『虚池空白の自由律な事件簿』刊行記念特別対談 作家・森晶麿 ✕おとん ミステリおじさん「“一句”から始まる推理:森晶麿が明かす〈一言トリック×自由律俳句〉の作り方」
森晶麿さんの最新ミステリ連作短編集『虚池空白の自由律な事件簿』がついに刊行。6編すべてに共通するのは、「野良句(自由律俳句)の一句から推理が始まる」というユニークな形式。ハリイ・ケメルマン「九マイルは遠すぎる」の系譜を継ぎ、言葉そのものから世界が立ち上がるスリルを現代に甦らせた意欲作です。
森さんと、長年ミステリに親しみ、書評インフルエンサーとしても知られる“ミステリおじさん”ことおとんさんが、Xスペース(SNSのXの音声配信機能)でじっくり語り合いました。本作の着想から執筆までの紆余曲折、森さんの人気作〈黒猫シリーズ〉との意外なつながり、そして物語に息づく恋愛要素まで――ここでしか聞けない制作秘話と読みどころをお届けします。
構成/栂井理恵
●虚池空白と黒猫シリーズとの意外なつながりは?
森晶麿(以下、森) おとんさん、はじめまして。今日は、Xスペースでの対談をお引き受けいただき、ありがとうございます。
おとんさん(以下、おとん) こちらこそ、お招きいただき、光栄です。僕は小学2年のとき、ポプラ社の江戸川乱歩〈少年探偵団シリーズ〉から入って、43年間ずっとミステリを読み続けてきた読者です。今は、“ミステリおじさん”と名乗って、ミステリの紹介を中心に発信しており、Xのフォロワーは約2万7千人。作家さん、出版社さんのお役に立てるような発信を続けていきたいと思っています。
森 今は作家と書評家だけでなく、“紹介者”の存在がより重要な時代ですよね。『虚池空白の自由律な事件簿』を読んでいただいて、いかがでしたか。
おとん 忖度なしに面白かったです。
森 それは嬉しいです。昨年から『切断島の殺戮理論』(星海社)、『名探偵の顔が良い』(新潮文庫nex)、『あの日、タワマンで君と』(小学館)と、どこか派手さがありましたが、今回は、日常にある自由律俳句から謎を解くという設定で、良い意味で地に足を着けたつもりでした。ただ、その分、地味でもあるので、少し不安だったんです。
おとん 僕は初めて読ませていただいたのが『切断島の殺戮理論』なのですが、「こんな奇抜な、突き抜けた作風の作家さんがまだいたんだ」っていうのが正直な感想で。その後に『名探偵の顔が良い』も読ませていただきました。今回の新作を除けば、こちらがいちばん好きです。ジャンクフード感やバディものの味わいなど、いろんなエッセンスを贅沢に楽しめる一作でした。森さんの代表作というと黒猫シリーズだと思いますが、実はそちらは未読でして。でも、本作は、ひょっとして黒猫シリーズに近いものがあるのかと感じています。
森 そうですね。黒猫シリーズは、美学を前面に出しつつ、「笠井潔さんの矢吹駆シリーズみたいな作品を“日常の謎”でやったらどうなるか」という試みでもあるんです。実際に読者に支持されたのは叙情的な文章やバディの会話のテンポの心地よさだったりしたと思うのですが、本作もそれに近い味わいがあるのでは、と思っています。6話構成という点も、第1話が“月”で始まり、ラストシーンが“月”で終わる構図も同じにしています。
おとん ある意味では、虚池空白は、黒猫シリーズのアンサー作品とも言えますか?
森 はい、黒猫シリーズでのデビュー以降、作風はいろいろと変化して今に至っていますが、「芯は変わっていませんよ」という黒猫時代からの読者へのアピールでもあります。実は、ラストシーンは、黒猫を読んでいる方なら「このかぶせ方か」とはっきり分かるようにしています。古いファンにはそこが楽しみどころですし、未読の方にはやはりハリイ・ケメルマンの名作短編「九マイルは遠すぎる」の手法だってことですかね。
●たった一言から全推理を組み立てる「九マイル」型ミステリ
おとん 「九マイルは遠すぎる」は、たった一言から全推理を組み立てるスタイルですよね。これだけで6本書かれているのが、今回の大きなポイントです。当初、本作は「俳句がテーマ」と聞いて、竹本健治さんの言語系ロジックのような難しいタイプかと身構えましたが、全然そんなことはありませんでした。
森 思い切って『涙香迷宮』方面に振るのも考えたんです。でも、そうすると自分じゃなくても書ける方向になりかねない。僕の持ち味は、ミステリの驚きに加えて叙情や余韻を立ち上げること。そこは外したくないので、ロジックをつきつめる方へは行かないと決めました。
おとん 個人的には大正解でした。今のスタイルがとても楽しめました。
森 6話すべてでパターンを変えています。復讐、告白、犯罪の露呈……せっかくなら全部バラけさせたかった。6話すべて「九マイル」ネタ、ちょっとギネスに申請したいくらい(笑)。
おとん 「九マイル」が根底にあるからこそ強く感じたのですが、本作はすでに与えられた謎を解くのではなく、謎そのものをまず作っているところが面白いですよね。たとえば「日常の謎」は、ふだんの“ちょっと不思議な出来事”が設定され、それを解いていく面白さがあります。でも本作では、登場人物たちが〈野良句〉を見つけて何だろうと問う――その謎づくりから始めている。謎を先に作るなら解くのは容易にも見えます。ところが実際は、むしろそのほうが難易度が高いのではないかとも感じました。この点、いかがでしょうか。
森 難易度は一概に言えませんが、書いている最中のワクワクは今作がいちばんでした。だって、書いている自分にも“何が起きているのか”が最初は分からない(笑)。しかも、俳句も最初から決めていないんです。まずXという未知の句がある、と仮置きする。それがこの状況に落ちていた、と設定して、そこからどう推理が立つかを外側から詰めていく。外堀が埋まると「Xの句はこうでなければならない」と文字が決まっていく、という順番です。
おとん 面白いですね。
森 デビュー後の最初の10年くらいは、答えを先に決めて書いていました。でもそれだと、ときどき無理投げになる。野球で肩に負担がかかるフォームみたいな感じです。もっと自然にボールを運べないか、と考えて、最近、Xと置くやり方に変えました。
おとん 自由律(定型に縛られない句)という題材とも相性がいいですね。
森 本作で二人が探している〈野良句〉は、そこに落ちている言葉を“俳句”として扱う感覚。だから最初から五七五に当てはめるのは不自然だし、当てはめるなら別の負担も出てきます。
●「フェア」がすべてじゃない。言葉に戻っていくミステリ観を語る
森 ハリイ・ケメルマンの『九マイルは遠すぎる』を最初に読んだのが19歳、浪人中でした。たった一言からすべてを導き出していくあの衝撃は大きかったです。たしか「解説」で、大学で教えている授業中にその一言を思いついて、黒板でどんどん展開して見せたのが小説化の起点になった――そんな逸話があったと思います。つまり最初は、本当に“ひらめいた一言”だけだった。そのやり方って、僕が黒猫の頃から考えていた「ミステリをどう結びつけるか」という発想にも近いんです。いまの犯人当て的な、読者が推理できないとフェアじゃないという空気――誰が決めたんだろうという感じで、あまり好きではなくて。ガチガチに固めすぎるのは、ミステリの発展にも寄与しない。そもそも推理の主語は読者だと決まっているわけでもない。
おとん 本当にそうですね。主語が読者になりがちです。
森 その結果、面白くなくなることがある。それを打開しようとして出てきたのが、特殊設定ミステリだと僕は解釈しています。でも結局、その世界の中で“フェアかフェアでないか”という話に閉じてしまい、袋小路になりがちです。僕は、エドガー・アラン・ポオは詩を書く感覚で探偵小説を構築していたのではないか、という仮説から黒猫シリーズを始めました。探偵小説を“詩”へ還元する――その延長線上にあるのが、今回の作品で、黒猫シリーズへのある種のアンサー作品になっている、というのはここです。
おとん なるほど、位置づけがよく分かりました。
森 ケメルマンが授業中の一言から黒板で世界を広げていった――それは詩において一語からイメージを増殖させる営みと同じで、それを推理でやっただけです。つまり、探偵小説の価値を別の位相に交換した、というか。思い返すと、僕が「九マイルは遠すぎる」に関心を持ったのは、当時読んでいた北村薫さんの読書エッセイの影響が大きい。当時の僕にとって北村さんはさまざまな“謎のかたち、形式”があることを教えてくれる先生でした。謎の一言から始まるミステリは“九マイルスタイル”に限らず、最近の作品でいうと水見はがねさんの『朝からブルマンの男』のような“タイトルの謎”にも通じる流れがあると思います。特殊設定の次は、言葉そのものに回帰するのではないか、と感じています。
●執筆に行き詰まったとき、過去に書いた一言に救われる
おとん 目次を見た瞬間に、一番読みたくなったのは、全6話のうち「キリンしか知らない夜」でした。実際に読んでみると、着地がまったく想像と違う。一読者として、良い意味で期待を裏切られたな、と思いました。
森 実は第4話(=キリン)はプロットから一番変わった話なんです。最初は、夜の動物園という、狭い世界で完結する設計でしたが、将棋の駒を外に置くように視界を広げられないかと考えたとき、自分で最初に置いていた「キリン」という言葉が救いになった。このあいだ大山誠一郎さんがXに書いていた、法月綸太郎さんのアドバイス――「行き詰まったらこれまで書いた個所を読み返すといい」――に近い体験でした。ミステリって面白いな、と改めて思いました。
おとん あの展開はなかなか予想できないです。果物だと思って食べていたら実はまったく別のものだった、みたいな世界へポンと飛ぶ。その違和感が逆に面白い。
森 このシリーズ、第1話は難産でしたが、第2話、第3話と進むほど書きやすくなっていった。
おとん 第3話の「白は黒」も好きでした。虚池の大学時代のサークルの先輩である女性作家が亡くなって……というお話です。私は恋愛ミステリが大好きで、円居挽さんの『丸太町ルヴォワール』を恋愛ミステリとして偏愛しているのですが、本作にもしっかり恋愛要素がありますね。
森 デビュー時は恋愛ミステリの書き手という立ち位置でした。黒猫シリーズは、毎回謎の部分を一生懸命作っていても、読者からの感想は主人公たちの恋愛関係の見守り一色になることも多かったんです。だけど、ミステリ書評やランキングでは恋愛要素は受け入れられにくい面もある。かと言って「恋愛小説を書いてください」という依頼はこない。だったらまずミステリ作家として一旗揚げないと次へ進めないという葛藤から、『切断島の殺戮理論』を書きました。それを経て、僕は、今作では肩の力を抜いた状態で、恋愛要素を扱っています。
おとん だけど、僕が「白は黒」が好きなのは、まさにその恋愛の部分なんです。詳しくは言えませんが、その要素が“「白は黒」たらしめている”と感じました。ストーリーの展開だけでなく、心を掴まれる部分がそこにあった。
森 よかったです。少し前に、『超短編! ラブストーリー大どんでん返し』(小学館文庫)に、夏目漱石と嫂・登世についてのショートショート「池に落ちる」を書きました。「白は黒」は、この別バージョンのつもりもあります。実は、なぜ「虚池空白」なんて読みづらい人物名にしたかというと、漱石の自由律めいたメモからきてるんです。
おとん へえ、どんな言葉ですか?
森 うろ覚えですが「池はある。だが鯉がいるかはわからない」みたいな――その虚無感漂うイメージに惹かれたのが始まりです。詩的で美しい一言だと思いました。自由律俳句そのものとは違いますが、「漱石の中の池は何のイメージか」「それは存在しない池ではないか」など考えているうちに、虚池空白という名前が立ち上がりました。そしてまた「鯉」も「恋」がらみだろう、と僕は感じています。だから、失われた恋の幻影を引きずるような話をひとつは入れたいと思ったんです。
おとん なるほど。黒猫ファンには本作は必読ですね。いろいろつながっている。
●素材の良さを生かし、無理をさせないことに気づいたら成功した
森 スペックに無理をさせると商品は失敗する――これは僕が作家になる前の広告業時代にも痛感しています。素材の良さを殺すほど盛り過ぎると、広告も作りにくくなる。だから今回は肩の力を抜いて、素材に無理をさせない。たとえるなら、ナスと味噌があるのに無理やりカレーを作らない。その発想に立ち戻って完成できたのは本当に良かった。作家を長くやっていると、こういう局面はしょっちゅうあります。気づかないうちに別物になってしまうこともあるし、その間に編集者との関係が切れることもある。ケースバイケースですが、今回は乗り越えられた。自分でも「大人になったな」と感じました。
おとん 森さんの作家歴は?
森 14年です。だからこそ、逆に難しい面もあります。
おとん ミステリファンの間でよく話題になるのが、トリックやネタはどうやって思いつくのか。長く続ける=アイデアを生み続けるということなので、頭の構造が違うのでは、とさえ思うのですが(笑)。
森 いや、他にできることがないだけです。明日の生活がかかっているので(笑)。
おとん 身も蓋もないですが……ご苦労は分かります(笑)。降って湧くタイプですか? それともこねまわして作るタイプ?
森 降って湧くほうが多いですね。ただ、僕は、趣味のストライクゾーンが広すぎるんです。だから編集者さんの好みから外れる方向へ行ってしまうこともある。なので、最初の打ち合わせで「何を読みますか?」とヒアリングして、レーンが見えたらその範囲で自分のやりたいことを具体化する。ぼんやりと方向のイメージを共有してから、そこへ掘っていくようにしています。
おとん 湧くだけならいくらでも湧く、ってすごいですね。
森 小説を1本書き終えたら、その日の夜12時に終わっても、「じゃあショートショートを1本書いて寝よう」となるタイプです(笑)。
おとん すごい。そんな森さんの今後のご活躍、楽しみにしています。
おとん
1974年生まれ。8歳から江戸川乱歩の〈少年探偵団シリーズ〉を読み始め、43年間にわたり主に国内ミステリ作品を精読。現在も新刊をメインに年間100冊以上を読破し、累計読書数は4,000冊を超える。 SNSでの発信力にも定評があり、肩書きを「ミステリおじさん」とするX(旧Twitter)アカウントはフォロワー数27,000人を突破。作品紹介では図解などを駆使しながら「ネタバレを避けながらも面白さを伝える」独自の手法で支持を集める。また、定期的にXスペースでの音声発信もまじえながら、初心者から上級者まで幅広い層にミステリの楽しさを伝えてもいる。
Xアカウント→ おとん ミステリおじさん
プロフィール
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森晶麿 (もり・あきまろ)
1979年生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。日本大学大学院芸術学研究科博士前期課程修了。2011年、『黒猫の遊歩あるいは美学講義』で第1回アガサ・クリスティ―賞受賞。〈黒猫シリーズ〉の他『探偵は絵にならない』『切断島の殺戮理論』『名探偵の顔が良い 天草茅夢のジャンクな事件簿』『あの日、タワマンで君と』等著書多数。
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