失敗は不思議と重なるものである。寝坊して、朝の会議に間に合わせようと慌てて家を飛び出したら、財布を忘れ、さらに降りる駅も間違えて、これはもう間に合わないと会議室に駆け込んだら、会議の日も間違えていたので助かったことがある。これは、失敗が失敗を打ち消した極めて珍しい事例であるが、たいていの場合はそうはいかず、泣きっ面に蜂が襲ってくる。

 そんな時にオススメなのが、さくらももこさんのエッセイ集だ。日常における失敗や、誰もが経験したことのある心の揺れを、少し俯瞰した視点から笑いに変える魅力がある。たとえば、『たいのおかしら』(集英社)に収録されている「グッピーの惨劇」という一篇。ある日、さくらさんがうっかり水槽の電源を切ったまま忘れてしまい、グッピーが全滅してしまう。それを家族に知られまいと、第一発見者を装って奮闘するエピソードだが、そこに滲む人間らしさに共感し、何度読んでも笑ってしまう。惨劇のはずなのに、読後は心が軽くなる。

『たいのおかしら』さくらももこ/著 (集英社文庫)

 とはいえ、すべての失敗を笑い飛ばせるわけではない。時には重大なミスが重なって、自己嫌悪に沈むこともあるだろう。そんな時にオススメなのは、俵万智さんの『たんぽぽの日々』(小学館)。俵さんが子育ての日々のなかで詠んだ短歌と、その背景のエピソードが綴られていて、ページをめくるたびに胸がじんわりと温かくなる。

 たんぽぽの綿毛を吹いて見せてやるいつかおまえも飛んでゆくから

俵万智『たんぽぽの日々: 俵万智の子育て歌集』

『たんぽぽの日々: 俵万智の子育て歌集』俵万智/著、 市橋織江/写真(小学館)

 飛んでいく綿毛が、どこにたどり着くのかはわからない。なかには、うまく根を張れない種子もあるだろう。けれど、その行く末を静かに見守り、そっと背中を押してくれる人が必ずいる。親の愛とは、きっとそういうものなのだ。

 失敗して、メンタルが崩れて、さらにその崩れたメンタルのせいでまた新たな失敗が起きる……。そんな時には、無理やりにでも読書の時間を作ってみると、思いのほか、いい方向へ転がり始めることがある。少なくとも、心は落ち着き、また前を向く力がわいてくるだろう。そう考えると、これも人生の味わいなのだ。

 ああ、あの時、会議の日さえ間違えていなければ、『ネガティブ読書』を楽しめたのに──今更ながら、大きな失敗に気づいてしまった。