恥ずかしい時、悔しい時、モヤモヤする時……思わずネガティブな気持ちになったときこそ、読書で心をやすらげてみませんか? あの人・この人に聞いてみた、落ち込んだ時のためのブックガイド・エッセイです。
第30回:昭和生まれで肩身が狭く感じた時
案内人 吉田伸子
2024年05月15日
気がついたら、“二時代前の人”になっていた……。
私は昭和の真んなか辺よりも少し平成寄りの生まれだが、祖父母世代は普通に明治・大正だった。私が大人になったころは、さすがに明治生まれは珍しくなっていたものの、大正生まれはまだまだ現役だった。生年月日の元号記入欄が「M、T、S」から「T、S、H」になっても、そこを気にしたことはなかった。
ところが、先日、気がついてしまった。令和生まれにとって、自分が“二時代前の人”になってしまっていたことに。「M、T、S」の表記のころならば、「M」の部分の人になっていたことに。
え? 私? え? いつの間に? とあわあわしてしまった。落ち着いて考えたら、いつの間にじゃねえよ! という話なのだけど。
迂闊だった。“二時代前の人”になる心の準備ができていなかった。あぁ、昭和はあっという間に遠くなりにけり。
そんな昭和世代の私の心の支えというか、心張り棒が、幸田文『月の塵』と白洲正子『白洲正子自伝』である。明治に生まれ、昭和を生き抜き、平成に没した二人の著書を読むと、背筋がすっと伸びる。“二時代前”くらい何するものぞ、と元気が出る。

幸田文/著(講談社文庫)
『月の塵』でとりわけ好きなのは「個人教授」と題された一編だ。ある家の取込事を手伝い、その手際の良さを家の主人から褒められた作者は、けれど、褒められなかった娘さんたちの母親からあてこすりを言われる。悔しくて腹がたった作者は、父親にそのことを話すのだが、この時の露伴の答えが実に、実にいいのだ。
「水の流れるように、さからわず、そしてひたひたと相手の中にひろがっていけば、カッと抵抗してたかぶるみじめさからだけは、少なくものがれることはできた筈だと教えてくれ、それを教えておかなかったのは、親の手落ちですまないことをした、といった。今後も人中でねじられることはあろうが、もうこれからは慌てるな。刺されたと思ったら、まず一つ二つと数えて、気息をととのえるうちに、受け太刀がわかる、という。」
これ、めちゃくちゃ深い言葉じゃないですか? そして、めちゃくちゃかっこいい。
『白洲正子自伝』は、由緒正しい超お嬢様にもかかわらず、「韋駄天お正」という伝法な二つ名を持つに至った作者の、その真っ直ぐで正直な生き様に、胸が空く。

白洲正子/著(新潮文庫)
幸田文と白洲正子。こんな素敵な女性がいたことを、平成生まれにも令和生まれにも、覚えていて欲しい。
プロフィール
-
吉田 伸子 (よしだ・のぶこ)
1961年、青森市生まれ。東京都在住。法政大学文学部哲学科卒業。編集プロダクションを経て、1987年に本の雑誌社に入社。編集者として務める。退社後、書評やインタビューを中心にフリーランスライターとして各紙誌で活躍。著書に『恋愛のススメ』がある。
新着コンテンツ
-
インタビュー・対談2026年08月10日
インタビュー・対談2026年08月10日『ノー・ファンタジー』刊行記念対談 上田岳弘×川村真司「現実を生き抜くためのファンタジー」
映像、広告、デザインの領域で世界的に活躍し、上田さんの作品に関心を寄せてこられたクリエイティブディレクターの川村真司さんとの対談が実現!
-
お知らせ2026年08月07日
お知らせ2026年08月07日『ハヤブサ消防団 森へつづく道』発売記念 サイン本プレゼントキャンペーンのお知らせ
『ハヤブサ消防団 森へつづく道』の発売を記念し、著者の池井戸潤さんの直筆サイン本をプレゼントするキャンペーンを実施いたします。
-
インタビュー・対談2026年08月07日
インタビュー・対談2026年08月07日池井戸潤×逢坂 剛「自分の領土を、どんどん開拓する。作家は、「馬力」で勝負です。」
柴田錬三郎賞を受賞した『ハヤブサ消防団』。選考委員のひとりである逢坂剛氏をゲストに、それぞれの小説論、エンタメ観について語り合う。
-
インタビュー・対談2026年08月06日
インタビュー・対談2026年08月06日上田岳弘「漂流する時代、ファンタジーという生命線」
執筆と前後して小説家としてのターニングポイントを迎えたという上田さんの「現在地」について詳しくお聞きしました。
-
お知らせ2026年08月06日
お知らせ2026年08月06日すばる9月号、好評発売中です!
読切短編は井上荒野さん、本谷有希子さん、沼田真佑さんの3本立て。現在選考が進んでいる今年度すばる文学賞、予選通過作発表!
-
インタビュー・対談2026年08月05日
インタビュー・対談2026年08月05日池井戸潤「過去と現在の「接点」を探して」
柴田錬三郎賞受賞作にして中村倫也主演でドラマ化され大ヒットした池井戸潤初の“田園ミステリ”、待望の続編執筆の日々、その格闘を振り返ります。