書評

花村萬月は一体何になろうとしているのか

豊﨑由美

 二〇二〇年、花村萬月は『帝国』という小説を上梓している。舞台になっているのは、今から三億年ほど前、北極圏から南極までを貫きとおす巨大な大陸パンゲアにあった、高さ十八メートルの高さの〈守護の壁〉という国境線を持つ、長さ二万キロにして幅五キロの極端なまでに細長い帝国ミスボラ。その帝国を統治している千七十二代皇帝キノリウス・キイチを主人公に、自然科学、宇宙科学、歴史、宗教の教養を総動員し、聖と俗、知と痴、美と醜、慈愛と残酷など相反するものの間で闊達に戯れる筆致で描いた“物理の聖典”というべきメガノベルなのである。
 正直、この作品を読んでたまげた。女性原理で動いている帝国で、「統治」とは名ばかりの無聊の日々をかこっている無能の人として登場するキイチの覚醒を描く過程で、先述した膨大な知識が投入されているばかりか、物理を通して世界と宇宙と未来の真理へたどりつこうとする幻視者としての花村萬月がいたからだ。
 科学や数学や自然の力を梃子に通常の文学作品とは異なるルートでこの世を描こうとする作家はいる。たとえば、『黄金虫変奏曲』『ガラテイア2・2』『オーバーストーリー』などで知られるリチャード・パワーズ。でも、パワーズが生み出す物語は、すべて虚構のうちにしっくりと収まっている。そこで利用されている人類の叡智は、物語の中で自らの役割を果たすべき範囲内で行儀よく機能している。『帝国』は、ちがう。作者の介入という古めかしい技巧を導入しているせいもあって、独善的なのだ。叡智が物語の中で暴れているのだ。時に読者がついていくのに骨が折れるほどに。花村萬月は『帝国』を物語として愉しませようとは腐心しているけれど、自らの幻視、それを支える物理のビジョンの凄味に圧倒されるあまりか、筆が走りに走って読者を置いてきぼりにしがちなのである。
 異形の傑作。『帝国』がどのくらいの読者に迎え入れられたのか、文芸界にあってどのような評価を受けたのかを、わたしは知らない。知らないけれど圧倒されたし、「この人は一体何になろうとしているのか」と首をひねりもした。短めの長篇ではあるものの、最新刊『全裸の山』にも同じ感想を持っている。
 遥か未来の地球。〈胞子〉と呼ばれる二千名にも満たない集団として人類は生存している。暴力を決して許さない〈中央〉と呼ばれる存在によって、人々は労働に駆り出されることもなく、何不自由ない平等な生活を送っている。みんな好き勝手やりたいことができて、申請しさえすれば何でも手に入る世界を舞台にしたこの物語に最初に登場するのは、完璧に整った肉体と容貌ゆえに〈稀少DNA登録され、人類の体型規範となる稀少肉体登録者に選出〉されている青年Z。そのZのもとを訪れるのが、超越的エリートというべき胞子αの美術学校で学び、その作品の数々が〈中央〉にコレクションされているという彫刻家A。Zにモデルになってほしいと依頼に来たのだ。
 自分は美しい肉体を保持できているだけで、能力を評価されているわけではないという不満を抱えているZ。芸術的センスばかりではなく知能も並外れて高く、それゆえに周囲から浮いているA。Aの顔貌が苦手で〈細胞核の奥には遺伝子情報としてこの女を忌避すべし〉と刻まれているとまで嫌悪するZ。容姿にコンプレックスを抱えているゆえに、もっと若い頃には美容整形を受けようかとまで思い詰めたこともあるA。
 物語はAの才能に驚き、完成まで彼女の部屋で寝起きすることをZが決めたところから、対話小説のような様相を呈していく。ダビデ像をも超える肉体美を前に狂おしいばかりの芸術家的欲求を覚えるAの深い視線と彼女との対話を通して、Zは浅薄だった内面や思考能力を深めていく。
 なぜ世界はこのように出来ているのか。美とは何か。創作とはいかなる過程を経て完成するのか。〈中央〉はどうして、自分たちを居心地のよい動物園の檻のような中に閉じ込めているのか。遺伝とは何か。一切の暴力が禁じられたこの世界で、人間に本来備わっているはずの悪はどこへ行ったのか。一定の年齢になったり、病気になったりした人たちが突然姿を消すけれど、彼らはどうなったのか。そもそも〈中央〉とは何者なのか。
 芸術家とモデルという形で始まった二人の関係が視線と対話によって深まっていく中、読者もまた、ユートピアなのかディストピアなのか判断に迷うこの世界への理解を深めていくという構造になっている作品なのだ。そして、この小説の中にも『帝国』で表明されていた物理こそが世界という花村萬月の思想が色濃く漂い、人類の未来を見通す幻視の力がみなぎっている。対話小説にして思想小説。「この人は一体何になろうとしているのか」。今回もまた首をひねることになった一読者なのである。

「小説すばる」2026年10月号

物が満ちた世界で、たった一人を求める

香月祥宏

 身分差、お金、家族の反対、病、距離――恋愛には障害がつきものだ。では、さまざまな不自由が技術によって解消されてしまった世界で、恋愛小説は成り立つだろうか? 本書は、恋愛を阻むものを社会ではなく人間の内側に見出す。誰かを求めながら、自分自身をうまく受け入れることのできない二人の物語だ。
 舞台は、飢えも貧しさも病もほぼ克服された未来。人々の暮らしは〈中央〉とロボットに守られ、必要な物は量子的な技術で何でも作ることができる。平等で安全な世界だ。けれど、作中で記号名のまま呼ばれる青年Zは満たされない。美しい肉体を持ち、鏡に映る自分を誇らしく思う一方で、それがほんとうの自分なのかという疑いを抱えている。完璧な肉体も、その疑念を晴らしてくれない。
〈全裸の山〉は、人々が定期的に集まり、衣服を失った姿で交流する場所。富や身分を示すものを取り払うための制度だが、裸になれば平等になれるわけでもない。Zの美しさはいっそう人目を引くけれど、自らを醜いと感じる女性彫刻家Aにとっては、他人の視線にさらされるつらい時間だ。人目を避けて岩陰に隠れた彼女は、そこから見たZの裸体に、初めて完全な美を見出す。そして思い切って、Zに彫刻のモデルになってほしいと頼む。
 Zは見られることには慣れているが、他人の眼差しのなかにも自分の姿ばかり見ている。一方のAはZの裸体に美を見出しながら、自分が他人に見られることを恐れている。この非対称な〈見る/見られる〉の関係が、彫刻を介してどう変化してゆくのかが、最大の読みどころだ。作品づくりは、相手を写し取るだけではない。向き合ううちに、作る側も作られる側も、自分を見る目まで揺さぶられる。芸術が、告白や性愛とは別の、二人だけのやりとりになる。従来の恋愛小説とは少し趣の違う、親密さの形だ。
〈中央〉は物も安全も与えてくれる。けれど、ともに過ごした時間のなかで生まれる想いまでは作れない。物が満ちた世界であっても、特別なたった一人と育てる関係だけは替えがきかない。SF的な仕掛けによって恋愛を未来へ運び、その根にある欲望と孤独を、裸のまま取り出した一作だ。

「青春と読書」2026年10月号転載