書評

SNSの歪みを見つめる

梅原いずみ

 現代ほど、言葉が文字通り“凶器”となった時代もないだろう。
 下村敦史の長編『あいつも誰かに殺される』は、混乱を極めたM警察署のロビーから始まる。署内にはある理由でパニックに陥った市民が集い、警察官に詰め寄っていた。そのうちの一人が、スマートフォンを突きつけながら言う。
「SNSで『死ね』って書かれたのよ!」
 ……ああ、なんだ、そんなことか。そう思った人は少なくないだろう。誹謗中傷に罵詈ばり雑言ぞうごん、差別や偏見、自分とは立場や考え方が違う者に対する悪意に満ちた言葉。SNSには言葉の“凶器”が山ほどあふれており、悲しいことに私たちの感覚はそうした現状に麻痺しかけている。けれど、もしも、SNS上での殺害予告が現実となったら――。本書は、その最悪の事態を描く。
 発端となるのは、一日一回、ランダムなタイミングで届く通知にあわせて写真を撮影、投稿するSNSアプリ『リアリズム』だ。通知を三回スルーするとアカウントが削除される制限付きのSNSだが、写真を加工できないという「リアルさ」から人気を集めていた。この『リアリズム』にある日、『タナトス』と名乗るアカウントが現れる。『タナトス』は、『ハナ』というアカウントの発言「裏切り者の詐欺師の鈴木健三、死ね!」のスクリーンショットとともに、以下のように投稿した。
「お前の望みどおりタナトスの影が覆い、鈴木健三には無残な死が訪れるであろう」
 投稿は『リアリズム』上で拡散、面白がって『タナトス』をあおるものもいた。ところが数日後、本当に鈴木健三がビルから転落死する事件が発生。警察も動き始めるが、『タナトス』の殺害予告は続き、その度に名指しされた人間が死んでいく。被害者は職業も居住地もバラバラで、事件を結ぶ糸は見えない。警視庁捜査一課のにじれいろうとK警察署刑事課のおとおりは、日本国民総SNS時代の中、正体不明の犯人を追う。
 SNSに書き込んだ死の願いを『タナトス』が叶えてしまうとして、現代の人々が投稿を控えるとは残念ながら思えない。むしろ無数の殺害依頼が、宝くじに当たればラッキーくらいの感覚で投稿されるだろう。本作でも、『タナトス』の連続予告殺人が始まって以降、『リアリズム』には誰かの死を願う言葉が溢れる。作中の警官の言葉を借りるなら、“殺害依頼のバーゲンセール”状態となるのである。
 下村が巧いのは、こうした展開を「フィクションだから」と思わせないことだ。たとえば、サイバー課の捜査官が『リアリズム』に投稿された大量の“死の願望”をまとめたサイトに言及する場面がある。投稿のリスト化に加え、死を願われた人間についても整理しているサイトの目的は、捜査の協力ではなく『タナトス』への情報提供だ。遊び半分で行うには相当悪質だが、現実でもこうなるだろうと、容易に想像できてしまう。
 事件ごとに殺害の手口が異なること、警察を挑発するには手掛かりが少なすぎることから、虹ヶ谷は『タナトス』の狙いは劇場型犯罪ではなく、標的の殺害そのものにあると考える。しかし、その目的や動機、標的を選ぶ基準はなかなか見えてこない。行き詰まりかけた捜査に転機をもたらすのは、あるタレコミだ。予告殺人が始まる数カ月前に、『タナトス』の名を口にした人物がいたというのである。そこから物語は、思いもよらない方向へ転がっていく。
 終盤、虹ヶ谷はある人物と取調室で対峙する。他人の心に入り込むことにけた虹ヶ谷ですら、一筋縄ではいかない相手だ。取調室で繰り広げられる心理戦と、二転三転する真相。入り組んだ事件の全貌が明らかになるにつれ、SNSというツールの異様さに改めて戦慄せんりつする。思えば、SNSほど性善説の上に成り立つサービスもない。他人の死を願う言葉でさえ軽い気持ちで投稿でき、大半の人はそれを“冗談”と流す。そうした仕組みが悪意をもって利用されたときの危うさを、下村は容赦なく突きつける。
 エピローグの“現代”的な光景を、ハッピーエンドと受け取るかバッドエンドと受け取るかは人によるだろう。ただ、冒頭から『リアリズム』に振り回されていた青年がひとつの決断をして、一歩を踏み出す。この結末は、本格ミステリに限らず、『同姓同名』『口外禁止』『暴走正義』などで、SNSの歪みを見つめてきた下村だからこそ、たどり着けたに違いない。現代社会に不信感を募らせたまま終わるのではなく、出口を示す。そこに下村の書き手としての誠実さと、人間に対する信頼を感じられる。

「小説すばる」2026年9月号転載