岡野大嗣さんの新刊『夜なのに夜みたい』は、頭に描いたものと目で見たものの「差分」を書き留めた言葉のスケッチ集。たとえば、見上げた月の大きさや、いつかの教室に西日が射していたこと。日常に潜められたささやかな感動や季節の移ろいが、短歌と散文、二つの言葉で鮮やかに切り取られています。そんな本作に「記憶のトリガー」を引かれたと話すのが、やはり日々の生活における小さなおかしみを掬い取ってこられた津村記久子さん。今回は、ともに大阪出身で音楽愛好家と共通点の多いお二人に、作中に覗く街並みや思い出についてたっぷり語っていただきました。

構成/河野瑠璃 撮影/岡田亜莉紗

岡野 津村さんとは三年ぐらい前に、大阪のスタンダードブックストアで一度対談させてもらったんですが、もっと喋りたいなと思ってました。
津村 あの時は、スタンダードブックストアの店主である中川和彦さんも含めて、音楽の話で盛り上がりましたよね。すごい面白かった。
岡野 今日は、僕が津村さんのことを意識したきっかけの新聞記事を持ってきました。二〇〇九年に津村さんが『ポトスライムの舟』で芥川賞を受賞された時の、日経新聞夕刊のインタビュー記事です。
津村 めっちゃ昔の記事ですね!
岡野 この中で津村さんが、デビュー当時の中村一義さんが音楽雑誌のインタビューで話した内容に触れておられて。「自分に才能があるかどうかは意識しない。本質的に曲をつくりたい」と一義さんが淡々とした態度で答えていたことについて、津村さんが、「ありのままの自分を表現しようと音楽づくりに臨む姿は刺激になりました」と話されています。
 中村一義さんのこのインタビュー記事は僕も読んでいて。当時まだ二十歳前後かな、表現することへの憧れがあったから刺激をもらった。でも、僕は津村さんと違って、もらった刺激を「自分もやってみよう」という気持ちに変換できなかったんです。それから二十代で働き詰めになり、ある日、仕事で日経の記事をスクラップしているときに津村さんのこの記事を見つけたんです。実際に短歌に出会うのはもう少し後ですが、津村さんを通して、一義さんの言葉にあらためて出会えたことが、創作への気持ちを再燃させてくれたという実感があります。一義さんのインタビュー、『ROCKIN’ON JAPAN』じゃなかったですか?
津村 自分は『rockin’on』のディスクレビューで『金字塔』を知って、図書館に『ROCKIN’ON JAPAN』を読みに行きました。すぐCDを買いに行きました。歌詞を読んで「ようやく日本語で自分たちの苦しさを歌ってくれる人が現れた」と衝撃を受けました。
岡野 そうそう。「犬と猫」の歌詞は今読むとなお「今の時代そのものやん」と思うし、歌い出しの「どう?」には、ニルヴァーナの「Smells Like Teen Spirit」の「Hello」を感じて興奮したのを覚えています。
津村 それまでは英語を母国語とする人の曲を聴いた時に「自分のことや」と思っていたのが、ようやく日本語で出てきた感覚だったんですよね。少し前の世代の方は、ザ・ブルーハーツの名前を挙げると思いますが、私はまだ小学生だったので。
岡野 そうですね。僕もブルーハーツは大人になってから聴いてます。
津村 歳いってから聴いたらやっぱりブルーハーツはすごいんですけど、私にとっては中村一義が思いを代弁してくれる初めての日本のアーティストでしたね。世界観もそうで、ジャケットの佐内正史さんの写真を見て「これをいいと思っていいんだ」と感じたんですよ。でも、あの感じを岡野さんもずっと表現してはると思います。『夜なのに夜みたい』にも、中村さんや佐内さんを彷彿とさせる文章がありました。

 スマホで撮ると小さくなると知りながら、大きな月は記録したくなる。その夜の月は、見たままに近い大きさで写せた。どうして上手く撮れたのか。それは月ではなく、駐車場の照明がふくらんで写っているだけだった。実際の月は照明のふくらみに小さく見切れていた。写真と肉眼に差がありすぎる。肉眼に映る月こそがリアルというより、写真と肉眼の間に、差を埋める景色があるような気がする。間違って月になった駐車場の照明が、その瞬間の差分として最もリアルな月の姿だった。

 この文章を読んで、まさに佐内さんの写真みたいやと思ったんです。中村さんの『金字塔』のジャケットも、塔のように見えるものは、煙突を背景に灰皿の上に立てられているタバコ。佐内さんは定義から外せる人というか、それこそ駐車場の照明を撮影して、全然知らん人に月ですよと言って見せることができる人で、この文章もそれに近いですよね。
岡野 嬉しいです。佐内さんにはすごく影響を受けてると思います。実は昨年、佐内さんと『あなたに犬がそばにいた夏』という本を一緒に作りました。佐内さんは感覚を大切に話される方という印象があって、物の見方が新鮮。先入観でラベリングしないというか。

岡野大嗣×津村記久子

大阪だから生まれた表現

津村 物の見方で言うと、〈ヨドバシのひとが深夜に起きている深夜をゆくと人が瞬く〉という短歌もよかった。岡野さん、前の対談でも、ヨドバシのエスカレーターで聞いた「ヨドバシって、いつ来てもクリスマスの匂いせえへん?」って女の子たちの会話の話をしてたでしょ。岡野さんにとってヨドバシカメラは観察地点のひとつなんですか?
岡野 よく覚えてますね(笑)。梅田のヨドバシは日本一でかくて、誇らしくて、よく見てますね。東京で秋葉原のヨドバシにも行きましたけど、梅田のヨドバシでしか得られない感覚があります。この短歌は、そんな梅田ヨドバシで二十四時間開いてる、ネットで注文した品を受け取れる場所のことです。夜、その場所だけぽっかり光ってるんですよ。深夜でも窓口には人がいて、椅子がいっぱい置いてあって、お客さんは病院みたいに呼ばれるんですけど、天国の待合室みたいで。そこを起点に、数少ないけれど街ゆく人が光り出すような。
津村 私たちくらいの年代にとって、二十代の一番苦しい時に梅田ヨドバシができたんですよね。岡野さんがどうかはわからないですけど、私はしんどい時に、ヨドバシとかホームセンターとかいっぱい物があるところに行くと、浄化されるのか気が楽になります。
岡野 めっちゃわかります。なんでも売ってるし、情報量が多くて「みんないろんなものに興味あるんやなあ」と思って、落ち着きます。
津村 食べ過ぎて苦しい時にショッピングモールをうろうろ見て回ったら回復したって話も聞いたことがあって、それに近いニュアンスを、岡野さんがするヨドバシの話に感じるんですよ。物の救いというかな。その感覚を集約してるのが、女の子の言った「クリスマスの匂い」。
岡野 なるほど。僕、「クリスマスの匂い」は大阪だから聞けた気がしてます。大阪は会話といってもめいめいに「思ったから言う」みたいなところがあるじゃないですか。短歌ってそういう、閉じられていない独り言みたいなものと相性がいいと思っています。たとえば「家電量販店特有の、新しいプラスチックの匂いや明るい照明は、子どもの頃にプレゼントを買ってもらったワクワク感を想起させる。だから、たとえ真夏であっても、ここは私にとってクリスマスの象徴的な空間なのだ。」と説明してしまうと言葉の魔法が消えちゃうけど、「クリスマスの匂いせえへん?」はみずみずしい。
津村 「クリスマスの匂い」って言われても、ヨドバシはキョトンとするでしょうけど(笑)。
岡野 それこそ津村さんの『ウエストウイング』に出てくる地下道のモデルは、ヨドバシの近くにあった「梅北地下道」ですよね? 
津村 そう。一駅分くらいあるめっちゃ長い地下道で、何年か前までは「グランフロント大阪」と「梅田スカイビル」を徒歩で行き来するにはこの道を使うのが一番の近道だったんですよ。
岡野 僕、一時期「梅田スカイビル」に仕事で通っていたので、読んですぐにわかりました。津村さんの作品は大阪の場所が出てくるのが嬉しい。地名が出てこなくても、「あの辺のあの感じだろうな」ってわかるのが、大阪の人にとってはたまらないです。
津村 あの地下道を通るたびに「ここが水で埋まったらどうなるんやろ」とか、橋の上に作られた街を描いたウィリアム・ギブスンの『ヴァーチャル・ライト』みたいになればいいのにと考えていて『ウエストウイング』を書いた感じですね。最近「クインテット」(「小説すばる」連載中)では京都のことを書いてます。
岡野 ヨドバシも短歌にされている方、他にもいますよ。〈ヨドバシの前のみじかいエスカレーターかわいいな 忘れてしまう〉っていう。橋爪志保さんの『地上絵』という歌集に収録されています。これ、たぶん、京都のヨドバシのエスカレーターだと思います。「これほんまに必要?」ってくらい短いのがあって。
津村 京都でヨドバシは行ったことなかったな。京都駅は伊勢丹の大階段がとにかくすごくて、あれを見たときに「関西で一番都会はここや」と思いました。神聖というか、南アメリカ文化の祭壇に近い感じ。長堀鶴見緑地線の心斎橋駅もそれに近い感じありますよね。地上からホームまで五階層くらいあって、歩いていると巡礼に近い感覚になります。
岡野 長堀鶴見緑地線は東京で言えば大江戸線になるのかな。地下深いんです。最初に働いていた会社が長堀橋で、同期の子と毎日心斎橋駅の長い階段のところから帰ってたのを思い出します。

音楽という「豊かな体験」

津村 電車の短歌で、〈四人とも天才 弱冷車に移って続きから 四人ともが天才〉があるじゃないですか。これ、音楽聴いてるところで合ってます?
岡野 そうですね。最初はホームで「このバンドは四人とも天才やな」と思っていて、弱冷車に座って落ち着いて、「やっぱ四人とも天才やわ」ともう一回再確認するみたいな。
津村 音楽を聴きながら街をうろうろする人にとって、この短歌は本当にわかる。弱冷車の席はちょっと混んでるんやろな。音楽がなければイライラするかもしれないけど、音楽を聴くことそれ自体が幸福なので、怒ってない。そんな風景が浮かびます。
岡野 これ僕のイメージでは、聴いているのはザ・ストーン・ローゼズなんですよ。
津村 そうかなあと思ってました!
岡野 「イアン・ブラウンって歌下手やけど、でも逆に上手いよな」「ギターもやっぱうまいよな」「ベースもええな」とか。この感覚は、音楽がそばにある人なら、わかってもらえるかもしれないです。
津村 よくわかります。この「弱冷車に移る」という日常動作をしながら「四人とも天才」とか音楽のことを思っている感じ。自分の日常が言葉に固定されてるのが、すごく感動的だと思いました。
 音楽を聴いてると、もしかしたら普通の人がどうでもいいと思うようなつまらない風景でも底上げされる。そうやって底上げしないと生きていけなかったからそうしているところもあって、少し情けないけれども。私はずっと、音楽を聴きながら近所のスーパーとかをうろうろするのが好きです。
岡野 僕もすごく好きです。ほんとに普通の散歩道も音楽があるだけで変わりますもんね。最近、外の音も聴きながら歩けるイヤホンがあって、あれも最初つけた時感動しました。好きな曲をBGMのように聴きながら、街の音も聞こえるから。
津村 〈会いたくて会いにきたひとイヤホンのコードを指に巻き取りながら〉で、有線イヤホンを出してくれはったことも嬉しかったです。私はいまだ有線イヤホンユーザーなので。
岡野 僕は両方使ってますけど、有線好きです。ワイヤレスの方が技術的にはすごいんでしょうけど、なぜか有線の方が不思議なんですよね。線の中を音が通っているというのが。
津村 なんと言っても、充電せずに使えますしね。私はズボラやから充電することができない。いろんな人がワイヤレスイヤホンしてるのを見て、「充電できるなんてみんな几帳面やな」と思ってます。電車の中で横柄な若い男の子がワイヤレスイヤホンしてたら、「家帰ったら充電してるんや、本当はまめなんやな」と思うし、有線イヤホンをつけてる人がおったら、全然関係ない人でも「おおらかでいい人やろな」みたいに思ったりする(笑)。
岡野 僕もカバンに有線を一本は入れときたいです。ワイヤレスだと人が多い所とかで音が途切れるけど、有線は絶対聴けるから。
津村 私はカバンごとに有線イヤホン入れてますよ。安いし、iPod買ったらついてきたりもするから集まってくる。それをカバンごとに入れといたら、どのカバンで出かけても音楽が聴けてすごい安心する。
岡野 結局は有線が便利なんですよね。津村さんは今でも新しい音楽を探して聴いてるんですか?
津村 今も探してます。もう四十八歳なんで、これまで聴いてきた音楽だけで生きていこうと思えば生きていけるんですけど、〈夜の0時にNew Releaseの通知が届く〉じゃないですけど、Bandcampというインディレーベルの音源を買える音楽アプリから通知がくるんですよ。「みんなこれだけ曲をリリースしてるんやから、ちゃんと聴けよ」みたいに言われてる気がしますね。
岡野 ずっと新しい曲を聴き続けてますか? 会社で働いてる時とか聴かなくなりませんでしたか?
津村 なりました。就職活動の時は、「みんな職があるくせになにを不幸なふりをしているんだ」「私は不幸な死に方をした人の音楽しか聴かない」と完全にひねくれましたね。それまでは英語圏のバンドを聴いてたのに「就職の内定が取れない気持ちなんか、この人たちには絶対わからない」とか言って(笑)。その頃は、クラシックとイースタンユースばっかり聴いてました。それからYouTubeが薦めてくる音源を聴いたりして、数年に一バンド覚えるみたいな程度で過ごしてたんですけど、コロナ禍に家で聴く用と、外出用のイヤホンを分けて以来、また異常に音楽を聴くようになりました。Bandcampに登録したのもその頃です。
〈タワレコがまだある十一月にだけクリアに思い出せる街角に〉は、タワーレコードがどんどんなくなってることが背景にあるでしょ?
岡野 そうです。僕、心斎橋のタワレコとヴァージン・メガストアでCD買ってたんですけど、両方とももうなくなってしまいました。梅田大阪マルビル店もなくなりましたね。
津村 関西で音楽聴く人なら、どのタワレコを根城にしていたか話しますよね。ちなみに私はマルビルでした。天六で働いてたから、東梅田から西梅田まで歩く時の間に寄れたんですよ。
岡野 あそこもよかったですよね。ワンフロアだから見やすくて。
津村 それと、難波の無印良品の上にあった難波店もよく行きました。あそこももうないのかな。二十三時とかまで営業してたんですよ。二十三時までCDを買いたい人がいたんですよね。
岡野 僕の根城だったタワーレコード心斎橋店は、近くにディスクユニオンやレコード屋もあって、よくハシゴしてました。中でもタワレコは三フロアぐらいあって、インディーズのものもいいのが並んでたんですよ。二階が電子音楽で……とか、そういうのほんと覚えてます。このCDはあの店で買ったなとか覚えてませんか? 僕「このCDは第三ビルの地下の中古屋のあの棚や」とか、そこまで覚えてます。
津村 たしかに、CDは覚えてますね。今はBandcampでどんどんダウンロードして新しい曲を聴いてますけど、そういう感覚がなくなったのは寂しい。岡野さんが〈配信やサブスクが主流になる中で、製品として形のある音源は「フィジカル音源」と呼ばれるようになった。反射的に「身体」を想像するから、この呼び方はいまだにぴんとこない〉と書かれてますけど、音源ではなく、CDを買う行為こそが「フィジカル」ですよね。シチュエーションまで覚えている。
岡野 記憶してますね。それこそフィジカルだと思います。
津村 タワレコは店員さんのポップでもよくCDを買ってました。立って知らん音楽聴くのが嫌で試聴機は苦手なんですけどね。家で聴きたいと思ってしまう。岡野さんは試聴機使って聴いてました?
岡野 ヘッドフォンのイヤーパッドの合皮がボロボロの時あるじゃないですか、あれだけは嫌でした(笑)。それに僕もそんな長くは聴かないですね。聴く前からポップ読んだだけで買おうって決めてることが多かったです。
津村 タワレコのポップ文化いいですよね。「おすすめの曲 M2&M4」とか書いてあって。ああいうポップを書く店員さんは偉かったですね。
岡野 そう思いますよ。「今年最高のM8必聴!」みたいな。買って騙されたと思う時もあるんですけど、やっぱりお金を払ってるから、しぶとく聴く。そうすると結構良くなってくるんですよ。
津村 そうそう。こっちもお金を払ってるから、できるだけいいところを探すんですよね。そういう緊張感があったのかな。考えてみたら、ただCDを買うだけなんですけど、すごく豊かな体験だった気がします。ヨドバシも、タワレコも二十代から三十五歳ぐらいまでの原風景に近いですね。岡野さんの短歌で、両方をうろうろしていた自分が肯定されてるような気持ちになりました。ちなみに私が最後にタワレコで買ったCDはリヒテルのボックスセットやったと思います。十四枚で一四〇〇円台とかやったんですよ。
岡野 信じられへんぐらい安いCDありましたね、時々。
津村 ああいう物としての安さを感じることも今はもうほとんどないですよね。サブスクで聴く方がボックス買うよりお得なんでしょうけど、安いから買ってみるという体験はなくなってしまった。
岡野 関西の人しか言わないかもしれませんけど、安く手に入れられると「タダみたいな値段やったわ」とか言ってちょっと自慢する。それは「物があるのに、タダみたいな値段」と言うことであって、ネットで売ってるデータに対してそうはならない気がします。

岡野大嗣×津村記久子

記憶を呼び起こすトリガー

津村 フィジカルの話でいうと、岡野さんが軽トラの運転をしていた話も書かれてるんですけど、読んでいて私も軽トラの運転がしてみたくなりました。
岡野 仕事で乗っていたんです。東心斎橋とか人だらけのところを歩くより遅いぐらいのスピードで走ったり、急坂で発進させたりしてましたね。軽トラの運転はゲームみたいで、だんだん体の一部みたいになっていくのが楽しかったですね。
津村 〈荒くれ馬を乗りこなすように一ヶ月を過ごすと慣れてきて〉とあって、これと似た感覚は自転車で感じたことがありますけど、軽トラでもあるんですね。車の身体性というか、重さも伝わってくる。私は普段全然運転しなくて、免許もオートマ限定ですけど、マニュアルいいなと思いました。
岡野 津村さんマニュアル合うと思いますよ。歩くときは自分で踏み出さないと歩けないのと同じで、マニュアルはより体っぽい感じ。もっとわかりやすく例えるなら、有線イヤホンかも(笑)。ワイヤレスイヤホンは、自分の意図と関係なく途切れたりするし、電車で時々音鳴らしちゃってる人もいるじゃないですか。それに比べて、有線は自分で挿さないと聞こえないけど、挿したら必ず聞こえる。そんなところがマニュアルっぽいです。
津村 動かせば動くという感じ? それなら、たしかにマニュアルの方が合いそうと思ってしまいますね。ワイヤレスイヤホンを充電できないという話をしたけど、ズボラでパスワードとかも忘れてしまうから、〈ウェブサイトに入れるまでに二千年 現地へ光でも二万年〉で、「確かに体感として二千年かかるよな」と同意してしまってたんですよ(笑)。
岡野 嬉しい。この短歌、どこか大阪感があるかも。SFっぽく書いているようで、どこか、「おつり二百万円」とか言っちゃう大阪人のモードで書いていたかも。
津村 パスワードを忘れてるとか、正しいパスワードを打ってるはずなのに受け付けてくれないとか、ウェブサイトに入れるまでのあの長い時間。家から電車に乗って、みどりの窓口にチケットを買いに行くこと以上に、夜中に「eイー5489ゴヨヤク」(JR西日本のネット予約システム)に入る方が大変で、ほんまに二千年ぐらいの距離を感じるんですよ。旅行するより、旅行のための予約サイトに入る方が難しいってなんやねんって腹が立つ。
岡野 「なにが良いご予約やねん」って名前自体にもね。
津村 ほんと(笑)。岡野さんが短歌で、サイトに入れないことを、ちゃんと芸術にしてくれたというか、初めて言葉にしてもらえた、肯定してもらえたような気がするな。
 それから〈ふと薄い問題集を解きたくなった〉というところもすごい共感した。
岡野 子どもの頃、薄い問題集をよく解いていて、最近また「めちゃくちゃ書き込みたい」という気持ちになった時に書いた文章です。津村さんは、英単語帳の『DUO 3.0』をやっておられるんですよね?
津村 『DUO 3.0』はやり終わって、今『英単語ターゲット1900』やってます。
岡野 犬の表紙の。単純に単語を勉強したくてやってる感じですか?
津村 そうそう犬の表紙。古本で前の版のものを買ったので、前使っていた人のラインマーカーが残っていて、「なんでこの単語に緑マーク引いてるんやろ」とか考えながら読むのも楽しいんですよね。やり始めたきっかけは、そもそも自分の好きな小説を英語で読み直すということを二年ぐらいやっていて、もうちょっと単語を知っておいた方がいいなと思ったからですね。今のところ『DUO』より『ターゲット』の方が自分に合ってる気がします。
岡野 単語帳は向き不向きというか相性の良し悪しがありますよね。
津村 『DUO』は単語を覚えるためだけに例文が作られてるから、おもしろいけどちょっと不自然な感じ。それに比べて『ターゲット』は、大学入試で出題された文から例文が選ばれてるから、燃費は悪いけど味わい深い気がします。
岡野 英語で小説を読もうと思われたのは、なんでだったんですか?
津村 やってみようと思って。やめたり、やったりですけど、ケヴィン・ウィルソンの小説を二年ぐらいかけて読んでます。読んだり書き写したりしてますね。知らない単語が出てくるんで、私たちが受験で勉強した単語が通用するのかどうかも気になって、単語帳もやり直してみようと。
岡野 さすがに受験英語の単語じゃ歯が立たないんじゃないですか? 意外とそうでもないですか?
津村 『ターゲット』は結構レベル高いですよ。マリエッタ(Marietta)というバンドの曲の歌詞を書き写していて、調べながら訳してたんですけど、「obediently(おとなしく)」が『ターゲット』で「obedient(従順な)」って派生の形容詞で出てきた。それで『ターゲット』を見直しました(笑)。
 でも、ふと薄い問題集を解きたくなるのはなんででしょうね。姫野カオルコさんの小説かエッセイで、世の中の複雑さに疲れたかなんかの時に、数学の問題集を解く女性のことが言及されるんですよ。すごいわかると思って印象に残ってます。疲れたりすると、問いと答えがきっちりしたものを求め始めるんですかね。
岡野 薄い問題集をやりたいというのは、答えは間違っててもよくて、ただなんか解きたいんです。
津村 〈選択問題が中心だったので棚に戻す〉というくらいだから、一冊全部答えを書き込みたい。ゲームをクリアする感覚に近いですかね。
岡野 そうですね。最近の問題集は僕らの頃より解説が手厚いものが多い気がするんですけど、薄い問題集って淡白じゃないですか。その感じがいいんですよ。
 もちろん、ただ勉強したいという気持ちもあります。昔の人の短歌には読めない漢字もいっぱい出てくるし、もうちょっと物を知りたいなとかはありますね。
津村 私はよくドリル感覚で、「三〇分で一〇個ネタを考えろ」とか自分に課すんですよ。たとえば、今、博物館の小説を書こうとしているんですけど、「これから三〇分間、博物館の短編を書くとしたらどういう話が考えられるかだけ考えなさい」と。結局小説のネタに正解はないから、やっても気持ちよくはないんやけども。薄い問題集は正解があるから、やりたい気持ちはすごくわかりますね。関係ないけど、『ターゲット』の犬の表紙みたいに、昔自分がやってた問題集の表紙もすごく覚えてませんか? 気球とか、スイスっぽい風景とか。
岡野 確かに。気球とか丘とかですよね。希望が感じられるようなもの。
津村 私は特に、勉強がわからなくなった頃の表紙をよく覚えてるんですよ(笑)。その表紙を思い出すと万能感が薄れていく。つるかめ算や流水算が全然わからなかったことを思い出すと「自分は大したことない人間だ」と自戒できる。塾で配られるような無機質な表紙より、気球の写真の方が、なぜか思い出した時に攻撃力があるんですよ。
岡野 脳裏に焼きついてますもんね。多分、なんにでも使えるような意味のない写真やのに。
津村 できなかったことの象徴になってるみたい。
岡野 僕は作中にも書いたように、生物の問題集がやりたかったんです。図もいっぱい載ってるし。
津村 生物の図って、めっちゃ上手いですよね。
岡野 たしかに。どういう人が描いてるんやろう。
津村 描く人、全然称えられないですよね。細胞膜とか核とか、あんなに印象的な絵なのに前に出てこない。
岡野 あの絵を描く人、それこそ津村さんの小説に出てきそうです。
津村 今の教科書や問題集では写真になってるんかな。昔は写真のコストが高くてイラストだったから、図鑑も絵でしたね。講談社の全十巻の動物図鑑が好きで、今でも何冊か実家にありますよ。
 あとは勉強系だと、〈資料集のぐちゃぐちゃになった涅槃図に西日がぐちゃぐちゃにあたってる〉も好きで、風景が思い浮かんだ。これは世界史の資料集でいいですか? 世界地理? 午後の五、六時間目とかの世界史の授業を思い出しました。
岡野 まさにそういう景色かも。資料集のべろべろって開けるページあるじゃないですか。あの部分ってカバンの中でぐちゃぐちゃになったりするんですよね。
津村 わかるなあ。午後の世界史の授業はなんか幸せでした。資料集もめっちゃ読みましたし、大人になってからも山川の世界史年表買いました。国語便覧も読みますね。
岡野 僕も両方とも持ってます(笑)。安いし情報量多いし、正確やし面白い。教科書だったか資料集だったか忘れてしまったんですけど、今、僕の短歌も載ってるんですよ。不思議で、嬉しいですね。
津村 それはすごい! 便覧とか資料集は、授業でやってくれないことも書いてあるじゃないですか。資料集でジャイナ教の人の生活を知ったりするわけですよね。それが楽しかったな。岡野さんの作品って、記憶のトリガーだらけですよ。記憶の価値を再評価できることがいっぱい書いてあって、自分の見てきたものも捨てたものでもないというか、覚えている価値があったんだと思わせてくれるんですよね。
岡野 僕も津村さんの作品に対して同じことを思ってます。「そういうことってあったよな」と自分の思い出を取り出すような感じ。
津村 常にその記憶を頭に置いてるわけじゃないのに、なんで思い出すんですかね。誰かが資料集の話をしたらふと記憶がよみがえってきて「そうそう」となる。よく考えると不思議ですね。
岡野 本当、さりげないことで思い出したりしますよね。僕は短歌には自分が十年後も覚えてそうなことは書いてなくて、三分後に忘れそうなことを書きたくなる。僕の作品の場合は、結果的にそれがトリガーになってるのかもしれないです。
津村 ほんとに普通の言い方をすると「見過ごされるもの」「評価されないもの」なんですけど、いいとも悪いとも評価されない瞬間みたいなのが生きてたらいっぱいあって、それが人生のものすごく小さい部品なんじゃないかっていうのは思いますね。
岡野 津村さんの作品には救いがあるんですけど、でも「これからあなたがたを救いまっせ」みたいなんじゃなくて、元気な時は気づかないようなもの。しんどい時って、ちょっとしたことで支えられたりするけど、津村さんの作品にはそういうものがいっぱいちりばめられてると思います。元気な時に聴ける音楽はいっぱいあるけど、しんどい時でも聴ける音楽ってあんまないんですよ。そういう音楽に近いというか。
津村 しんどい時に聴ける音楽は大事ですよね。嬉しいです。私、六角精児さんの『六角精児の吞み鉄本線・日本旅』(NHK BS)という番組が好きなんですけど、今年の二月から社会的にも嫌な時期が続いてて、私生活でも嫌なことがあって、ドラマとか見ても話が頭に入ってこなくなった。その時に、しがみつくようにこの番組で六角さんの旅の様子を見てた。これだけテレビとかYouTubeとかいろんな動画コンテンツがあるのに、しんどい時に見れるのは六角さんだけっていう。他の人の名前を出すのは気が引けますけど、私にとって岡野さんはこの時の六角さん的なものですよ。六角さんの『吞み鉄』を見る時の気分になれる。
岡野 うわー、すごく嬉しいです。

世界の「奥行き」を感じるために

津村 「月と駐車場の光が写真に写ったのを見たら、駐車場の光の方が月の正当な大きさである気がする」と思うこと自体は、別に素晴らしいことではないんですけど、だからと言って、覚えていない方が良いわけではないですよね、絶対に。見たものの意味と言うと重くなるんですけど、人間が幸福になるために積み重ねていく小さい部品のように思えるんです。〈涅槃図に西日〉もそうだし、〈海沿いのライブハウスにいたことがようやく気持ちにくる帰り道〉とかもね。これはZepp Osakaからの帰り道ですよね?
岡野 さすがですね。Zepp Osakaももうなくなりましたが、あそこは帰りに「海におったんやなあ」って気づくんですよ。ライブ前はライブのことで頭いっぱいで、海を意識してない。
津村 大阪湾沿いの夜の雰囲気が伝わってきます。あの辺り、ライブに行った人がみんな歩いてるから、怖いところではないですけど夜はめっちゃ暗いですよね。帰りの中央線沿線はたぶん港湾関係の会社が多くて、いろんな国とやり取りしてるから、遅い時間までビルの窓には電気がついていて、その明かりを見るのがめちゃくちゃ好きでした。
岡野 ぼんやりライブの余韻もあるから、いつもとは違う見え方でね。
津村 祝福の気持ちがあったんでしょうね、働いてる人に対しても、自分に対しても。働いてる人たちからしたら、早く帰れって感じでしょうけど。ありふれた言い方ですが、ライブに行くと世界の解像度が上がる、よく見えるようになって、それを全部見ておこうという気分になるんですよね。今もやっぱりライブ終わりにビルの写真とか撮ったりしますよ。一五階建てのビルの七階にだけ電気がついていたら、ビルの案内図を見て「なんでついてるんやろう」と調べてみたりします。ライブ帰りは時間が遅いから、特にそれぞれの営みが浮かび上がって見えますね。
岡野 ライブの帰りってちょっと浮かれてるし、確かにどの場所でもそうかも。
津村 やっぱり世界は奥行きがあって広いんですよね。それは世界の果てまで行くとかじゃなくて、電車賃二百円以内の場所であっても、自分をいろんな気持ちにさせてくれる。それって、すごい希望のあることですよね。これはライブハウスじゃなくて映画館の話ですが、〈スクリーン6へ短い階段を行きながら盛り下がりつつある〉も、シネコンの通路で映画への気持ちが盛り下がる感じ、めっちゃわかるんですよ。
岡野 「もうええわ」ってなるんですよね。
津村 シネコンの通路はなんであんなに3Dダンジョンみたいなんですかね。チケットをもぎってもらってからスクリーンまでがなんであんなに遠いんだろう。私の観る映画だけなのか、いつも一番奥のスクリーンに通されるんですよね。
岡野 ポップコーンとジュースを買うと、映画館の椅子に置けるトレイに入れて渡されるじゃないですか。あれサイズの割にすごく軽いから持ち運ぶのが怖いんですよ。その緊張感もあるし、スクリーンまでの道のりで疲れてきて「もうなんかええわ」になる。
津村 他の映画のポスターが通路に貼ってあるのを見ながら、何しに来たのかよくわからんくなるんですよ。岡野さんはこういう瞬間に忘れないようにメモを取ってますか?
岡野 スマホに取ってますね。メモがあると安心というか、そもそも思いつくものは三分ぐらいしたら忘れそうなことだから書いておかないと。人と一緒にいてもちょっとごめんって言って、メモします。
津村 私もスマホにメモを取るんですけど、今ちらっと見たらお買い物メモばっかりや……。でも、おもしろいので言うと、イラストレーターの北澤平祐さんが坪田譲治文学賞を受賞された『ユニコーンレターストーリー』の中で、早生まれがちょっとだけテーマになっていて、お会いしたときにその話をしたら、「バンドは全部早生まれに見える」という話に展開して盛り上がりました。フー・ファイターズは逆に四月生まれっぽいぞとか。この話がおもしろくて、もっと考えようと思ってメモしてますね。
岡野 おもしろい。たしかに言われると、フー・ファイターズは四月生まれっぽい気がする。デイヴ・グロールのせいなんですかね。
津村 デイヴだと思いますよ。ニルヴァーナでドラムやって、曲がすごく書けて、かつ今ちゃんと生きてて今も一線にいるっていう。北澤さんはデイヴが二十年ぐらい不倫してたのを残念がってたけど(※ネット記事では十五年とあったそうです)、二十年も同じ人と不倫するのもすごいと思うし、あの世代の人って結構亡くなったりしてるじゃないですか。サウンドガーデンのクリス・コーネルとか、リンキン・パークのチェスター・ベニントンとか。自分らが世代ど真ん中で聴いてたような人たちが結構亡くなってるんですよ。そうなると、生き残ってちゃんと売れてるデイヴ・グロールって、やっぱすごいなってことになるんかな。
岡野 生きてるだけで価値がありますね。リンキン・パークも、こんだけ売れてて死ぬのかって結構ショックでしたね。
津村 売れることは人を幸せにはしないのかなと思ったりしましたね。
岡野 短歌を始めたての頃に〈また一人僕のCDコレクション内から自殺者が出た模様〉という歌を作りました。この時は、エイミー・ワインハウスが亡くなって悲しくて。
津村 北澤さんは、パール・ジャムはちゃんと生きてるし、ずっとちゃんとしてるって言ってはりました。
岡野 パール・ジャムもかっこいいですよね。
津村 デイヴ・グロールが四月生まれっぽいの他に、スマッシング・パンプキンズは三月っぽいともメモしてますね。
岡野 スマッシング・パンプキンズが三月っぽいのは、ジェームス・イハがいるからでしょうね。
津村 うんうん。この話、考え甲斐があるんですよ。
岡野 考え甲斐ありますね。バンドの中には、四月生まれのくせに「三月生まれのフリ」してるやつもいそう。
津村 コールドプレイとかかなあ。
岡野 絶対四月ですよね、賢いもん。ほぼ偏見ですけど(笑)。
津村 賢いですよね。全部偏見です。コールドプレイはおそらく四月か六月なんですけど、感性としては三月生まれを演出できていて、三月生まれっぽさで売れたみたいなね。
岡野 考えるの楽しいですね。ファウンテインズ・オブ・ウェインは本当は三月やけど、四月っぽくやらないとって四月然としてる気がするな。四月に憧れてるというか。
津村 ファウンテインズ・オブ・ウェインは、折り目正しい感じに惹かれているというか、隙を見せないように過剰に頑張ってる感じがありますよね。
岡野 初期の頃は音も軽くて、ペイヴメントみたいに力が抜けていて、でもそこからポップ職人になっていった。音楽にちゃんと自分たちも合わせていった感じがして好きですね。

見たものの価値は自分で決めていい

津村 他にもいっぱい好きな短歌があって〈決済が完了しました。」 いま声を出せば天使のようなファルセット〉もめっちゃわかるやんって。これはコンビニですか?
岡野 そうですね。コンビニとかで聞く「決済が完了しました」の声。
津村 あれ、ローソンだけ異常にエモく喋りません?
岡野 声も「ローソンブルー」って感じしますよね。支払ったカタルシスを演出してくれてるんだと思うんですけど、過剰ですよね。
津村 百円ぐらいのものを買って、妙にきれいな声で喋られると「そこまでしなくても」という何とも言えない気持ちになります。レジの音声なんか別になんでもよくて、実際電車の券売機の声に感想はないじゃないですか。普通のノーマルな女性の声で、不快でもないし心地よいとも思わない。それに対してコンビニはなんか変ですよ。イントネーションにやり過ぎ感がある。
 少し話は違いますけど、YouTubeを見てると、あらゆるジャンルの動画に「ずんだもん」とか「四国めたん」の声が使われてて、あれもすごいなと思います。リアルの、ある駅前でも聞いたことがあって、なんか読み上げてて、あの声が「国民的な声」みたいになってる。八〜九割ぐらい違和感のないイントネーションで話すんですけど、一~二割もやもやして、でもそのもやもやも使い勝手の良さに駆逐されていくんかなと思います。YouTubeをずっと見てる人だったら、一日AIの音声しか聞いてないとかもありそうですよね。外国の人はあの声のこと、どう思ってんのかな。それとも、それぞれの国に優勢な音声があるのか。「いらすとや」の絵が街に溢れてるのに気づいた外国の人はどんな気持ちになるんだろう、とかもよく考えてます。
岡野 不思議でしょうね。
津村 「いらすとや」の絵って、ほぼ日本のインフラになってますよね。
岡野 国芳の浮世絵ぐらいの流行の仕方。
津村 「いらすとや」さん自体は「TACOるトランプ」までイラストにしてしまうすごいイラストレーターではあるとはいえ、そういう記号化した何かを、まったく知らん状態の人が見たらどう思うんやろうとか、コンビニの決済音声から派生して考えました。みんな当たり前のこととして流してるけど、知らん人が見たり聞いたりしたら不思議やなってこと結構あると思うんですよね。私は駐車場の「空」「満」を、何を表しているかわからんふりをして、何が「そら」なのか、何が「満ちる」なのか、駐車場の前を通るたびに考えるんですね。これも誰にもしたことない話ですけど、岡野さんの短歌を読むと、「そういう風に思ってていいんや」と肯定された感じがするんですよ。
岡野 ありがとうございます、嬉しいです。僕、初めて短歌に出会った時に、「短歌ってこんなしょうもないことでも光らせていいんや」って感動したんですよ。「しょうもない」だと言葉が悪いですけど、それが津村さんが言ってくれた「人生の小さい部品」かもしれないです。津村さんの小説にもそういう「しょうもない」「小さい部品」がたくさんちりばめられてるじゃないですか。それが僕が津村さんの作品を好きな理由だと思います。
津村 「決済が完了しました」という音声を聞いて、何かを思って短歌にする。その時、岡野さんはその音声を聞きなさいとは言わなくて、何を見ても聞いてもいいし、その時に何を感じてもいい。見たものの価値を、自分で決めていいと言ってくれてる感じがするんです。
岡野 小説もそうかもしれないですけど、短歌はあんまり「これはいいでしょ」みたいにプレゼン的に書くのはよくない。「こんな石拾ってきた」みたいなんでいいと思っていて、とにかく読者に差し出すということを心がけてます。
津村 他人がそれをどう思うか、他人にとってエモいかエモくないかではなくて、自分が見て何を思うかが大切なんですよね。これは、生きていることに対する肯定とか希望のある感覚だなという風に思います。人生というと大げさだけど、岡野さんの作品には、生きることを豊かにしてくれるヒントが溢れている気がしますね。
岡野 僕も津村さんの小説のすごく好きなところをもう一つ話してもいいですか。久々に会う友達がいるとして、僕は、その人と会ってなかった時間にその人がどうやって生きていたのかということよりも、僕と会うちょっと前、二〇~三〇分前に何をしてたのかの方が気になるんですね。
津村 結婚したとかいう大きな出来事よりも、さっきコーヒー屋で何を飲んだかとかが気になるってことですか?
岡野 まさにそうですね。その友達は僕に会う前にも、普通に生活をしてるじゃないですか。会ってなかった時期のその人のことより、僕と会った後、どんなことを考えながら帰るんやろうとか。津村さんの小説はそういうところに軸足があると思います。登場人物が過去にどういう生き方をしたかではなく、今を書くことで、その人の背景が見えてくるような書き方をされる。それがすごい好きです。
津村 ありがとうございます。今回の歌集の中で、〈折りたたみ椅子をひらいて閉じるまでの長い一日 早い一生〉が、私は一番好きでした。私たちは連続した二十四時間を生きているのではなく、この場所に来た時間とか、電車に乗っている時間とか、家に帰ってからの時間とか、それこそ「今」に全部分割されているような気がしていて。その小さい「今」の断片の積み重ねが、生きていることなんじゃないかと思いました。
岡野 津村さんがこの短歌を選んでくださった理由がわかる気がします。津村さんの物語の登場人物たちは、何を食べるかで迷ったり、聴きたい音楽について考えたり、まさに「今」を重ねているから読んでいて楽しい。実は僕、津村さんの作品に出てきた楽曲でプレイリストも作ってるんです。なので、次作も楽しみに待ってます。
津村 そんなことしてはるんですか! それは嬉しいです。ありがとうございます。

(2026.3.5 大阪にて)

「すばる」2026年6月号転載