今回のキーワードは宇宙への憧れ。加納朋子さんの新作『空をこえてななのかなた』は七篇からなる連作小説です。等身大の人間が直面するさまざまな問題が意外な形で解決していく驚きを味わってください。各話が北斗七星のように揃ったとき、意外な真相が明らかになっていきます。作品の狙いや、物語に込められた加納さんの思いを伺ってみました。
聞き手・構成=杉江松恋 撮影=三山エリ

宇宙への憧れ

――非常におもしろかったです。全七話はすべて『小説すばる』初出とのことですが、連載としては第一話の「南の十字に会いに行く」だけが二〇一七年六月号でちょっと早いんですよね。

 はい。「南の十字に会いに行く」は宇宙をテーマに、ということで書いた短篇でした。その後何か新しい連載を、というご依頼をいただいたときに、そこで描いた物語の先を自分でも知りたくなって。それが構想の始まりでしたね。

――宇宙への憧れが全体の共通項ですが、ご自身が関心をお持ちなんでしょうか。

 第二話の「星は、すばる」とも重なってくるんですけど、私は小さい頃からかなり視力が悪くて、みんなが「綺麗ね」と言っている星をよく見ることができなかったんです。その悲しさもあって逆に憧れが募りました。都会ではもともと星は見えませんし。私が若かった頃住んでいたところにプラネタリウムがあって、通うのが好きでした。そのあたりから星に関する写真集や文献とかを読み漁るようになりまして。とても好きだったのが林完次さんの『そらの名前』(角川書店)という写真集です。近い話ですと、小惑星探査機「はやぶさ」に心かれました。ちょうど私が急性白血病で入院していて、いちばんつらいときに地球に帰ってきたんです。それでとても思い入れが深くて、翌々年J‌A‌X‌A(宇宙航空研究開発機構)の相模原キャンパスで開かれた「はやぶさ」プロジェクトに関わった方の講演にも、足を運んで聴きに行きました。会場の横にプラネタリウムがあったんですけど、そこで「はやぶさ」の映画を観て大号泣してしまって。パッと電気がついたときに、隣に大学生ぐらいの女の子がいたんですけど、彼女も泣いていて、二人で目を合わせて笑った記憶があります。

――加納さんの中で、宇宙に関する思いは特別なものになっているんですね。

 はい。いつもは大事なところに封印していて、時々開けて、綺麗だな、と見るような感じです。最近はネットで星雲の画像なども見られるようになってきていますが、見ているとその中に吸い込まれそうになります。

――本書には全体を通して読むことで浮かび上がってくる、ある大きな物語があります。この着想はどういう形で浮かんできたんでしょうか。

 「南の十字に会いに行く」は、もともと童話的な話になるような形で考えていたものなんです。それに続く話を書くときに、第一話の物語を分解して、その構造を連作の全体で繰り返してみたいということを考えました。そこが出発点でしたね。

――おもしろいですね。先に書かれた短篇を第一話として、連作全体を規定するものになるという。ちょっとしたフラクタル構造じゃないですか。この連作は、どの話もミステリー的なプロットを応用した物語になっていますけど、同じような話が一つもないのが特徴ですよね。絶対にプロットが重ならない。贅沢な連作だと思います。

 ありがとうございます。

加納朋子インタビュー2

普通の人の側の心情を描く

――さっきお話にでた「星は、すばる」は事故で片目の視力が低下してしまった少女・ほしの話ですが、きまじめで大人しいように見える彼女が、事故の原因になったクラスメイトに対してとても辛く当たるという場面が描かれる。自分の弱い部分からは目を背けたまま、他人を攻撃したくなるというのはこども時代には誰でもあることですよね。そういう形で彼女の弱さや心の暗い面をきちんと書かれているのが、児童文学としてもいいな、と思って読みました。

 全体の構成上、こどもの話は書かなければならなかったんですね。人物像では第一話で登場する七星も同じで、自分の悲しさをお父さんに八つ当たりしている。そのぐらいのとしには、やってしまいがちだよな、と。ちょっとした母親目線で書いていますね。他人を責めてしまう残酷な一面は自分にもある部分ですから、そこはあえて書きたかったことです。

――そういうところをきちっと書かれるのが加納作品のしっかりした骨格の元だと思います。優しさがふわっと書かれただけではやはり物足りない。そういう負の部分もありのままに書くということが小説の人間描写では必要だということなんだと思いました。第三話の「箱庭に降る星は」は、弱小文化部に属する高校生が主人公ですね。加納さん、高校時代の部活は何ですか。

 美術部です。『ななつのこ』の主人公と同じですね。

――弱小文化部が肩身の狭い思いをするというのは、私も高校時代の経験からよくわかります。加納さんの美術部はどのくらいの規模だったんですか。

 五、六人だったと思います。今だと美術部は漫研と合体していたりもするんですけど、そういう時代ではなかったので、みんな真面目に油絵とか描いていました。だから人は少なかったです。私は部長になっちゃって、会議で予算をすごく削られて部員から滅茶苦茶怒られました。異議申し立てに行ってこいって言われて。駄目駄目部長でした。

―― 「箱庭に降る星は」は、その辺の文化部あるあるも盛り込まれたコミカルな話になっていますね。前二話とはがらっと色調が変わりました。

 結構重めの話が続いたので、明るい感じも書いてみたんですね。私は主に集英社さんで数字の”七”にちなんだ話を書いていて、虹のようにいろいろな色合いのものを書いてみたい、というのがいつもあります。今回は北斗七星の七なんです。キャラクターもきちんと作って、最後にまとめるという観点からすると、七話は私にとってすごく書きやすい分量なんです。

――面白いですね、そのメソッドは。七話形式という数の意味がちゃんとある。

 はい。『ななつのこ』でデビューしていますから。「箱庭に降る星は」は、ちょっとラノベ風にすることもあえて意識しています。展開も割とラノベにあるような展開ですよね。その後の話でもいろいろカラーは変えています。

――スーパーヒーローな生徒会副会長とか、キャラクターも実によく立っていますよね。一、二話とまったく違う感じの話になったので、読んでいて結構驚きました。そして第四話が「木星荘のヴィーナス」です。最初が童話調だとしたら次は児童文学、そしてラノベ風の学園もので、今度はなんと下宿ものですよ。第三話と同じコミカルなタッチで、今度はカナエさんというすごい美形でかつ頭もよくて人格も素晴らしい女性が中心人物です。彼女の活躍を、大家の娘さんの視点から描いていくというね。これも楽しかったです。

 とにかくとんでもなくすごい人って現実にいるんですよ。そういう人が身近にいたらたいへんだよね、というのが出発点にありました。第六話の「星の子」にもそういう部分がありますけど、たとえば親が有名人だと、家族に与える影響もすごく大きいと思うんです。

――ちょっと変わった人間関係があるときの、普通の人の側の心情を描くということがこの連作ではたびたび出てきますね。現実離れした人を現実の中に一人置くことで生じるあつれきを描くという小説のパターンがありますが、スターと地上の人間の関係といいますか。

 カナエさんはとにかく宇宙というテーマの中の超新星、スーパーノヴァで、ただひたすらまぶしい存在として書きたかったんです。おっしゃるように彼女を取り囲む人たちが本来の主人公なんですよ。宇宙の中で太陽を取り囲む惑星とか、そういう位置づけです。

――星で言えば、北斗七星も小説のモチーフであるわけですものね。

 そうなんです。北斗七星の目印となる北極星がそんなに明るい星じゃないのが、ちょっとイメージ的には残念ですが。

――あれが超新星のように煌々と輝く星だったら、まさにぴったりでしたね。面白いですね。北極星は空の中心にいて動かないけど、その存在を感じながら普通の人たちは周囲で右往左往して動き回っていると。

 そういうスーパースターって、本人の意図とは別に他人に影響が出て、時にはた迷惑でもあると思うんです。それでも愛さずにはいられない存在を書きたかったですね。

――そして第五話、「孤舟こぶねよ星の海をけ」です。なんと航行中の宇宙船が舞台ですね。

 やっぱり宇宙をテーマにするなら一個ぐらいはS‌Fっぽい話がなきゃ、ということで最初から入れることは予定していました。私はS‌Fを書いたことが全然なかったので、どれぐらいそれっぽいものが書けるかわからなくて、難易度が高かったんですけど挑戦してみました。

――そうなんですよね。加納さんのファンの方は、えっ、S‌F、と驚かれると思うんですけど、全体を通して読めばこの話が入る意味合いもわかる。連作の鍵を握っていると言っていい短篇です。小惑星が接触し遭難しかけている宇宙船の中で何とかして愛する人を助けようと頑張る人たちの話なんですが、それまでの四話が家庭や友人など小さな人間関係で収まる物語だったのが、災害が日常を奪うという大きな話に広がりましたね。新型コロナウイルスの流行下に発表された短篇ですが、そこは意識されてはいないんですか。

 意識はしていないんですが、宇宙船の外に出られない息詰まる感じなんかは図らずもコロナ時代の空気に似たものになっているとは思います。書こうとしたのは人間の暮らしが自分ではどうしようもない理由で中断されてしまうという事態でした。また、家族がいったん壊されて、再生するという話でもあります。どの話も家族を扱っていることは変わらないんですが、その枠組みは毎回変えてあります。

――話のトーンが毎回違うこともあって、そういう観点を交えることで全体が立体的になっていますね。そして少し前にも言及された第六話「星の子」です。全体を貫くテーマがもっとも集約された形で表現された話になっていますね。親の身勝手に振り回されてしまうこどもが出てくるんですが、オチと言いますか、解決の仕方がすごくいいと思います。

 どうにもならない人間関係というのはありますが、そういうとき自分を傷つけてしまうぐらいなら逃げるが勝ち、と私は常々思っているんです。過去作品で言えば『カーテンコール!』などでもそういうことを書いています。

――加納作品の登場人物は、大きな力を持っているわけではなく、物語の中で相手に勝つということを目的にしないところがありますよね。

 P‌T‌Aを書いた『七人の敵がいる』がその点では例外的なんですよ。

――ああ、そうかもしれません。あれも解決自体は非常に納得するものでしたが。そのへんのお考えは、加納さんご自身と重なる部分も大きいわけですね。

 そうでしょうね。私自身がそんなに人と戦えるタイプの人間ではないので。あまり無責任に言えることではないのですが、現代の若い方を見ていると、追い詰められた、もう終わりだ、となってしまうケースがあまりにも多いような気がしていて、そこは特に若い世代に伝えたいと考えて、以前から作品には盛り込むようにしています。もしかすると後ろ向きな解決だと思われるかもしれないですけど、現実的に起きていることを救うとすればありではないか、少なくとも選択肢の一つにはしてもらいたいと思っています。

――そして第七話「リフトオフ」です。ここまで気を付けてネタばらしにならないように触れてきたんですけど、前六篇にちりばめられたパズルのピースがすべて埋められる、ミステリーでいえば解決篇にあたるお話です。

 解決と後日譚ですね。そして、旅立ちの話でもあります。宇宙がテーマの物語ですから、ここに持っていきたかったというラストですね。

――すごく爽やかなんですが、同時に切ない感情もこみあげてきて、とても不思議な読書体験をしました。最初に加納さんがおっしゃった物語構造の意味も明かされますし、実に読み甲斐のある最終話でした。さまざまな人間ドラマが描かれる連作ですが、書いていていちばん楽しいと思われたキャラクターは誰でしたか。

 楽しんで書いてはいないですが、第二話の美星ちゃんにはかなりシンクロして書いていましたね。私自身が近眼で、クラスの女の子から同じような心ないことを言われたことがあるんですよ。だからかなり私に近い登場人物かもしれない。ちょっと腹黒いところとか。

―― (笑)。そういったちょっとした辛辣しんらつさが作品の大事な骨になっていると思います。コミカルな「木星荘のヴィーナス」にも無自覚に他人を傷つける人が出てきたりして、とても現実的ですよね。カナエさんのようなスーパースターも登場する連作なのに、視点人物は読者と同じどこにでもいそうな人間で、そういう人物配置が見事だと感じました。普通の人の視線で見るからこそ、スーパースターの存在に胸のすく思いがするんですよね。閉塞感の漂う時代には、こういう小説が求められているんだと思います。

 ありがとうございます。昨今は息詰まるようなニュースばかりが目立ちます。そんな閉塞感を、読んでいただいている間だけでも拭えたら、それこそタイトルのように、空を超えて遥かな星の彼方に思いを馳せてもらえたら、とても嬉しいです。

「青春と読書」2022年6月号転載