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ドライバー 中島さなえ

 

vol.4 old car

 振動と共に、少しずつシャッターが上がっていく。強い日差しが中へと差しこみ、彼は十年ぶりに当てられた光を直視できずに目を細めた。少しずつ目を慣らし、まばたきをする。変わらない、懐かしい景色が目の前に広がっている。彼はゆっくりとあたりを見回した。

 私が高田家にやってきましたのは、もうかれこれ三十年ほど前になるでしょうか。家長の晴利様は当時まだ二十代後半。建築の仕事に就かれて四年ほどの新米でいらっしゃいましたが、幾度目かの賞与をもらわれたということで、私がいた店におひとりで来られたのです。少し耳にかかった髪に、尖ったあご。凛々しい眉の下の大きな目にはいつも笑い皺が刻まれていて、鼻筋の通った高くて立派な鼻をお持ちです。
 晴利様はいつも全身力にあふれ、大変快活で人好きのするかたですから、ご旧友でも初対面のかたでも変わりなく親しげに接されます。あの日も販売員と時おり手を打って笑いながら話をしたあげく、ずいぶん長いあいだ店の中を回って商品を選ばれていたように思います。青のAC、小柄なダットサンと悩まれて、最後に私のところへやってこられました。私の磨き上げられた漆黒のボディや座席をさんざん眺めた後、
「最初からこのマークに目をつけていたんだ」
 と言われましたが、おそらくそれは嘘をつかれたのでしょう。私は晴利様が入店された時から片時も目を離すことなく一挙手一投足を観察しておりましたが、そのあいだ一度だって目が合ったことはございませんでしたから。思いこんだらまっしぐらなかたでございますから、その瞬間、よほど気が合ったのでしょう。
 無事に納車の日取りが決まり、当日、私は販売員にずいぶんと乱暴な運転をされて晴利様のご自宅へと向かいました。道中に販売員は「ハンドルがえらく重たい」だの、「あの整備士のやろう、型落ちのマークだと思って手抜きしやがったな!」などとぶつくさ言っておりましたのに、晴利様が門からこちらに向かって親しげに手を振って出てこられると、とたんに顔いっぱいに笑顔を作ってみせたのでした。
 その日以来、私が長い年月をご一緒することになった晴利様のご自宅は、山手の高台にある住宅地でもひときわ目立つ洋風造りの家でした。近くには港の見える大変大きな公園があり、そこから晴利様の家までは、春は緑豊かに、秋は黄色に色づいた葉を散らす街路樹が続いています。しばらく前までは晴利様のご両親が住んでおられたのですが、お父様が脚を悪くされて、利便性のいい駅前のアパートへと越されていったのです。
 家に残った晴利様は実にのびのびとひとり暮らしを満喫されていたようでした。なんでも、ひと部屋をつぶして、部屋のすみからすみまでいっぱいに町と鉄道の模型を敷き、毎晩のように真夜中まで模型作りに夢中になっておられたようです。朝方仕事に向かわれる晴利様の目元がむくんでいる時は、ああ、昨夜も止まらなかったのだなと私はうなずいて、晴利様が座られる運転席のクッションをやわらかくするのでした。

 多忙な晴利様の一日は、早朝のひと騒ぎから始まります。家の中から、バッタンバッタンと物のひっくり返る音、食器をあやまって割ってしまった音、わあとあわてて叫ぶ声。閑静で気品のただよう住宅地を揺るがす騒音に、私は何度ご近所様に頭を下げたかしれません。それと同時に、早くご内室をもらわれればよいのにと思いました。晴利様は器用ではない上に寂しがり屋で、おひとりで生活していける御仁では決してなかったのです。私の寝泊まりしている車庫からお家の中の様子はうかがえませんが、きっとこの頃は目も当てられないほどさんざんな状況であっただろうと思います。
 そうして朝の七時半にようやく玄関へと出てこられるわけです。(この時も髪が飛びはねておられることがしょっちゅうでした)私に近づきながら冗談めかして眉をしかめてみせた後、決まって「ああ、朝から力を使い果たした」とおっしゃいますが、なんの、なんの。晴利様はお力をどこに蓄えておられるのか、私は何度もおたずねしたほどです。
 高台を下っていき、街なかにある職場へとご一緒しているあいだ、晴利様は実に様々なお話を私にしてくださいます。建築デザイナーとしての壁や、いま持ち上がっている大きなプロジェクトの話、建築学科時代のご先達が最近、著名な構造家として国内外で活躍されていること、など。私は時々相槌を打ちながらも、晴利様が運転操作をあやまらないか常に注意を払っておりました。なにしろ器用なかたではないので、時々、ひっくり返るくらい強くブレーキを踏まれたり、ハンドルの回しが追いつかなかったりするのです。そういう時は私も力を振り絞ってサポートいたします。意識を集中させ、渾身の力をギリギリと加えていけば、ハンドルをわずかに回してさしあげることができます。また、停止する時に大きな衝撃とならないよう、ほんの少しブレーキを浮かせて、「スットン」と、やわらかに停めてさしあげることもできます。こんなことは晴利様のお仕事には微塵も役立ちませんが、せめて通勤の時間だけでも快適に過ごしていただけるよう、最大の努力と注意を払っていたつもりでございます。
 晴利様はご職場のお仲間から「ハルさん」と親しげな呼び名をもらわれています。先達や後進、年齢にかかわらず、皆様から親しみと敬意を持ってそう呼ばれていたのです。事務所のビルの駐車場に入る前から、道を歩いているご同僚のかたがたが私に近づいてきます。そんなとき晴利様は必ず私の窓を開けられて、「おはようさん!!」と快活に声をかけるのでした。
 お仕事は遅くまで、作業が終わった後も打ち合わせや修正作業を念入りに重ねられ、私のところに戻ってこられるのはたいていが夜の十時を回ってからです。その後、ご同僚の皆さんと食事に出かけられることもあれば、まっすぐ帰られることもありますが、帰ったら帰ったで、あの模型の部屋の灯りはずっとついたまま。晴利様のご寝室の灯りが消えるのは、せいぜい丑四つ時。その三時間ほど後には例の早朝のひと騒ぎが始まるわけですから、本当に晴利様の力の源はどこにあるのでしょうか、まったくもって不思議でなりません。

 休日、晴利様のお家にはご同僚、ご親戚、様々なかたが訪ねてこられますが、中でも頻繁に来訪されていたのが、中学校時代からのご学友である松浦氏でございます。長身の松浦氏は、分厚い眼鏡をかけてさっぱりと髪を整えられた、身なりによく気を遣うかたです。仕事は豪快で趣味にも没頭する晴利様と、寡黙で人嫌いで本ばかり読まれている松浦氏。性格が真逆のように思いますが、中学校の時分から親しくされているということでした。
 お二人は私に乗りこんで、松浦氏がおつとめになるという野球場を下見に行くこともあれば、夜通しリビングで討論を重ねる日もあり、実に楽しそうに過ごされていて、晴利様は毎週末ごとに松浦氏がやってくるのを心待ちにしているようでした。
「仕事が決まってよかったじゃないか。君は自分を売りこむということを知らないから、一生食いっぱぐれるんじゃないかと心配していたんだ」
「前から考えてはいたよ。ハルは『球場の運営チームなんて青春できていいな』なんて言っていたけど、そんな悠長なもんじゃあない。裏を支える連中の中には汚い手を使ってくるやつもいるし、地元の組合も入ってくる。それら全部をまとめあげるなんて至難の業だよ」
 松浦氏は神経質そうに目の下をピクリピクリと痙攣させました。晴利様はそんな松浦氏の顔を面白そうにのぞきこんでは「君ならできるさ」と背中を勢いよく叩いておられました。

 それから三年が経ち、三十歳手前の誕生日を迎えられてからも、相変わらず晴利様は花の独身時代を楽しまれていました。建築家としての依頼と信頼は寄せられる一方で、事務所からの独立を考えられていたようです。そう、あの華麗なるアールデコ建築で名高い、大友銀行本社ビルをデザインされたのも晴利様です! これは建築史上に残る偉業と言われておりますので、私もなんとも鼻高々でございます。
 晴利様はどんなにお忙しくなられても、週に三度は私の車体を洗ってくださる上に、細かいところまで整備と点検をし、時間を見つけてはドライブに行かれます。晴利様と私は二人で、横須賀の海沿いの道を走り、奥多摩の巨大なダムに「おお」と声を上げ、御宿まで遠出をして月の砂漠を眺めたりいたしました。それは、それは、楽しゅうございましたよ。晴利様はプレスリーやハンク・ウィリアムスなどの洋楽が大変お好きでしたから、ロックやブルースなどを流しながら、揚々かつ陽気なドライブでございました。相変わらず運転はお上手でいらっしゃらないものですから、ブレーキを踏まれる時は私がやわらかく停めてさしあげ、停止線を越えそうになった時は思い切り力を入れて、少し手前で停まるようにいたしました。ええ、もちろん晴利様はご存じなかったと思いますよ。いいのです。いつも大事にしてくださる晴利様への、ほんのちょっとした気持ちですから。
 お家のほうには前ほど頻繁ではありませんが、機会を見つけては松浦氏が訪ねてこられていました。そのうち、妹様である繭美様を一度連れていらっしゃいました。晴利様は玄関先で目を見張って、「あの繭ちゃんがこんなに美人になったのか!」と、ずいぶん驚かれていましたね。
 繭美様は周りの目を惹くほど華やかで魅力あふれる女性でした。輝くような瞳に、スマートで艶やかなスタイル。そしてなによりも、お心遣いのある優しいかたでした。まあこう言ってしまっては口が悪いのですが、「あの松浦氏にこんな美しい妹様が!」と、私も思わずのけぞってしまったほどです。これはご内密に。
 晴利様は、こうと決めたらそうせずにはいられないかたです。翌週、さっそく繭美様をデートへお誘いになりました。OKのお返事をもらわれた後、晴利様は私のからだにいつも以上に念入りにワックスをかけながら、「頼んだぞマーク」と真剣なまなざしで言われました。「明日は初デートだ。お前ならBGMはなににする?」と聞かれ、「ダイアナ・ロス&ザ・シュープリームスの『恋はあせらず』がようございましょう。陽気ですし、女性には人気があるそうですよ」ラジオの受け売りでそうお答えしましたところ、晴利様がデート当日に流されたのはなぜかナット・キング・コールの「アンフォゲッタブル」でした。ええ、逃げ出してしまいたくなるほどムード満点でございましたとも。よほど必死でいらしたのでしょうね。恋はあせらず、と私はお伝えしましたのに。
 しかし、初デートは大成功でございましたよ。繭美様も晴利様にご好意を持たれていたようで、葉山から鎌倉、茅ヶ崎までのドライブ中も、お二人のあいだには笑い声が絶えなかったのです。晴利様が繭美様を笑わせようと機関銃のようにおしゃべりになるものですから、BGMなんて関係なかったのでございましょう。ここだけの話、お二人は帰り際に一瞬だけ、接吻をされましたよ。ええ、これもご内密に。(後編に続く)

 

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