エッセイ

沖縄空手の「手控え」

今野 敏

 琉球新報で約一年にわたり連載した「安恒あんこう」が単行本化される。連載媒体が沖縄の新聞だったことに大きな意味がある。空手の話だからだ。
 そう言われてぴんと来ない方もおいでだろう。空手が沖縄発祥だということは意外と知られていない。空手は日本古来の武道などと言われることがあるが、それは間違いだ。
 話は沖縄がまだ独立した王国だった時代にさかのぼる。日本の武士が剣術を修行していたのと同様に、首里王府の士族が身につけていたのが空手だ。
 もっとも当時は空手とは言わず「唐手」と呼んでいた。読み方は「トゥーディー」だ。士族だけのものだった空手が、明治維新、廃藩置県を経て一般に公開されることになる。
『安恒』はその時代の話だ。
 タイトルは主人公の名前だ。いと安恒とさと安恒という二人の安恒の物語だ。どちらも実在した伝説の達人だ。
 安里安恒はどちらかというと古典派で、昔ながらの空手をたっとぶ。一方、糸洲安恒は改革派だ。士族の心得だった空手を、一般庶民に広めようと、さまざまな工夫をする。
 子供たちが稽古しても安全なように、顔面への攻撃はすべて腹への攻撃に改める。長く複雑な型は、覚えやすいように簡略化する。また、普及用の簡便な型を作る……。
 そのような活動を積極的に行った。特に作品の中では、空手を師範学校や中学校など学校に広めようという努力が描かれている。
 これまで何度か琉球新報で、空手小説を連載した。『武士ブサーザールー』『武士マチムラ』『チャンミーグヮー』『宗棍』といった作品だ。
 最初、連載を始めるときはなかなか度胸が必要だった。「ナイチャー(内地の人間)が、沖縄の新聞に、沖縄空手の話を書くのか」と叱られそうな気がしたのだ。
 だが、幸いにしてそうしたお叱りの言葉や批判はなかったようだ。
 ちなみに、これらの作品は、実在の空手家の評伝であり、首里王府を舞台にしたり、沖縄の歴史に触れている。だが、文芸ジャーナリズムの世界で、歴史小説あるいは時代小説として扱われたことはただの一度もない。
 琉球は日本の歴史に含まれないということだろうか。何だかすっきりしない気分だ。たしかに明治以前は、沖縄は日本ではなかったのだから、それも仕方のないことなのだろうが……。
 なぜこんなに空手の小説を書くかというと、空手をやっているからだ。大学一年生のときに空手を始め、かれこれ五十年以上続けている。
 大学で最初に学んだのは「とう流」という流派だ。流祖は沖縄の摩文仁まぶにけん。大学を卒業してから縁あって学んだのが「常心門少林流」という流派だった。「少林流」にはいくつかの系統があり、「常心門」はたもついさむの系統を継ぐ池田ほうしゅうが創始した団体だった。
 そこで二十年ほど稽古をして、一九九九年に「少林流空手今野塾」として独立した。それ以来、沖縄に足を運んでは研究を続けた。「沖縄発祥の空手は、沖縄に行ってみないと理解できない」という思いが強かったからだ。実際、空手の型は、琉球王府時代にどんな服装や髪型をしていたのかを知らないと理解できない。
 そして言葉も重要だ。沖縄の方言(シマグチ)を学ばないと理解できない空手の要素は少なくない。
 沖縄には、言葉、音楽、食べ物、酒、そして美しい自然と独自の風習といった文化が息づいている。空手もそうした沖縄の文化の一部なのだ。
『安恒』の中にそうしたものを盛り込んだつもりなので、ぜひ読んで確かめていただきたい。
 さらに言うと、これまで書いてきた空手の小説は、私自身の「手控え」(武術メモ)でもある。稽古を続けていると、新たな発見や気づきがある。そうしたものを物語の中に織り交ぜておくのだ。
 だから、作品によって空手の解釈に違いがある。修行が進めば当然、理解度も違ってくる。いわば、私自身の空手観の歴史なのだから、あえて直そうとはしない。
『安恒』を書き上げた今年、「少林流空手今野塾」の沖縄稽古会を始めることにした。那覇にあるレンタル道場を借りて、定期的に稽古会を催すのだ。
 繰り返すが、やはり空手は沖縄に行ってみないと理解できないという思いが強いからだ。人生の残り時間も少なくなったので、やるべきことはやっておかなければならない。
 目下私の関心事は、糸洲安恒以前に行われていた古流の空手だ。それがどのようなものか、『安恒』に「手控え」してあるので、興味のある方はぜひご一読を。

「青春と読書」2026年9月号転載

書評

沖縄の伝統武術を「空手」に変えた男

理流

 警察小説の名手として知られる今野敏は、攘夷か開国かで揺れる幕末の日本を舞台に、気鋭の幕臣を描いた歴史小説『天を測る』や『かいふう』を発表している。日本のために奔走する男たちの姿に心を揺さぶられた。本書は、著者のもう一つの柱である、沖縄の空手家を描く「琉球空手」シリーズの最新作である。
 空手を日本本土に普及させた富名ふなこしちんを描いた『義珍のけん』、真の強さを追求した空手家・もとちょうの生涯を描く『サーザールー』、人生のてつの末に空手に生きる道を見つけた男・喜屋武きゃんちょうとくに光を当てた『チャンミーグヮー』、刀を振るう薩摩藩士に手ぬぐい一本で立ち向かった伝説の空手家・まつこうさくを活写した『武士マチムラ』、そして琉球空手の礎を築いた松村宗棍まつむらそうこんを描く『宗棍』と、著者は実在した琉球空手の英雄たちの評伝小説を次々に発表してきた。
 本書は、明治政府による廃藩置県が行われた明治十二年から始まる。薩摩藩の支配下にあった琉球国(藩)は沖縄県となり、国王は首里城から退去させられた。首里王府が廃され、仕えていた士族(サムレー)たちは職を失った。さらに、国王をないがしろにされたことへの怒りと不満から頑固党を結成し、独立を目指す反体制運動を展開する。一方、廃藩置県後も警察や県庁など行政の中枢を担い続ける薩摩人、他県に後れを取るまいと明治政府の方針に従う開化党、かつての宗主国・清に渡って庇護を求めようとする頑固党急進派など、新しい沖縄を築こうとする人々の苦悩も浮き彫りにされており、歴史小説としても魅力に富んでいる。
 内務省の下級役人・でらは沖縄に赴任し、首里警察署に配属される。着任早々、庭から忍び込もうとしていた強盗を「ティー」(首里王府のサムレーが修めていた武術)で取り押さえた達人・いとあんこうと出会う。目の前で厚さ一寸もありそうな板を右拳で真っ二つに割る糸洲の技に圧倒された小野寺は、同僚の警察官・だかとともに弟子入りする。
 糸洲は、「武士ブサー松村」こと松村宗棍に首里手を学び、その後、那覇手の長浜ながはまに師事した。「手」を稽古すること自体が仕事だったサムレーの時代は終わり、以前のように長い年月をかけて一生修行を続けることは難しくなった。糸洲は、新しい時代にふさわしい「手」を、新しい方法で広める工夫を重ねていた。それは、「手」の大衆化、すなわち「空手」の誕生へとつながっていく。
 普段の稽古のリアルな描写から息詰まるような格闘家同士の試し合いまで、空手の場面に目が釘付けになる。有段者として空手塾を主宰し、沖縄古流空手を研究してきた著者ならではの筆致である。物語の流れを損なうことなく、描き込みすぎずに読者の想像力をかき立てる描写は見事だ。
 八年後、小野寺は警察から沖縄県庁学務課へ異動し、体育担当として学校教育への武術導入を検討することになる。上長からは薩摩藩の剣術・げんりゅうを採用するよう指示される。一方で小野寺は、沖縄の文化の一部である「手」を沖縄の青少年が学ぶことには意義があると考えていた。学校教育で「手」を教える可能性が広がる。それは、サムレーの間で秘伝として伝えられてきた「手」を、いかに一般に公開し普及させるかを考え続けてきた糸洲にとっても、またとない好機だった。ところが、その前に大きな障害が立ちはだかる……。
 学校教育に取り入れるため、伝統を重んじながらも改変を進める糸洲。他方、昔ながらの型を変えることで「手」の本質まで失われるのではないかと危惧する頑固党。明治という変革の時代を背景に、両者の相克が鮮やかに描かれる。糸洲は、古いものの良さと新しいものの長所、その双方を取り入れようとする。首里手や那覇手と区別するのではなく、「沖縄の手」にしたいと願うのだ。一つに固執することなく、どちらか一方に偏ることもない。さまざまな物事を熟慮し、切り捨てるのではなく、それぞれの利点を見いだして理想を追い求める。「空手」と名づけたその姿に沖縄の未来が見えてくる。
 本書には、糸洲の弟子で、「手」を学んだことで後に陸軍へ入隊するけんつう花城はなしろちょう、さらに糸洲の幼なじみで親友、「手」の達人であり、糸洲とは異なる考えを持つ、もう一人の「安恒」ことさと安恒あんこうも登場する。これまでの「琉球空手」シリーズが個々の空手家の実像に迫る評伝小説だったのに対し、本書は糸洲安恒という人物の生き方を描くだけでなく、沖縄伝統の「手」が世界へ広がる「空手」へと生まれ変わるドラマそのものを描き切っている。格闘技ファンならずとも楽しめるエンタメ小説である。

「小説すばる」2026年9月号転載