
内容紹介
「人を轢いたかもしれない」
厳格な父親からの一本の電話。それが悪夢の始まりだった――
80歳目前の武は、教職退任後、市民講座で教える地元の名士。父の武と同じ教職に就く敏明は、妻の香苗と反抗期の息子・幹人との平凡な生活を送っていた。
このところ父の愛車に傷が増え、危険運転が目に余るようになってきたため、敏明は免許返納を勧めるが武は固く拒絶する。
さらに、市民講座の生徒である西尾千代子と武との親密な関係を怪しむ噂が広がり、敏明は悩みを深めていた。
そんなある日、近隣で悪質な轢き逃げ事件が発生。
「あれって――まさか」
疑念に駆られ、事件の真相を探る敏明が辿り着いた“おぞましい真実”とは? 『悪寒』『不審者』『朽ちゆく庭』に続く、不穏で危険な家族崩壊サスペンス!
プロフィール
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伊岡 瞬 (いおか・しゅん)
作家。1960年東京都生まれ。2005年『いつか、虹の向こうへ』(「約束」を改題)で横溝正史ミステリ大賞とテレビ東京賞をW受賞しデビュー。2016年に『代償』、2019年に『悪寒』が啓文堂書店文庫大賞を受賞。2020年に『痣』で徳間文庫大賞を受賞。『悪寒』『不審者』『朽ちゆく庭』『仮面』『奔流の海』など著書多数。
インタビュー
書評
どの家族にもいつか訪れる翳りの日々
杉江松恋
伊岡瞬の作品を読むたびに、小説は人の関係を描くものなのだ、と実感させられる。
その新刊『翳りゆく午後』は社会の最小単位である家族を描いて胸に染み入る小説だ。
東京西部の七峰市に住む大槻敏明には悩みがあった。間もなく八十歳になる父・武は同市内の実家で一人暮らしをしているのだが、いまだ運転免許証を返納せず車を乗り回しているのである。最近になって物忘れが激しくなり、敏明は認知症の兆候を疑っている。中学校校長の職に就いていたためか武は気位が高く、返納を勧める息子の助言など聞く耳を持たない。さらに、別の嫌な噂も耳に入ってきた。定年退職後、生涯学習センターの講師を務めている武が、女性の受講者と個人的に親密な関係になっているらしいというのだ。
武の車に何かにぶつけたものとしか思えない傷を発見し、近くで轢き逃げ事件があったことを知って敏明は懊悩する。高齢運転者が引き起こす事故はこの国の社会問題になりつつあるが、身をもってその深刻さを味わってしまうのだ。父親がまずいことになっていないかどうかを敏明は調べようとする。同じように高齢者の家族を持つ読者にとっては、他人事とは思えないのではないか。事態が明らかになっていくにつれて、胸の動悸も早くなる。
最大の美点は、轢き逃げ事件に関する謎解きを主軸にしながら、敏明たち家族の群像を描く物語になっている点だ。敏明が武の行動を調べるのは、実の父親だからである。人は家族というしがらみからいかに自由になれないものかを本書は描いている。人物造形は巧みで、身辺にいる誰かのような親近感がある。だからこそ敏明に感情移入してしまうのだ。
大槻家の長い歴史が浮かび上がる小説で、中途に美しい場面がある。どの家族にも幸せな記憶があるだろう。その美しい時間が一瞬蘇るのである。そのくだりを読んで、自身の家族にも思いを巡らせた。すべての愛憎と、自分を形作る思い出がその中にある、家族に。
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