対談

書評

毎日を楽しくするためのヒント集

小野正嗣

 『テルマエ・ロマエ』などの傑作漫画や軽妙なエッセイで知られるヤマザキマリと、2019年にロンドンの大英博物館で開催された「マンガ展」を企画した美術史家のニコル・クーリッジ・ルマニエール。才気溢れる二人が、漫画、西洋美術、日本美術にとどまらず人類史上のさまざまなエピソードに言及しながら縦横無尽に繰り広げる対話の目的はただ一つ――私たちは、どうすれば幸福になれるのか。
 とはいえ、本書はハウツー本でも大上段からの人生訓でもまったくない。後半部に置かれた「人類を救う(かもしれない)ヤマザキマリの七つのヒント」が如実に示すように、本書はあくまでも「ヒント」である。この対話のなにがしかが、読者の幸せに役立つ「かもしれない」というスタンスなのだ。
 この二人のように世界に対して生き生きとした好奇心を持ち続けることができたらどんなに幸せだろうか。一貫してそれぞれ自分が面白いと思うことだけを話しているように見える。ダ・ヴィンチやスティーブ・ジョブズについて語っていたかと思えば、安部公房や「トムとジェリー」が話題にのぼる。話しぶりは本当に楽しそうだし、たがいへの敬意がつねに感じられるのが気持ちがよい。
 コロナ禍の移動制限やSNSの発達によるフィジカルな運動不足よりも、「メンタルの運動不足」に無自覚でいるほうが人間にとっては危険だという指摘にははっとさせられる。そうした想像力の省エネモードは世界や他者への好奇心を減退させるだけだろう。では、どうすれば想像力をアクティヴにできるのか。「絶望や失望が人間の栄養素になる」とヤマザキマリは言う。
 たしかに孤独や悲しみは、自分を見つめ直す機会を与える。逆説的だが、そこに幸福への扉が現われる。「少しの気づきや努力で生きるのが楽しくなったり喜ばしくなったりするんだったら、その方法は考えないとですね」。考えるのは自分である。そこは面倒くさがってはダメ。大丈夫。「ヒント」ならここにある。

おの・まさつぐ●作家・早稲田大学文化構想学部教授

「青春と読書」2023年5月号転載

メンタルの運動不足を解消しよう

山本貴光

 対談の醍醐味は数あれど、なかでも面白いのは出自も経験もまるでちがう人同士が、幾重もの違いを超えてお互いに関心をもって話しあうところ。その点、本書のヤマザキマリさんとニコル・クーリッジ・ルマニエールさんの組み合わせは興味が尽きない。  
 というのも、ヤマザキさんはイタリアや中東をはじめ、いくつもの国境をまたいで暮らしてきた地球規模のノマドにして、『テルマエ・ロマエ』や『オリンピア・キュクロス』『プリニウス』といった歴史に取材した作品で知られる漫画家、想像と表現の旅人でもある。  
 対するニコルさんは、文化人類学から考古学へ舵を切りアメリカ、ヨーロッパ諸国での発掘に勤しみ、やがて日本の歴史と文化を学ぶに至ったという好奇心の塊のような人。二〇一九年に大英博物館で開催され、大好評を博した「マンガ展」では主任キュレーターを務めた大の漫画通でもある。
 つまりは好奇心の赴くままに異文化に入ってゆく文化の冒険者のような二人なのである。そんな彼らのあいだで交わされる話が面白くないはずがない。
 さて、本書のテーマはとても大きく、そして広い。なにしろ『人類三千年の幸福論』というのだから。少なくともそのくらいの広がりで人間の営みを目に入れてみようではないかというわけだ。両者に共通の関心事である漫画を土台として、話題は時代や場所を超えて自由自在に飛び交う。
 本全体は、ヤマザキさんによるプロローグ、全五章の対談、漫画「美術館のパルミラ」(初出の「ルーヴルNo.9」展で見逃したファンはぜひ!)、エッセイ「人類を救う(かもしれない)ヤマザキマリの七つのヒント」、ニコルさんによるエピローグから成る贅沢なつくり。
 面白いのは対談パートの章立てだ。五つのうち四つの章題に「困難」「不遇」「同調圧力」「失敗や破綻」と、困りごとに類する言葉が並んでいる。お二人の見るところ、現代はかつてのような「高学歴=いい就職=幸せ」という公式が通用しない世界だ。加えて新型コロナウイルス感染症のパンデミックや戦争、あるいはソーシャルメディアでの炎上や同調圧力など、社会も個人も問題に事欠かない。なんというピンチか。
 こうしてみると不幸の話のようだけれど、そもそも幸福について考えたり目指したりするには、現状をよく眺めて理解する必要があるというわけで、お二人があれやこれやの問題をズバズバと論じてゆく様子はいっそ気持ちがよいくらい。
 では、こうした数々の問題にまみれながら、どうやって幸福のほうへ向かえるのだろう。本書にはそのためのヒントがちりばめられている。対談の隅々にいきわたっている見方を私なりに(強引に)まとめれば、もっと遊びを! となるだろうか。ここで言う「遊び」とは、役に立つとか儲かるといった目の前の実利を目標とせず、失敗も含めてあれこれ試行錯誤しながら世界や自分を探ったり発見したりする営みを指す。  本書の話題から例を引いてみよう。かつて日本では、スティーヴ・ジョブズのような人を育成しようというプロジェクトが大真面目に提唱・実行されたことがある。彼の伝記漫画も手がけているヤマザキさんは言う。ジョブズの周りに彼の特異さを潰さない社会があったことが肝心で、これが日本なら、彼のような人が会社の面接に来ても速攻ではじかれるのがオチだろう。
 本書のあちこちで言及されるジョブズやダ・ヴィンチ、河鍋暁斎、南方熊楠といった、創造性を発揮した人びとは、興味のあることをとことん追究した結果、そのような人物になったのであって、目指してなるものではない。必要なのはそういう人の才能を見抜く目と、それを発揮できる環境をつくることなのだ。
 これは本書で論じられる文明論にも通じる話だ。幕末から明治にかけて、日本は欧米をお手本として「近代化」に邁進しようとしたのはご存じの通り。目標をできるだけ「コスパ」よく達成しようとするとき、一見その役に立たないように思えるものは無駄として切り捨てられる。金儲けに最適化しようとして、公害問題を起こしたり、人命を顧みないほうへ進んでしまうのもこの例だ。身近なところでは、大学受験という目標に関係のない科目を捨てるといった発想も根は同じである。
 だが、幸か不幸か誰にも未来は予測できないし、将来どこで誰と会い、どんな必要が生じるかもまったく分からない。そうだとしたら、目の前の受験や金儲けに最適化して、他を顧みないやり方は、なにが起きるか分からない人生にとっては最適化どころか、不足だらけになりかねない。
 もっとも、目的を設定してひたすら目指すことが一概に悪いわけではない。ただ、常にそればかりになると、文化や芸術の土壌となる精神のゆとりやユーモア、創造の余地がなくなってしまうというわけである。
 ではどうすればよいか。旅に出る、創作を試す、異文化と出会う、ユーモアを楽しむ、俯瞰する、不条理を味わう、誰かとじっくり話す。いずれも時間をかけて、すぐには分からないなにかと向き合ったり共に過ごしたりする営みだ。実利とは別に精神を遊ばせること。境界線を越えて、いまいる場所の外へ向かうことと言ってもよい。 「風通しの良い群れの在り方だってある」というのはヤマザキさんの言葉だが、私たちのトラブルの大半がギスギスした人間関係から生じることを思えば、どうやって心に風を起こし、風を通すかが鍵のようでもある。まずは本書で、お二人とともに縦横無尽に歴史の回廊をうろうろしてみよう。そう、「メンタルの運動不足」解消にも恰好の一冊なのである。

「すばる」2023年7月号転載