『これがそうなのか』刊行記念トークイベント 永井玲衣×後藤正文「いまことばとは」
作家・永井玲衣さんの『これがそうなのか』の刊行を記念して、去る1月20日、後藤正文さんとのトークイベントが東京・青山ブックセンター本店で開かれました。ASIAN KUNG-FU GENERATION のボーカル&ギターを務める音楽家であるとともに、さまざまな活動・発信を続けている後藤(Gotch)さん。「いまことばとは」と題されたトークイベントでは、苦しみながらどう「書く」かから、読者をどう「信じる」かまで。今日の社会状況にも触れながら、ことばをめぐって、柔らかく濃密な対話がおこなわれました。トークイベントから再構成してお届けします。
構成/砂田明子 撮影/下沢真梨子 主催/青山ブックセンター本店

書くことはつらくてつらくてつらいです。だけど……
永井 ゴッチ(Gotch)さんとは4、5年前にD2021(※)でお会いして、以来、東北にご一緒したり、ポッドキャスト番組をつくったりしてきました。今回は私の新刊『これがそうなのか』を読んでいただき、ありがとうございます。言葉についてあれやこれや考えたエッセイ集ですが、どんなふうに読んでいただけたでしょうか。
※坂本龍一さん、後藤正文(Gotch)さんが中心となって、震災(Disaster)から10年(Decade)という節目に、さまざまな「D」をテーマに過去と向き合い、未来を志向するためのムーブメント。
後藤 いちいち言葉につまずくというか、引っかかるところがいいなと思って読みました。たとえば「本能」と言われると絶句してしまう、というくだりが出てきますが、漠然と通りすぎてしまいがちな言葉や世の中のいろんなことに対して、いったん立ち止まろうとする。で、そういう一つの引っ掛かりから思考を膨らませていくのが楽しいし、すごいなと。
それでいて永井さんの文章は、あまり深刻そうな顔をしていないんですよ。本質的なことが書いてあるんだけど、ニヤニヤして読めるというか。それもよかったです。
永井 嬉しいです。深刻さと真剣さってちょっと違うなと思っているんです。私は真剣な言葉を愛していて、そういう言葉を書きたいんだけど、同時に作家の井伏鱒二が好きで、彼の映し出すユーモアや悲哀も愛しているんですね。おかしくてさみしい、けれど真剣である、そういった文章を書きたいと思っているので、「深刻すぎない」というゴッチさんの感想はすごく嬉しいです。
その井伏鱒二に憧れた太宰治が書いている、すごくいい一節があります。「やさしくて、かなしくて、おかしくて、気高くて、他に何が要るのでしょう。」(太宰治『もの思う葦』所収「「晩年」について」より)。私もいつの日かこうした文章を書けるよう、気を払いながら書いているんですが、ゴッチさんはどうですか。詩やエッセイを書くとき、どういった文章や言葉が、こっちにやって来ないかなと思っていますか?
後藤 そうですね。難しいな。たとえばミシマ社でやっているエッセイ(凍った脳みそ リターンズ)では、埋めたいと思ってます。紙幅を。
永井 埋めたい?(笑)
後藤 そうそう(笑)。でもなんかノッてくると、急に、扉がバタンと開くときがあって。扉が開いた瞬間に、どこに進めばいいかが、なぜかわかるんです。そうなると、あとは勝手にドライブしていくというか、自動操縦に近い状態になるので、書くときはドアを開けるのが大事かなと思っています。一番良くないのは、小技に逃げること。笑かしたろうみたいな気持ちが強いときの文章って、自分でも寒いなあと思います。
永井 ゴッチさんにも、そういうとき、あるんですか?
後藤 ありますあります。永井さんは、どうですか、書いてるとき。
永井 私は書くことを決めずに書き始めるんですが、書くのは苦しいです。本当につらくてつらくてつらいです。大事なつらさなんですけど、パソコンの画面を30時間くらい見続けているときがありますね。でも、ハッと気づくと、原稿ができているんです。するとその前の痛みをつるりと忘れてしまって、またのうのうと書く、という繰り返しなんですが、ハッと気づく前は、ゴッチさんが言った「自動操縦」に近い状態なのかもしれない。
後藤 ノッてくる瞬間がやってこないと無理ですよね。でもその前には、30時間画面を見ているような、準備運動というか、「スイッチ入れ!」と思っているだけの時間が僕にもありますよ。そういうときは日記書いたり、YouTubeのショート動画見たり、寝たりする。でも永井さん、それだけつらいと思って書いているとは思えない文章ですね。
永井 それはありがたいです。
後藤 書くことを決めずに書き始めるということは、タイトルは、最後につけるんですか? たとえば章タイトルのひとつに「ラン活」が出てきますが、こういうのも最後に?
永井 はい、タイトルはいつも最後ですね。私の書き方は、白いワード画面の上に、保存したいと思う他者の言葉を、二つ三つ置きます。その間を埋めていくように書いていくことが多いです。二作目に『世界の適切な保存』(講談社)という本を書いていますが、まさにこのタイトル通り、書くことで、世界の適切な保存を目指したいという気持ちがありますね。

5年越しに、言葉が届き終えた経験
永井 同時に、自分が保存したい言葉や、楽しい文章を書くだけでなく、他者に伝えたい気持ち、手渡したい衝動のようなものも、書いているときに乗ってくるんです。ただ、難しいなと思うのは……、いま、世の中のスピード感がすごくて、発言の一部が切り取られていきますよね。そういう中で、どうやって伝わる言葉、読んでもらえる言葉をつくっていったらいいか、ずっと考えています。
後藤 いやー、書くことがタフな時代になりましたね。読んでくれる人はいるんです。今日、こうして集まってくださった人たちの顔を見たら、やっぱりいるんだって確信できるんだけど、長い文章を読む人がどれくらいいるのかな? という気持ちにはね。僕自身も、140文字の世界にどっぷり浸かってた時期はあるだけに(笑)、やっぱりなりますね。
でも、なんだろうなあ、リアクションを求めないほうがいいなって最近は思ってます。音楽についても書くことについても。インプレゾンビみたいな人を嫌悪しているのに、自分の書いた言葉については即効性を求める、この態度はよくないなあと。
永井 なるほど。
後藤 だから「時間」という考え方がすごく大事だと思います。10年、20年という時間軸の中で、自分の作品が輝きを増したり、強くなっていくイメージを持たないと、抗いたいこの時代の価値観に抗えないんじゃないかと。
たとえば名曲として認知されている曲って、今ヒットチャートをにぎわしているような曲とけっこう違う形をしているんですよ。どういう曲がスタンダードになっていくかというと、繰り返し演奏される曲。プリンスが亡くなったら、アメリカ中のアーティストがプリンスの曲を演奏するみたいに。そうなれるかが大事で、なので自分がやってることの成果や意味は、長いスパンの中で考えたいと思うんです。
永井 話を聞きながら、ゴッチさんと、明治神宮外苑地区の再開発を再考してもらうための場をつくったときのことを思い出しました。当時の「森の計画書」には、50年後、100年後、150年後という計画が書かれていたんですよね。このくらいの時間軸の視点を、自分の書くものに持てるだろうかと、衝撃を受けて。
後藤 本当にそうですよね。僕がびっくりしたのは、林業の若い人たちに話を聞いたときです。苗を植えているある人が、「この松は生長が早いんです」と。「30年で収穫できます」と。30年が早いっていう感覚なのかと驚いた。早いといっても30年後だから、自分が植えた松の伐採を見届けられるかはわからないわけで、つまり、自分が使うかどうかわからない樹を植えている。森というのはこんなに長い時間の循環で再生していくのか、こういう働き方をしないといけないなと。あれは価値観が変わるような体験でしたね。
永井 本にも書きましたが、私は「哲学対話」という対話の場所を、全国いろんな場所でつくっています。この場でも、時間というものを考えさせられますね。というのは、ある月まで黙っていた子が、翌月から一気に喋り出すことがよくある。その子の中で対話が蓄積され、生き続け動き続けていたことが、長い時間をへてわかるんです。だから対話が終わることは絶対ないと思いますし、同時に対話に成功はあるのだろうか、あるいは失敗は存在するのだろうかと考えさせられます。
それから対話の場で出される言葉は、詩の言葉だと私は思っているですが、この詩の言葉も、読むのに時間がかかる百年単位の言葉です。最近、驚きの体験をしまして……、最初の本『水中の哲学者たち』(晶文社)を2021年に出したときに、歌人の穂村弘さんと詩人の最果タヒさんに帯文をいただいたんですね。タヒさんは「もしかして。あなたがそこにいることはこんなにも美しいと、伝えるのが、哲学ですか?」と書いてくださって。いいな、嬉しいな、とその時は思ったんですが、今思えば、全然わかっていなかった。
先々月、山口で哲学対話をしていたときに、急に来たんです。うわあ、そういうことか。その通りです、タヒさん! って。5年越しくらいに理解できたんです。
後藤 これまでより深く、バチっと合ったわけでしょうね。
永井 タヒさんの詩の言葉が、私に届き終えたんですね。こんなことがあるんだなあと、震えました。だから10年、20年かけて届き終えるような言葉、そのくらい風化に耐えうるような言葉を私もつくりたいと思いつつ、どういう願いをのせて、どういう祈りをのせて紡いでいったらいいのだろうかと考えるんです。
後藤 詩の言葉って難しいですね。谷川俊太郎さんが、詩は明示性のみを目指さない、というようなことをおっしゃっていたと思います。そこに表されていないことや、含意が大事で、何が含まれているかをみんなで探そう、みたいなことを。ただそれって、たぶん、必ずしも書き手が書くときに含めたものではないような気がするというか。
永井 ああ、そうですね。
後藤 そこから何を取り出すかは、徹頭徹尾、私たち読み手に委ねられているんじゃないか。書かれた言葉って、固定されているようなイメージがあるけれど、本当は仮固定くらいで、だから結局大事なのは、「読むこと」なんじゃないかという気がしてるんです。
書いた人も、書いた瞬間から読み手になるわけですよね。それはとても大事なことで、優れた書き手は絶対に優れた読み手だし、優れた演奏家は、絶対に優れたリスナーです。と考えると、自分の感じ取る能力、受信機としての能力を、どうやって広げていけるか。それがこれからの人生のテーマだなと思ってるんです。老いると肉体的には衰えていく。しかし、文章をどう読むか、音楽をどう感じるかの部分は、一生付き合っていける。諦めなくていい領域があるのは、希望だなって思うんですよ。

自分の曲や文章は、本当に自分がつくったものか?
後藤 という話をしつつも、話が戻ってしまってごめんなさい、書くことが悩ましい時代だな、というのはやっぱりありますね。世界的な情勢がどう見ても良くないし、言ってみればヘイト本が、噓でしょ? みたいな勢いで売れている状況に対して、なにかカウンターを打ちたい、打たねば、という気持ちになっちゃう。リアクションを求めないと言っておきながら、一方で、世間の評価軸みたいなものと縁を切って自分の世界に没頭していていいのかな、という焦る気持ちもあるんですよ。
永井 それでいうと私は、ゴッチさんに以前、教えてもらった言葉を頼りに生きていて。
後藤 なんか偉そうなことを言ったっぽいですね(笑)。
永井 いえ(笑)、「バケツリレー」のたとえを以前ゴッチさんから聞いて、ものすごく励まされました。自分のバケツは、火に直接水をかけるバケツじゃないかもしれない。火から遠く離れた場所にいるかもしれないし、手が疲れてくるかもしれない。それでも受け渡すことをあきらめない、ということをおっしゃっていて、ああ、そうありたいなと。
このたとえから想起することがあります。アジア・太平洋戦争の記録を見ていると、いかに多くの人が戦争に巻き込まれ、加担していったかの記述が目立つんです。一方で、「この戦争はおかしい」と抗った人もたくさんいることを知るんですね。彼らは声を上げたために、治安維持法の適用によって検挙されたり殺されたりしたわけですが、そうか、抗った人がこんなにもいたんだと。そういう人たちに、自分も身を連ねていきたいと。なので「今」この時点だけを見ると、早くリアクションがほしいと私も思っちゃうんだけど、連綿と続く歴史の中に自分を位置付けることで、息の長いものを書けそうな勇気がもらえる。ゴッチさんのバケツリレーの話は、ものすごく大切だなと思っています。
後藤 僕もいま、勇気をもらった、自分の言葉に(笑)。火を消す場所にいたいと思うのは、いわばヒーローになりたいという願望なんだけど、そこにいなくても、リレーに参加していることにめちゃくちゃ意味があるんですよね。
だから、ちゃんと「信じる」ことが大事ですね。読み手や聞き手を信じて、自分の仕事をすると。僕らの曲は、新曲をいっぱいつくっても、時代の寵児のような売れ方をするわけはないと思っちゃってるところはあるけど、それを恥ずかしいとは思ってないし、伝わるやつは絶対いると思ってる。20年も30年もやってたら、僕らの音楽に影響を受けましたという人たちが、まったく違う音楽をやってたりするんですよ。そういうことが大事だし、嬉しい。いつ、どこで、誰が聴いてくれるかわからないけど、届くと信じて、伝えたい熱の入った作品をいろんな場所に置いていくのが僕の役割かなあと思ってます。そのためには記録が大事になってくるので、録音が好きなところがありますね。本も同じですよね。書物は時空を超えていけるから。
永井 そうですね。目の前にして言うのはすごく恥ずかしいというか、照れちゃうんですけど……私、本当にゴッチさんのことを尊敬していて。
後藤 僕が恥ずかしいですね(笑)。
永井 尊敬している一つが、ゴッチさんの、「独り占めしない」ところなんです。今のお話を聞いて、作品が受け継がれていくには、やっぱり手放さなきゃいけないんだよなと思ったし、「バケツリレー」の話も、ゴッチさん、覚えてなかったじゃないですか(笑)。
それで思い出したのが、この前、岡真理さん(早稲田大学文学学術院教授)とお話しさせていただいたんですね。お会いするのは2回目で、そのとき岡さんが「以前、永井さん、『2.5人称の死』という、すごく大事な話をされたでしょ」とおっしゃったんです。でも実は、2.5人称についてお話しされたのは岡さんで、私は感銘を受けたからよく覚えていたんですよ。そう伝えると、「え? そうだっけ」と。あっけらかんとされていて、そういうところも大好きなんですが、さらに続けて「永井さんと話したときに出てきた言葉だから、二人のものね」と言ったんです。
後藤 すてき。
永井 こういう人になりたいと、心から思いました。これは私の概念ですとか、私のお金ですとか、私がやるんですとか、自分の取り分を増やしていくことがカッコいいみたいな世界観が、今の社会にはあると思うんです。でもそうではない方向に“開いてく”……つまり何もかも独占するのではなく、手放していくことで、別の人が語り直してくれたり、再演してくれたりするんだということを、しみじみと感じています。
後藤 僕の場合は、記憶力に問題があるのかもしれないんだけど(笑)、そもそも自分の曲でも文章でも、本当に自分がつくったものかわからないところがあると思うんですよ。生まれて直ぐに言葉が話せたわけではなくて、誰かに教えてもらったから文字も読めるわけだし、メロディーだって同じ。なので自分の作品を独り占めするのは良くないんです。著作権だって、アーティストが食っていくために必要なシステムではあるんだけど、あまり振りかざすと下品になると思ってます。
永井 そうですね。そういうゴッチさんの姿勢が、今の私の活動の大きな支えになっています。今日はありがとうございました。
後藤 こちらこそ楽しかったです。ありがとうございました。
逆境を支える言葉は? エナジーに満ちた静岡の言葉と、偉大な哲学者の意外な言葉
──(ここからは、質疑応答の一部をご紹介します)逆境に立たされた時に支えとされている言葉があれば教えてください。
後藤 ここ数年、静岡(藤枝)で、築130年の蔵を音楽スタジオに再生するというプロジェクトをやっていたんです。で、この静岡には、「なんとかなるらー」っていう、めちゃくちゃいい言葉、勇気がリンリンと湧いてくる言葉があるんです。みんなで集まって困ったなあってときに、「なんとかなるらー」って言うと、深刻になりすぎないんですよ。本当になんとかなるかはわからないですよ。でも、悩みを棚上げしてくれる。柔らかい響きも含めて牧歌的なエナジーに満ちていて、僕は幾度となく、「なんとかなるらー」に救われました。静岡県じゃなかったら、スタジオもできてなかったかもしれないと思いますね。永井さんは何かありますか?
永井 私はサルトルが好きで、それで哲学科に入ってしまったんですが、サルトルの最後の著作が『いまこそ、希望を』という対談集なんですね。このなかでサルトルは、「世界は醜く、不正で、希望がないように見える」と。だがこの一人の老人は、つまりサルトルは、まさしくそれに抵抗し、希望のなかで死んでいくだろう。ただそのために、その希望を根拠づけねばならないと言うんです。あれほど膨大な本を書いてきたサルトルが最後に残した言葉が、まず希望があるということだった。根拠の前に、希望がある。この言葉を何度も何度も心の中によみがえらせて、支えにしています。
──後藤さんの、読み手や聞き手を「信じる」というお話に感銘を受けました。でも私は、文章を書いて発表するときに、読み手にどう思われるか、ものすごく不安になってしまうときがあります。お二人はどういうふうに信じるということをされているのか。お聞きしたいです。
後藤 それは、このくらいだったら読者は読めるだろうとか、理解できるだろうって、一切思わない。フルスイングすることです。思い切り剛速球を投げる。こんな書き方をしたらわからないかな、って思うことって、相手を値踏みしてるっていうとちょっと言い過ぎかもしれないけど、相手の才能を信じてないってことじゃないですか。自分が投げた球を相手は絶対に受け取ってくれると思って、相手のことをあまり考えない。それが信頼だと僕は思いますね。
そもそも、読者って、自分の想定を超えた人なんですよ。僕のやったちっぽけなことを、僕なんかが追い付かないくらいの知性で受け止めて、魅力を伝えてくれる人がいるかもしれない。そう信じることが読者を信じること。だから相手を想定しなくていいし、それは相手を限定しないってことでもある。同時に、自分の書いているものを卑下する必要もないんです。そう思って僕はやってますね。永井さんどうですか。
永井 すごく励まされる言葉でした。大学の学部時代にお世話になった教授が言っていたんです。君たちはいずれ大学で授業をするかもしれない。大学っていうのは授業を聞いてないやつが大半になりがちだ。でも、たった一人が聞いているかもしれない。そのたった一人のために授業をしなさいと。現に私は今、大学で授業を持っていて、120人くらいの学生を前に授業しているので、いつもその言葉を思い出すんです。その先生も、自分の先生から受け継いだ言葉だそうで、まさにバケツリレーされてきた言葉を嚙みしめているわけですが、その時に思うのは、真面目にやることがすごく大事だなということ。
うまく投げようとか、小手先で投げようという気持ちになるときもあるんだけど、そうするとゴッチさんが言うように、かえって失敗するんですね。もちろん不安になるときはあるので、そういうときは、先人たちの顔を思い出します。ゴッチさんがいるな、坂本龍一さんがいるな、それからサルトルがいるな、大江健三郎がいるな、この列に自分も連なりたいなと思うと、やはり真面目にやりたいという気持ちになるんです。
(2026.1.20 青山ブックセンター本店にて)

プロフィール
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永井 玲衣 (ながい・れい)
1991年東京都生まれ。人びとと考えあい、ききあう場を各地でひらいている。問いを深める哲学対話や、政治社会について語り出してみる「おずおずダイアログ」、せんそうについて表現を通して対話する写真家・八木咲とのユニット「せんそうってプロジェクト」、Gotch主催のムーブメント「D2021」などでも活動。著書に『水中の哲学者たち』『世界の適切な保存』『さみしくてごめん』がある。第17回「わたくし、つまりNoBody賞」受賞。詩と植物園と念入りな散歩が好き。
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後藤 正文 (ごとう・まさふみ)
1976年静岡県生まれ。ASIAN KUNG-FU GENERATIONのボーカル&ギターであり、ほとんどの楽曲の作詞・作曲を手がける。エッセイや小説の執筆といった文筆業や、新しい時代とこれからの社会を考える新聞『THE FUTURE TIMES』の編集長を務める。インディーズレーベル『only in dreams』主宰。2024年5月、静岡県藤枝市にて『NPO法人 アップルビネガー音楽支援機構』を設立。
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