『わたしを庇わないで』刊行記念対談 石田夏穂×酒井順子「新しい時代の悪口を求めて」
石田夏穂さんの新作小説集『わたしを庇わないで』が刊行されました。本誌掲載時から「新たなデブ小説」と話題になった中編が表題の小説集です。
対談のお相手はエッセイストの酒井順子さん。石田さんは中学生のときに酒井さんの『負け犬の遠吠え』に出会って感銘を受け、そこからずっと酒井作品を愛読されているそう。形式は違えど、鋭い観察眼から生まれるユーモアでたくさんの人々を笑わせてきたお二人。見た目のこと、表現のタブーのこと、現代の悪口のことなど、さまざまなテーマについて語りあった渋谷・大盛堂書店でのイベントの様子を載録します。
構成/長瀬海
視野狭窄な弱い人間の強さ
酒井 じつは私は石田さんの小説のファンなんですよ。これまでの作品はほとんど読みました。なので、今日はお会いできてとても嬉しいです。
石田 ええっ、そうなんですか。いやー、そうおっしゃってくださり、とても嬉しいです。私もずっと酒井さんのエッセイを読んできましたが、まさかご本人にお会いできるなんて思っていなかったので緊張しています。
酒井 さっそくですけど、『わたしを庇わないで』すごくおもしろかったです。私は電車での移動中はたいてい本を読んでいるんですが、この小説も電車のなかで読みはじめました。その日、三鷹方面で用事があったので市ケ谷駅から総武線に飛び乗り、本を開いたらついつい夢中になっちゃって。ふと気づくと浅草橋だったんですよ。
石田 逆方面ですね(笑)。
酒井 そうなの(笑)。反対の電車に乗っていることに全然気づかなくて。それくらいおもしろくて、没頭してしまいました。この本には三つの作品が収録されていますけど、それぞれ何を考えて書かれたのかお聞きしていいですか?
石田 最初の「世紀の善人」は、二年くらい前に書いた中編でして、職場の人たちをいじわるな視線で見たまま書いてみたいと思ったのがきっかけですね。
酒井 石田さんが日々会社で働いているなかで感じたことを小説に書いてみようと思った?
石田 そうですね。ただ、こういう小説を書いていると信じてもらえないかもしれませんが、私、職場のおっさんたちが大好きなんですよ(笑)。仕事について本当にいろんなことを知っているので尊敬してるんです。でもやっぱり会社で一緒に働いていると、どうしてこの人はこういう性格なんだって思うこともありまして。作中にも書きましたが、私は職場は自然界であると思っています。ライオンとシマウマの世界みたいなもので、ライオンにシマウマを食べないでくださいとお願いしても無理じゃないですか。
酒井 本能がありますからね。
石田 そうです、弱い者を食べようとする摂理があるというか。だからこの小説ではおっさんたちにいじめられる女性を出して、弱肉強食の感じをわかりやすく表現しました。でも、弱い人間が生きていくためには、逆説的に強くなければならないといつも思っています。
この小説の主人公は、何十人もの会社のおっさんたちがエレベーターの前に律儀に並んでいるのを見て、もしかすると彼らは階段を使うと死ぬんじゃないかと思い込みます。もちろんそんなことはないんですが、タフに生きるためには彼女はそう考えるしかない。あえて視野狭窄になることによって強く生きようとする人間の姿をおもしろく書きたいと思いました。
会社員以外の人物を書くという課題
酒井 「世紀の善人」もそうですが、石田さんの作品って純文学の雑誌に掲載されてるのに、難しい言葉とか実験的な文体が使われることがありませんよね。だから読みやすいんですけど、文章を書くときには何を意識されていますか?
石田 難しい語彙を書かないんじゃなくて書けないんですよね(笑)。いつも何も意識せずにふつうに書いています。純文学では句読点なしとか、改行なしとか、いろいろチャレンジをされる方も多いと思いますが、私にはそもそも知識や教養がないので、そういう書き方ができなくて。でも、いつか読み味が違うものも書いてみたいと思うこともあります。
酒井 ストーリーの作り方で意識されていることはありますか?
石田 主人公が考えすぎないようにしています。観念的な話になるとつまらないかなと。
酒井 主人公のなかに自分は何パーセントくらい入ってますか?
石田 いつもそう聞かれると私、かっこつけて「ゼロです」と答えるんですけど、三〇パーセントくらい入っていると思います。
酒井 それくらい入っているのは、読者としてなんだか嬉しいです(笑)。「世紀の善人」のあとに書いたのが「小人二十面相」ですね。この小説では主人公が子どもなので驚きました。
石田 ボーッとしているといつも主人公が会社員になってしまうので、非・会社員を書こうと思いました。でも全然うまく書けなかった(笑)。もともと鏡に映る自分や写真写りに一喜一憂する人を書きたいと思っていて、自分の顔が嫌いな女性を主人公にしようと考えたんですけど、大の大人でその性格は幼すぎるよなと思って。それで、思い切って子どもにしたんですけど、結果的に今回の本に収録された小説のなかでは彼女がいちばん老成していますね(笑)。
酒井 主人公の望は友だちとディズニーランドに行く約束をしたものの、本当は行きたくないという悩みを抱えています。石田さんは制服ディズニーとかやった世代ですか?
石田 やりました。ディズニーに特別に興味があったわけじゃないんですけど、ディズニー外交をするべく二十回は行っています。私、舞浜駅を通る武蔵野線の沿線に住んでいたので、行きやすかったんですよね。酒井さんは東京のご出身ですよね。ディズニーには行かれませんでしたか?
酒井 ディズニーランドは私が高校生のときにできたんですよ。だから、できたばかりのときは喜んで行きましたけど、そのあとは足が遠のきましたね。大人になってからは数えるほどしか行ってません。ディズニーシーには一度も。若い人には信じられないかもしれないけれど。
石田 いつか酒井さんにはシーに行ったときの話を書いてもらいたいですね(笑)。
意図せず笑われてしまう人の話が書きたかった
酒井 最後は表題作の「わたしを庇わないで」ですね。これには大きな衝撃を受けました。もう活字でほぼ書けなくなった「デブ」という文字がこれだけ出てくる小説はなかなかないのではないでしょうか。
石田 文字数あたりの「デブ」率でギネス記録にならないかな(笑)。
酒井 この十年でコンプライアンスの考え方もガラッと変わりましたもんね。書けないことがとても増えた。石田さんはデビュー何年目ですか?
石田 私はまだ五年目の生まれたてですね。新生児です。
酒井 ほやほやですね。私はエッセイを書きはじめてから数十年が経ってるから、デビュー当時と今ではコンプライアンス的な感覚が大きく違うんですよ。二十年くらい前までは「デブ」とか「ブス」とか平気で書いていましたし、それでウケもとれた。でも今は細心の注意を払いながら文章を書くようになりましたね。だから「わたしを庇わないで」を読んで、小説だとこんなに自由に書けるんだという発見がありました。小説っていいな、と。
石田 確かに、あくまでこの主人公の考えで、作者の見解ではありませんと言えばいいですからね。
酒井 エッセイだとそのまま、作者の意見として扱われますから。そこがエッセイと小説の大きな違いだと思います。「わたしを庇わないで」を書こうと思ったきっかけはなんですか?
石田 『すばる』で「笑い」の特集が組まれた際に、お声がけいただいたんです。笑いにまつわる話を書いてくださいということだったんですけど、絶対にいい話にはしたくないと思って(笑)。むしろ悪い話とかうがった見方をした小説が書きたかったので、意図せず笑われてしまう人のことを書こうと。
酒井 てっきり作者も太っているのかと思いきや、石田さんは太ってないじゃないですか。この小説を書いて「本物」の人から抗議とかはありませんでした?
石田 抗議はありませんでした。そもそもあまり読まれてないのだと思いますが。でも、私は平均よりガッチリ、ムッチリしていますし、思春期の頃はもっとそうでした。だから無関係の話ではないですね。
酒井 どれくらい……? という言い方も失礼ですが(笑)。
石田 競輪やスピードスケートの選手ってガッチリされているじゃないですか。大部分は筋肉だと思うんですけど、たとえば脚がパンパンですよね。あんな感じなので、昔は女の子らしく悩んでいました。
酒井 デビュー作の『我が友、スミス』もそうでしたけど、石田さんの小説は身体を意識した小説が多いですよね。何かスポーツをやってたのでしょうか?
石田 いえ、してません。中学、高校のときはずっと吹奏楽部でした。大学ではずっとバイトしてましたね。でも美容院に行くと必ず「お客さん、陸上の種目はなんですか?」と聞かれます。なぜか陸上をやっている前提で(笑)。体育会系に見えるんでしょうね。
酒井 『我が友、スミス』を読んで、絶対にハードなスポーツをしてる方なんだろうなと思っていました。
石田 ジムには熱心に通っていますが、大会に出るほどの根性はありません。ただ、私が通ってるのはガチ目のジムなので、周りには出ている人がたくさんいます。過去に一瞬だけ出てみようかとも思ったんですが、やっぱりビキニを着るとかポーズをとるとか減量するとか、自分には絶対に無理だと思って。
酒井 「わたしを庇わないで」には「デブ」の人の体感がめちゃくちゃリアルに書かれているじゃないですか。肉の揺れる感じとか。あれはどういうふうに理解できたのでしょう?
石田 すべて自分の体感ですね。会社のボロい軽自動車がキッズカートのようで、乗るとブルブルブルってなって。嫌でも自分の皮下脂肪を感じるんです。
変わりゆく時代のなかで書くこと
石田 書いた原稿がゲラになると、校正されますよね。たとえば、「デブ」って書くと、「デブ」じゃなくて「ふっくらしている」はどうですか? って言い換えを教えていただいたりします。私はそういう指摘を見ると、「ふっくら」と言えば罪が消えると思っているのか? と首を傾げてしまいます。他にも「健康そうな身体つき」とか「かっぷくがいい」とか「ふくよか」とかも「デブ」の言い換えかもしれませんが、そう言い換えたたところで罪が薄まるわけではないんですよね。酒井さんも、そういった指摘をされることはありますか?
酒井 以前はたくさんあったんですけど、だんだんそういう話自体を書かなくなってきました。コンプライアンス的な理由もあるけれど、それ以上に大きいのは年齢的なことかもしれません。若い頃は容姿の話でアッハッハと笑うのも楽しかったですけど、年を取ると笑えなくなってきました。自分自身も身体に不具合が出る年齢になってみると、容姿は自分でどうこうできるものではないことが身に沁みるようになってきます。
もちろん「わたしを庇わないで」は「デブ」を馬鹿にしたり、笑ったりするような小説ではありません。むしろ石田さんはこの小説で「デブ」をネタにすること自体について考えていますよね。私は逆に「デブ」をネタにしてきた側なんですが、この本を読んで首が痛くなるほど我が身を振り返りました。でもおっしゃるように言い換えの問題は難しくて、「八百屋」は差別語だから「青果店」と書けとか、「床屋」も使うなとか、いろいろ言われるじゃないですか。でも、「デブ」を「ふくよか」と言い換えても、「デブ」を特別視していないことにはならない。
石田 言い換えの問題は難しいですよね。
酒井 公の場で言っちゃいけない、書いちゃいけないことが増えたから、そのストレスはレストランの個室とかで話の合う友だちと吐き出しています(笑)。ネットで吐き出す人もいるでしょう。言い換えによって、本音が水面下に潜っていますよね。石田さんはそういうストレスが溜まりませんか?
石田 私はすぐになくなりますね。寝たら忘れるタイプなので(笑)。でも今のお話を聞いて、確かにもし私が三十年後、四十年後も相変わらず容姿をネタにしていたら、なんというか、凄まじいなと思いました(笑)。相手の白髪の本数を数えるおばあさんの話なんかを書いてドン引きされたいですね。
酒井 その頃には私は生きていないと思うんですけど(笑)、でも読んでみたい! 私は若者と呼ばれる人たちと三十歳くらいの差があるので、コンプライアンス的な感覚についてもだいぶ違うなと感じています。自分が若かった頃はずいぶん荒っぽかったですが、どんどん優しい時代になっている。そんな時代に「デブ」連発の「わたしを庇わないで」は、一つの問題提起をしていますよね。
酒井さんのエッセイとの出会い
酒井 私が『負け犬の遠吠え』を書いたのは二十年以上前でしたけど、今はもう結婚していない人のことを「負け犬」とは言えないですね。結婚していないことを「負け犬」なんて呼んだら怒られると思う。
石田 私、じつは最初に読んだ酒井さんの本が『負け犬の遠吠え』なんですよ。
酒井 ありがとうございます。何歳のときでしたか?
石田 自分では大きくなってから読んだつもりだったんですが、調べてみたら、あの本が刊行されたのは私が十二歳のときなんですよね。私が実際に読んだのは本が出た少しあと、十四歳のときでした。生意気なんですけど、十四歳でこれはおもしろいと膝を打ちました。
酒井 なぜ十四歳であの本を読もうと思ったんでしょう(笑)。
石田 当時から自分は結婚しないだろうとか、子どもを産まないだろうと思っていたんですよ。幸か不幸かそのとおりになっているんですけど。
酒井 十四歳のときから、結婚について考えていたんですか?
石田 なんとなく自分はしないだろうと思っていました。戸籍上の母とか妻は絶対に自分ではないと思って。
酒井 そうなんですね。しかし十四歳であの本を読んでる人なんていなかったんじゃないかな。きっと最年少ですよ。
石田 いえ、割とみんな読んでいました。周りでよく見かけました。あの本は確かに独身の人を「負け犬」って命名しましたけど、負けることは何もダメなことではないという意味が込められていたじゃないですか。当時の人はそういう含みというか、ニュアンスがわかっていたと思うんです。私は十四歳でしたけれど、この本は「負けている」という状況が意味していることを認識しつつも、負けているからといって何が悪いわけでもないということを言いたいんだろうなと受け取りました。ただ、今の人は「負け」=失礼と感じる人が多いといいますか、そういう渋いニュアンスが通じにくいのかもしれません。
酒井 すごい中学生です(笑)。実際、あの本はいろんな読まれ方をしました。「負けるが勝ち」って言いたいんでしょう? という感想もあったりして。負けは負けなんですよと伝えたつもりだったんですけど、なかなかわかってもらえませんでしたね。でも、ちゃんとわかってくれていた中学生がいたと知ってびっくりです。
石田 私が酒井さんの本でいちばん感銘を受けたのは『儒教と負け犬』です。酒井さんの本のなかでも硬派で社会学的な内容で、とてもおもしろかったです。酒井さんは儒教を重んじる中国と韓国に取材に行かれたんですよね。
酒井 はい。中国と韓国の負け犬の方々にインタビューをしてきました。
石田 あの本に書かれていたことは今でもよく覚えています。いわゆる儒教の国で子どもが生まれないのは、子どもを作ることへのプレッシャーが逆に強すぎるからだと書かれていて、なるほどそうだよな、と思いました。あの本の企画はご自身で出版社に提案されたんですか?
酒井 『負け犬の遠吠え』については世界中のメディアから取材が来まして、各国の記者の方にその国の負け犬事情を聞いてみると、とてもおもしろかったことから、スピンオフ企画を思いつきました。負け犬問題を抱えているのは、やはり東アジアの国々なんですよね。日本以外にも、韓国、台湾、中国とか。あと意外なことにカトリックの国、たとえば、イタリアやスペインも出生率が低かった。もしかしたら宗教的なプレッシャーが強いからかえって結婚をしたくない、子どもを産みたくないと思ってしまうのではないかという仮説を立てて、取材に行き、各国の負け犬の皆さんと親交を深めてきました。国は違っても何か通じるものがあった気がします。
エモーショナルではない文章を書くために
酒井 石田さんはエッセイやノンフィクションを書こうというお気持ちはないんですか?
石田 あまり想像できませんね。エッセイやノンフィクションはすごく観察力があって、酒井さんのようにフィールドワークをし、かつ人の話を中立的に聞ける人じゃないとできないと思います。私は人の話を聞くのが苦手なので。たまに「小説を書くにあたって綿密な取材をされたんですね」と聞かれることがあって、そのたびに思わず「ええ、そうです」とドヤ顔で答えそうになるんですが、取材をしたことがなくて。取材をすると、その対象を悪く書きづらいですし、そもそも私は誰かの話を聞いても自分の都合のいいように解釈してしまうので、ノンフィクション作家の方のように、書くべきことと書かないでおくべきことの仕分けのような作業はできないと思います。
酒井 でも、たとえば「世紀の善人」だったら、語り手が「サンゾウ」と呼ぶ、三國造船という会社について細かく設定されていますよね。造船会社のことをよく知らないと書けないと思いますけど。
石田 じつはあの会社にはモデルがありまして。今はもう無い会社なんですが、身近な業種の会社でした。
酒井 じゃあ近い世界だったんですね。
石田 そうですね。「世紀の善人」に関して言うと、なんだかエモーショナルな小説になってしまったなあと反省しております。酒井さんはどんなエッセイを書かれても絶対にエモーショナルにならないですよね。そこに私は憧れます。
酒井 エモーショナルじゃない?
石田 はい。エッセイって、やろうと思えばいくらでも感情をぶつけられるじゃないですか。でも酒井さんはそういう書き方をされない。どこまでも客観的といいますか、エッセイでありながら私情を最小限にしている印象を私は受けます。意識的にそうされているのですか?
酒井 若い頃はそういう文章を、いっぱい書いてましたよ。この仕事をはじめた頃は学生だったので、渋谷のセンター街を練り歩いてどうのこうの、みたいなことを。でももう長年文章を書き過ぎて、自分のことなどさらさら書きたくなくなっていますね。
あと、私は何かのグループに所属していてもその中心にはいなくて、外と内のぎりぎりの場所から内側を見ているような立場なんですよね、いつも。
石田 『うまれることば、しぬことば』で自分は「補助席」に座っていると書かれてましたよね。
酒井 そうですね。そういう位置にいるので、自分のことはあまり出さず、見ているものを書きたいと思うんでしょうね。
八十五点以上の小説を書き続ける
酒井 あと、エッセイってそんなにたくさん書くものじゃないなとよく思います。
石田 えっ(笑)。酒井さんがそうおっしゃるのはちょっと衝撃ですね。
酒井 書き過ぎると中身がカスカスになるんですよ。骨粗鬆症みたいな感じで。最近、何かを調べてから書くという本が多くなってきているのは、ただ自分の中から「出すだけ」というのが嫌だからなんだと思います。入れてから、出したい。自分のことを書くエッセイは、渾身のものを一生に一冊書く程度でいいんじゃないかな。
石田 なるほど。酒井さんに言われると納得せざるをえませんね。
酒井 石田さんは一日に何枚くらい書きますか?
石田 休みの日は三十枚くらいですね。
酒井 けっこう書きますね。
石田 どんなにゴミのような文章でもいいので、とりあえず一万字を目指して書いています。後で消すことも多いですが(笑)。平日は五枚か六枚くらいです。酒井さんはどれくらい書かれていますか?
酒井 私は出張というか旅が多いので、書かない日はまったく書きません。書くときはどれくらいだろう……数えてないからわからないですね。でも、一日で書ける文字数は、加齢とともに減ってきていると思います。
石田 勝手なイメージで酒井さんは毎日欠かさず書いているのかと思っていました。
酒井 慎重に書くようになったというか。石田さんはご自身の書き方に変化を感じたりしますか?
石田 いつも百点を目指すというより、八十五点以上のものをコンスタントに書こうと思うようになりました。自分がおもしろくないと思ったものでも、編集者さんが気に入る場合があるので。プロ意識が低いかもしれませんが。
酒井 むしろプロ意識が高いですね。
石田 あ、逆にそうですかね(笑)。やればやるほど何がウケるのかさっぱりわからないです。
酒井 でも、石田さんもおっしゃったように、自分ではおもしろくなくても、ほかの人にとってはおもしろいことってよくあるから、点数なんて絶対じゃないんですよね。
石田 ウケるポイントは本当に人それぞれだなとよく思います。
ほんとはみんなそう思ってる
石田 酒井さんはエッセイで人間礼賛をしませんよね。人間の美しさを書いたエッセイは世のなかにたくさんあるけど、酒井さんは人間は誰しも卑しくて、悪意やあさましさを持っていることを隠そうとしていないように感じます。そこも私がすごく好きなところです。
私も自分の小説は絶対に美談にしたくないと考えています。人間は善ではないと思っていて。
酒井 人間の善の部分を書いた本はすでにたくさんあるから、私が書かなくてもいいかなと思っています。美談の美しさを表現する方法をよく知らないですし。でもこの先はわからない。何度も言っているように、年齢による変化は予想がつかないので、もっと年をとったら人間礼賛しまくっているかもしれません。
石田さんの小説には美談はないけど、毒もあまりないですよね。辛辣なことを書いているんだけど、気持ちの良い読後感が残る。何か気をつけていることはありますか?
石田 自分ではもっと毒々しく書きたいと思っていますね。以前、ボディビルダーの主人公が太っている人をひたすら貶す『ミスター・チームリーダー』という話を書いたときに、絶対に怒られると思ったんですよ。でも、いろんな人から「明るい悪口ですね」「カラッとしてますね」みたいに言われて。もっとイヤ~~~な気持ちになって欲しかった(笑)。
酒井 たぶん、みんなが思っていることを書いてくれるからじゃないかな。今の時代だから言えないし、書けないだけで、世間の人たちが感じていることは変わってないんですよね。
私も子どもの頃は酒井は毒舌だって呆れられてたのに、書くようになったらなぜか褒められるようになって、なぜなんだろうと思ったことがあります。言うのと書くのは全然違うことなんだなと大人になってから気づきました。
石田 私は明るい悪口というより、陰湿な悪口を書きたいですね。でも、自分では意地悪く書いたつもりでも、世間的には結局のところ「いい子ちゃん」なのかもしれません。本当にイヤ~~~な陰湿なことは自分には書けないのかもな、と。
酒井 それは石田さんが陰湿な人ではないからですよ。石田さんの小説には本当のことが書いてあるし、その裏には理念があるじゃないですか。「わたしを庇わないで」だったら、「庇う」という行為や当たり障りのない言葉に言い換えることに潜む欺瞞を告発している。そういう話を読者がおもしろがるのは、みんなが心のなかで薄々そう思っているから。世間的には「デブ」を「ふくよか」と言い換えましょうとされているけど、それで何かが解決するわけじゃないとみんな感じているから、石田さんがこういう小説を書いてくれてスカッとするんでしょうね。
犯行計画を思いつく場所
酒井 「わたしを庇わないで」には「『庇う』という行為はその庇われる人の劣勢を一方的に確定してしまう」という一文がありますが、非常に鋭くていい言葉だなと思いました。ちょうど今、アリス・マンローの『ジュビリー』(小竹由美子訳、新潮社)を読んでいるんですが、この長編は作者が自分の子ども時代のできごとをなぞりながら書いた自伝的小説なんです。読んでいると、アリス・マンローも思ったことをそのまま隠さずに言う人だったのかと勇気づけられます。そこには語り手が何か悪いことをしてしまったときに、大人から庇われたエピソードが書かれているんですが、彼女がそのとき思ったのは、許されることには特有の恥が生じる。ということでした。
石田 なるほど。その感覚はよくわかりますね。
酒井 石田さんのさっきの一文がその部分と繋がって、石田さんとアリス・マンローの共通性を感じました。
石田 いえいえ、恐れ多いです。でも私は酒井さんの『うまれることば、しぬことば』のようなエッセイを大量に浴びて大人になったので、人の言動を額面どおりに受け取らない本能といいますか、そういう傾向は強いと思います。
酒井 それは石田さんにとっていいことなのだろうか(笑)。ほかにはどんなものを読んでいたんですか?
石田 高村薫さんと古処誠二さんが好きです。あと、本格ミステリーも好きです。エモーショナルな話というより、淡々とした無骨な話や、トリック系の話が好みでした。
酒井 「世紀の善人」でも密かに犯行を企んでいる人が出てきますよね。もしかしてあそこは石田さんが読んできたミステリー小説からの影響があったりしますか?
石田 あるかもしれません。あれは職場で思いつきました。あの小説には専務のお薬ボックスに錠剤がむき出しのまま入れられている様子を書きましたけど、薬が無防備に机の上に出されている光景は職場でふつうに見かけるんですよね。私自身もよくやります。冷静になると非常に大胆なんですけど、一つの部署に長いこといるとそうなっちゃうんだと思います。パスポートをポンっと置きっぱなしにしている人もいますし。
酒井 そうか、石田さんが会社で思いついた犯行計画だったんですね。じつは私も少しだけですけど、会社で働いたことあるんです。そのときには会社って家族みたい、と感じたんですが、今もそういう感覚はあるんでしょうか?
石田 あると思いますね。
前髪とおでこは汚い
酒井 私は松本清張を熱心に読んでいた時期があるので、悪人を応援しちゃうんですよ。彼らの罪が成就しますようにと思いながらミステリー小説を読むことがよくあります。「世紀の善人」でも、悪いことを考える主人公につい肩入れしていました。頑張れ、って。
石田 私も悪人を応援する派です。
酒井 最後、主人公は会社で倒れている人を蹴りますよね(笑)。
石田 そうですね。私は口弁慶というか文章弁慶なので、殴ったり蹴ったりする描写を書いても何とも思わないんです。もちろん私自身は人を殴ったことないんですが。実際には人を殴ったことがないのに文章では平気で乱暴なことを書くなんて、いい子ちゃんですよね。
酒井 というか、それがふつうでは(笑)。
石田 そうでした。いい子ちゃんじゃない、ふつうの人でした(笑)。
酒井 きっとそういうふつうの人だからこそ、みんなが読んでスカッとする物語を書けるんじゃないかな。常日頃から殴っている人だったらきっと書けないと思う。鬱憤がたまってないだろうから。
石田 そうかもしれませんね。引き続き人を殴らないようにしたいと思います(笑)。
酒井 あと、今回の本で嬉しかったのは前髪チョンチョンについて触れてくれたことです。「小人二十面相」には、卒業アルバムの撮影のときに主人公の前にいた子が前髪をチョンチョンと触っている様子が書かれていますよね。手にワックスがついているわけじゃないからビフォーアフターで何も変わらないのに、「前髪に触れば触るほどビジュアルが向上するかのような熱意でもってそれを続ける」と(笑)。私も女の子たちの前髪には前から疑問があったんですよ。
石田 前髪って興味深いですよね。サンドラ・ヘフェリンさんの著書『なぜ外国人女性は前髪を作らないのか』があるほどに。
酒井 前髪は人格を語りますよね。意思が宿っているというか。
石田 私は酒井さんのような大人っぽい前髪に憧れるんですが、ハードルが高くも感じるんです。なんというか、自分のおでこキモいなって感じるので。でもそれってけっこう多くの人が感じていることかもしれません。オルチャンデコという韓国の美容整形があるのをご存じですか?
酒井 初めて聞きました。
石田 ヒアルロン酸を入れるなどして、おでこのかたちを丸くする施術のようです。私みたいな絶壁のおでこじゃなくて、自然な丸みのあるおでこにするために。
酒井 え、私も超絶壁ですけど、そんな恥に気づいてなかったです。
石田 いまやおでこは恥部なんですよ。だから前髪チョンチョンしたくなるのかもしれません。私、この前も懲りずに前髪チョンチョンする女のことを悪く書きました。女の人って死ぬほど前髪を触るじゃないですか。スマホやテレビのリモコンもそうですけど、手でたくさん触るものは不衛生だと言われています。そう考えると、前髪も相当汚いと思うんですよね。だから、美醜を気にするうら若き乙女の前髪はおっさんのすね毛より汚い、と。
酒井 コロナの頃は前髪を触るなという空気がありましたね。
石田 そうですね。あと、アメリカでは風邪予防として顔にあまり触るなと言われているそうです。なかやまきんに君が言ってました。
酒井 「わたしを庇わないで」には「私はこの世に無害な褒め言葉はないと思っている。何かの肯定は必ず何かの否定だ」という言葉がありますよね。あれも名言だなと思いました。
石田 私、もう三十五歳だというのに、誰かが小顔で褒められているのを聞くと、うっすら悲しくなるんです(笑)。決してそうではないんですけど、自分が貶されているような気がしてしまいます。
酒井 確かに他人が褒められているのを聞くと、心がちくっとしますね。善人の隣にいると自分の悪人度が増していくような感覚は私にもあります。
石田 私の職場では最近もう誰も悪口を言わないんですよ。みんな善人ばかりなので、なんだか悪いことばかり考えている自分がいよいよ陰湿に思われてきます。実際にそうなんですけれど。たまに若い子が上司の悪口を言っていると、よっし!! と安心しますね(笑)。
酒井 でも石田さんは悪口言わない世代じゃないですか。
石田 そうかもしれません。同世代は全然言わないですね。大丈夫か、こいつら、と心配になります(笑)。これは私の周りだけかもしれませんが、グチグチと文句を言うやつの方が仕事を一生懸命こなすように思います。
酒井 確かにそうかも。いい発見ですね。
石田 文句を言わないやつに限っていつの間にか休職している。私はヘンに言動がキレイすぎたり、SNSなんかで不特定多数の人に愚痴る人よりは、多少「嫌な人」でも、周りにいる人に文句なり悪口なりを言える人のほうが信頼できますね。
酒井 やっぱりガス抜きは適度にした方がいいんですよね。
石田 文句の多いやつを見ていて思うのですが、たぶん悪口言う人って言語化能力が高いんですよ。あいつが嫌いだという話をあらゆる角度から何時間でもしてくるじゃないですか(笑)。よく思いつくなあといつも感心します。悪口って人間の脳を活性化させるんでしょうね。
酒井 それは嬉しい見方です。しかし悪口を言わない人って、個室で友だち同士でいるときでも言わないのかな。上司死ね、とか。
石田 どうなんでしょうね。ガンガン言っていいと思います。
酒井 死ぬ前に「もっと本音を言いたかった」とか思うのかも。だったら日頃から言っておいた方がいいですね、閉ざされた空間で。
石田 日常にもっと悪口を、という結論が出ました(笑)。
酒井 こんな結論でいいのかな(笑)。今日はファンだった石田さんとお話しできてよかったです。
石田 こちらこそ、中学生のときから本を読んできた酒井さんとまさかお会いできるとは思っていなかったので、今日は感激しました。ありがとうございました。
(2026.6.18 渋谷・大盛堂書店にて)
「すばる」2026年10月号転載
プロフィール
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石田 夏穂 (いしだ・かほ)
1991年埼玉県生まれ。東京工業大学工学部卒。2021年「我が友、スミス」が第45回すばる文学賞佳作となり、デビュー。同作は第166回芥川龍之介賞候補にもなる。他の著書に『ケチる貴方』がある。
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酒井 順子 (さかい・じゅんこ)
1966年東京生まれ。広告会社勤務を経て執筆活動に専念。
2004年『負け犬の遠吠え』で、婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞を受賞。
『おばあさんの魂』『もう、忘れたの?』『下に見る人』『地下鉄!』『裏が、幸せ。』など、著書多数。
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