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ドライバー 中島さなえ

 

vol.7 hang glider

 俺は男たちに連れられて、村から入ってすぐの大きな広場に作られた、巨大な檻の中へと入れられた。外も中も、花々やカラフルに編み上げられた布を敷き詰めて豪華に飾り付けられている。
 待ち構えていた子どもたちが歓声を上げてあっというまに周りを囲んだ。檻を揺さぶってさっそく親に叩かれているやんちゃ坊主もいる。この村では男も女もみんな、赤い服に水色の布を首から肩に巻き付けていて、頭には黒い笠のような三角形の帽子をつけている。ひとりの女の子が帽子を取り、檻の中にこっそりと差し入れた。俺が帽子に噛みついて引っ張ると、あわてた女の子が泣き出してしまった。
「アナ! なにをふざけているのよ。このギアスはね、村に来てくださった神様なのよ」
 母親が女の子をスカートの中に包みこみ、厳しく言い聞かせている。そのうち長く白い髭を生やした村長らしき老人が数人の男とともに檻に近づいてきて、子どもたちをしりぞけた。老人はこちらをのぞくと白い歯を見せ、「おほう」と感心した声を上げた。
「これはなんと立派なギアスだ。惚れ惚れするほどだ」
 機嫌をよくした老人は男たちの肩を叩き、
「一週間後の〝飛翔〟まで、神であるギアスを手厚くもてなすように。くれぐれも怪我などさせないようにな」
 と言い残して去っていった。
 そこから、村をあげてのいたれりつくせり大歓待が始まった。女たちが行列を作り、盆に載せられた食べ物が次々と運ばれてくる。ギアスの大好物である、サルにナマケモノ、ヘビなどの肉の他、ジャガイモやトウモロコシ、インゲン豆や落花生などの野菜類、桃やグァバやモラなどの果物、牛乳にトウモロコシの酒まで、俺の檻の周りは色とりどりの食べ物で埋め尽くされた。生臭いものから爽快なものまでにおいが混じり合って、吐き気をもよおすほどだった。
 俺は運ばれてくる食べ物にはかたくなに口をつけず、檻の奥にうずくまっていた。普段めったに口にできないものばかりだ。いやしく飛びつけば、胃腸が裏返るほどびっくりするだろう。
 ハンテン、ツキハゲ、チチナシ、カミツキ……。
 この祈願祭から戻らなかったギアスや、祭りから戻された後にからだを悪くして死んでいったギアスのことを思い、呪文のように何度も唱えた。
 ラゴ族の連中は、「どうしたんだ?」「なぜ食べない」と不思議そうに言って首をかしげている。
「このままなにも食べなければたちまち弱ってしまう。村長に申しわけがたたない」
 と言って男たちが集まり、唾を飛ばし合って大騒ぎをしだした。
「いい気味だ。せいぜいあわてていろ」
 俺はそう言ってじっとうずくまり、右往左往する老若男女を静かに眺めていた。こいつらはまったくわかっちゃいない。ただ食べ物を与えればいいってものじゃないんだ。俺たちギアスは毎日、欲するものが変わる。たとえば木の実ひとつにしたって、実を食べたい時もあれば皮をかじりたい時もある。食べたいもの、必要としているものは日々の体調によっても違うのだ。都合よく押しつけられてたまるか。第一、俺は神じゃない。ただのギアスのオスだ。
 結局俺はひとくちも口にしないまま、ラゴ族の村での最初の夜は更けていった。

 翌日の朝、草原で見かけたあのクーパーという男が村に迷いこんできた。大柄なラゴ族の中では、以前見たときよりも少し萎んだように見える。緑色のジャケットにベージュのパンツを穿き、青い頑丈なリュックを背負っていた。相変わらず美しい金色の髪を、後ろで無造作に束ねている。
 子どもたちの知らせで、すぐに村長や幹部たちが集まって相談を始めた。
「旅行者で、昨夜、ガイドとはぐれてしまったそうです」
「そうか。それは気の毒に」
「西の森を抜けた街にそのガイドと荷物、滞在しているホテルがあるそうで、そこまで送ってほしいと」
「客人に伝えてくれ。『ラゴ族にとって一年で一番重要な祈願祭に入ったため、誰も村を出ることができない。週末に祭りが終わったらすぐに送り届けるので理解してほしい』と」
 ラゴ族の若い男が村長の言葉を伝えると、クーパーは少し肩を落としたが、やがてあきらめたようにうなずいた。
「村の周辺を調べながら、祈願祭が終わるまで待つそうです」
「よろしい。では広場の近くに、大きめのカジャを用意しよう」
 クーパーは村に迎え入れられて、檻のすぐ近くに用意された、カジャと呼ばれる大きな巣に寝泊まりすることになった。好奇心いっぱいの子どもたちと球を蹴り合っていることもあれば、村から外へと出かけることもあった。相変わらず食べ物を口にしない檻の中の俺が気にかかるらしく、世話役の若い男を捕まえて色々と尋ねているようだった。若い男は村長を呼び、クーパーの発言を伝えた。
「客人は、『閉じた翼は意味がない。放してやってほしい』と言っています」
「今は飛べないが、四日後の最終日に行う〝神の飛翔〟を見れば彼も納得するだろう。誰か詳しく説明してやってくれ」
 若い男がクーパーに〝飛翔〟の説明をすると、クーパーは「ワッツ?」と大きく叫んで顔を歪めた。俺をまじまじと眺めると、頭を振りながら村から出ていった。
 夕刻に戻ってきたクーパーは、いくつかの木の実と死んだばかりのカエル、カミキリムシをニット帽に入れて帰ってきた。檻のすきまからそれらを入れると、低くやわらかい声でなにかを諭すようにつぶやき、口の前で両手の拳を合わせた。クーパーの頬に生えた産毛までもが金色なのに気づき、思わず一本一本に見入ってしまった。クーパーは口元から手を離すと、両手を後ろに広げて、羽ばたく仕草を見せた。
 なぜだかこの変わり者の人間のことを好きになりかけていることに気づいた俺は、クーパーからあわてて顔をそらし、自分のからだの中に顔を突っこんで隠した。

 夜になると村のいたるところから、こっそりお忍びでラゴ族がやってきた。ある老人は窃盗の罪を詫び、わざわざムチで打たれるところを見せにきた。またある晩は妊娠した妻を連れた男が現れて、今度こそ男の子が欲しいのだと懇願していった。そしてまたある晩は、女が少年を連れてきてワアと泣きながら、実の息子と姦淫したのだと告白した。
 まったくの神頼みだ。そのくせみんななにかしら、自分の身に小さな奇跡が起こると信じている。
「なにも起こらないぜ」
 俺はその度、ひとりひとりの顔を丁寧に見つめてうなずき、鼻で笑ってみせた。
「ただの鳥だからな。こんな檻の中じゃあなおさらだ。たまに、ありがたいお経みたいな屁が出るくらいのもんだ」
 俺がそう言って力なくクチバシを上げると、おめでたい連中は決まって両手を挙げて感謝の言葉をつぶやくのだった。
 村に来て五日目。明後日の晩にようやく解放されるが、いよいよ力が入らなくなってきた。俺はそっとからだを起こし、クーパーが置いていった木の実をひとかじりだけして泥のように眠った。

 最後の夜、ラゴ族は誰もやってこなかった。どうやら村の者が前夜に出歩くことは禁止されているらしい。
 ――静かでいいじゃないか。
 俺は誰もいない広場を見て、重いまぶたをしばたかせた。全身が熱をもったようにだるく、まばたきするのも辛い。
 明け方になり、クーパーが檻に近づいてきた。真っ白な息を吐きながら、昆虫と木の実を俺の前に差し出す。食べ物を口元に持っていく仕草、そして地面を指し、首を振った。白々とした夜明けの空を指さし、俺の目を見つめた。また地面を指し、空中に指をポンッと置いた。
「ものを食べろ、ここにいるな、空にいろ」
 クーパーの身振り手振りと主張はあまりに単純明快で、思わず吹き出してしまった。そうして俺はウズマキが妊娠した夜に交わした言葉を思い出した。あの時ウズマキは、晩飯を獲って巣に戻ってきた俺の顔を見上げて、突然こう言ったのだ。
「〝いる〟っていうことは、いいことね」
「はあ? 突然なにを言ってるんだ」
 俺は顔をしかめて、ウズマキにさっさと肉を食べるようせかした。
「でも今度は〝いない〟ことがかなしくなってくるんだわ。だからわたしはいつも、あなたもわたしも〝いない〟ことにしているのよ」
「ばかだな、ここに立派にいるじゃないか」
「いいえ、〝いない〟のよ。そうしたら〝いる〟って気づく度に嬉しいじゃない」
 俺はそれを聞いて、のけぞって笑ったのだった。
「おまえは本当に頭が心細いものだなあ」
 そうしてウズマキが肉を細かくするのを助けた後、「ほらこうやって、俺はいるだろう?」と言うと、「ほら、嬉しいじゃない」と返された。なかば呆れてしまい、「もういい」と笑って肉をついばんだのだった。
 俺はクーパーの白い顔を見上げて言った。
「わかったよ、食べればいいんだろう」
 昆虫の脚をかじった。香ばしいにおいが鼻先に広がる。二匹、三匹と食べていき、カエルをひとくちで飲みこんだ。気がつくと、あたりのものを手当たり次第にガツガツとむさぼり食っていた。それを見ていたクーパーが手を出して制してくる。クーパーは歯を見せて、腹を突き出すジェスチャーをした。
「あんまり食うと、デブになって飛べなくなるっていうのか」
 クーパーがその場に立ち上がり、上から下にヒュルヒュルと情けなく落下する動きをして見せたものだから、俺も声を出して笑ってしまった。

 朝から広場には大勢の人が行き来し、今日の夕刻から始まる儀式の準備が行われていた。中央には薪が幾重にも積まれ、広場の周りを縁取るように穀物が積み上げられている。陽が落ちて薪に火がつけられると、もうもうと煙が上がり、やがて広場を真っ赤に照らした。真っ赤な衣装に身を包んだ女たちが賑やかに踊り、太鼓や笛の音が広場一帯を包みこんだ。
 続いて、青年たちによる決闘が行われた。ラゴ族の戦闘服に身を包んだ若者は槍を使って相手の足を払い、腕を突き刺し、強さを競った。場内は最高潮に盛り上がり、強い酒を飲んで勝手に暴れ出す者もいた。勝者は十六歳から十八歳の少女たちの中から、美しい花嫁を二人選ぶことができるらしい。
 俺は檻の中から、黙って祭りの様子を眺めていた。うまく飛べるか、不安だった。力尽きた場合、俺は二度と巣に帰れない。ウズマキは平気だろうか。ただいつものように俺が〝いない〟だけで、コシロメから餌をもらい、雛を産み、暮らしていくのだろうか。
 歓声がして、檻の扉が開いた。
 ――いや、それじゃあだめだ。
 村長が檻の中に入ってきて、俺の額に油を塗った。
「神よ。わがラゴ族の一年の豊作を背負って、〝飛翔〟を見せよ」
 ラゴ族の男が二人、両端から俺の翼をしっかりと掴んだ。
『だからわたしはいつも、あなたもわたしも〝いない〟ことにしているのよ』
 どうやったって、ウズマキの元に戻ってやらなければならない。
 俺は七日ぶりに檻から出された。道が開けられ、男たちの手によって焚き火に近づいていく。手を振り上げて大騒ぎしているラゴ族の中に、クーパーの金色の頭が見えた。今朝、彼から贈られた食物たちが力となり、全身にみなぎっていく。
 ついに燃えさかる炎の手前につくと、男達たちはピタリと動きを止めた。
「投げ入れろ! 投げ入れろ!」
 村人全員が声を合わせて叫ぶ中、火の前に立った村長が高くかかげた手を一気に振り下ろした。
 ものすごい力で火の中へと投げ込まれ、胸が火に焼かれて全身を裂けるような強烈な痛みが走った。意識がもうろうとする中、突然、クーパーの力強い声が脳に叩きつけられた。
「フライハイッ!!」
 俺は力の限りに炎を蹴り、空を見た。

      *      *       *

「ミスタークーパー。空港へ戻る前にもうひとフライトしますか?」
「もちろん」
 私は運転席にいるガイドのディエゴに向かって人差し指を上げた。ディエゴが人なつっこい笑顔を見せてうなずく。窓の外の景色は移り変わり、目に映る色彩は緑から土色へと変化していく。標高がどんどんと上がっていき、頬にあたる空気が氷のように冷たくなる。この旅での最後のフライトを思うと寂しくもあったが、やはり心が弾んだ。
 ディエゴは地点につくと車の上から手際よくグライダーを下ろし、組み立てていった。私も車から降りて、ハーネスを肩から背負い、しっかりと腹と太もものベルトを締めた。グローブをはめて、ヘルメットに頭を押しこむ。そうしているあいだにも、空気の薄さと若干の緊張とで、少しずつ息が上がっていく。
「準備ができましたよ、ミスタークーパー」
 ディエゴは陽気な声を上げた。今回はディエゴのおかげで一週間近くも滞在が延びてしまったが、代わりに忘れられない旅となった。
「では、いいフライトを!」
 ディエゴが手を上げて、後ろからグライダーを軽く押した。
 五メートルほどの斜面を一気に駆け下りる。グライダーと繋がったベルトが強く張り、足が地面からフワリと浮いた。一瞬、少し強めの横殴りの風にやられて滑ったが、すぐに気流に乗って安定した。
「テイクオフ成功」
 そうつぶやいてようやく足を後ろに伸ばし、ダウンチューブを握っていた手をベースバーへと持ち替える。この三週間を共にした緑豊かな山々、広大な草原、光を反射して輝いている湖をゆったりと見渡す。
 飛んでいるという感覚はなかった。風は決して柔らかくフワフワしたものじゃない。いつだって空はかたく、揺るぎない。私は今、ただ空に〝いる〟だけだ。それだけのことがなんと崇高で、特別なことだろうか。心が広がり、どこまでも景色と同化していくようだった。
 突然、背後から大きな羽音がした。驚いて音のしたほうに顔を動かすと、たちまち一匹の美しいギアスが横に並んだ。全身が艶々とした輝く羽毛に覆われていたが、胸に作った焼け焦げが、湖と同じ楕円形を形作っていた。
「おまえは、あの時の神鳥だな」
 悠然と翼を広げているギアスに見とれていると、不思議と彼と目が合ったような気がした。その雄々しいギアスは少しだけ私の前に出て飛び、まるで案内役を買って出たかのようにリードしている。
「わかった。行こう。連れていってくれ」
 私はそうギアスに声をかけると、しっかりとベースバーを握った。

 

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