書評

資本主義的階層の中上流で生きる人間たちが無意識に縋る幻影の数々

麻布競馬場

 現代の、と語るとき、空虚、がそこに続くことが多々ある。現代の空虚。バブル崩壊後の焦土に生まれた僕は、むしろ希望や意義に溢れた現代なんてものにお目にかかったことがない。多分だけど、これまでに空虚を一切伴わない現代は存在しなかっただろうし、新しい現代が到来するたび「現代はより空虚になった」と古い現代に棲む人は嘆いてきただろう。その連続というか、永遠に続く緩やかな下り坂みたいなものを描くことは、文学にとっての重要な仕事のひとつであったはずだ。
 本作のカメラは、資本主義的階層でいえば中流と上流のあいだに位置し、きわめて都市的な生活を送る人物たちの手に収められている。そして、そのカメラが映すものは数々の幻影、またはファンタジーだ。
 現代を生きる当事者たちは、無意識のうちに何らかの幻影に縋っていて、そこにはせいぜい社会的に通りやすいか否かという区分しか存在しない。とある人物は作中でそのように語る。ビットコイン、銃乱射、QRコード、エベレスト登山、ユーミン……思わぬところから選出された(しかし著者の愛読者ならニヤリとしたくなる)多種多様なモチーフが、その事実を最低限の言葉数で徐々に証明してゆく様は圧巻で、優れたミステリー小説を読んでいるような知的快感すら湧き起こる。
『関係のないこと』以来の短編集だが、やはり著者の短編は素直に面白い。眩い才能を詰め込んだショーケースにして、時代の空気を保管したタイムカプセルの趣もある。誰もがうっすらと満たされていて、同時にうっすらと満たされていない時代の、今、ここ。生まれ、暮らし、働き、愛したり裏切ったりもして、そうして最後には必ず死んでゆく人間たちの、クールでアーバンな平熱。それが全体を貫く背骨となって、本作を単なる短編集を超えた連作短編たらしめているように思う。今日という時代はどんな時代だったか、と未来から問われたならば、この本を一冊差し出すだけで十分だ。

「青春と読書」2026年8月号転載