RENZABURO

突撃インタビュー いまどき クリエイターズ

タイから届け! やさしいメッセージ
マンガ家・タムくん

CDジャケット、テレビCM、人気作家の本の装画、マンガ雑誌の連載、丸の内のレストランの内装……。
最近あちこちで目にする、あの、ほのぼのとしたキャラクターたち。
描き手はいったい、誰でしょう?
その答えは、タイ出身のマンガ家・タムくんです!
日本のマンガが大好きだった青年が、タイでマンガ家としてデビューしてから10年。
今では日本のカルチャーシーンでも大きな存在となったタムくん。その素顔に迫ります!

タイ人初のマンガ家、デビュー!

タムくんは、タイ人初のマンガ家と言っていい。
デビューは10年前。
当時、タイにも新聞の挿絵マンガやアダルト向けの読み切りコミックはあったが、日本のマンガのようなコマ割りとストーリーで読ませる「ストーリーマンガ」家はいなかった。

ウィスット・ポンニミット(通称タムくん)
1976年タイ・バンコク生まれ。タムはあだ名。
「タイの芸大」シラパコーン大学デコラティブ・アート学部卒業。
1998年バンコクでマンガ家としてデビュー後、2003年に神戸へ留学。約3年間の滞在中に、マンガ、アートのほか、ミュージシャンとしても活躍し話題となる。
マンガ作品に『everybody everything』、『タムくんとイープン』、『マーマー』、『ブランコ』、DVD作品集に『タムくんアニメ イエロー/グリーン』など。
現在、バンコク在住。「IKKI」(小学館)、「デイリーコミック」(コロムビアME)、「THE BIG ISSUE」でマンガを、「Cut」(ロッキング・オン)でエッセイを連載中。
レンザブローの新企画「うらにわアニマル」も好評連載中!!
タムくんオフィシャルサイト

 

--そもそも、どうしてマンガ家になろうと思ったのですか?

タム: なろう、とは思ってなかった。夢ではあったけど、まさか日本でマンガ家になれるとは思ってなかったよ。

--『タムくんとイープン』などのエッセイには、『ドラえもん』や『キャプテン翼』など、とにかく日本のマンガが好きだったとあります。いつ頃から読んでいたのですか?

タム: 小学生の頃、一番たくさん読んでた。本当に、いつも読んでたよ。あの頃は、家族で旅行する時も『キャプテン翼』を全巻リュックに詰めて出かけてた。あれに出てくる「なんとかキーック!」とか、すっごい練習したなぁ。

--そのあたりのお話は、後でたっぷり伺いましょう(笑)。日本でマンガ家デビューをしたのは、神戸に語学留学をしていた頃ですよね。どうして日本に?

タム: 5年間、マンガ家としてやってきたんだけど、タイはもう卒業しようと思ったの。もうタイでは十分やった。今度は日本で何かしたいなぁとは思っていたけど、その時は言葉もできなかった。だから、とりあえず日本に行ってみて、日本語を勉強して帰ろうと思ったの。でも、勉強しながらやっぱりマンガを描いてたんだ。それを自分で印刷して簡単な本にして、近所のカフェとか洋服屋さんの友達に見せて、お店に置いてもらったりしてた。僕のマンガを読んで日本の人がどう感じるか、知りたかったの。

タムくんとイープン

--最初から、日本語で書いていたのですか?

タム: 最初はタイ語。タイで創っていた『hesheit』(ヒーシーイット)というシリーズが10冊くらいあったから、そのうちのいくつかを自分でまとめて、配ってみた。

everybodyeverything

その後約3年間の滞在中に、『everybodyeverything』や『タムくんとイープン』、DVDシリーズなど次々に作品を発表。
よしもとばななさんの単行本の装画を手がけたり、2005年には国際的なアートイベント・横浜トリエンナーレにも参加。
今や、糸井重里さんや細野晴臣さんもリコメンドする、日本のカルチャー界でも注目の存在となった。

 

タムくんと日本のマンガ・ヒストリー

マンガが大好きだったというタムくん。
『hesheit』や近刊『帽子の下の煙』などには、自身の少年時代を彷彿とさせるマンガ好き少年もしばしば登場する。

--小学生の頃は、リュックに『キャプテン翼』を詰めて出かけていたとのお話でした。その頃、他にはどんなマンガを読んでいましたか?

タム: 『ドラえもん』は、もちろん好きだったよ。『ドラゴンボール』は、周りの友達もみんな読んでたかな。僕も読んでいたけど、一番はやっぱり『キャプテン翼』。

--『ドラゴンボール』のほうが一般的な気がするけれど、どうして翼が好きだったのですか?

タム: だって、一生懸命練習したけど、「かめはめ波」は出せないじゃん。でも、『キャプテン翼』の「なんとかシュート!!」は、ちょっとできたような気がするでしょ。

--かめはめ波はなかなか出せないですよね(笑)。それだけ、マンガに夢中になっていたのですね。

タム: でも、中学生くらいになって自分もサッカーするようになってからは夢中になれなくなった。だって、あれはもうサッカーじゃないよね(笑)。ストーリーは面白いけど、「このゴール、おかしいでしょ!」とか、色々気づいちゃった。
その頃から、あだち充が好きになった。僕のお姉さん(9歳年上)が『タッチ』を持っていたから、読んでみたんだ。でも、タイでは野球をしないから、ルールがよくわからなかった。それでも会話とかドラマが面白いと思って、『みゆき』、『ラフ』、『スローステップ』とか、どんどん読んだ。あだち充のマンガはライバルとか敵が出てくるけど、みんなやさしい。友情とか、恋愛とかがあって、すごくいいよね。高校生くらいまでに、ほとんど読んじゃった。

--あだち充さんのキャラクターのやさしさは、タムくんの作品にも通じるものがありますね。その後、「タイの芸大」と称される美術大学に通うわけですが、大学時代もマンガとの付き合いは続きましたか?

タム: 大学に入るとあまり読まなくなった。あの頃は、いつも難しいことばかり考えてたの。だから、手塚治虫のマンガは読んでた。『火の鳥』と『ブラック・ジャック』。2つとも、すごいマンガだよね。読んで、たくさん考えた。この2つが僕のマンガ・ヒストリーの最後かな。最近は、あんまり読まない。

--それは、自分が描く側になったからでしょうか?

タム: もう、入りこめない。昔はケンシロウ(『北斗の拳』)を真似して「アタタタタ!」とかやっていたけど、今はそこまで夢中になれない。このマンガ家は何を考えてる? とか、この描き方はいいなぁ、とか考えちゃう。映画も一緒だと思うよ。自分が監督だったら、楽しく観られないよね。

--マンガを見る目が、厳しくなってしまったのでしょうか?

タム: 無理してないだけ。このマンガ面白くない、とかは言わないよ。ただ、自分はもう夢中になれないから、無理に読まないだけ。

帽子の下の煙

マンガの話を始めたとたん、目がキラキラし始めたタムくん。
「今は夢中になれない」という言葉は哀しそうだけれど、
そのぶん、他の面白いことに夢中になっているようす。
そのひとつがマンガだったり、自身で音楽と歌も手がけるアニメライブだったりするのだろう。

 

「かわいい」キャラからもらったもの

日本では、かわいい女の子キャラ「マムアン」や犬の「マーマー」で知られているタムくん。
しかし、タイで発表していた作品は、全く違う雰囲気だった。

タム: タイの5年間で描いていたマンガは、血とかウンコがたくさん出たり、人もバタバタ死ぬようなものだった。あだち充、『学校怪談』の高橋葉介、それに手塚治虫。この3人からインスピレーションを受けて、映画みたいな深い話ばかり描いていたの。 もうそのスタイルは十分やった、満足した。それで、日本では新しいことをしようと思った。

マムアンとマナオ

マムアンちゃんの絵本

--それで、かわいいマムアンちゃんを生み出したわけですね。今では、この子がタムくんのアイコンみたいになっていますよね。

タム: 最初からかわいくしようとしたわけじゃないよ。ただ、ずっと難しいこと描いてきたから、何も考えない子を描いただけ。僕は日本の「かわいい」って、よくわからなかった。ただ、日本の人は色んなものに「かわいい」を見つけられて、すごいなぁと思ってたよ。
マムアンちゃんは、「かわいいかわいい」とたくさん言われるから、どんどん描いちゃった。褒められれば、嬉しいからね(笑)。そうしたらどんどん仕事を頼まれて、マムアンちゃんばかりになっちゃった。

--本当は、深い話をやりたいと思っているのでしょうか。

タム: 僕は、深い話が好き。でも、気分転換でマムアンちゃんを描いてるうちに、こういう感じも好きになった。昔はいつも難しいことを考えてたけど、この子を描いてから、何も考えないということができるようになった。ぼーっとしててもいいじゃんと思えるようになった。心のなかに平和なスペースが増えた。
それに、今は重たい気分になってる人が多いでしょ。重いマンガ描いたら、余計に重い気分になっちゃう。だから、伝えたい内容は同じだけど、簡単に、重くならないように描くことにしてるの。

--マムアンちゃんのおかげで、タムくんも変わったのですね。タイではアーティストとして認識されていたのに、日本では「かわいい」「癒し系」などと言われて、戸惑うことはありませんか?

タム: 呼び方も、タイでは「タムくん」じゃなくて「ウィスット」だったしね。(眉をひそめて)「うーん、この人は深いことを書く、フィロソフィーの人間だ」と言われていた。それが、日本に来たら「かわいいもの、描いてるネ~♪」という感じ。でも、それでいいと思う。
僕は、あんまり自分にキーワードをつけられたくない。日本で、今度はかわいくないものを出したらみんなびっくりすると思う。そういう風にやっていくのが好きなの。

 

「気のせいなんだよ」と伝えたい

現在「IKKI」で連載中のマンガ「ブランコ」は、
これまでの「かわいい」路線と一線を画す作品だ。
主人公は、他者の「痛み」を請け負える能力を持つ少女ブランコ。
発明家だったブランコの父は、母親を捜して宇宙へと旅立ってしまう。
ブランコをめぐる現在、過去、未来が絡み合う、
ちょっとシリアスで哲学的なストーリーマンガだ。

タム: 実は、「ブランコ」は日本に来て最初に出したマンガ『everybodyeverything』シリーズの1つなんだ。『everybodyeverything』は、1冊の中に10人くらいの人生を入れてあるんだけど、大きなシリーズにしようと思って描きはじめたの。色んな人の人生をばらばらに描いていって、実はそれが全部繋がっているという作品なんだ。
「IKKI」で長い連載をやるという話になったとき、まずはこの中のブランコとお父さんの話を描こうと決めた。

--ブランコが他の生き物の痛みを請け負えるという設定は、どうして思いついたのですか?

タム: 人が怪我しているところを見たら、自分も「ウッ」って感じるじゃん。感じられるなら、その痛みを取ることもできるかなぁと思ったの。僕も、気のパワーで痛いのを治す術を、習ったことがあるんだ。治せていたかはわからないけど、ちょっとはよくなっていたと思うよ。

--タムくんは、創り出すマンガでみんなの痛みを取れているんじゃないかと思います。そういうやさしさは、表現の仕方は違っても、タムくんの作品に共通していますよね。

タム: そうかなぁ(照)。

--ブランコのお父さんもそうですが、『帽子の下の煙』など、タムくんのマンガには宇宙に関わる話が多いですよね。何かこだわりが?

タム: 僕は、ルールが違うところに行くことが楽しいと思うの。日本に居ると、日本のルールがあるよね。こんな風にゴミを投げちゃダメ、とか、ここでトイレしちゃダメ、とか……。でも、それって人間が作ったことだよね。その場所でレコードされてきただけのことでしょ。違う場所に行くと、そういうことに気がつく。

--その「違う場所」が、マンガだと宇宙になるんですね。

ブランコ

タム: 僕も、日本に来た時にそうなった。タイではフィロソフィーの人だというレコードが周りから作られていたけど、日本に来たらそのレコードはゼロになった。気のせいだったんだなぁと思った。 今は皆、何かで固まってると思うの。たくさんの人の考えや気持ちが周りに飛び交っていて、そのストレスで皆、固まっちゃってる。そんなのは嘘なんだよ、気のせいだよー! と伝えたい。哀しいことがあって、例えば横から見たら哀しい面しか見えないとするよね。でも、上から見たら哀しい面じゃないところが見えるでしょ。 だから、僕のマンガのスタイルも、かわいかったりグチャグチャだったり、色々にする。言いたいことは同じだけど、違う見せ方にする。

「色んな見方をしてみよう」。
それが、タムくんのマンガの一番のポイントだ。
だからこそ、マンガやアートやライブなど、表現手段も様々なのだ。

 

次世代のマンガへ

タムくんは、現在バンコク在住。
イベントなどで頻繁に来日しているが、創作のベースはあくまでタイにある。

タム: 僕は、タイ人だから。日本に住んでいても日本人にはなれないし、そのうちにタイ人でもなくなっちゃう。タイに居て、街の空気や人の考えることを感じて作品を創るのが一番いいと思う。日本の人に、「こんな世界もあるんだよ」って見せられるでしょ。日本の世界を描いたマンガはたくさんあるけど、タイはマンガ家もあまり居ないからね。

--タイでも日本のマンガは相変わらず人気なようですが、タイ人マンガ家はまだ少ないですか?

タム: ちょっとずつ、出てきたよ。僕のマンガを読んでくれた小学生とかが、ストーリーマンガを描き始めてる。次の世代のマンガだよね。すごく楽しみに待ってるよ。

--タムくんは、これからも両方の国で描いていきますか?

タム: 今、タイで連載はしてないんだ。ブログに、無料で描いてるだけ。今は何でもすぐに商売のことを考えちゃうでしょ。僕も、自動的にそういう考え方をしてしまうの。例えばコンビニに行くと、すぐに「この店は売れてるのかなぁ」とか「このアイスは新商品だぞ、期間限定だ、きっと売れるんだろうな」とか考えちゃう。そんな自分が嫌だった。
だから、もう一度考えてみたの。マンガを描き始めた頃は、ただ伝えたいことがあって、ただ描いていただけだった。お金なんてもらってなかった。そういうところを守っていこうと思ったから、タイではタダで描いてるんだ。
それは、「ブランコ」とかの連載があるからできるんだけどね。でも、これもあんまり売れるとは思わないなぁ。

(「ブランコ」担当編集Tさん): いやいやいや、僕は売りたいよ(笑)。

タム: 連載が全部終わってから、売れるんじゃないかな(笑)。ほら、『火の鳥』だって、最初は全然売れなかったじゃん。最初は、分かってもらえなかったんでしょ。「ブランコ」もそんな感じじゃないかな。次の時代のマンガ。次の時代の子ども達のためのマンガ。

--なるほど、『everybodyeverything』は、タムくん版『火の鳥』になるんだ! これは、完成が楽しみです。

 

「かん違いだよ」「色んな見方をしてみて」。
様々なかたちで、様々な媒体で、伝えたいことを表現していくタムくん。
そのやさしさは、タイから日本に届き続ける。
日本のマンガで育ったタムくん。彼が育てたタイの次世代マンガ家も、
いずれ日本にやって来るかもしれない。

取材うらばなし

表参道のオシャレな事務所にお邪魔すると、2階のテラスから「やぁ~」と手を振っている人物を発見。タムくんでした。ゆる~い雰囲気で、瞳はキラキラと輝いているのがとても素敵なタムくん。「僕、よく眠そうって言われる。亀みたいに遅いからかなぁ」と言って笑っていましたが、ゆっくりと語られる言葉はひとつひとつが重みを持っていて、独自の哲学がきちんとあるのだなぁと感じました。
最後はカメラマンと2人、似顔絵まで描いてもらっちゃいました。どうもありがとうございました!
レンザブローの新連載も、ぜひぜひ読んでくださいね☆

 

マイブーム紹介 旬な人の、旬なもの。

似顔絵にハマッているそう。
10月の来日では、ひたすら似顔絵を描くイベントを実施。京都と東京の会場で、3日間で100人以上の顔が集まった。

 

取材後、打ち合わせに来た「IKKI」担当編集Tさんを描くタムくん。目がするどい!

 

イラスト ハヤシフミカ  写真 高橋依里

 
 

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