RENZABURO

突撃インタビュー いまどき クリエイターズ

キーワードは、愛すべき「バカ」
作家・三羽省吾

ナニワのガテン系青年たち、曲者ぞろいの家族、熱い高校球児。
毎回、個性的なキャラクターの群像劇で読者を魅了する作家・三羽省吾さん。
近刊『タチコギ』は、70年代末の岡山を舞台に少年たちを描いた、入魂の長編だ。
10歳の少年の目で見る「あの頃」の物語は、たっぷり笑えて、新鮮な発見に満ちている。
独自のスタイルを確立していく作家の、作品への思いとは――?

デビュー作は
「金のかからない遊び」でした

デビューは6年前。
『太陽がイッパイいっぱい』は、大阪の解体屋で肉体労働に従事する青年たちを描いた青春群像劇だ。
テンポの良い語りと個性的な登場人物たちで笑わせ、最後には人間の強かさを感じさせる。
恋愛小説が流行するなか、汗臭くて力強いナニワの青春小説で、小説新潮長篇新人賞を受賞した。

三羽省吾(みつば・しょうご)
1968年岡山県生まれ。
2002年「太陽がイッパイいっぱい」で第8回小説新潮長篇新人賞を受賞しデビュー。
『厭世フレーバー』で吉川栄治文学新人賞候補となる。著書に『イレギュラー』、『タチコギ』。『Feel Love』、『Sweet Blue Age』などのアンソロジーにも参加している。現在、「別冊文春」にて連載中。最新刊『公園で逢いましょう。』が2008年10月末に刊行された。

 

太陽がイッパイいっぱい

--デビュー作が生まれたきっかけは?

三羽: 金のかからない遊びをしようと思ったのが始まりでした。当時、本当に金が無かったので……。だから、正直なところ、テーマもあまり考えていなかったんです。酒を飲みながら、大阪時代に経験したエピソードをちょこちょこ書いて考えていたら、何やらストーリーらしきものができた。それで、これはどこかに送ってみようと、『公募ガイド』を見て締め切りが一番近いところに送ったんです。でも、そんな感じで応募してしまったので、本が出るまでえらい時間がかかりました。受賞が2月で、本になったのは11月ですよ。すごくたくさん直しました。

--噂によると、応募作は8割は酔っ払って書かれたとか?

三羽: よくご存じで……(笑)。

--だから、ビールやおつまみがとても美味しそうなのでしょうか(笑)。解体屋の仕事や現場の人々も、とても生き生きと描かれていますよね。

三羽: 大学を卒業後、大阪で就職をしたんですが、会社は3年で辞めてしまいました。その頃、こういう肉体労働のバイトをしていたんです。普通のバイトよりちょっと良い金額を欲しいと思ったら、男の場合、夜か炎天下しかないんですよ。夜は自分が飲みたいから、店で提供する側になるのは嫌だし、向いてない。だから、肉体労働を選んでいました。汗をかくのは、好きでしたからね。

汗をかくこと、肉体労働に従事することが好きだという気持ち。
それが、登場人物に対する愛情とともに、伝わってくる。
解体屋の面々が集う、ガード下の立ち飲み屋の空気。
仕事を終えて飲むビールの美味しさ。
著者の実体験に基づく、生き生きとした世界を体感できる作品だ。

 

家族だからって、黙っていても伝わるとは限らない

厭世フレーバー

第2作『厭世フレーバー』は、家族もの。
物語は、父親の失業と失踪から始まる。
中学生の次男は高校進学と陸上を続けることを断念。
高校生の長女は優等生をやめ、毎夜遅くまで帰らない。
長男は生活費を入れて家族に説教をしながら、実は失業中。
母親はキッチンドランカーになる。
祖父は認知症の兆候を見せ、傍若無人にふるまう。
一見めちゃくちゃでばらばらな家族だが、その内実が徐々に明らかになっていく。
重いテーマをポップに描き、吉川栄治文学新人賞候補となるなど、話題をよんだ。

--14歳男子から73歳のお爺ちゃんまで、登場人物が幅広いですよね。年代も性別も違う5人の気持ちを描くのは、苦労しましたか?

三羽: 40代、70代は難しかったですね。まず、興味が無かった(笑)。普段そんなに、その世代の人に興味を持って見ていないですからね。僕は、祖父を知らないんですよ。父方も母方も、早くに亡くしていたので。だから73歳はちょっと苦労しました。

--そのお爺ちゃんが、独り言のように自分の波瀾万丈な人生を語りますよね。この章だけが独白形式なのが、気になるのですが……。

三羽: この世代の人って、家族や身近な人間に対して、口をつぐんでいることが多いような気がするんです。子供の時に戦中・戦後の苦しい時代を経験している世代ですよね。戦争のこととか、伝えるべきことはたくさんあるはずなのに、口を閉ざしている。思い出したくもない、という感じなんでしょうかね。「苦しかった時代が二度と来ないように一生懸命働いてきたのに、その結果がこれかい!」と、どこかで思っているような気がします。 それに、爺さん世代に限らず、家族同士って、普段そんなにきちんと話をしないじゃないですか。「黙っていても伝わる」と思っている節がある。でも、やっぱりちゃんと言葉にしなきゃいかんことってあるんですよ。例えば戦中・戦後のことがそうです。なのに、きちんと話すことのできる時間はどんどん短くなってきている。

--このお爺ちゃんのように、いつアルツハイマーを発症するかわからない。時間は限られていると。

三羽: 寿命もありますしね。そういうことに気づいて欲しいというメッセージも込めて、爺さんに独り言として語らせました。

--章ごとに家族の中で主人公が替わり、だんだんとこの一家の謎が解けていくという構成が、面白いと思いました。

三羽: これは、偶然の産物なんです。最初は、14歳と73歳だけだった。でも、編集の方に「ダメですよ、2人で終わっちゃ!」って言われて(笑)。それで、間の世代を作っていきました。
17歳のお姉ちゃんにはちょっと苦労しましたね。僕は男子校だったので、女子高生というものを知らないんです。あちゃーっと思いました(笑)。だから、観察しました。ファーストフード店にパソコンを持ち込んで仕事をしたりして、しゃべっているのを聞いたりとか。危ない人になっちゃうから、必要以上にじろじろは見ませんでしたけど(笑)。

--この家族の中で、特に気に入っている人物はいますか?

三羽: うーん……誰とも友達にはなりたくないです(笑)。でも、一番下の子(ケイ)は頑張って欲しいですね。作品ではあまり突っ込んで書きませんでしたけど、僕はアラン・シリトーの『長距離走者の孤独』という本がすごく好きなんです。あの主人公は、大人の期待にぎりぎりまで応え続けて、最後に鮮やかに裏切ってみせる。それが、反逆の姿勢だったわけです。でも、ケイはまったく逆の方法で大人たちを呆れさせる。

--最後の、リレーのところですね。予選で負けてアンカーになれなかったケイが、本番でアンカーにバトンを渡した後、そのまま一緒に走っていってしまうという。

三羽: それって、すごいバカじゃないですか。でも、このバカはすごく良いバカだなぁと思うんです。一生懸命で、愛すべきバカですよ。彼には、頑張ってほしいなぁと思います。

崩壊しかけた家族をリアルに描きながら、暗くならない。説教臭くもない。
それは、この家族が良い意味での「バカ」さを持っているからだろう。
合理的ではなくて、他人から見ると無駄なことに、それぞれ一生懸命。
それが滑稽で、でも、どこか愛しい。
重みのあるテーマを独自のユーモアで味付けして、楽しく読ませる。
これぞ、三羽マジックだ。

 

イレギュラー

バカだけど、
こいつらにしかできないことなんだ

第3作『イレギュラー』は、地方都市を舞台にした高校野球もの。
甲子園にまで出場した名門「K高」と、水害に遭い避難生活を送る村の「ニナ高」。
高校球児たちと周囲の大人が迎えたひと夏を、ユーモラスかつ爽やかに描いた。

--『イレギュラー』は一見すると爽やかな青春野球小説ですが、実は災害や被災者のことが大きなテーマになっていたと思います。

三羽: まず、漫画みたいな野球ものが書きたいという気持ちがあったんです。
きっかけは、1995年の阪神・淡路大震災でした。僕は直接被災していないのですが、友人や知人が被災していたんです。大阪にも行きました。その時、報道の量でその災害が終わっているかいないかが決まってしまうということに気づいたんです。別に、メディアを責めるつもりはない。忘れてしまう人のことをとやかく言ってもしょうがない。でも、そういうことに気が付いた。震災から3年後くらいですね。
そんな時、たまたまテレビで三宅島の高校野球部のドキュメンタリーを見ました。そこで、災害のこととバカな高校生たちとを組み合わせようと思いついたんです。

--ドキュメンタリーは、東京で避難生活を送る三宅島の人たちと、三宅高校の野球部を描いたものですね。

三羽: こういう番組って、時間的都合もあるんでしょうけど、なんか綺麗にまとまってるんですよね。野球に打ち込む爽やかな高校生と、彼らが島民に与える感動、みたいな。かといって、シリアスに作ると、今度はすごく重い話になる。
でも、そういう面だけじゃないと思うんです。たとえそんな状況でも、高校生って、バカなこともたくさんやっていると思うんですよ。三宅島の彼らにしても、周りの大人たちからは「あんたたちは何も考えないでいいから野球やってなさい」と言われている。彼らも、「俺たちが野球やって島の人たちが元気になるなら」って、やる。全く生産的ではなくて、島に帰ることに繋がるわけじゃないんですけど、それは本当に、こいつらにしかできないことなんだなぁと思ったんです。野球も含めて、そういう、若いから許されるバカさをもっと書きたかった。綺麗なだけじゃなくて、リアリティあるものとして。

--作品の中で、インターネット上の悪意についても触れていますよね。被災者に対する誹謗中傷がネットの掲示板に溢れている。そこに、ニナ高野球部の子が実名入りで書き込んで挑戦を受ける、という。この「ネットの悪意」は、『タチコギ』にも繋がる話題だと思います。

三羽: 被災者のことを調べるのに、基本は本ですが、ネットもちょこちょこ使っていたんです。薄々はわかっていたんですけど、やっぱり、被災者に対する悪意のこもった言葉がかなりあったんですよ。避難民を受け入れている土地の人からの、実際に迷惑をしているという意見もありました。それは、わからなくもない。でも、何の考えも無いただの誹謗中傷もある。それが、自分の書いているキャラクターに対して言われているような気がしました。自分は被災者ではないんですけど、他人事とは思えなかったんです。

ネットにはびこる「匿名の悪意」は、近著『タチコギ』でもキーになっている。
多くの小説にも書かれている現代的問題も、
三羽作品のキャラクターたちはカラリと明るく超えてみせる。
バカみたいに一生懸命な高校生の姿に笑い、諍いにハラハラし、試合にワクワクしているうちに、私たちは自然と何かをつかむことができるのだ。

 

タチコギ

昔は、もっとめんどくさかった

近刊『タチコギ』では、自身の故郷でもある岡山の少年時代を描いた。
執筆に2年半をかけたという、長編だ。
主人公は、不登校となった10歳の息子を連れ、自分の育った土地を訪れる。
蘇る30年前の記憶と、並行して進む現在の物語。

三羽: まず、子どもの話を書きたいという気持ちが最初にありました。アホほど元気な小学生の話を、面白おかしく書きたいと。舞台は現代でも構わなかったんですが、シリアスな問題も多いし、僕は焦点を絞りきれないと思いました。

--30年前の子どもと、現代の子どもをめぐる状況が交互に出てきますよね。生き生きとしたノブ(主人公の少年時代の呼び名)たちに対して、現代の子どもについては、不登校の少年に焦点が絞られていますが……。

三羽: 過去と現在を交互に出してみると、子どもが抱えている問題って実は構造的には一緒だということが、分かると思うんです。
携帯とか、ネットの掲示板とか、ゲーム機が登場して、コミュニケーションのツールは変わってきている。こういうものは、たかが道具ですよね。でも、たかが道具の変化が、笑えない結果をよんでしまう。そういう比較をしたくて、現代のことを出しました。

--30年前はどういう状況だったんでしょうか。

三羽: コミュニケーションも遊びも、もっとめんどくさかったと思います。河川敷で野球をするにしても、携帯がないから待ち合わせに失敗することもある。それで家に電話したら親が出ちゃったり、町の人に尋ねなきゃいけなかったり……。いきなり相手の家に行くこともある。でも、だからこそ分かること、分かってしまうこともあった。

--ノブの友達のガボちゃんの家がそうでした。ガボちゃんの母親をお金で買っている男たちがガボちゃんを殴っているところに、ノブが遊びに行ってしまう。そういう家庭の事情や悪い噂を、ノブは周りからなんとなく察していましたね。

三羽: それが、今は簡単に文字や映像で見えてしまうんです。『タチコギ』のネット掲示板の場合、『イレギュラー』とは違って知っている者同士ですから、たぶん顔をつき合わせたら、言えない。言われたとしてもそんなに腹は立たないと思うんです。それが、文字にすると、なぜかすごくムカついたり、ひどく傷ついてしまう。
ツールが変わることで何かが劇的に変わってしまう。これってあちこちで言われてることですけど、あらためて物語の中で示したかった。基本的には笑いながら読んでもらえれば良いんです。笑って、ちょっとだけ、現代と照らして考えるきっかけになればと思います。昔と較べて、何があって何が無いのか、それに気づいてもらいたい。

 

エロ本盗むのも、恋するのも、全部同じテンションなんです

美化されがちな「あの頃」だが、実は格差やいじめは今より激しい。
『タチコギ』のノブは、そうした社会の状況に、徐々に気づき始める。
それでも元気に駆け回り、成長していく。

--少年たちや親子のドラマと同時に、大きな時代の流れも書かれていると思います。今よりはっきりとした「格差」のこととか、斜陽を迎えつつある鉱山の状況とか。

三羽: 鉱山に関しては、子どもの話とは別に元々興味があったんです。閉ざされた特殊な社会だし、江戸時代から続く良くできた保障と管理の仕組みがあって、調べてみるとかなり面白い。1978年は、もうこのコミュニティーが近い将来無くなってしまうことが分かっている状況です。それが話の中で必要だったんですよ。あの頃はあって、今は無いという象徴として。

--三羽さんも岡山のご出身ですが、ご自身の経験と、重なるところはありますか?

三羽: 実体験はベースにあると思います。僕は岡山でも市街地のほうでした。警察官舎に住んでいて、友達の親の職業は皆一緒。その意味では、鉱山と似て、閉ざされた特殊な状況だったんですよね。
この作品ほどはっきりしてはいなかったけど、格差もありましたね。近くにでっかい工場があって、その工員の子どもたちも多い小学校に通っていたので、わりと裕福な家庭の子もいて、そうでない子もいました。
ちょうど10歳くらいから、外で一緒に遊んでいた子を家に連れて行くと母親にちょっと嫌な顔をされたり、逆に別の友達の家で汚い格好だと見られたり、そういうことに気づき始めたんですね。格差に。僕は小学4年生から野球チームに入っていたんですけど、グローブがボロかったり……。今から考えれば全然大したことじゃないんですけど、当時は本当に、絶望的な差があるんだなと思っていました。

--この作品では、子どもの残虐性も描かれていたように思います。小動物を盗んだり、差別的ともとれるあだ名を付けたり、貧乏をバカにしたり。

三羽: 子どもって、経験値が低いじゃないですか。想像力も豊かなようで意外と乏しいですし、許容量が小さいですよね。例えば、ノブはガボちゃんの悲惨な状況を知ってしまったことと、好きな女の子のことが気になってしょうがないことを、同じ器の中でしか考えられない。小動物を盗むことも、女の子のスカートめくりも、同じテンションでやっている。
でも、大人から見るとそれらは違うことで、それはやっちゃいかん、となる。子どもは全て同じテンションでやってしまうから、残虐だと見えてしまうんだと思います。

--そういう子どもの中でも、特に10歳の少年にスポットを当てた理由は?

三羽: 10歳くらいって、無邪気さの、その「無」がだんだん取れてくるくらいの年ですよね。彼らが大人に反抗して暴力を振るっても、完全に子ども扱いはされない。大人もある程度やり返してきます。でも、10歳にそこまで力や知恵はないから、深刻な惨事にはならない。それに、男女の差も出てくる。そういう年頃に、興味があるんです。

10歳という微妙な年齢。
笑ったり、泣いたり、怒ったり、ドキドキしたり……。
少年は、全てに全力で向かっていく。
三羽さんは、その姿をありのまま描く。
教訓めいたバイアスを排除し、すべてを同一線上に並べる。

 

格好良くキマッた経験なんて、ないです

デビュー作から近刊まで、様々な青春模様を描いてきた三羽さん。
今後、どんなテーマを描きたいのだろう。

--青春につきものの恋愛については、これまで、あまり本筋としては描いていませんよね。『タチコギ』には、主人公ノブと、クラスの女子ニシナの淡い恋が描かれていました。この微笑ましい恋が進展していくようなお話も読んでみたいと思うのですが……。

三羽: 恋愛ものは無理だと思っていたんですが、そうかぁ、そういう話でもいいのか。男のバカさを書くなら、中学生でも大人でもいいんですね。恋愛においても、女の人のほうが精神的に上というか、だいたい、男は「バカだなぁ」と思われている気がします。これなら書けそうです。今、気がつきました(笑)。

--それは、『イレギュラー』の高校生の「バカ」と同じ意味なのでしょうか。

三羽: 若いから許されるバカさとは、ちょっと違います。でも、やっぱり男って何歳になってもバカだと思うんです。恋愛の、アプローチの仕方は大人になれば変わります。飲みに行くとか、メールするとか。でも、惚れて一生懸命になっちゃってる姿は、10歳のノブと基本的に変わらないですよね。

--いずれにしても、愛すべき間抜けな姿を描くのが、三羽さんのこだわりなんですね。

三羽: そもそも、僕自身これまでに格好良くキマッたことがないんですよ。スポーツの試合にしても、仕事のプレゼンにしても……結果はうまくいっても、過程は笑えることの連続。全然ビシッとキマらない。でも、実際、そういうことって多いと思うんです。 僕は基本的に「笑わせたい」というのが第一にある。でも、小ネタで笑わせたいというんじゃなく、一生懸命ゆえのバカさを、笑ってもらえるように描きたいと思ってます。

キーワードは、「バカ」。
三羽さんの「バカ」には、愛情がこめられている。
作品の登場人物たちはどこかに「バカ」さがあり、つい応援したくなる。
共通しているのは、苦境にあってもカラリと笑えるくらいの強かさ。
美化せず、教育的にでもなく、深刻に突きつけるでもなく、社会やそこに生きる人々の抱える問題を描く。
期待を裏切らない笑いと、期待以上のテーマへの切り込みに、今後も要注目だ。

取材うらばなし

笑い話のなかに、核心をつく言葉がきらりと光る。三羽さんの語りは、作品に似ています。伏し目がちに「こんなしょうもない話でいいんですかねぇ?」と謙遜してらっしゃいましたが、いえいえ、とんでもないです!
マイブームの手ぬぐいや帽子も鞄いっぱいに持ってきてくださり、しかも、失くしたものは撮影のために買いなおしてくださったとのこと。さりげなくお茶目で優しい人柄に、感動でした。
どうもありがとうございました!

 

耳よりニュース

公園で逢いましょう。

最新刊『公園で逢いましょう。』が10月末に祥伝社より刊行されました!
市営アパートの一角にある「ひょうたん公園」に集う、子連れのママたち。それぞれの人生の岐路、そして様々な愛のかたちを描いた珠玉の短編集。三羽作品の魅力である軽妙な語り口とユーモアは健在ながら、本作では、苦手と仰っていた「恋愛もの」にも挑戦しています。新たな三羽さんの魅力を、ご堪能あれ!

 

マイブーム紹介 旬な人の、旬なもの。

帽子
帽子は、気づいたらたくさん持っていました。キャスケットとハンチングが多いですね。色が似ているものが多いのは、冒険ができないからかも……。

 

手ぬぐい(1)投球手習帳
仕事中、首にかけていても邪魔にならないし、汗を拭いてから水道でじゃぶじゃぶ洗ってもすぐ乾くので、いいんですよ。これは野球の投球法の柄。

 

手ぬぐい(1)5種類
(上から時計回りに)ナンシー関のおじぎ部長、原稿用紙、ガイコツ、生ビール、チェック柄。原稿用紙とビールのものは、最近たまたまもらいました。原稿用紙がオンで、ビールがオフの自分という感じですね。

 

イラスト ハヤシフミカ  写真 高橋依里

 
 

Copyright (C) SHUEISHA Inc. All rights reserved.