書評

その一族のどよもし、、、、の海は

久栖博季

 昔聞いた誰かの声や死んでしまった人の声をずっと覚えていられるのは、思い出す私が港だからなのかもしれない。この本を読んでそう思った。声が舟で、それを聞く者は港。本書は表題作の他に「シャンシャンパナ案内」「明け暮れの顔」「鳶」「間違えてばかり」の五篇を収録した短篇集で、長崎のとある島にゆかりのある一族の物語である。「ああ、船着き場んおるごとせからしかねえ」と家族を迎える者は言う。年の暮れに、盆の時期に、あるいは冠婚葬祭の場には賑やかな「声」が集う。大勢が一斉に話せば、せからしく(騒がしく)もなる。まず声が聞こえる。それが誰かはわからない。誰かを識別するよりも先に声がある。声は別の誰かの耳に届いて初めて特定の何者かになり、話題がくるのはその後なのだ。一人ひとりの存在は流れ着く声という「舟」を迎える「港たち」で、「だあれも聞く者のらんじゃったら、そら、声の寄りつかれんじゃなかや」つまり港のない海では声は届かず思い出されることもない。反対に、舟である声が彷徨さまよいながらもどこかの港へ辿り着く限り、思い出は死をも乗り越えて遠い過去から現在に漂着する。人生が死へ向かって否が応でも進んでいく一本の道行き、あるいは航路のようなものであるとするなら、そこへふと流れ着いた他者の声は一本道にはあり得なかった風景(時に自分が生まれる前の風景さえも)をもたらしてくれる。限られていた時間が無限に広がる。語り手の言葉のかじは自在に切られ、長い文章の途中にするりと別の声が紛れていく。心の中でそっと語られる声もまた、今歩みつつある時間の中に流れてくる。そうして思い出される時間が人生を豊かにふくらませていく。その一族のどよもし、、、、の海はとても広く、そして深いのだ。盆や正月が毎年巡ってくるように声たちが作る人生の時間は円を描くように、何度でも島に帰ってくる。
 この作品の声が読者という多くの港たちへと寄港してゆきますように。

「青春と読書」2025年2月号転載

分有される声

陣野俊史

 誰にとってもそうだとは思わないが、実家のある地方の村落に帰省して、何が楽しみかと言われれば、地元の人たちが集うバスに乗り合わせることだ。たいていの家は自転車代わりに自家用車を使うので、バスに乗るのは平均年齢が(たぶん)九〇に近い老人たちで、免許を返納した住民たちである。午前中に二本しかやってこない路線バスの、お昼近いほうに乗ると、お婆さんやお爺さん数人が病院に向かう途中で、なんとなく話をしている。これが面白い。何を言っているのか、滅法わからない。方言であることはわかる。むろん日本語だ。だが、単語(名詞や形容詞)が置き換わっているとお手上げだ。私たちがふだん方言をいかに語尾で判断しているかがわかる。スマホに録音して、実家にもどって誰かに通訳してもらうしかない(じっさい、やってみた)。若い人が使わない語彙が多く含まれている。方言の原語、、とは、かくも難しい。
 古川真人の『港たち』には、方言がたくさん出てくる。舞台となっている長崎県、平戸の方言だ。登場人物たちは、饒舌に話す。むろん彼ら彼女らのほとんどは方言を話している。県外に拠点のある若い人は方言を話さない。たとえば、九〇の坂を越えた「敬子」はこんなふうに。
「そんな空色の、空色した飾り提灯を、仏壇の脇に吊るして。また、施餓鬼の支度も。水はもちろん、水菓子も、うん、とたくさん、宏くんは酒飲みじゃったばってん、ほかの者な、みんな、水菓子の好きやったけんかれ、甘いもな、あればあるしこお供えしてよかとはいっても、その仏壇のある二階の部屋には、もう敬子は足が弱り、上がれなくなっていた。」
 お盆のために集まった親戚たちや近隣の者たちが近くの海に手作りの小さな舟を流しに行く(精霊流し、という)表題作の一節だが、右の引用のうち、「好きやったけんかれ」は「好きだったからこそ」の意味であり、「あればあるしこ」は著者もルビをふっているが、「あればあるだけ」の意味。文芸批評的に右の引用で注目すべきなのは、敬子婆さんの内的な語りが地の文の語りと融通無碍に接続され、一文にまとめあげられている、いわば自由間接話法的書法が、古川の小説の実験性を構成しているのであり、そこを強調すべきだろうと思う。あるいは、本書所収の別の短篇「シャンシャンパナ案内」でも同じだが、登場人物たちが集まり、そして、ごく短い距離を移動する。人々は会話する。大きな事件など起こらない。集まって、話をして、ちょっとだけ移動して、散っていく。いわば無事件性とでも呼びたい事態がいったいどう読まれるべきか、が検討されてしかるべきかとも思う。
 だが、今回は措く。私はもう少し『港たち』で用いられている方言にこだわってみたいのだ。別の線を引こう。石牟礼道子の『苦海浄土』である。周知のように石牟礼の代表作には熊本の水俣弁が多く用いられている。たとえば――。
 「舟の上はほんによかった。/イカは素っ気のうて、揚げるとすぐにぷうぷうすみをふきかけよるばってん、あのタコは、タコはほんにもぞかとばい。/壺ば揚ぐるでしょうが。足ばちゃんと壺の底に踏んばって上目使うて、いつまでも出てこん。こら、おまや、、、舟にあがったら出ておるもんじゃ、早う出てけえ。出てこんかい、ちゅうてもなかなか出てこん。壺の底をかんかん叩いても駄々こねて。仕方なしに手網たびの柄で尻をかかえてやると、出たが最後、その逃げ足の早さ早さ。ようも八本足のもつれもせずに良う交して、つうつう走りよる。(中略)わが食ういおにも海のものには煩悩のわく。あのころはほんによかった。」(「池澤夏樹゠個人編集 世界文学全集 第3集」石牟礼道子『苦海浄土』)
 「ゆき女きき書き」と題された章の一節。石牟礼が水俣病患者の「坂上ゆき」から「聞き書き」したものだが、九州の言葉に特有の助詞や接続詞を除けば、記述内容に理解できない箇所はほぼないと推測される。周知のように、『苦海浄土』には様々な種類の文章(行政文書やマスメディアの記事、診断書など)が収められている。「聞き書き」の文章は、患者個人の肉声として立ち上がるよう配慮されている。そして、そこには「フィクションとしての聞き書き」と石牟礼本人が呼んだ、理解しやすさへの装置が駆動してもいる。方言の原語性は薄められているのだ。ただし、聞き書きされた言葉は、あくまでも個人の内面を叙述するものとして機能しているように思う。
 さて、『苦海浄土』からの補助線を読んだあとに『港たち』の小説を読み返してみるならば、そこに溢れている方言の言葉が、個人へと還元されたり、あるいは個人の内面を開示するために用いられたりしているのではないことが、よく理解されるのだ。言い換えれば、ある種の共同性の言葉として機能している。たしかに話している個人の名前など、執拗なほど言及されてはいる。本書の冒頭には、「吉川家 家系図」として登場人物の一覧があり、二三人に及ぶ大所帯が明示されている。だが、彼ら彼女らの肉声を立ち上げるために方言は機能していない。その場にいる誰か(死者も含む)が発する声が流れる場として、小説はある。「声? だれの?/だれのでもないのだった。声が話している。とらえそこなった声が、だれかの声が、だれかの耳に辿り着くすべをうしなって、沈黙のうねりと、さわがしさの波のあいだを――海を――漕ぎ手のいない舟となって漂いだす。」
 「声が話している」という表現の異様さに読者は震えることだろう。声は話さない。だがそうとしか言えない空間が、古川真人の平戸をめぐる小説にはある。個人に還元されない、方言=言葉の共同性が読者の心をざわざわと波立たせる。それはもしかしたら、午前の遅い時間、通院するために路線バスに乗り込んだ老人たちの、外部の者には意味不明の、原語としての方言が希釈されて漂っている、そんな風景とどこか似ているのかもしれない。

「すばる」2025年3月号転載