬褒章を受章。16年第64回菊池寛賞を受賞。20年旭日小綬章を受章。24年毎日芸術賞を受賞。18年5月に新シリーズ『チンギス紀』を刊行開始し、23年7月に完結(全17巻)。『三国志』(全13巻)、『史記 武帝紀』(全7巻)ほか、著書多数。[写真/長濱 治]
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