『ハヤブサ消防団 森へつづく道』刊行記念インタビュー 池井戸 潤「過去と現在の「接点」を探して」
《こんな田舎でも、人のおるところにはいろんな歴史があるんやて》
亡き父の故郷である山里・八百万町で暮らしはじめたミステリ作家・三馬太郎が地元消防団の一員となって活躍する『ハヤブサ消防団』。
二〇二二年に刊行され、翌二三年に柴田錬三郎賞を受賞。
同年、中村倫也主演でドラマ化され大ヒットした池井戸潤初の“田園ミステリ”に、待望の第二作が誕生しました。
シングルマザーの変死事件、町長選挙、不審な火事。
慌ただしく過ごす中、太郎に作家としての大きなチャンスと、ある出会いが訪れます。
やがて、誘われるように踏み込んだ謎の闇。その先で、彼が見たものは――。
主人公とともに町の真実へ、そして人の思いの奥深くへと切り込んだ執筆の日々、その格闘を振り返ります。
構成/大谷道子 撮影/上澤友香
八百万町にも歴史あり
――田園ミステリとして評判を呼んだ『ハヤブサ消防団』。シリーズ第二作となる『ハヤブサ消防団 森へつづく道』は、二〇二五年五月、同じく「小説すばる」へ連載(掲載は六月号から)でスタートしました。さほど時を置かずしての続編執筆でしたが、前作終了時点ですでに構想があったのでしょうか。
池井戸 いえ、ぜんぜん。ただ、前作のときに目標の販売部数を掲げて「超えたら次を書く」と宣言したところ、幸運なことに達成できてしまったので、「やっぱり書くことになったか……」と(笑)。それで、新しいテーマについて考えはじめました。
もともと、前作は僕が父親から伝え聞いた近過去の伝承などをもとにして生まれた作品でした。舞台である八百万町ハヤブサ地区は僕の故郷がモデルになっていますが、次作に向けていろいろ模索しているうちに、地元も関係する、ある歴史的な事実に突き当たったんです。じゃあ、それをモチーフにして書こうかということで、早い段階で関連施設に取材にも行ったんですが、検討の末、「これは無理だな」と。
――小説にするのは難しかった?
池井戸 その出来事から現代までの間に時間が経ちすぎていて、現代の八百万町に直接つながるストーリーを構築するのは難しいのではないかと。なので、いったん棚上げにしたんですが、それから半年くらいして、突如、思いついてしまったんです。解決の道筋を。
――『ハヤブサ消防団』のことが、ずっと頭にあったんですね。
池井戸 そうですね。取材にも行ったし、ずっと気になってたんです。でも、考えていることは編集者には知られないようにしながら……。知られてしまうと、「いつ書けますか」と催促が始まりますから(笑)。小説は入り口が見つからないと書けないので、それを発見できたのはよかったと思います。
――冒頭では、シリーズ前作を思い起こさせるように、川に落ちた車から水死体となったシングルマザーが見つかります。主人公の三馬太郎が所属する消防団がただの仲よしサークルではなく、町の人の生死に関わる活動を行う集団だということが象徴的に示される出来事です。
池井戸 このシーンをうかつに書いてしまったことが、のちのち僕を苦しめることになるんですが……。この死の謎が、実は最後まで解けなかったんです。なぜ彼女は死んだのか、なぜ車ごと川に落ちたのか、その真相が。
――決めずに書きはじめたのですか。
池井戸 僕はプロットなしに小説を書くので、何が起こるか、この先がどうなるか、まったくわからずに書きはじめ、そのまま書き進めていきます。
小説を刊行したあと、読者の方から「池井戸作品らしく、予想したとおりのストーリーだった」という感想を目にすることがありますが、そんなはずはないんですよ。だって、作者である僕にすら、先がどうなるかわからないんですから! 今回も、最後の最後、発明に次ぐ発明によって変死事件の謎が解けて本当によかったと思っています。ちなみに、この作品も、よく感想に書かれる「勧善懲悪」の物語ではないことを、最初にお伝えしておきます(笑)。
作家は「独立国家の領主」
――父の遺した家《桜屋敷》で小説を書く太郎は、消防団の仲間たちや近所の人々と触れ合い、すっかり町になじんだ様子。しかし、その生活にさざ波を立てる出来事が、またしても起こります。前作の事件に関係した町長が退任することを受けての町長選に、八百万町消防団ハヤブサ分団・分団長の宮原郁夫が立候補を宣言。太郎や消防団の面々がいやおうなしに巻き込まれる選挙活動の描写からは、二〇二三年放送のドラマ(*1)の影響もあって、一人ひとりの表情や言動がありありと浮かびました。
池井戸 立候補する橋本じゅんさんが、生瀬勝久さん演じる山原賢作と小競り合いになって……きっと、読者の方々にとってもそうでしょうね。とくに、太郎の担当編集者・中山田洋は、ほとんど山本耕史さんへの当て書きのようになっています(笑)。いずれにしても、キャラクターが勝手に動いてくれるのは、作者としてもとてもありがたい状態です。
――宮原の対抗候補となるのが、新人候補・浅井素基。父は地元の名士、有名大学を卒業後に東京でIT企業を経営する三十代のイケメン候補は、町長報酬の全額返上、町民への給付金といった公約とネット戦略を駆使した選挙活動で、町内に旋風を巻き起こします。キャッチフレーズは《MYGA(=メイク・ヤオロズ・グレート・アゲイン)》。具体的な人物が何人か頭に浮かぶ造形です。
池井戸 そうですね。とくにモデルがいるわけではありませんが、いろいろな人物の集合体ということで。
――保守的な町役場の中にはこの選挙により、少なからぬ軋轢が生じます。太郎は、選挙戦時から彼に対して《ああいうのは苦手だな。(中略)低レベルのポピュリズムにぼくらは負けたんだ》と批判的。第一作では自分の意見を強く表明することのなかった彼の変化は、八百万町での暮らしに慣れたことや作家としてキャリアを積んだことによる自負の表れでしょうか。
池井戸 どうでしょう。どちらにしても、不自然ではないと思います。今作では彼の内面の描写を少し厚めに書いているので、そのぶんキャラクターがくっきりしてきた部分はあるんじゃないでしょうか。また、今作では八百万町と並んで出版業界がひとつの舞台となっているので、そうしたことからも、太郎が自信を持って語れる場面が増えたのかもしれません。
――自信といえば、太郎は作中でヴィンテージカーを衝動買いしていますね。田園を舞台にした作品で新規軸を開拓し、連載も増えた余裕なのか……。
池井戸 はっきり言うと、買ったのは僕ですけどね(笑)。一九六九年製のBMWのセダン、通称“マルニ”。太郎がこの車を買ったことも、謎解きの道筋につながりました。僕の車はまだ整備中ですが、いずれ故郷にできた「ハヤブサ・ミュージアム」(*2)に展示しようと思っています。
――町の変化と呼応するように、太郎にも転機が訪れます。彼の最新作『キツツキたちの理由』が、受賞すれば《直木賞の候補作家になるかも知れない》と目される蛍文社文学新人賞の候補に推されます。しかも、同時候補は新進女性作家の北原未南の作品。地道にコツコツと書いてきた太郎とは対照的に、未南は華がありマスコミ受けもいい作家で、手強いライバルです。
池井戸 僕個人の考えですが、作家同士がライバルとしてお互いを意識するということは、あまりないように思います。違うタイプの作家はもちろんですが、たとえライバルと周囲から目される作家がいたとしても、「あいつが売れたせいで俺の作品が売れなくなった」ということはありません。
小説という世界の白地図があったとして、作家になるということは、いうなれば、その中にひとつの国家を得ることだと思うんです。多くの国がひしめく恋愛小説の大陸もあれば、未開の大地のように誰も書いていないジャンルもあったりする。僕はきっと後者のほうで、世の中には会社で働いている人が大勢いるのになぜかあまり書かれていなかった、会社員が主人公の小説という暗黒大陸のような領土を担うことになりました(笑)。
つまり、職業作家にとっていちばん大事なのはオリジナリティーで、それこそが自分の領土を規定するものです。そこをいかに開拓して豊かにしていくかが勝負なので、誰かをライバル視するようなものではないと思います。
――最初からスターとして登場する人がいれば、苦労を重ねて才能を開花させる人もいる。それぞれなんですね。
池井戸 唯一、意識するとしたら、同時期にデビューした人でしょうか。世の中の評価の違いに鬱々とするようなことはあるかもしれませんが、それでも、商売敵というような関係ではありません。
裏を返せば、他の作家と同じことをやっていてもダメだということ。誰か好きな作家がいても、その人と似たものを書いていては世に出ることはできません。模倣で満足したいなら、同人誌で書いていたほうが幸せだと思います。

時代の空気が、知らず知らずのうちに
――意外にも、未南の書く作品は骨太な歴史エンタテインメント。八百万町の歴史講演会にゲストとしてやってきた彼女と面識を得、打ち上げの場となった八百万町唯一の居酒屋「サンカク」でノミネートを知らされた二人は、選考会の日、“待ち会(編集者や関係者と選考結果を待つ催し)”をサンカクでともに行うことになります。こんな奇跡的な機会が現実にもありうるのでしょうか?
池井戸 ないですね。僕はこれまでに何度も賞の候補になって、待ち会については取材が必要ないほど経験していますが、もしあったら間違いなく史上初だし、事件です(笑)。
――こうなると、二人の作品を読みくらべてみたくなります。とくに、異国情緒漂う未南作のサスペンスロマンを。
池井戸 作中作で書いてみようかという気持ちにはなりましたが、それをやったら上下巻になってしまうので、「序」の部分だけでやめておきました。もし書くとしたら、その時代にまつわる資料を読み込んで、相当な知識をつけなければならないと思います。
――太郎はまず未南の作品に魅了され、徐々に彼女自身にも惹きつけられていきます。が、あるきっかけから未南の作品に重大な疑惑が浮かび上がることに。太郎は執筆そっちのけで解明にのめり込みますが、それは深い混迷への道のりでした。
池井戸 疑惑の真相がいかなるものなのか。そして、なぜ彼女が当事者となったのか……。実は、この解決を思いついたことが、最終的に作品執筆のきっかけになりました。でも、書きはじめてからも、それこそ最後の最後に至るまで、編集者とは相当議論を重ねました。
未南の作品にまつわる疑惑の一方で、八百万町の中でも冒頭の女性変死事件に端を発するあらたな問題が浮かび上がります。この二つの事件は直列的ではなく、いうならば“ねじれ”の位置になっているんですが、ある一点でつながっている。決して意図したものではなく、書き進めていったらこうなったという意外な接点とでもいいますか。自分でもまさかここにたどり着くとは思っていませんでした。
プロットのない物語を書き進めていくとき重要なのは、物語の流れが自然かどうかです。人物と人物の関係、出来事のつながりは作者の意図ではなく、登場人物の自然な意思と行動でなければなりません。そこが一番難しい。でも経験上、どんな難問も、どこかに解決策はある気がします。
――今回も、作者として納得のいくように書き終えられたと。
池井戸 はい。もちろん、作家も人ですから、作品によって出来のよしあしはあります。それはちょっと、陶芸家が作品を窯に入れ、焼いて出してみて「ああ、こうなったか」と思うのに似ている。直せる部分は直すけれど、惜しかった部分も含めて、それがまた作品の個性でしょう。小説には、そういう“生物(ナマモノ)”のようなところもあって、今作も例外ではありません。
――もともと地元の伝承やエピソードを小説という形で書いて記録しておきたいという思いから生まれた『ハヤブサ消防団』。町の歴史をモチーフとした第二作で、あらためて「継承」がシリーズのテーマとして明確になったように感じます。とくに今は、ともすれば都合の悪い過去は忘れてしまおうというムードに支配されがちな世の中でもあり……。
池井戸 そうですね。何となくですが、いまの世の中は「やばいな、これ」というところに来ているなと感じます。ひと握りの権力者が戦争を起こして、それによって何十万何百万人もの人の命が危険に晒され、実際に命を落としている。でも、それを誰も止められない。戦争をしている国も、そして日本も、その時代性からは逃れられません。
作家も同時代に生きているひとりの人間ですから、世界情勢や政治のあり方、そうした時代の背景を無意識のうちに汲んでいます。僕は政治的なスタンスをとくに主張してきませんでしたが、もし表現したいことがあれば小説として発表するでしょう。作家としてやるべきことは、それに尽きると思っています。
「動機」と「挑戦」で道を拓く
――いまのお話から、作中で未南が太郎に言った、《人にはそれぞれ世に問うべき作品があるような気がするんです》という言葉を思い出しました。その人が書くからこそ意味のある小説、それは、池井戸さんが先に述べられたオリジナリティーにも通じるものだと思いますが、そうしたものを作家がより深めていくために必要なことは何だと思われますか。
池井戸 「動機」と「挑戦」。まずは、これを書きたい、こんなことをやってみようと思えるものが、自分の中にあるかどうか。そして、それにチャレンジできるかどうかだと思います。
書きたいものを自由に書いていけることは、とても幸せなことだと思います。でも、たいていの場合、それだけでは本は売れない。「作家」という仕事をしていく上で本当に難しいのは、売れるものを狙って書いて、それを実現することでしょう。一方、それには動機も要る。ただ書くのが好きだからでもいいけど、僕の場合は新しい車が欲しいな、とか(笑)。何にせよ、何かのために書いてやろうという思いがなければ書けません。
――多くの人に届き、読まれる小説を目指す。それが、自分の書きたいものと一致するのは、幸福なことですね。
池井戸 本当のところ、僕を含めて多くのエンタメ作家には、“真”に書きたいものは別にあるのかもしれません。それは、作家にとっての“コア”の部分であり、そうたくさんはない。でも、職業作家は、売るために書いているという現実もある。結果的に、自分が書ける範囲で「これなら世に問える(売れる)」と思うものを選択して書いているんじゃないかと。僕にも、とても好きな世界だけど売れる自信がないから書いてない、という小説はあります。そのうち、引退間際になったら書くかもしれません(笑)。
――太郎もそうですが、職業作家として認められても、模索は続くということですね。
池井戸 作家として考えなければならないことはたくさんあると思います。僕が今、いちばん気になっているのは、作家も版元も、本は売れないものと決めつけていないか、ということ。自分たちがやりたいようにやって、ルーティーンのようにして本を出して「七千部しか売れませんでした」「一万部売れました、よかったよかった」というレベルのところでとどまっていて、新しいことを開拓していこうという気持ちが薄い気がするんです。一方で、マンガは売れて当然だ、というような。
作家の側でできることは限られていますが、とくに版元のほうには、さらなるイノベーションやブレイクスルーが必要だと思います。その顕著な例がオーディオブック。僕の既刊でも、ダウンロード数はいまや、紙の本に迫る勢いです。ただ、それを手懸けたのは某外資系書店。版元にもう少しチャレンジ精神があったら、日本でも実現できたはずなんです。
さらに問題なのはずっと据え置きになっている本の値段と減り続ける書店の数。課題は山ほどありますが、新しいアイデアはきっと考え出せるし、何らかの解決策はあるはずです。いずれにせよ現状のままでは先は見えています。
――動機と挑戦といえば、近年、小説以外の創作ジャンルにも興味をお持ちだと聞きました。そういえば、この秋に舞台で上演される池井戸さんの作品(*3)がありますが……。
池井戸 脚本や演出を誰がやるかはさておき、小説をひとつのコンテンツとして、活字だけではなく多面的に楽しんでもらいたいと思っています。
――太郎は、作中で自然に《僕が住んでいるのはハヤブサだよ》と口にしており、八百万町にしっかりと根を下ろした模様です。彼とハヤブサ消防団の物語は、この先も続いていくと期待していいでしょうか?
池井戸 そうですね。『森へつづく道』が売れたら、きっとまた語ることが出てくるでしょう(笑)。
そういえば、この作品の表紙の絵は、僕がわがままを言って入稿直前で差し替えてもらいました。最初はただの森の絵だと感じられるでしょうが、読み終えた後には、きっと見え方が変わってくると思います。お楽しみに。
「池井戸潤プロジェクト2026」Xアカウント、始動!
https://twitter.com/IkeidoP_042026
池井戸潤さんが四つの作品を四つの季節に送り出す『池井戸潤プロジェクト2026』。その情報をお届けする公式アカウントを作成いたしました。講談社×集英社×ダイヤモンド社×文藝春秋コラボ企画です。
プロフィール
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池井戸 潤 (いけいど・じゅん)
作家。1963年岐阜県生まれ。慶應義塾大学卒。98年『果つる底なき』で江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。2010年『鉄の骨』で吉川英治文学新人賞、11年『下町ロケット』で直木賞、23年『ハヤブサ消防団』で柴田錬三郎賞を受賞。
主な作品に「半沢直樹」シリーズ(『オレたちバブル入行組』『ロスジェネの逆襲』『アルルカンと道化師』ほか)、「下町ロケット」シリーズ(『ガウディ計画』『ヤタガラス』ほか)、『シャイロックの子供たち』『空飛ぶタイヤ』『民王』『七つの会議』『陸王』『ノーサイド・ゲーム』『花咲舞が黙ってない』『アキラとあきら』『俺たちの箱根駅伝』『ブティック』がある。
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