『ハヤブサ消防団 森へつづく道』刊行記念対談 池井戸 潤×逢坂 剛「自分の領土を、どんどん開拓する。作家は、「馬力」で勝負です。」
亡き父の故郷である山里、八百万町ハヤブサ地区に移住したミステリー作家・三馬太郎。消防団に参加したことから、のどかな町に潜む因縁に起因する難事件に直面する――。2022年に刊行され、池井戸潤の新境地と話題を呼んだ『ハヤブサ消防団』。中村倫也主演のドラマ作品も好評を得、2023年には第36回柴田錬三郎賞に輝いた作品のシリーズ第2作『ハヤブサ消防団 森へつづく道』が、この夏、刊行される。
ハヤブサ地区で変死事件が発生。それを契機に、太郎は町の現在と過去をつなぐ深い闇に踏み込んでいくが、本作では太郎が文学賞にノミネートされ、作家として成長する姿も同時に描かれる。「ハヤブサ」シリーズの魅力とは。そして、作中に描かれた文壇の姿は真実なのか? 柴田錬三郎賞の選考委員のひとりであり、40年を超えるキャリアを持つ作家・逢坂剛氏をゲストに、それぞれの小説論、エンタメ観について語り合う。
構成/大谷道子 撮影/大槻志穂
作者のハードボイルド性が「熱波」とともに伝わってくる
池井戸 お久しぶりです。今日はありがとうございます。
逢坂 いやいや、普段着で申し訳ない。池ちゃん(池井戸さん)とは、いつ以来かな?
池井戸 たぶん、ランチ会です。逢坂さんと僕で「101回ランチ」という名前をつけた……。
逢坂 そんな名前、つけてたっけ? 記憶にないなぁ。
池井戸 つけてました。一度、逢坂さんがすっぽかしたことがありましたよね。約束していたのに、ぜんぜん現れないから編集者と一緒に事務所に迎えに行ったら、応答がない。心配していたところに逢坂さんがのんびりやってきて、思い出されたのか、いきなり「すみませんでした!」って土下座したんですよ。公道で。
逢坂 ハハハ! そうだった、そうだった。
池井戸 一緒にいた編集者が「いえいえ、こちらこそ!」って土下座返しをするから、僕は「いいから、とにかく行きましょう」と(笑)。もとはといえば、逢坂さんが『下町ロケット』の書評を書いてくださったことが、交流のきっかけでした。その後、『ハヤブサ消防団』を、柴錬(柴田錬三郎)賞に選んでいただいて。
逢坂 あの作品は、我々作家仲間が誰も書いたことのない世界だと思った。ミステリーというものは、だいたい都会で起こる物語なんだよね。とくにハードボイルドタッチのものは。それが、のどかな田園で発生する。池井戸さん自身は、別にハードボイルドを目指して書いたわけではないかもしれないけど……。
池井戸 そうですね。今、言われてはじめて意識しました。最初は記録小説というか、岐阜の山奥にあるうちの田舎の話を書こうと思って始めたんです。地名の由来とか昔あった事件とか、父から聞いていた地域にまつわる近過去の伝承みたいなものがあって、たぶん父も僕に話しておかないと記憶そのものがなくなってしまうと思っていたんでしょう。それらのエピソードが意外と地元の人にも知られていなかったので、じゃあ小説という形にして残しておこうと。だから、非常に個人的な作品だともいえます。
逢坂 地元のことでないと、こういう作品にはならないよなぁ。それでも、池井戸潤という作家の精神の中にあるハードボイルドな部分が、この作品にはよく表れていると感じました。それと、やっぱりストーリーテリングのうまさ。私の知る中では、少なくとも三本の指に入ると思いますね。読んでいて、まったく退屈することがない。自分の小説だって、後で読み返すと退屈だと思う部分があるものなのに。
池井戸 あるんですか?
逢坂 あるんだよ、それが(笑)。池ちゃんのは天性のものとしか言いようがないかもしれないけど、少なくとも、本人がおもしろがりながら書いているのは、よくわかる。もちろん、苦労もしているだろうけど、苦労そのものも楽しんでいるというか。「これはきっと誰も書いたことがないに違いない」という意気込みが、読む側に伝わってくるんですよ。熱波となって。
池井戸 熱波か……。僕の小説にはプロットがないので、その都度その都度、「次、どうなるかな」と考えながら書き進めています。だから、楽しんで書いていることは間違いないですね。たまに、自分で作った謎が自分で解けなかったりと、不可解なことが起こりますが(笑)。でも、それを乗り越えながら書いていって……たとえると、陶器を焼いて窯から出してみたら「ああ、こうなったか」というような感じに近いかもしれません。
逢坂 うまいこと言うね。確かに、最初から最後までキチッと考えて、それを写していくような作業をしている作家は、まずいないだろうな。短編ならともかく。
池井戸 長編は不可能ですよね。『ハヤブサ消防団 森へつづく道』では、少し取材もして、前作とは違う意味のものを書いてみようと思いました。今、このご時世で、皆が大事なことを忘れかけているんじゃないか? という思いも込めて。でも本当は、シリーズものは書きたくなかったんです。シリーズものって、出せば出すほど、なぜか前作より部数が減るような気がしていて(笑)。
逢坂 それは困るなぁ。でも、読者は求めているよ、確かに。
池井戸 田舎の町の人たちが喜んでくれているのは、よかったなと思います。故郷に「ハヤブサ・ミュージアム」ができたんですよ。町おこしの一環で。
逢坂 それは貢献したね。自分の町から大作家が出るのはうれしいだろうし。私も郷土の誇りになりたいもんだ(笑)。
池井戸 逢坂さんの作品シリーズで、いちばん長く続けたのは、どのくらいですか?
逢坂 どうだったかな。私も都度都度、思いつくままに書いてきたから……。(「百舌(MOZU)シリーズ(*1)」が7作あります、と編集者より耳打ち)あ、そんなに書いてたか。
池井戸 7作。すごいじゃないですか。
逢坂 うん、私も驚いた(笑)。しかも、そのシリーズで賞(*2)もいただいていたと。いやぁ、よく読んでもらえたものだと思います。

「待ち会」は針のムシロ? 文学賞は作家人生の一大イベント
池井戸 今回、主人公の三馬太郎が、作家としてちょっと売れてきて、ある文学賞の候補になるんですが、僕自身はひところ、文学賞の“連敗”記録を自慢していたんです。
逢坂 そうなの? 直木賞は何回めで受賞したんだっけ。
池井戸 3回めです。でも、その前に吉川英治文学新人賞やら何やら、けっこう落ちていて。だから、今作に登場する「待ち会(*3)」の取材は不要でした。
逢坂 待ち会、嫌だよねぇ。落とされること自体より一緒にいる人たちのことが気になって、「落ちたら皆に顔向けできないなぁ」と、ハラハラしてた。
池井戸 あるとき、待ち会にテレビの取材が入ったことがあったんです。マイクをつけられているから、うっかり人の悪口も言えない(笑)。そのときも落ちたんですが、テレビの人たちの撤収の早いこと! 何事もなかったかのように、一瞬でいなくなりました。
逢坂 ハハハ! 葬式の客みたいだな。
池井戸 だから、2011年に直木賞をいただいたときは、「これでもう待ち会をやらなくていいんだ」と。僕の回は芥川賞が該当作なしだったので、取材が集中して1か月で100件くらい受ける羽目になったんですが、僕がそのことで文句を言ったら、逢坂さん、「お務めだと思ってくれ」と(笑)。
逢坂 文壇のために、ってね。無責任なことを申しました(笑)。でも、芥川賞直木賞は、やっぱり別格だよね。私のとき(*4)は、どうだったっけ……(資料を見て)選考委員が池波正太郎、井上ひさし、藤沢周平、山口瞳……わぁ、大作家ばっかりだ。
池井戸 逢坂さんの頃も、受賞後に選考委員に挨拶するという習慣があったんですか?
逢坂 あったよ。選考委員が集うクラブに行って大先生たちと親睦の機会をもたせていただくんだけど、あんまり覚えてないなぁ。変な習慣だったよね。
池井戸 僕は、行ったらすぐに北方(謙三)さんに「人がたくさん待ってるんだろ? 早く帰れ」って言われて、挨拶だけして、そそくさと失礼しました。たぶん北方さんのほうに、どこか行きたい場所があったんじゃないかな(笑)。でも文壇って、他の業界の人からすると、すごく特殊な世界に見えるらしいですよ。ある文学賞の授賞式に出席したテレビのプロデューサーによると、他社のプロデューサーが大勢いて、そこに俳優がゾロゾロ集まるようなパーティーはテレビ業界では絶対にありえないと。「皆さん、仲がいいんですね」と言っていました。
逢坂 そんなふうに見えるんだね。文学賞が人生を左右するとは思わないけど、どの作家も、最初は賞に応募するわけだもんな。新人賞をもらって、何本か短い作品を書かせてもらっているうちに、だんだん作家らしくなっていって……私は二足のわらじでサラリーマンもやっていたから、好きでやっているうちにこうなったという感じで、あんまり文壇で苦労した感覚はないですね。原稿料より給料のほうがずっと高かったし。
池井戸 僕は、江戸川乱歩賞をもらったときは、すごくうれしかったですよ。本が好きで、ずっと作家になりたかったのに、銀行勤めをしたりして、なかなかそっちの方向へ行けなかったから。賞をもらって、ただの本好きの一般人だったのが、一夜にして作家という肩書きを得ることができた。それは、自分にとってすごく大きな変化でした。

お二人に質問:「同業者をライバルだと感じること、ありますか?」
逢坂 いやぁ、作家にはライバルなんていませんよ。……え? 私、エッセイ(*5)で「よきライバルの存在が励み」って書いてるの?……まあ、それはお世辞みたいなもので。ほかの人が何を書こうが、ベストセラーを出そうが、うらやましいとか、ざまぁ見ろとか、そんなふうに思ったことはないですね。私は、あくまでライバルは自分自身だと思っていますか
ら。そのエッセイは絶版にしてください(笑)。
池井戸 ハハハ。今作で太郎は同じ賞にノミネートされた女性作家をちょっと意識しているんですが、それは彼女自身のことが気になっているせいじゃないかと。僕も、ほかの作家をライバル視することはないですね。作家にはそれぞれ自分の世界観があって、そこがオリジナリティーとなって存在している。自分以外誰も書けない世界がないと、作家ではいられないじゃないですか。いうならば、それぞれに自分の国の領土があって、それらが並び立っているというイメージで。
逢坂 そうだね。その領土から一歩も出ないです、私なんかは。
池井戸 そんなこと言って逢坂さん、時代小説を書いたりして“越境”してるじゃないですか。ひところ僕に会うと、必ず「池ちゃんも時代もの、書けよ」と言ってましたよ。
逢坂 それは、ほら、自分の世界を深めることであって……もしかして、書く気になった?
池井戸 いやいや、とても。
逢坂 そうなら、こちらもちょっとライバル意識が持てるのに(笑)。でも、時代小説は、いい勉強になると思いますよ。時代考証のために資料を相当読み込むことになるから、それによって頭が活性化する気がする。私自身は、ずいぶんプラスになったと思ってます。
池井戸 なるほど。僕は最近、脚本に興味を持っているんです。ちょっと知っているツバキミチオという人が映画の脚本を手がけて、今度、ミュージカルも書くというので(*6)。
逢坂 脚本! 私も書いてみたいと思うんだけど、あれは難しいかね?
池井戸 (小声で)地の文が要らないのでその分楽だと言っていました。違う難しさがあるんでしょうけど。せいぜい仏教の宗派の差くらいだと思います。
逢坂 本当? かなり飛躍している気がするけどなぁ。しかし、こんな話を聞いていると、「やっぱり俺も」という気になってくるね。親しくしている作家仲間の本を読めば、こちらも書きたい気持ちになってくる。そうすると、作家の“馬力”が出るんですよ。
池井戸 馬力?
逢坂 馬が走り出そうとしても、体の重みがあるから、なかなか走り出せないじゃない。だけど、ようやく走り出して、ある程度走っていくと、勢いがついてどんどん走れるようになる……小説も、そういうものだという気がするんだよね。
池井戸 そうですね。
逢坂 そのまま終わりまで書き続けられればいいけど、なかなかそうもいかないから、また途中で馬力を出すための助走期間を取ったりする、その繰り返し。馬力が湧く、あるいは湧かせる技術があって、どんどん作品を書く、そういう人がプロの作家なんだろうと。昔の評論家には多作する作家を軽んずる風潮があったけど、私は間違っていると思うね。最大とは言わないけど、それも作家の大事な才能。柴錬さんにしても、池波さんにしてもそうだったわけで。池ちゃんは、そんなに多作なほうじゃないね。
池井戸 1作ずつ大事に書いている、という感じです。だから、逢坂さんのように複数のジャンルで書いていくのは、やっぱりすごいことだなと。
逢坂 どうってことないよ。僕だって急に純文学を書けと言われたら困るけど、それ以外なら、たいていのことは大丈夫。お互い、昨日今日の駆け出しの作家ではないわけだし。駆け出しの人が馬力を養うには、とにかく乱読することでしょうね。たくさん読んでいるうちに、自分の好きなタイプの小説とか、好きな作家が必ず見つかるから、それを集中して読む。読む力がないと、書く馬力は湧いてこないです。
池井戸 そう思いますね。本を読まずに作家になっている人は、まずいない。そして皆、誰かの真似から始めますから。
逢坂 そうそう。自分の文体ができるなんていうのは、晩年ですよ。たぶん、死ぬ間際くらいでしょう。まあ私は、これからですよと言われても、もうこの歳ですから……。
池井戸 ハハハ。今、エンタメ小説が本当に世の中に必要とされているかどうかはわかりませんが、でも、ない世界よりは、ある世界のほうがずっといいと思ってます。自分に求められているものも、きっと何かあるんじゃないかと信じて。
逢坂 本が売れたら、求められている実感は持てるかもしれないよね。でも私は、やっぱり自分が楽しくて書いていることが多いなぁ。頼まれて書き始めたとしても、書いているうちに楽しくなって、のめり込んでいくというパターンで、その繰り返し。
池井戸 それこそ、馬力ですね。
注釈
*1 公安警察と殺し屋「百舌」との宿命的死闘を描いた『百舌の叫ぶ夜』(1986)を皮切りにした人気サスペンスシリーズ。『幻の翼』『砕かれた鍵』『よみがえる百舌』『鵟の巣』『墓標なき街』『百舌落とし』(上下巻)に、シリーズの前日譚『裏切りの日日』がある。2014年、TBSとWOWOWの共同制作により西島秀俊主演でドラマ化された。
*2 「小説『百舌落とし』刊行に伴う小説『MOZU』
シリーズ完結 全7巻」に対して、第61回毎日芸術賞(2019年度)が贈られた。
*3 選考会当日、作家が編集者などとともに、結果を待つ催し。
*4 1986年、『カディスの赤い星』により受賞。同時受賞は常盤新平『遠いアメリカ』。選考委員は池波正太郎、五木寛之、井上ひさし、黒岩重吾、陳舜臣、藤沢周平、村上元三、山口瞳、渡辺淳一の各氏。
*5 「一番の刺激は、がんばる同世代」(『ご機嫌剛爺 人生は、面白く楽しく!』収録)
*6 池井戸氏はツバキミチオ名義で映画『シャイロックの子供たち』の脚本を執筆(本人は正式には認めていない)。同作で2024年、第47回日本アカデミー賞優秀脚本賞を受賞。同じく、脚本を手がけるミュージカル『民王』が今年9月6日に東京・シアタークリエで開幕する。
「青春と読書」2026年8月号転載
「池井戸潤プロジェクト2026」Xアカウント、始動!
https://twitter.com/IkeidoP_042026
池井戸潤さんが四つの作品を四つの季節に送り出す『池井戸潤プロジェクト2026』。その情報をお届けする公式アカウントを作成いたしました。講談社×集英社×ダイヤモンド社×文藝春秋コラボ企画です。
プロフィール
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池井戸 潤 (いけいど・じゅん)
作家。1963年岐阜県生まれ。慶應義塾大学卒。98年『果つる底なき』で江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。2010年『鉄の骨』で吉川英治文学新人賞、11年『下町ロケット』で直木賞、23年『ハヤブサ消防団』で柴田錬三郎賞を受賞。
主な作品に「半沢直樹」シリーズ(『オレたちバブル入行組』『ロスジェネの逆襲』『アルルカンと道化師』ほか)、「下町ロケット」シリーズ(『ガウディ計画』『ヤタガラス』ほか)、『シャイロックの子供たち』『空飛ぶタイヤ』『民王』『七つの会議』『陸王』『ノーサイド・ゲーム』『花咲舞が黙ってない』『アキラとあきら』『俺たちの箱根駅伝』『ブティック』がある。 -
逢坂 剛 (おうさか・ごう)
1943年東京生まれ。80年「暗殺者グラナダに死す」で第19回オール讀物推理小説新人賞を受賞。86年に刊行した『カディスの赤い星』で第96回直木賞、第40回日本推理作家協会賞、第5回日本冒険小説協会大賞をトリプル受賞。2014年、第17回日本ミステリー文学大賞を受賞。15年『平蔵狩り』で第49回吉川英治文学賞を受賞。
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