第三十六回小説すばる新人賞を受賞したデビュー作『さつもん』で注目を浴びた神尾水無子さん。
新刊の『慶応四年、江戸炎上』の舞台は幕末。
心に深い傷を負い、江戸など燃えてしまえと願う町火消・れいを主人公に、動乱に翻弄されながらも、再生へと歩み始める若者の姿が力強く描かれます。
作品に託した思いをたっぷり伺いました。

構成/タカザワケンジ 撮影/藤澤由加

「火」に込めた表現の実験

――『慶応四年、江戸炎上』は、町火消の若頭・零次が主人公です。火消を主人公にされたのはなぜでしょうか。

神尾 もともと雨や月、火などを表現する日本語が好きで、主人公が火消なら、火についていろいろな表現ができるんじゃないかというのが出発点でした。冒頭の火事の場面で「えん」「りゅう」「ごう」と火の表現を変えているのも、読んだ方がどんな想像をしてくれるだろう、という期待からです。
 火消という職業については、いわゆる「お仕事小説」とは少し違うものを書きたいと思いました。『我拶もん』の主人公・桐生きりゅうは、仕事が好きで、張り切ってガンガンやるタイプ。でも、今回の主人公・零次はその真逆です。仕事として火を消すというよりは、自分自身の内面との闘いが火を消すことにつながっている。零次にとって火はかたきであり、救いでもあるという矛盾を抱えています。
 本格的にそう思うようになったのは、一度プロットを出したときに、担当編集の方から「江戸の町が燃えてしまえばいいと思っている火消というのは面白い」と言っていただけたところからです。

――「江戸なんかことごとく燃え尽きちまえばいい」という零次の内面が明かされるくだりはたしかに衝撃的でした。

神尾 かつかいしゅうが変なことを言っていたのを思い出したんです。変なことというのは「江戸焦土作戦」です。新政府軍が江戸に侵攻してくるより前に、幕府が江戸を焼き払ってしまおうという作戦で、十九世紀のロシア帝国がナポレオン軍を追い払ったモスクワ焦土作戦にヒントを得たと言われていますけど、とんでもない作戦ですよね。実際には行われませんでしたが、勝海舟が計画していたと本人が言っています。勝海舟は江戸に火をつける役目を火消たちに命じたと言っているので、火消の話なら、このエピソードが使えるんじゃないか、というところからアイデアが広がっていきました。もともと私は幕末が一番好きなので、その時代を書けることは嬉しかったですね。

――零次のキャラクターはどのようにして生まれたのでしょうか。

神尾 元号が平成から令和に変わったときに、テレビで改元の生中継を見ていました。その番組で「令」という字について、人が祈る姿を表した字だという話を解説者の方がされていたんですね。
 ふと気になって「零」を調べてみたら、「雨」に「令」で、「祈りが通じて雨が降る」という意味を持つ字だと知ったんです。その瞬間に「これは使える!」と思いました。火消の名前としてもぴったりですし、これまで祈ることの意味を知らなかったり、祈ることができなかった零次という人間が、物語の中で変われたらいいな、という思いを込めることができました。

零次の心と色をよみがえらせる

――零次は七歳の時に父親が詐欺の罪で捕まり、たった一人の妹・おさとも失うという過酷な過去を持っています。零次のような複雑な登場人物がどう変わっていくのかが、この小説の読みどころの一つでもあると思いますが、零次の造形についてはどのように考えていったのでしょうか。

神尾 物語の最初の頃の零次が見ている世界は、炎にしか色がついていなかったんだ、と後から気づきました。ほかの色が見えていなかったんです。だから、周囲に心を閉ざしてしまう。現実を見たくないから心を閉ざす。心を閉ざすから人とわかり合えない。人とわかり合えないから傷が癒えない。結局、自分の心もよみがえらないし、色も見えない。悪循環です。
 では零次はいつ、どこで変わるんだろう。それが戦場でした。ふしの戦いに敗れ、大坂城へ敗走した幕府軍の混乱と、戦場のむごさを目の当たりにして、零次は自分が無力なんだと思い知ります。
 零次は妹を失ってから、ずっと心の傷を抱えて生きてきました。零次の古い傷を治すには、新しい傷が必要でした。現実に目を向けざるを得なくなるような衝撃的な傷が。戦で心を徹底的に痛めつけられ、それでも生きたいと願うことで、零次はやっと血が通った人間らしく生き始められるんじゃないか。
 そのために、前半では色に関する表現を一切していません。逆に、大坂での戦以降は、できるだけ色彩を表現しています。零次は色を取り戻して、心も少しずつ再生していきます。

――零次の再生が物語の底流にあるわけですね。作者の立ち位置としては、零次とどのように距離を取っていましたか。

神尾 書き始めた当初は、少し距離があって、かんして物語を眺めているような感覚でした。でも、物語の後半からは自分自身も作中の世界へ入っていけたような気がします。特に物語の舞台が大坂に移ってからは、私自身も作中の空気にしっかり潜り込めていたんじゃないかと思います。
 実際に執筆中、他のことをしているときでも、零次が頭の中でしゃべっているような気がして、台所に置いてあるメモに書き留めたりしていました。

――台所にメモが置いてあるというのは面白いですね。

神尾 メモというか、付箋が家中あちこちに置いてあって、思いついたフレーズや台詞せりふをその場ですぐに手書きして貼っておくんです。後でまとめて仕事部屋で書き写すようにしています。

――スマートフォンなどではなく、手書きなんですね。

神尾 自分の手で紙に書かないと、物語のイメージが立ち上がってこないんです。

――家中に付箋が貼られている光景というのは、「作家の創作現場」という感じですね。写真や映像で見てみたいです。

神尾 いえいえ、私以外には誰も解読できないような汚い字なので、とても人様にお見せできるようなものではありません(笑)。

迫力の冒頭から後半の「うねり」へ

――冒頭の火事の場面では先ほどおっしゃった火の描写もさることながら、零次たち町火消と対立する大名火消との戦いも迫力があって、一気に物語の中に引き込まれます。

神尾 冒頭の火事のシーンに関しては、まずはぐっと激しいアクションできつけるように書きました。
 ただ、デビュー作の『我拶もん』が、全体を通してアップテンポな疾走感を目指していたのに対して、今回は後半から大きくうねっていくような展開を作りたいと考えていました。
 それで前半部分は、零次の屈折した嫌な面やつらい過去も含めて、彼の内面を丁寧に書き込むよう意識しました。また、相棒であるロンとの絆や、親方である新門しんもんたつろうとの絶対的な主従といった人間関係の土台を作り、さらにじゃというライバルとの敵対はどうなるのかという物語をからめ、ためてためて後半へ、という流れになっています。

――熱い火事のシーンから鎮火後の静けさが訪れ、そこから複雑な人間関係とドラマが立ち上がってくる。たしかにそういう流れになっていますね。そこに零次の複雑な内面が書き込まれています。

神尾 幕末が舞台だったからこそできた流れだと思います。物語の後半に、幕府が倒れる、江戸が火の海になるかもしれないという大きな危機が待っているので。
 作中で零次の親方として登場する新門辰五郎は実在の人物で、実際に京都と大坂で徳川慶喜とくがわよしのぶの警固を務めていました。この歴史的事実をうまく小説のドラマに組み込めば、零次が大坂城で戦に直面する場面が書けると思いました。

――新門辰五郎のことを知らなかったので、こんな人がいたのかと驚きました。火消でありきょうかくでもあり、娘が将軍・徳川慶喜の側室になっていたことや、鳥羽・伏見の戦いで配下を連れて慶喜の警固に当たったことなど、知らないことばかりでした。史実に創作の人間ドラマを絡めていくのは歴史・時代小説のだいですが、神尾さんはその塩梅あんばいをどのように考えていらっしゃいますか。

神尾 『我拶もん』でもそうだったのですが、作中に実在の人物を一人か二人、重要なポジションとして配しておくと、物語全体がグッと引き締まると思います。もちろんすべて架空の人物で描かれた作品も読者としては好きなのですが、自分自身で書くとなると、今のところ、史実に翻弄され、あらがおうとする主人公に惹かれますね。

神尾水無子

永遠とわとおしち、零次と龍

――この作品における新門辰五郎には存在感があって、彼が大きな傘のように全体を包み込んでいるからこそ、零次のような複雑な男が生き生きと動き回れるのだと感じました。その辰五郎の元に身を寄せている、永遠とお七という姉妹の存在も魅力的です。この二人はどのような発想から生まれたのでしょうか

神尾 この作品が、まだ原形もなかった段階では、「八百屋お七」をモチーフにした小説を書いてみたいと思っていたんです。それはやめたんですが、お七は火事とも関わりが深いので名前を残し、香具師やしの一人にきちというお七の思い人と言われる男性の名前をつけました。

――お七については、実在のお七を彷彿ほうふつさせるすばらしい場面もありますね。では、姉の永遠はどうでしょう。

神尾 この作品では、どちらも悪いけれど、どちらも悪くないという、善悪では割り切れない人間の業を描きたいと思っていました。そのためにはどんな人物が必要だろう。そこで主人公の零次に対して、永遠が出てきました。

――永遠は不思議な立ち位置の登場人物です。主人公に近づきそうで近づかない。妹のお七の前では普通の姉のように見えますが、世間から見れば偽の尼僧という謎めいた人物です。

神尾 登場人物の中で、実は一番強いのは永遠だと思います。主人公の零次は一見強そうに見えて、心がとても弱く、周囲の状況に流されやすい。もともとの零次は全能感に満ち溢れた若者だったのですが、大坂で戦場の過酷さを目の当たりにして心がくじけてしまいます。
 一方、永遠は芯が一本通った強い人間です。強いからこそ、偽の尼僧という立場を十年以上も続けてこられたのだと思います。普通なら途中で心が折れてしまって投げ出してしまうでしょう。自らの罪を裁いてもらうまでは強くならざるを得なかった女性だと思います。

――その永遠とは対照的に、妹のお七は、人の心を読める鋭さを持ちながらも、愛嬌があって好感が持てる人物です。お七の人物像はどのように作られたのでしょうか。

神尾 十七歳くらいの少女のリアルなあり方って、きっとあんな感じだろうという思いで書きました。それと、吉本ばなな先生の『哀しい予感』の主人公がずっと印象に残っていて、それに影響を受けた部分もあると思います。『哀しい予感』の主人公は、人の気持ちや感情がわかりすぎてしまう能力がある十代の女性で、そのためにつらい思いをしたりもします。お七という少女にも、そうした人の心のありようを直感的に察してしまう鋭さがあります。
 ただ、能力とは別にお七自身はおっちょこちょいな性格なので、うまく先回りして振る舞えるわけではありません。ふと人の顔を見たときに、その人が今どんな心境でいるのかがパッと見えてしまい、悪気なく口に出してしまう。心をかたくなに閉ざして生きようとしてきた零次にとって、自分の内面を見透かしてくるお七のような存在は、うっとうしいし、不気味で恐ろしい相手です。だからこそ零次は、お七のことを遠ざけようとするわけです。

――でも、お七は零次を慕っているようです。零次には龍という弟分がいて、お七との間には不思議な三角関係が生まれます。三角とはいっても恋愛というほどはっきりしたものではないところがユニークだなと思いました。

神尾 これは私の解釈ですが、龍は、零次に対しては恋愛に近い愛情を抱いているんじゃないでしょうか。そして、お七はその龍の気持ちを察している。では、零次に対してお七自身が恋心を抱いたらどうなるのか、という含みも少し持たせています。
 現代小説であれば、登場人物同士の恋愛感情や性的指向をはっきりと書いたほうが自然な場合もあると思います。しかし、時代小説では、そのあたりの感情のグラデーションをあえて曖昧に残しておき、読者の方々の想像に委ねることもできるんじゃないかと思っています。
 龍が零次に向ける感情が仮に愛であったとしても、それは同時に家族愛のような大きな絆でもあると思います。この作品の登場人物の中で、実際に血がつながっているのは永遠とお七の姉妹だけで、あとの人間は全員赤の他人です。ですが、新門辰五郎という親方を筆頭に、血のつながりを超えた強固な「家族」として結ばれています。
 江戸時代は徳川家をはじめ武家で養子縁組が当たり前に行われていたのは有名ですが、町人の間でも捨て子や子供のもらい受けが普通に存在していました。血がつながっていない人間同士が、どれほど深い信頼関係や家族としての絆を築けるのか。血縁という枠組みを超えた強固なつながりは、今回どうしても書いてみたいことの一つでした。

神尾水無子

資料へのこだわりと地道な「写経」

――もともと「火消」という存在自体に強い興味をお持ちだったのですか。

神尾 そうですね。「江戸東京博物館」によく足を運んでいたのですが、火消が使っていた「まとい」の体験コーナーがあるんです。女性だと纏を持ち上げるのは重すぎてなかなか難しいのですが、上から鉄の鎖で吊るされた体験用の装置があって、実際に担ぐことができるようになっています。
 十五キロほどの重さですが、長さがある分バランスを取るのが難しくて、体感としては数値以上に重く感じられます。水を含めばもっと重くなるはず。そうした体験を通して、火消の格好よさに魅了されていきました。もともとは落語の演目から火消に興味を持ったのですが、彼らが着ているさし半纏ばんてんなどの衣装もファッションとしてすごく洗練されていて、格好いいなと思っていましたね。

――作中でも描かれていますが、実際の火消の仕事というのは、水をかけて火を消すというよりは、家屋を力任せに破壊していく、ダイナミックで荒っぽい作業だったのですね。

神尾 そうなんです。作中にも出てくる「りゅうすい」という手押しポンプのような放水具は、ちょろちょろと水が出る程度のもので、火を消すためのものというよりは、現場の最前線で纏を持っている火消に水をかけ、熱から守るためのものなんです。
 当時の日本には、水で火を消し止めるという発想自体がなく、火の進行方向にある家をあらかじめ打ち壊して空き地を作る「破壊消防」が主流でした。そういうわけで火消は荒くれ者の集団という一面がありました。

――だから新門辰五郎のように、侠客でもあるような人たちが担っていたんですね。

神尾 特に新門辰五郎の「を組」を含む「いろは四十八組」のような町火消はその傾向が強かったようですね。地域から「みかじめ料」のようなお金を受け取る代わりに、火事や事件から町を守るという自警団的な側面がありました。近代的な警察組織や消防組織が整備された今の時代から見れば否定されるシステムですが、当時の江戸においては、そうした人間関係の相互作用によって、一定の安全と秩序が保たれていたんですね。

――神尾さんの作品を読むと、日常では聞き慣れない江戸時代特有の用語や美しい言葉がたくさん出てきて、知る楽しさがあります。そうした歴史用語や背景の調査はどのように行っているのですか。

神尾 今はネットで何でも調べられる時代ですが、それだけでは不十分なので、国立国会図書館のデジタルコレクションなどを活用しています。自宅のパソコンからでは閲覧できない貴重な資料がたくさんあるので、本館へ足を運び、館内の専用端末で資料を閲覧して、必要な箇所をPDF化してプリントアウトしてもらうという地道な作業です。
 そうした当時の一次資料を読み込んでいると、作中にも出てくる「し合わせ」(人と人が互いに何かをし合うこと。しあわせの語源という説あり)のような、現代では使われないけれど、魅力的な言葉に偶然出会うことができるんです。そうやって見つけた使える言葉や表現は、すべて自分の手書きのノートに書き写して蓄積しています。

――ここでもやはり手書きのアナログなんですね。

神尾 そうなんです。手書きと言えば、剣戟けんげきなどのアクションシーンを書くのが苦手だったので、好きな作家の文章をすべてノートに手で書き写すという修行のようなこともしています。たとえば、北方謙三先生の作品など、著者名とタイトルの横に文章を写経のように書き写すんです。そうやって手で書いて体内にリズムを馴染なじませることで、「自分の言葉で書くとしたらどう表現できるだろうか」と考えることができました。

――『慶応四年、江戸炎上』でもその修行が生かされていますね。

神尾 今回意識したのは、一文を思い切って短くし、アクションのスピード感を出すことです。また、担当編集の方から「モブキャラクターを雑に扱わず、丁寧に描写したほうがいい」というアドバイスをいただいたので、襲いかかってくる浪人たちを一人ひとり意識しながら、一人ずつ数え上げるように描写するなどの工夫を凝らしました。

――戦いのあとに、江戸幕府による時代が終わる。それぞれが新たな変化に対応していかなくてはならない。現代人にとってはめまぐるしい変化への対応と重ねて読める作品でもあると思います。

神尾 時代背景としては、江戸時代のしゅうえんを描いていますが、時代が変わっても人は生きていかなければなりません。でも作中には、新しい時代に置いていかれる人もいる。痛みをともなう新陳代謝が起きた時代に、新たに生き直そうとする人たちの物語として読んでもらえると嬉しいですね。

「小説すばる」2026年10月号転載