
内容紹介
勤めていたバイオ企業を辞職した侑平は、父方の祖父母がかつて住んでいた愛媛県松山市の空き家を訪れていた。両親が離婚し、祖父母が亡くなって以来疎遠だった父から連絡があり、実家を売ると言う。身勝手な父に反発を覚えたが、15年ぶりにその家に足を踏み入れた侑平は、祖父の書斎の机に積み上げてあった書類の中から、13月まである不思議なカレンダーと脳腫瘍で余命いくばくもない祖母の病状を綴った大学ノートを見つける。さらに祖母が広島出身で、兄は原爆で亡くなったということを近所の人から初めて知らされ……。祖母とその兄を知る人たちに会うため、広島へと向かった侑平。そこで語られた、原爆投下後の真実とは――。
太平洋戦争終結から80年。愚かな戦争の記憶を継承する、至高の大河小説。
プロフィール
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宇佐美 まこと (うさみ・まこと)
1957年、愛媛県生まれ。2006年「るんびにの子供」で第1回『幽』怪談文学賞〈短編部門〉大賞を受賞。 17年『愚者の毒』で第70回日本推理作家協会賞〈長編及び連作短編集部門〉を受賞。20年『展望塔のラプンツェル』で第33回山本周五郎賞候補、同年『ボニン浄土』で第23回、24年『誰かがジョーカーをひく』で第27回大藪晴彦候補に。他の著書に『熟れた月』『骨を弔う』『羊は安らかに草を食み』『月の光の届く距離』『夢伝い』『その時鐘は鳴り響く』『謎は花に埋もれて』などがある。
対談
宇佐美まこと×松浦秀人(日本被団協代表理事)「被爆80年、物語に託した軌跡と奇跡」
書評
過去を「知る」ことの大切さを描く
大矢博子
両親の離婚以来、長年没交渉だった父方の祖父母が亡くなり、家屋を相続することになった侑平。松山市にあるその家を久しぶりに訪れた侑平は、祖父が書いた祖母の看病日記を見つける。さらに十三月のある不思議なカレンダーを見つけ、自分が祖父母について何も知らないことに気づいて近所の人に話を聞いてみた。そこでわかったのは、祖母の寿賀子は広島の出身で、その兄が原爆で亡くなっていたという事実だった――。
物語は侑平が祖父母の過去を辿る現代パートと、寿賀子やその知り合いたちによる戦中戦後のパートが交互に綴られる。昭和二十年八月五日に松山へ移動したため難を逃れた寿賀子と、その船に乗り遅れたために命を失った兄。その兄を捜す友人。目の前で家族を亡くした寿賀子の幼馴染み。細部をゆるがせにしない描写は戦争小説として圧巻だ。
だが戦争や原爆の悲惨さを綴るのであればその当時の話だけで済む。本書は、それを現代の侑平が知る、という部分にこそ核がある。
その時人々は何を思い、何を体験したのか。それは知ろうとしなければどんどん消えていってしまう。あるいは誤った情報が受け継がれてしまう。知ることによって侑平に少しずつ変化が起きる過程こそが読みどころだ。過去を知り、向き合う大切さを描くために、本書は現代の話でなくてはならなかったのである。侑平は体験者の話を聞けたが、現実には当時を知る先人たちは減っている。その代わりを務めてくれるのが小説なのだ。
何より、ほんの些細な違いが生死を分けることや、せっかく命が助かったのにデマのせいで差別される被爆者の様子は決して過去の話だけではない。後半で東日本大震災やウクライナの戦争の話題が出たときに、著者はこれが言いたかったのだと腑に落ちた。ラストの幸せな奇跡まで、巻を措く能わずの一冊である。
おおや・ひろこ●書評家
「青春と読書」2025年8月号転載
「周縁の原爆被害」と、ある奇跡
小山美砂
広島、長崎への原爆投下から八十回目の夏を迎えた。遠くに感じる「あの日」をいかにして伝えていくか。広島を拠点に取材を続ける私も、最も難しくて最も重要なその課題に取り組んできた。
原爆が「過去」のものではないと感じてもらうために、例えば癒えない傷跡や放射線被ばくに伴う
後障害の苦悩を伝える。今なお、補償を求めて声を上げ続ける人々の声を取り上げる。子どもや孫に影響が及びはしないか、心奥にくすぶり続ける不安に焦点を当てる――。
どれも大切な論点だ。しかし、抜け落ちているものがある。直接「あの日」を体験していないものの、原爆の影を背負いながら生きてきた人々の思いである。
本作は原爆を巡る「奇跡の物語」を紡ぐ中で、この見落とされてきた原爆の被害に光を当てる。
物語は、鬱屈した気持ちを抱える二十九歳の侑平を軸に進む。博士号の取得を目指して東京の大学で生命科学の研究に打ち込んでいたものの、ある事件を機にその道から離脱。バイオ企業で技術開発の職を得たが、親しい人もできず、会社員は所詮「替えがきく機械の部品」だと決め込んで退職してしまった。
そんな侑平が、原爆と家族の関わりを追うようになったのは、両親が離婚して疎遠になっていた父・一郎から電話を受けたのがきっかけだった。祖父母の死後、空き家となっていた愛媛県松山市の実家を侑平に譲ると言う。侑平の意向を聞こうともしない父に反発を覚えながらも、十五年ぶりに祖父母の家を訪れた。そこで目にした、13月まであるカレンダー。さらに、脳腫瘍を患った祖母の病状をつづった祖父のノートも見つけた。
侑平は思った。「祖父母のことを何も知らない」。祖母の兄が被爆死していた事実や、晩年の祖母を見舞った広島の知人の存在が、侑平を被爆地に誘う。祖母に通じる「あの日」の記憶を聞く中で、彼自身の生き方をも見つめ直していくストーリーだ。
私が着目したのは、不可解な態度を取り続ける一郎の存在だ。彼は作品の冒頭から、不穏な空気を漂わせている。
侑平が拒むのにも取り合わず、強硬に実家を譲ろうとする様は面倒ごとを息子に押し付けているとしか思えない。侑平の前に授かった子が流産となった時には、ほっとした様子を見せていたという。祖母と広島とのつながりに関心を持つ侑平に苛立ち、「余計なことをするな」とすごむ。さらには、息子を突っぱねるような言葉さえ口にした。「ほんとに俺は結婚すべきじゃなかったな。お前にはそれをつなげたくなかったんだ」
彼の言動の理由は、最終盤まで明かされない。しかし、彼もまた原爆の周縁にいる一人である。その生き方の背景を想像しながら読むことで、浮かび上がってくるものがある。
本誌の対談企画で作者の宇佐美まことさんは、「原爆投下直後の惨状はさることながら、戦後の体験についても書きたかった」と話している。松山に暮らす被爆者の手記集などを読む中で、多くの人が「あの日」だけでなく、その後の差別や偏見に紙幅を割いたことに目を向けた。彼女は「これも原爆被害に入るはず」と考え、作中に再現したのである。
これこそが、見落とされてきた原爆被害だと私は思う。「あの日」を直接知る被爆者の体験に光を当てた作品は多い。ところが、配偶者や子孫を含む、彼らと共に生きる人々がどのように原爆と出合い、対 峙してきたのかを見つめた書籍はとても少ない。だが、原爆は確実に、被爆者を取り巻く人々の心や生活にも迫り、影響を与えてきた。
一郎の生き方にも、その側面がにじんで見える。彼だけではない。被爆者と結婚した男性が、自分たち家族に差別の目を向けられる中で、精神を病む様も描かれた。これらを、単なるフィクションとして片づけることはできない。現在進行形の苦悩として、私たちの社会に存在するからだ。この「周縁の原爆被害」をあぶり出した点に、本作の意義がある。
そして、この物語はただ被害を悲壮に訴えるだけではない。多くの戦争体験者が抱えてきた「私だけが助かって申し訳ない」という罪悪感(サバイバーズギルト)をも優しく包む。確かに、一瞬の判断が命運を分けた。しかし、それによって生き延びて命をつなぐことができた人もいるのである。これも見落とされてきた「奇跡」であり、語り継ぐべき物語だろう。
ただ八十年前を振り返るだけではない。私たちが生まれてきた必然や、今も隣にある「戦争」を考えるために、この夏ぜひ読んでほしい一冊だ。
「小説すばる」2025年9月号転載
熱い支援、続々!
一瞬で奪われたたくさんの尊い命。夢や希望、未来。
間近で被爆した者、救護した者、海の向こうにキノコ雲を見た者。
あの日に立ち合った家族からこれまでたくさんの話を聞きました。
あの時代を生きた人、生きることができなかった人、たくさんの人の思いや願いから、つながる道を今生きている奇跡。
この作品からもその奇跡を感じました。
戦争がもたらした傷跡は広島だけでなく、日本中、世界中に刻まれています。無関係な人は誰もいない。
今一度、戦争のこと、家族のこと、そして自分自身のことを見つめ直すきっかけになってくれる作品だと思います。
――未来屋書店 宇品店 山道ゆう子さん
広島で生まれ育った私は、学校で戦争や原爆について習っていたので他県の人より詳しいと思います。
だけど心のどこかで遠い話しのように感じていました。
この作品を通して、今起きている他国の戦争も、災害も、ある日突然大切な人を亡くしてしまうとても恐ろしい事だと実感しました。
どんなに願っても無くした時間は戻らない。
今ある時を、周りの人を、自分自身を大切にして生きていかなければならない。
そう思わせてくれる作品です。
これからもっと戦争を知らない人たちが増えていきます。
若い世代にぜひ読んで欲しい物語です。
――未来屋書店 宇品店 森島恵さん
淡々と語られていくからこそ、各々の強い後悔や怒りが伝わってきました。あの時こうしていれば。あんな爆弾を落とされなければ。戦争さえなければ。
祖父母から孫へ、たった3世代間でも、どんどん本当の事がわからなくなる事が恐くもありました。聞かずに確かめなかった為に誤解が拡がってとんでもない不和になる。
けれど主人公が前に進むことで、色々ほぐれていって一緒に過去をたどる旅をした気持ちになりました。13月の奇跡を見届けて欲しいです。そして戦争のむごさも。
――紀伊國屋書店 ゆめタウン広島店 藤井美樹さん
これはだれもが読むべき小説です。
そして、最後のシーンでは本当に鳥肌がたちました。
この物語がこんな美しい終わり方をするなんて、正直思ってもいませんでした。
小説を読んでいて、ゾクッと鳥肌が立つのを久しぶりに経験しました。
広島で生まれ広島で育った私ですから、原爆については様々に接してきたと思っています。子供の頃からずっと。だから、子供の頃は本当に原爆が恐ろしくて、空に飛行機が飛んでいる音が聞こえただけで、原爆が落ちてくるんじゃないかと本気で怖くて、怯えていました。それぐらい子供の頃に植え付けられた恐怖は強いものでした。
でも、大人になった今、そこまでの恐怖を感じていない自分に気がついてしまいました。しばらく原爆のことについて本気で考えていなかったのかもしれません。
しかし、この小説は、あの恐ろしさをもう一度思い出させてくれました。
私は、最近ここまで真摯に原爆の恐怖を描いた物語を読んでいませんでした。
忘れてはいけないことがここには書いてあります。
私はこの本を読んで、みんなに生きるということについて考えて欲しいと思いました。
人は一度の失敗や、どんなに辛いことがあっても、生きていかなければならない。
生きてさえいればなんとでもなる。生きることが大事なんだと。
そして、物語の最後に訪れる奇跡、これがあるから生きていかないといけないんだなと、生きる意味ってこういうことなのかもなと思えました。
この本を多くの人に読んでもらいたいと強く感じています。
ぜひ多くの人に届きますように。
――広島 蔦屋書店 文学コンシェルジュ 江藤宏樹さん
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