vol.3 bike
「モロヘイヤとイチジクのクレパトピザMサイズをひとつ。それとアップルサイダーもね、ひとつ」
「はい、おひとつずつで」
「たまに食べたくなるんやわ。普段は全然、うちは和食党なんやけどね。お芋さんの煮っころがしとか」
「ええ」
「ほんで、『クレパトピザ』ってなんなん?」
「クレオパトラが愛した食材でトッピングした、夏から秋限定のピザです」
「それならそうメニューに書いといてくれな困るやないの」
「申し訳ございません」
「ピザなんか絶対途中で飽きてしまうわぁと思ってても、なんでか食べたくなるんやわ。ピザハッピーさん、なんか変な薬でも入れてはるん? なんて」
「ご注文を復唱してもよろしいでしょうか」
「はいお願い」
「クレパトピザMサイズ六つ切りを一枚、アップルサイダーおひとつ、T町二番地十号の内野さまでお間違いないでしょうか」
「ザッツライト」
「合計二千百円でございます。三十分以内でお届けいたします。本日のご注文、わたくし本間が承りました」
受話器を置いて横のプリンターから伝票を取り、本間は保温バッグ(小)に氷とサイダーの缶を入れた。先ほどパソコンに入力した注文内容はすでに厨房へ伝わっていて、あと六分半から七分ほどでピザが焼き上がってくるはずだ。手の空いた時間も無駄にせず、補充分のピザ箱をテキパキと二十ほど折ってカウンターの端に積み上げた。ウエストポーチとヘルメットをつけ、保温バッグ(中)をカウンターに広げる。ほどなくして、ソースとチーズの上にモロヘイヤとイチジクが彩りよく載せられたピザが、湯気を立ちのぼらせ運ばれてくる。本間は香ばしく焼けたチーズのかおりにうっとりと頬をゆるめた後、ピザを箱に入れて手早く保温バッグへと滑りこませた。
「行ってきます!」
出入り口のフックからバイクの鍵をひとつ取って本間が声を張り上げると、店のあちらこちらから「うぃっすよろしく!!」と、送り出しの声が上がった。
*1カット
〝午後二時です。みなさん疲れが出ていませんか? 仕事や家事の合間にからだを伸ばしてストレッチをしましょう。T町役場の、ちょっとひと息放送でした〟
町内のあちらこちらにつけられたスピーカーから一時間ごとに流れてくる「ひと息放送」のあいだだけ、町の人々はみな作業の手を止めてゆっくりと深呼吸をする。
放送が終わると本間はすぐさま配達バイクにまたがり、店の駐車場を出発した。
また整備不良だ。
本間は濃く太い眉をしかめた。ハンドルの動きも重い上に、エンジンのかかりも悪い。その上カバーの一部も割れている。本間に回ってきた二号機のバイクは、とても爽快な走りとは言えなかった。店長に報告し、昨夜の整備点検を担当したスタッフに注意をしてもらわなければならない。
重心をかたむけて郵便局の角を素早く右折した。ショートカットをするため、商店街の裏手にある細い通りを抜けていく。雑居ビルと住宅が入り交じる中、回転寿司屋やラーメン屋など、飲食店が軒を連ねているのを横目で見る。どの店にもそこそこ客が入っているようだった。
商店街どんつきの一本南側の角に、配達先の一軒家はすぐに見つかった。注文を受けて二十一分。保温バッグを取り出した本間は、ずれたヘルメットを直しインターホンを鳴らした。
「お待たせしました、ピザハッピーT町店です」
古びた琥珀色のドアが一瞬開き、すぐに閉じた。ガチャガチャとチェーンを外す音が聞こえてくる。本間は保温バッグのストラップに手をかけたまま、じっと背筋を伸ばして待っていた。ドアが再び開くと、本間は一礼し、「クレパトピザ焼きたてをお持ちしました!」と、元気よく声を上げた。
部屋の中から、ムアッと生ゴミのにおいがあふれ出てくる。もう十月だというのにTシャツと短パン一枚で玄関へ出てきた中年女は、伸ばし放題の天然パーマをかき上げてピザ箱と缶ジュースを受け取った。
「でかっ!」
女はからだをそらせ、大袈裟に目をむいてみせた。「Mサイズでこんなに大きいのん? こんなん絶対に食べ切れひんやん。ピザハッピーさんも、Sサイズとかハーフサイズとか作ってもらわな困るわ。いっつもワイワイパーティーすんのに注文してると思ったら大間違いやで。うちみたいに独り暮らしで食べる人間もおんねんで」
「申し訳ございません」
本間は深々と頭を下げる。落とした目線の先には、中年女の乾燥して割れた親指の爪が見え、かかとから部屋の奥へとうっそうとしたゴミの山が続いていた。
台所らしき部屋には食器棚の上も床の上も、脱ぎ散らかした衣服やビニール袋、スナック菓子の袋などが無造作に積み上げられていた。
中年女は支払いを済ませると、さっそくピザ箱のフタを開けて中をのぞいた。ピザを一切れ手に取って、黄色い歯をむきだしにしてむしゃぶりつく。ピザから女の唇へ、チーズとモロヘイヤが糸を引いて吊り橋を作った。
「ドロドロやけど、めっさ美味しいわ」
女はサイダーを飲んで「ゲコッ」とゲップをし、もうひと口かぶりついた。釣り銭をウエストポーチにしまい、会釈をしてドアを閉めようとした本間に気づき、腕をつかんだ。「ちょっと待って。食べ切れひんから、この残りのピザ、Mビルで働いてる息子んとこに持っていってくれへん?」
本間はわずかに首をかしげると、頭の中に素早くMビルまでの経路を描いた。
「店までの帰り道です。かまいませんよ」
本間の迅速な答えに女は、モロヘイヤの葉がたっぷりとついた前歯を見せて満足そうにうなずいた。
「お兄ちゃん、たっぱもあるし、キリッとしてハンサムさんやね。まだ学生さんか?」
「ええ」
「偉いなあ。うちの息子があんたんくらいの時は、だらしなく口開けてアホみたいにグレまくっとったわ。でも、都会に住んで帰ってきてから、最近は真面目に働いとんねんで。店長さんやねん」
「そうですか」
「頼んだで。Mビル四○五号室の内野にな」
「承ります。ありがとうございました。またのご利用、よろしくお願いいたします」
ドアが閉まった途端、すがすがしい秋の風が全身に吹き付けてきた。女の部屋の異臭にさらされ縮んでいた鼻腔が喜び震えて、本間はその場で二、三度深呼吸をしてからバイクへと戻った。
**2カット
一年前、本間が宅配ピザのアルバイトを始めた時、前を走って抜け道をレクチャーしてくれたK先輩は、「ただですむと思うなや」と凄んではやたらと本間をおどした。
「この世界に怪我はつきものやから。骨折、捻挫、軽傷重傷。入院しなかったやつはおらへんから」
そう言ったK先輩は、その数日後に配達中の事故で複雑骨折して入院した。同期のAは腕の骨が曲がってしまったし、新人アルバイトのSはトラックと接触事故を起こしたきり姿を見ていない。
本間はいまだ無傷だった。誰よりも早く商品を届け、交通違反も一度だってしていない。新人アルバイトが入るとまっさきに指導を任される昼勤務のリーダーだ。客の女の申し出を受け入れたのも、「少しくらいの寄り道ならいいか」と軽んじたわけではなく、予定よりも数分の余裕があったからに過ぎなかった。
本間はグリップを回し、少しだけスピードを上げた。
本通りを進んで図書館を左に入った雑居ビルの中に、鉄筋建てのMビルが見えてくる。狭い駐車場にまっすぐバイクを乗り入れた。
エレベーターはなく、保温バッグを抱えて四階まで駆け上がる。四○五号室のインターホンを鳴らす前にドアがサッと開いた。
「おつかれさまでございまあす! どなたさまでございましょう」
出てきたのは、全身に黒いスーツをまとった細身の男だった。顔いっぱいに笑みをたたえながらも、本間の頭からつまさきまでを素早くチェックしている。
「ピザハッピーT町店の本間と申します。内野様でよろしいでしょうか。二番地の内野様からのお使いでお届けに来ました。召し上がりきれないということで」
内野はグワッと口の端を上げ、さらに目尻に皺を寄せて箱を受け取った。
「母からの! それは、それは。しかし困ったなあ。もう食べてしまったんですよ、昼食は」
そう言って内野は、箱からピザを一切れだけ取りだした。廊下の奥、そして両側の部屋から、複数の人間の気配を本間は感じ取った。玄関には、五、六足のハイヒールと二足の革靴が並んでいる。男女がひそひそと言葉を交わし、時おり忍び笑いが廊下に漏れ出ている。
本間の視線をさえぎるように、内野はドアを少しだけ閉じた。
「ピザってにおいが部屋にこもるでしょう。美味しいんですけどねえ」
内野はピザを口へと押しこみ、細長い親指をペロリと舐めた。スーツを着て髪をなでつけ貫禄を出してはいるものの、まだ三十にもなっていないだろうと本間は思った。内野の糸のように細い目の奥はいっこうに光を発さず、冷たく淀んでいる。
「あつかましいお願いなんですが、このピザ、ここに持っていっていただいてもいいですかね? 加藤さんとおっしゃってうちの常連さんなんですけど、昨夜忘れものをされて」
内野はメモ紙に手早く住所を書き、一度部屋の奥へ戻った。ユラユラとなにかが浮かんでいるガラス瓶を持って戻ってくると、メモ紙と一緒に本間へ差し出した。
「これは」
「今ごろね、困ってると思うんですよ。今日は昼から記念のホームパーティーかなんかがあるっておっしゃっていたんで、入れ歯とピザが一緒に届いたらさぞ喜ぶでしょうね」
内野は入れ歯の入ったガラス瓶を左右に揺らしてニタッと笑い、本間の胸に箱と一緒に押しつけた。
「それでしたら承ります。なるべくあたたかいうちに」
本間は受け取ったピザ箱が冷めないよう手早く保温バッグに入れ直した。
ドアが閉められる直前、奥の部屋から人の出てくる気配がし、内野が「おつかれさまでございまあす!」と甲高い声で叫んでいるのが聞こえた。
***3カット
バイクのスピードをさらに上げる。本間は駅前のロータリーにバイクを停め、公衆電話から店へと一本電話を入れた。本間がこれまでの事情を説明すると店長は、
「うぃーっすよろしくっす!!」
と軽快な声を上げて一方的に電話を切った。本間はバイクの整備不良の件を伝え忘れたことに気づいて「しまった」とつぶやいたが、すぐにバイクに戻って回りにくいグリップを握った。
今、本間のバイクのボックスには、保温バッグに入った冷めかけのクレパトピザ四切れと、加藤という人の入れ歯が入っている。加藤という人が入れ歯をしっかりとはめこみ、少しかたくなったピザを食いちぎる姿を想像してみる。冷めかけでも濃厚で風味豊かなピザハッピーの商品に、その人にもまたおおいに満足してもらえるだろう。このピザを一刻も早く届けなければという使命感に、本間は自分のからだが熱くなるのを感じた。
メモ帳に書かれた東T町四番地までの最短ルートを割り出し、バイクはエンジン音をうならせて一方通行の住宅街を右へ左へと滑り抜けていった。東T町四番地に着いた時、配達先の「加藤」と表札のついた家の門から四人の初老の男たちが「ハッハッ」と機嫌よく笑いながら出てくるところだった。全員が着物を着て腰に太刀をさし、頭には立派なちょんまげまで結っている。侍姿の四人は話に夢中で、バイクを降りた本間には目をくれようともしなかった。
「加藤殿はたくましい輩じゃ」
「御意。二十年もあの集まりをば引っ張ってこられたゆえ」
すれ違いざまようやく気づいて、四人は本間に向かって親しげに笑顔を向けた。その時、角の電柱に備えられていたスピーカーから、「ひと息放送」の軽快なテーマソングが流れ始めた。
〝♪ちょっとひと息リラァックス お姉ちゃんも子猫も赤ちゃんもじいちゃんも ちょっとひと息リラァックス♪〟
侍姿の四人は本間に笑いかけたままピタリと動きを止め、本間もボックスに手を掛けた格好で放送へと意識をむけた。一本向こうの通りを歩いていた下校中の小学生たちも、二軒隣の家から出てきた主婦も、その場でじっとして空中を見つめている。
〝午後三時です。下校中の子供たちはまっすぐ家に帰りましょう。美味しいおやつが君たちの帰りを今か今かと待っているよ。お勤め中の皆さん、終業時刻まであとひと息。喫煙所で一服するか、あたたかいコーヒーを飲んでリフレッシュしてください。T町役場の、ちょっとひと息放送でした〟
放送が終わると、侍たちはまたなにか言葉を交わしながら、ゆっくりとした足取りで角の向こうへ消えていった。小学生たちはバッタをくわえた野良犬を見つけ、歓声を上げて追いかけていく。主婦は郵便受けをのぞくと、さっさと家の中に引っこみ、誰もいなくなった通りに、サラサラとした秋風が吹き抜けていった。
本間はボックスから丁重にガラス瓶と保温バッグを取り出すと、小さな建て売り住宅のインターホンを鳴らした。ドアはすぐに開き、白髪で燕尾服を着た男が出てきて丁寧に会釈をする。
「ピザハッピーT町店です。加藤様のお宅でしょうか」
燕尾服の男は首を右にかたむけ、口もとをほころばせて何度もうなずいた。
「ええ、ええ。加藤さんは二階におりますよ。どうぞお入りください」
「いえ、配達にうかがっただけですので」
「どうぞ、中へ」
うやうやしく家の中へとうながされ、本間はしかたなくスニーカーをぬいだ。
「今日は二十周年のパーティーでしてね。ちょうど今、加藤さんがスピーチを終えられようとしているところです」
燕尾服はそう説明し、急で狭い階段の上へと導いた。その時、二階の奥から割れんばかりの拍手が滝のようにあふれでてきた。
〝あひがほう! ひきぐぐひパーヒーをおはほひひふは……〟
興奮してひっくり返った叫び声が飛び出してくる。階段を上った燕尾服が、「いやいや、これは!」とのけぞって手を叩いた。「加藤さん、どうやら素晴らしいスピーチだったようだ」
「なんのスピーチですか?」
「ですから、二十周年のスピーチですよ。おかげ様で盛況でしてね」
目を細めて振り向いた燕尾服が二階の戸をサッと開けると、六畳一間にすし詰め状態に人があふれていた。三十人はいるだろうか。伯爵服で着飾った者や、頭をそって錫杖を持った者、学ランに身を包んだ者。装いはバラバラだったが、六畳一間の一団は異様な一体感に包まれていた。
「加藤さん、あなたにご来客ですよ」
燕尾服が声を張り上げるとようやく拍手がやみ、人の波が割れた奥から分厚い眼鏡をかけた男が進んできた。男は本間に軽く会釈をし、モゴモゴと口を動かしている。本間はピザ箱とガラス瓶を差し出した。
「加藤様にお届け物です。こちらのピザと、そしてこちら」
「ほれは、なんほひうほほ」
加藤は目を丸くして、渡されたガラス瓶を高々とかかげた。六畳一間の一団に「おお~っ」とどよめきが広がる。みなが固唾を飲んで見守る中、加藤は瓶に指を突っこんで入れ歯を取り出し、口の中にムニムニ押しこんだ。
「これはまさに俺の入れ歯だ。あんた、どうしてこれを?」
「お預かりしてきました。Mビルのうちにゅ……」
突然加藤に鼻から口をてのひらでつかまれ、本間は口を閉ざした。二、三歩後ずさった本間の耳元に「Mビルのことは言うな」と小声でささやくと、加藤は一転、満面の笑みをたたえて本間の肩をしっかりと抱いた。
「いやいや君、ごくろうさまだったね!」
「このピザを加藤様にと。残念なことに……ずいぶんとかたくなってしまったのですが」
加藤の手汗がついた口元をぬぐい、本間は申し訳なさそうにピザ箱を差し出した。加藤が中をたしかめているあいだ、六畳間の人々はひそひそと言葉を交わしている。
「ピザだって?」
「ジャンクフードやん?」
「バカだな。ピザなんて俗世間なものを加藤さんが食べるわけがなかろうに」
「でもスピーチでおっしゃっていたように、『二十周年を機に、俗的なものを取り入れる準備を少しずつ』と」
「俺には無理やわ」
「わたしも無理」
「でも加藤さんなら、ひょっとしたらひょっとするかも」
箱の中に手を差しこんだ加藤が、ピザを一切れ取り出すと、ヒッと息を飲む声が方々から上がった。入れたばかりの歯の位置を安定させようと唇を何度かすぼませてから、加藤は口を大きく開けてピザを放りこんだ。
「食べるんだ!」
「やっぱし加藤さんは食べるんやわ」
「いや、二十周年だからこそだろう」
「いやはやこれは」
誰ともなしにパラパラと音が上がり、やがて加藤と本間は割れんばかりの拍手に包まれた。しかし加藤がピザを食べるあいだ、彼が口を少し開けてクチャクチャと汚い音を立てるものだから、本間の高揚していた気持ちはすっかり沈んでしまっていた。
「では、失礼します」
部屋から出ようとした本間を、加藤が引き留めた。燕尾服が差し出したコップの水で口の中のものを飲みこむと、
「こんなに美味いピザは何年ぶりに食ったろうか」と唾を飛ばした。「まだ箱に半分も残っている。これをぜひ先生のもとに届けてほしい」
加藤はピザ箱を本間に差し出して、「パーティーを頓挫するわけにはいかないからな。でも、このピザは絶対に先生に召し上がってもらわなければ」
「ほら、消防署の左隣の、池原先生のところですよ」
燕尾服がそっと本間に耳打ちする。消防署ならT町の中心部にある。その左隣。本間はまた頭の中に地図を描いた。
「ここから四分、いや、四分三十秒ですね」
「そうだよ。池原先生だよ」
「でもわたしは、そろそろ店に戻らないといけないんです」
「なら捨てるまでだ」
加藤が両手を挙げると、よりいっそう拍手が大きくなった。本間はしかたなくピザ箱を受け取った。燕尾服に手をひかれ、本間は盛大な拍手を背に、階段を慎重に降りていった。燕尾服は玄関で深々とお辞儀をして、本間に篤く感謝の言葉をのべた。(後編に続く)