上司のパワハラで退職した主人公の野中は、友人のしのぶからなぜか「スト6」の練習に一〇万円で付き合わされ、東京から地元九州への「都落ち」を引き延ばしていたが……。
選考会で評価が真っ二つに割れた、第四九回すばる文学賞受賞作『粉瘤息子都落ち択』(「粉瘤しぼり都落ち択」改題)。著者の更地郊さんは、選考委員の奥泉光さんに自作について、小説という表現について聞きたいことが多々あった。更地さんが事前に執筆した二千字に及ぶ質問状をガイドラインにしながら、新人と大先輩の初対談が実現した。

構成/吉田大助 撮影/山口真由子

奥泉 授賞式でお会いして以来ですね。
更地 はい。授賞式では情けないスピーチをしてしまって反省しています(苦笑)。緊張で「あー」とか「えー」とかを連発して、三分で終わるはずのスピーチが五分ぐらいになってしまいました。
奥泉 みんな褒めていましたよ。淡々としていたけれども、誠実な印象があったと。ウケ狙いをして失敗する人、過去にいましたからね。編集部から言われませんでしたか? 余計なこと、しなくていいよって。
更地 めちゃくちゃ言われました。スピーチ原稿は事前に編集者にチェックしてもらったんですが、「ウケ狙いはやめてほしい」と言われて二回書き直しました。
奥泉 「すばる」編集部の気持ちを代弁すると、トラウマがあるんですよ。一〇年ぐらい前に授賞式で激しく滑った人がいたんです。スタンドからマイクをいきなり外したなと思ったら、壇上を歩きながらしゃべり始めてね。僕は面白がって見ていましたが、後で当時の「すばる」の編集長が選考委員の席へやって来て「申し訳ございません!」と。彼が謝ってもしょうがない(笑)。あの回がトラウマになって、それからは受賞者に対して厳しいマークがなされていると見ましたね。
更地 危なかったです(笑)。僕はめちゃくちゃハートが弱いので、スピーチで滑っていたらずっと引きずっていたかもしれません。編集の方の手引きのおかげで、今かろうじてここに座っていられる状態です。

更地郊奥泉光

張りぼてかもしれないという不安は小説家ならば誰しも持っているもの

奥泉 作家には大きく二つのタイプがあるかなと思うんです。非常に若い時から、極端な場合には子供の時から小説が書きたいとか小説家になりたいというタイプの人と、ある程度大人になってから、ある日小説を書いてみようと急に思い立つ人。僕は後者なんですけれども、更地さんはどうですか。
更地 僕も後者だと思います。ただ、面白い話を作ることに関してはずっと興味があったんです。
奥泉 つまり、それは小説じゃなくてもいいと。例えばドラマとか映画とか。
更地 一番最初に目指したのは、ゲームのシナリオライターでした。新卒でゲーム会社に入ったんですが、シナリオの部署に行きたいなと思って、部署にプレゼンするためのポートフォリオとしてお話を書き始めたんです。原作IP作品をゲームにする会社だったこともあり、それ用のシナリオにする必要があるということで、当時遊んでいた別のゲーム作品、人物設定や立ち姿や声色、そういうものが既に設定されているキャラクター同士の話を書いて練習していました。
奥泉 小説というジャンルで何かやってみよう、と思ったのはその時代ですか。
更地 その少し後ですね。ゲーム会社はハラスメントの巣窟だったので早々に辞めてしまい、別業種の会社に入ってプログラマーになったんです。仕事で文章を書く必要はなくなったものの、ゲームのシナリオとは別の形で、文章を書くことはやりたいなと思ったんですよね。そこで、小説を書くことを思い立ちました。同人誌でも出そうかなと思い、そこから執筆を開始して確か四万字ぐらいまでいったんですが、途中で書く手が止まってしまって。で、他の作品を進めよう、とその昔に大まかな場面だけ構想した作品の方に着手しました。それが完成にまで至った初めての小説で、去年の文藝賞の最終候補にしてもらいました。
奥泉 そうだったんですね。じゃあ、賞の最終候補になるのは今回が二度目だった。
更地 はい。同人誌として出すことも考えたんですが、自分が面白いと思って書いていることが、実はめちゃくちゃ滑っているんじゃないのかと不安で、公募に出したらどれぐらいのところまで行けるのか試してみたかったんです。去年の八月にその結果が出て、全然落ちて。でも、最終候補になったのは単に運が良かったからなのかが分からなかったので、もう一回別の賞に応募してみようということで書いた作品が、『粉瘤息子都落ち択』でした。
奥泉 文藝賞の候補になった作品は、今回の作品とはタイプが全然違う?
更地 違いますね。シスターフッドすぎないようにしたつもりですが、女性二人の話でした。ある女性が最愛だった女性の頭蓋骨をなぜか保管していて、それを爆破するまでの映像を撮ってくれ、と依頼される女の人の話です。その作品の反省も踏まえて、次は自分が今までやっていなかったことをどんどん加えていこうと思い、『粉瘤息子都落ち択』では初めて男の話を書いてみることにしたんです。ただ、前の作品で書いた女性も自暴自棄な人だったので、疲れた若者が出てくるのは同じだったと反省しています。
奥泉 今回の小説は、作者と等身大とまではいかないけれども、おそらく作者に近いだろうと読者から見られる人物が主人公。その意味では「純文学」的リアリズムに寄っていると見える。それは時代の断面を切り取ろうという意識があるからでしょうか? というのも、現在は僕がデビューした頃よりもジャンルの裾野は広がっていて、評価もされる。ミステリーもあればSFもあれば、新人賞にもいろいろあるなかで、いわゆる純文学の領域で最初から書こうと考えていたんですか。もっとジャンル寄りのものを書こうという発想はなかったんでしょうか。
更地 ジャンル寄りの小説は、今の自分には技量が足りないと思って避けたんです。ジャンル的に飛躍することなく、日常の延長上で主人公がちょっとヘンなことに巻き込まれるぐらいが、まだうまく書けるのかなと。本当は、もっといろんなことにチャレンジしていかないといけないと思っているんですが、今すごく悩んでいるところがあって……。ご相談してもよろしいでしょうか?
奥泉 なんでしょう(笑)。
更地 『粉瘤息子都落ち択』は、前半は小さな要素を寄せ集めた与太話のような感触で、でも出来事としての地盤はある程度整っていると思っています。ただ、後半に入って、主人公の部屋で事件というかドタバタが起こったあたりから、虚構性が強まっているように感じてしまって。書き終えてしばらく経ってから読み直した時に、「こんなことって起こるの?」と、張りぼてみたいに感じてしまったんです。
奥泉 でも、あの場面は、書きつつある小説の力学のなかで、これはいけるなと思ったから書いたんでしょう?
更地 そうですね。あの時の主人公は躁状態でもあったので、あれくらいのことは起こり得るとは思うんですけれども、本当にこの展開で良かったのかという疑問が拭えないんです。
奥泉 それは、どんな作家にとっても絶えず問題になることだと思いますよ。例えば、カフカは朝起きたら虫になっていたという話を書いた。カフカも書いてしばらく経ってから「あの話って、ちょっと無理があるかもな」と思ったのかもしれませんよね。友人のマックス・ブロートに「自分が死んだら原稿を全部焼いてくれ」と言っているしね(笑)。ブロートが裏切って出版したからカフカの小説は残っているわけなんですが、張りぼてかもしれないという不安は、小説家ならば誰しも持っているものじゃないでしょうか。

更地郊奥泉光

ネット以外の場所に言葉の可能性を見出したい

奥泉 ある程度しっかりした、堅固な小説世界を作るには、日常的な感覚や常識からはみ出ないほうが作りやすいということは、一般論として言えるとは思うんです。でも、それだけの話にすぎない。とんでもない虚構であっても当然構わないわけだし、僕はむしろそういうものこそ読みたい。僕が更地さんの小説で一番好きだったのは、主人公が近所の自動販売機に貼ってあるわけの分からないメッセージを見つけて、その言葉に意味を見出していくところ。おおげさに言えば、世界を揺るがそうというテロリズムの匂いを主人公が嗅ぐ。あの展開は、アイデアとしてはこの小説の中で一番突拍子もないところでもありますよね。
更地 奇行ですよね。
奥泉 お前は何してるんだよ、と普通はなるわけじゃないですか。裏を返せば、そんな些細な刺激に大きく反応しちゃうぐらい、この人はつまらない暮らしをしているってことで、そこも面白いですよね。これだけネットとかSNSが行き渡った世界で、それとは異なる形で発信された言葉が誰かに影響力を及ぼす。メンタルにやや支障のある主人公が、ああいう形で言葉に出会ったことが、恢復――というか恢復の予感にすぎないけれども、そこへと彼を導いていった話であるとも読める。そう考えると、虚構性が強い部分こそ僕は面白いと思うけど。
更地 ありがとうございます。僕は散歩が趣味なんですが、街を歩いていると、それこそ自動販売機にヘンな言葉が書かれたステッカーが貼られているのを見つけるんですね。うちの近所の壁にも、犬のフンが放置されている、という文句がズラーっと貼ってあって、怨念を感じます。ネットとかSNSではない場所にこそ、生活に根づいた言葉があって、端から見て首をかしげざるを得ない面白い言葉があるよなと最近よく思うんです。昔の自分は、めちゃくちゃネット中毒だったことも影響しているのかもしれません。今はできるだけネット以外の場所に言葉の可能性を見出したいと思っています。
奥泉 ネットの中に充満しているというか、流通している言葉が、少なくともいま現在は、自分の言葉の中核にあるという感じですか。
更地 そうですね。この小説の根っ子の部分は、ここ一〇年くらいネットでしょうもないことを、誰に読まれるでもなくわめき続けた自分の集積みたいなものだという気がしています。ネットのノリみたいなものを僕の文章から感じ取って、読みやすさを感じる人もいるかもしれないですけれども、軽い方に行きすぎているなとも思っているんです。この作品に関しては若者の一人称なのでこれで全然いいと思うんですけれども、今後まったく違う題材で書こうと思った時に、この軽さでは追い切れないものが間違いなく出てくる。どうすればいいんだろうかと思っています。文体を変えるにはどうしたらいいのか、変わるものなのか、と。
奥泉 そこに関しては僕のやり方ははっきりしていて、過去の散文を読むことですね。例えば『『吾輩は猫である』殺人事件』は、夏目漱石の『吾輩は猫である』の続編を書いたものなんですが、漱石の文体を模倣して、旧仮名遣いで書いた。二〇二五年に出した短編集『虚傳集』は幕末から明治初期に書かれたエッセイをたくさん読んで、文体をパスティーシュしました。それから『東京自叙伝』は、福沢諭吉なんですよ。福沢諭吉の『福翁自伝』という彼の自伝が好きで昔から繰り返し読んでいて、この文体で書きたいなと思って書いたんです。
更地 そんなやり方が。
奥泉 そう。現代風俗に寄った「クワコーシリーズ」(『桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活』、『黄色い水着の謎 桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活2』)を書いた時は、当時の女子高生や女子大生のしゃべりを小説に取り入れるべく、ギャル系雑誌の「小悪魔ageha」を熟読しました。つまり、自分の外側にある言葉を集めて書く。そうすると、自然と文体も変わる。本を読んで魅力のある文章に出会うと、それを自分で使えるようにしたくなるんですよ。何かを読んで「この言葉の使い方、いいな」と思ったら、必ずメモしますから。
更地 僕も、ネットでいい投稿を見つけたらローカルファイルに保存するようにしていました。僕も多少なり本は読んできたつもりですが、やっぱりネットの文章を読みすぎていると思いました(苦笑)。
奥泉 しかしネットはいまの時代、やはりその存在は大きいですよね。
更地 ただ、SNS上の言葉に飽きてしまったのか、つまらなくなってきていると感じる事も増えています。僕が一〇年ぐらい前に熱心に入り浸るようになった頃のSNSは、いろんないい話や面白い話が、ネットに潜ってさえいれば一通り目に入った気がするんです。それが年々、コミュニティが隔絶されていって、ちょっと前からコミュニティグループを作る「ディスコード」というアプリが広く使われていて、全世界に対してオープンではなく、一見さんお断り的な、クローズドな場所で会話することが増えている。そういうセーフティエリアにいる方が楽、というのはそうですが。結果、誰でも入れるSNSでしゃべられている言葉はどこか薄くなっていて、クローズドなコミュニティの中に入り込まないと面白い話はなかなか聞けなくなっている。そういうコミュニティを僕は勝手に「島」と呼んでいるんですけれども、島が作られると、その中にいる人はだんだんと島の言語でしかしゃべらなくなるんですよ。それもなんだか面白いと思えない。僕は島の人にはなりたくないので、船の上からいろいろな島の気配を眺める……みたいなことをやっていたら、だいぶ友達が少なくなってきました。️
奥泉 そもそも小説とは、そういうものなんじゃないかな。ネットや世間にいろいろな島がある、と認識すること自体は誰でもできる。俯瞰して、超越的なところから眺めることもできる。けれども、小説家は認識するだけじゃなくて、どういうか、そこで生きるんですよね。いまおっしゃった比喩で言うと、小説家というのは船に乗り続けながら生活しているようなもの。しかも同行者はいない。小説家である以外の時間も自分の人生にはあるから、友達はいるけれども、小説家としての自分には友達はいない。空虚で孤独な場を生きていると感じます。そこのあたりは僕も普段から突き詰めて考えているわけではないけれども、更地さんの話を聞きながらそんなことを思っちゃいましたね。

読むという行為がもたらす重力に逆らってもらわなければいけないので……

更地 奥泉さんはデビューされて四〇年とのことですが、その間に読者の視座の変化、時代の変化などを感じてこられたのではないかと思うんです。僕は今の段階でも、同年代の他者が抱いている価値観と自分にズレが生じている気がしてならず、その不安で筆が止まってしまうことが多々あります。時代や、読者という存在に対して、奥泉さんはどんな意識をお持ちなのか伺ってみたいです。
奥泉 まず時代について言うと、そんなに意識してはいないです。もちろん時代の空気を吸ってはいて……空気というか、もっと具体的に言うと、時代の言葉ですよね。その影響は強く受けていると思うんですけれども、取り立てて意識はしていません。読者に関しては、考えてもしょうがないという立場ですね。読者を意識すると言ったって、普遍的な読者が存在しているわけではない。結局一人ひとりの読者でしかないわけで、見えない、というか捉えられない。もちろん、見える読者もいるにはいるんです。四〇年やってきたので僕の本が好きだという奇特な読者もいて、その都度感想を聞かせてくれるんですが、原稿用紙一二〇〇枚ぐらいの本だと「今回、短くないですか?」とみんな必ず言うんですよ。
更地 それは、基準が独特ですね(笑)。
奥泉 その基準に合わせて書くというのは、さすがにおかしいでしょう?
更地 読者が幸運にも自分の本を手に取ってくれたとして、最後まで読んでもらうにはどうしたらいいか、というところも悩みなんです。読むという行為がもたらす重力に逆らってもらわなければいけないので、ボルダリングみたいな壁があったとして、そこにどう石を配置するか、どうやったら登っていただけるかみたいなことを書きながら常に考えているんですが、それがつらいなぁという部分はあるんです。
奥泉 ボルダリングの比喩でいうと、壁を登る読者は体力も違えば、技術も違うわけじゃないですか。それ、考えてもしょうがなくない?
更地 ……そうかもしれません。
奥泉 さっき更地さんがおっしゃったように、細かく分断された価値観を持つ人たちが並存する状況の中で、他人に合わせるなんてことはそもそもできない。となると、自分が「読んで面白い」と思うものを書く、それしか基準はないんじゃないかな。自分が「書いて面白い」もの、ではなくてね。「こんな小説が世の中にあったら絶対自分は読むぜ」というものを書いたらいいと思う。
更地 今のお話を聞いて、吹っ切れました。
奥泉 今、次の作品を書いているところ?
更地 一作目の反省から二作目を書いたので、次の三作目も同じようにしようかなと思っていたんです。アイデアとしてずっとこねくり回しているものはあるんですけれども、『粉瘤息子~』に対する反省を終えてから書き出すのがいいのかな、とぐずぐずしていて……。正直、サボっていました(苦笑)。
奥泉 じゃあ、すぐ書かないと。せっかく賞をもらったんですから。
更地 奥泉さんのおかげで課題が見えてきたので、もう反省は終わりにして、次作に取り組みます。ただ、明日から一週間、旅行なんですよ。友達から「明日パスポートを持って空港に来い」と言われたので、海外に行くのは確かだと思うんですが、どこかは教えてもらっていないんです。行き先については一応「宇宙ゴミ」というヒントをもらったんですが、それも訳が分からない。不安でたまらないです。
奥泉 それはすごい状況ですね(笑)。でも、その旅で、また新しい言葉と出会えるかもしれない。これから書かれる作品も楽しみにしています。

「青春と読書」2026年3月号転載