内容紹介
飲食店で働く〈しゅう〉は、恋人〈アカリ〉と、雑居ビル最上階のプレハブで暮らしている。
彼女の様子が最近おかしいことに気づいた〈しゅう〉が、思い切って理由を訊いてみると、到底受け入れることのできないような告白が返ってきた。〈しゅう〉は大きな衝撃を受けるが、その後も謎めいた〈アカリ〉の行動を必死に追っていく。すると、さらに思いがけない展開へと結びついていき……。
大都市の片隅で真摯に生きる二人を描いた、待望の長編小説。
プロフィール
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辻 仁成 (つじ・ひとなり)
東京都生まれ。1989年「ピアニシモ」で第13回すばる文学賞を受賞。作家・詩人・画家・ミュージシャン・映画監督と幅広いジャンルで活躍している。97年「海峡の光」で第116回芥川賞、99年『白仏』の仏語版"Le Bouddha blanc"でフランスの代表的な文学賞であるフェミナ賞の外国小説賞を日本人として初めて受賞。『オキーフの恋人 オズワルドの追憶』『日付変更線』『父 Mon Père』『十年後の恋』『パリ情景 動かぬ時の扉―Vision de Paris―』他、著書多数。
書評
どんなに野蛮な世界も美しく見えてくる
中江有里
互いに身につけておけば、居場所を確認できる。相手への忠誠を誓うという意味では指輪なんかよりリアルに役立つ道具、それがエアタグ。本来鍵や鞄などに付けるものを、恋する二人は純愛の証として互いに肌身離さず携帯する。
主人公のしゅう二五歳、アカリは二〇歳前後。ともに若い。恋する気持ちが高まるほどに危うくもある関係。エアタグで互いの居場所は確認できるのに、相手の態度に不信感が募り、思いがけない展開へ転がっていく。
恋愛至上主義の男女の物語と思いきや、いつのまにか別のテーマが紛れ込んでいく。
アカリとの別れを覚悟したしゅうはバーで出会った謎の女性ミルコに「恋人が死んだんです」と噓をつく。
ミルコの自宅へついていくと、彼女は言う。
「自分がもう死んでしまっているような気がしてならないのよ」
そしてミルコと入れ替わりに現れた夫・タキモトから「妻は死んだ」と告げられたしゅうは混乱する。しゅうとタキモトの「死んだ」は同じ意味なのだろうか。「生」と「死」が奇妙に浮かび上がってくる。
いうなれば恋愛は互いの気持ちと存在を確かめ合う行為だ。互いの心を信じられなくなれば、その価値は薄れる。存在はあるけれど自分の中では消える。これを「死」と呼ぶのか……。
こうも思う。生きているから恋愛する。結果死にたくなるような苦しみを味わう。思い通りにならない感情に人生を揺さぶられて、しゅうは人を傷つけてしまう。恋愛ほど危険な感情はない。
ところで本書には多くの「泡」が登場する。シャンパンの泡だったり、怒りの感情が不意に萎んで泡のように消えたり。しゅうの住まう雑居ビルの最上階、負傷して運び込まれた地下の世界……どこまでも泡は侵食していくよう。儚く消えていく泡に包まれると、どんなに野蛮な世界も美しく見えてくる。たぶん幸福は泡なのだ。
「青春と読書」2026年10月号転載
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