『メソポタミアのボート三人男』刊行記念対談 高野秀行×山田高司「やっぱり情報がないところへ行きたい」
高野秀行さんの新刊『メソポタミアのボート三人男』は、人類最初の文明「メソポタミア文明」が誕生したティグリス゠ユーフラテス川の源流域をボート(「パックラフト」という、カヌーとゴムボートの中間のような形のコンパクトに運べる舟)で下るという冒険紀行。旅の相棒は、「隊長」こと、山田高司さん。山田さんは日本の主な川を全部下り、アマゾン、オリノコ、ラプラタ、長江などの大河をいくつも旅した「世界で最も川を旅した男」といわれる、川下りのスペシャリスト。この二人と現地ガイドを加えた「ボート三人男」の珍道中(?)がくり広げられる。また、これまであまり知られることのなかったトルコに住むクルド人の生活や文化が、山田隊長の精密なイラストと共に詳しく描かれているのも本書の魅力。
対談が行われたのは、現在「隊長」が拠点としている千葉県館山。お二人がユーフラテス川源流近くのトルコ東部の街ワン(ヴァン)に到着したのは八年前の二〇一八年八月。高野さんと隊長は八歳違いだから、奇しくも高野さんは当時の隊長と同じ年齢に。八年という歳月を振り返りながら対談は始まる。
構成/増子信一 撮影/chihiro.

旅のやり方が全然違う二人。だから面白い
山田 そうか、高野ももう五十九か。
高野 いま思えば、この齢でティグリス゠ユーフラテス川の源流へ強引に連れていかれるというのは本当、迷惑ですよね(笑)。
山田 あのね、君のいいところは、人の立場になって決して考えられへんところ(笑)。
高野 何それ? いつもいつも気ィ遣ってるじゃないですか(笑)。それにしても、けっこう長いプロジェクトでしたね。そもそもは三十年くらい前に隊長が立ち上げた環境NGOを手伝うことになって、二人でナイル川流域を四か月ほど調査したのが始まりですよね。
山田 そうそう、そのときに、いつか二人で一緒にナイル川を下ろうと。
高野 でも、その後隊長が体調を崩されて、引退状態になっていたのを、諦めの悪いぼくがしつこく四万十の隊長のもとへ通って……。きっと迷惑だったでしょうね。
山田 いやいや、迷惑じゃないよ。あれがなかったら、多分、あのまま四万十にいたと思うね。結局、旅の準備のため奥多摩に行って、高野先生に呼び出されると一緒に出かけていくということをやっていたわけだよね。
そして、二人旅へ大きく後押ししてくれたのは、高野にアフワール(イラクの大湿地帯)のことを聞いたことだね。あれだけでかい湿地がイラクにあることを知らなかった。南米やアフリカ、ヨーロッパのでかい湿地はよく知っていたし、行ったこともある。湿地って、鳥とか植物が豊富でね、いいとこばっかりなんですよ。その大湿地帯へ行こうと説得しに、三回か四回誘いに来たよな。
高野 三回行きました。結局、紆余曲折を経て、まずはアフワールへ行こうと。それが二〇一八年の一月ですから、ティグリス゠ユーフラテス川の源流域へ行く半年くらい前ですね(このアフワール紀行の模様は高野さんの『イラク水滸伝』に詳しく書かれている)。
山田 高野得意の「間違う力」で、トルコへ行く前に中国へも行った。
高野 練習をしに外国へ行かなきゃいけないと思って、同じ年の五月に中国の珠江に行ったんですよね。
山田 思い込んだらすぐに行くから大したもんだよ。
高野 でも、大きな間違いでしたね。ホテルにチェックインした途端に地元の警察官が押しかけてきた。
山田 どこに行っても見張られてる感じがあったよな。あのとき、もし川に舟を浮かべてたら、多分日本に帰ってこられなかった。
高野 舟を浮かべてたら、もっと面白いネタになっていたはず(笑)。ともあれ、そんなこんなでようやく念願のティグリス゠ユーフラテス川の源流域へ行くことになったわけですね。
ぼくは前からトルコの東部へは時々行ってましたけど、川を見るたびに思ってたわけですね、この川をずっと下って行ったら面白いだろうなって。陸の道路を通っていくときには、途中に村があってもそこに立ち寄るということはまずない。用もないのに止まらないじゃないですか。もし止まっても、何しに来たんだっていわれてしまう。でも、川だとそういうことはいわれないというか、ただ川に沿って流れていくだけですからね。
山田 車の旅人って、そこに住んでいる人にとったらけっこう暴力的なんですよ。でかい鉄の箱でやってくるわけだから。小さい頃、高知の田舎にいましたけど、車はまだ珍しくて、かっこいいんだけど、どこか偉い人が高みから見下ろしている感じなんだよね。川から行く場合は、常に見下ろされている側だから、警戒されない。逆に歓迎される。世界中の川でそういう経験をした。
高野 今回まず思ったのは、情報がない川に行きたいと。これまた高野の思い込み、こだわりだって隊長はいうと思いますけど、やっぱり情報がないところへ行きたい、どうなっているかわからないところへ行きたいという気持ちがものすごく強いので、ティグリス゠ユーフラテス川の上流域を選んだんですよね。ただ、情報がないからいつも先が読めない。
山田 先の読めないところで、思わぬ方へ行くというのは、長い付き合いでわかっているけど、大体そっち行ったらいかんだろうという危ない方に行くよね、見事に。
高野 最近気づいたんですけど、お掃除ロボットってあるじゃないですか。あれを見てたら、すごい自分の動きに似てるなって。
山田 どこが?
高野 いきなりガーッと走り出して、いきなりガンとぶつかる。ぶつかると急に向き変えて、またドーッと走っていく。かと思うと、一か所にしつこく留まったり。あれって、自分とすっごい似てるなって、思ったんですよ。
山田 俺の見解はちょっと違う。高野は本能的に、言葉は一所懸命やるよな。今度の旅ではクルド語を習ったように。でも、それ以外の調べはけっこう甘い。ほら、孫子の「彼を知り己を知れば百戦殆からず」の真逆で、予め調べずに現場へ行くと、予期しないことが起きる。それが欲しいから、調べるとか練習とかをやらないんじゃないの。
高野 隊長のやり方ってぼくと全然違ってて、事前にすごく調べて、しかも一番高いところ、低いところ、あるいは一番端とかの要点を押さえるんですよね。それで、重要なポイントが五か所あったら五か所すべて押さえて、その後、だんだん解像度を高めていく。そういうやり方ですよね。でも、ぼくは隅っこから順番にやりたいんです。
山田 お互い探険部出身だから、わかってるだろうと思いながら、実はまったく話がかみ合わない。要するに我々にはそれぞれ養老孟司さんの「バカの壁」があるんですよ。だから面白い。あんまりにも合いすぎたら、何も起こらないし、退屈だからね。

舟で空を飛んでいる気⁉
高野 最初の旅の六年後、二〇二四年にもう一度トルコへ行ったわけですけど、一回目と二回目ではコロナ禍を挟んでいるので、世の中がずいぶん変わっているだろうからもう一回行きたいなって思ったんですよね。
山田 俺としては、わざわざトルコまで行かなくても「江戸ポタミア」(隊長が名付けた多摩川と荒川流域のこと)でいいじゃないかって思ってたんだけどね。
高野 それ、まったく理解できないんだけど(笑)。
山田 いやいや、高尾山に登って境川の源流へ行ったときに、江戸ポタミアの川下りの話と十条の「メソポタミア」というクルド料理屋(現在は閉店)の話まで書いたんだから、そこでしゃんしゃんでいいんじゃないって俺がいったら、高野も「いいですね」っていったんだよ。
高野 あ、そうだ。思い出した(笑)。
山田 それが一か月ほどしたら、やっぱりトルコ行きましょうになって、しゃあないな、では行きますということで行ったんだよ。
でも、あれは行ってよかった。特に、前回と比べて川の水の量が倍くらいに増えていたから、川を下りながら、君がやっと空を飛んだ気分になってくれたのはよかった。
川って、ゆっくり流れているから鏡みたいな水面に空がきれいに映るときがあるんですよ。海はうねりや風もあるから、空がきれいに映ることがあまりない。実際、アマゾンとかアフリカの大河は空がきれいに映って、そこに舟を浮かべていると、まるで宮﨑駿さんのアニメに出てくる空の上を飛んでいるような気分になる。
そういうことを高野に話しても、それまではピンと来ていなかった。それが最後の章で、ムンズル川(ユーフラテス川の支流)を下っているところで「土地のいちばん低いところを進んでいるはずなのに、半分、空を飛んでいるような気持ちになる」って書いてくれた。
高野 雲の上に乗ってるような浮遊感があって、ちょっと、この世じゃない感じがしましたね。
もう一つよかったのは、三人目の男(ガイド)が一回目と二回目で替わったこと。
山田 あのアフメトというガイドはすばらしかったね。でも「ボート三人男」というタイトルを見て、どれくらいの人がジェローム・K・ジェロームの小説『ボートの三人男』のことを思い浮かべるだろうね。
俺らの世代で文学好きな人はみんなあの本を知っていると思うし、イギリス人はみんな好きですよ。『東海道中膝栗毛』みたいな感じで、お笑いを交えながらテムズ川の歴史、イギリスの歴史も語られている。
高野 今回の本で話が急に飛んだり、途中からどんどん逸脱していくというのも、実は『ボートの三人男』に則っているんですよ。
山田 俺の友達で高野の『イラク水滸伝』を読んでから北方謙三さんの「大水滸伝」シリーズを読んだ人がけっこういるから、この『メソポタミアのボート三人男』を読んでジェローム・K・ジェロームを読む人も出てくるんじゃないの。
尽きない探検欲
山田 次のフィールドは、何か決まっているの?
高野 当たりはつけてるんですけど、本になるかどうかは、ちょっとやってみないとわからない。今月もまたトルコへ行きますけど。
山田 トルコにしたの?
高野 またクルド人のいる地域に行ってみようかと。とにかく、クルドの人たちの文化や生活について書かれた本って、すごく少ないんですよ。
山田 ロンドンに二年、パリに一年ほどいたことがあって、そこでクルド難民の友達がいっぱいできました。多くの人が逃げてくるくらいだから、実際に行くまではすごい戦場みたいなところかなと思っていたんですよ。ところが、春とか夏になると、そこらじゅうに花が咲いて、ちょっとした桃源郷みたいな風景になる。こういうところでも悲惨な歴史があったんだなと、ちょっと悲しくなりましたね。
高野 クルド人のエリアって、何しろ調査も報道もほとんどされていないので、わからないことが多くて、謎とか未知なことがまだまだある。
隊長の今後の予定は?
山田 まあ、体調を整えながらだけど、江戸ポタミア探検隊の締めをいまやっているんですよ。多摩川、荒川に挟まれた地域は、昔、海面が高くなったときもあれば低くなった時代もあるんですね。その昔は、荒川、利根川、多摩川が全部東京湾でつながっていて、この館山が河口だった。だから、いま俺がいるのは江戸ポタミアの河口だという構想で、その江戸ポタミア探検の締めをやらないといけない。
それに、川と環境保全、森づくり、森林保全をやっている仲間がいっぱいいて、彼らとその方面での新たな構想もしているから、江戸ポタミアの河口に住んでいるというのは、そっちの方でもいい材料になると思って、あれこれ考えているわけです。
そのためにも腰痛も含めて体調を整えないといけないんだけどね。
高野 いや、また一緒に川旅をやりたいですよね。
山田 俺もやりたいんだけど、川は冷えるからな。腰に悪い(笑)。
「青春と読書」2026年7月号転載
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