内容紹介
人はファンタジーがないと生きていけない。
会社を売った男、離婚歴のあるシングルマザー、AIスタートアップの出口を見つめる男、FXで生活する元証券マン、都市伝説の買取屋、婚約者が送ってきた座標を追う男、血の繋がらない父になろうとする小説家――。
清潔に、合理的に、機械的に、正しく整えられていく世界で、それでも人間の内側には、幻影、共感、リスク、下品さ、毒、そして物語が残り続ける。現実を直視しようとする者たちは、現実だけでは生きられないことに触れていく。
中心のない時代の東京を起点に、彷徨う孤独な男女と、たしかな救いを描いた傑作。
プロフィール
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上田 岳弘 (うえだ・たかひろ)
1979年兵庫県生まれ。2013年「太陽」で第45回新潮新人賞を受賞しデビュー。15年「私の恋人」で第28回三島由紀夫賞、18年『塔と重力』で第68回芸術選奨文部科学大臣新人賞、19年「ニムロッド」で第160回芥川龍之介賞、22年「旅のない」で第46回川端康成文学賞、24年『最愛の』で第30回島清恋愛文学賞を受賞。他の著作に『異郷の友人』『キュー』『引力の欠落』『K+ICO』『多頭獣の話』『関係のないこと』などがある。
インタビュー
対談
書評
資本主義的階層の中上流で生きる人間たちが無意識に縋る幻影の数々
麻布競馬場
現代の、と語るとき、空虚、がそこに続くことが多々ある。現代の空虚。バブル崩壊後の焦土に生まれた僕は、むしろ希望や意義に溢れた現代なんてものにお目にかかったことがない。多分だけど、これまでに空虚を一切伴わない現代は存在しなかっただろうし、新しい現代が到来するたび「現代はより空虚になった」と古い現代に棲む人は嘆いてきただろう。その連続というか、永遠に続く緩やかな下り坂みたいなものを描くことは、文学にとっての重要な仕事のひとつであったはずだ。
本作のカメラは、資本主義的階層でいえば中流と上流のあいだに位置し、きわめて都市的な生活を送る人物たちの手に収められている。そして、そのカメラが映すものは数々の幻影、またはファンタジーだ。
現代を生きる当事者たちは、無意識のうちに何らかの幻影に縋っていて、そこにはせいぜい社会的に通りやすいか否かという区分しか存在しない。とある人物は作中でそのように語る。ビットコイン、銃乱射、QRコード、エベレスト登山、ユーミン……思わぬところから選出された(しかし著者の愛読者ならニヤリとしたくなる)多種多様なモチーフが、その事実を最低限の言葉数で徐々に証明してゆく様は圧巻で、優れたミステリー小説を読んでいるような知的快感すら湧き起こる。
『関係のないこと』以来の短編集だが、やはり著者の短編は素直に面白い。眩い才能を詰め込んだショーケースにして、時代の空気を保管したタイムカプセルの趣もある。誰もがうっすらと満たされていて、同時にうっすらと満たされていない時代の、今、ここ。生まれ、暮らし、働き、愛したり裏切ったりもして、そうして最後には必ず死んでゆく人間たちの、クールでアーバンな平熱。それが全体を貫く背骨となって、本作を単なる短編集を超えた連作短編たらしめているように思う。今日という時代はどんな時代だったか、と未来から問われたならば、この本を一冊差し出すだけで十分だ。
「青春と読書」2026年8月号転載
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