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突撃インタビュー いまどき クリエイターズ

都合のいいパーツは作らない
劇作家・演出家・俳優・作家 前田司郎さん

このところ、文芸界で若手演劇人の躍進がめざましい。
その先駆者のひとりが、劇団「五反田団」主宰の前田司郎さん。
劇団では脚本家、演出家、俳優として活躍、昨年は「演劇界の芥川賞」岸田國士戯曲賞を受賞しました。
シュールな舞台が人気ですが、小説はさらにシュール。
めくるめく妄想の世界が広がり、「こんなことを考えるのって、一体どんな人!?」と読者の想像も膨らみます。
前田さんゆかりの五反田の町を巡りつつ、創作の極意をうかがいました!

小説家への適性を悟った小学4年生

--演劇と小説、両方で活動をしている前田さんですが、先に始めたのは演劇のほうですか? 五反田団の旗揚げが大学在学中の1997年、『愛でもない青春でもない旅立たない』で小説家としてデビューしたのは、その8年後ですよね。

前田司郎(まえだ・しろう)
1977年東京・五反田生まれ。和光大学人文学部卒業。
97年、劇団「五反田団」を旗揚げする。
05年『愛でもない青春でもない旅立たない』で小説家デビュー。07年『グレート生活アドベンチャー』で芥川賞候補となる。
08年、戯曲「生きてるものはいないのか」で岸田國士戯曲賞受賞。
著書に『恋愛の解体と北区の滅亡』、『誰かが手を、握っているような気がしてならない』、近著に『大木家のたのしい旅行 新婚地獄篇』がある。

<スペシャルマンガ>

 

前田: 実は、小説のほうが先なんです。最初に小説を書いたのは、小学4年生のときでした。国語で「小説を書こう!」という授業があって、僕は1日で原稿用紙8枚くらいのお話を書き上げたんです。そこで、「これはいけるんじゃないか?」と思いました。

--小学4年生にして、悟ったのですか?

前田: 「俺、才能あるぞ」と(笑)。もっと遡れば、幼稚園のころからずっと、想像力をつかうような仕事がしたかったんです。何かを創る仕事がしたいと思っていましたね。

--ずいぶん早くからの決意ですね! 何かきっかけがあったのでしょうか。

前田: 僕、怖がりな子どもだったんです。テレビのホラー映画とか、人の顔を描いた近所の質屋の看板とか、パチンコ屋の前にある、風船状のピエロがブワっと膨らむ置物とか、とにかくいろいろと怖がっていました。そんな僕を見て、父親が「おまえは感受性が強いんだ」と言ったんです。たぶん適当に言ったんでしょう(笑)。でも、子どもながらに「そうか、じゃあこの感受性を仕事につかおう」と思ったわけです。
とはいえ、そのころはいろんな創作活動が僕の中では未分化でした。絵も小説も映画も一緒のくくりに入っていて、なんとなく何か創りたい、と思っていました。そして、小学4年生のときに小説でいこうと決めたんです。

--いろいろ可能性がある中で、物語をつくる道を選んだのは何か理由が?

前田: 他の可能性も考えましたよ。でも、順番につぶされていきました。絵は下手だからダメ。今回のマンガを見てもらえばわかるように、犬すら描けませんから(笑)。音楽は、音の高い低いの違いがわからなくて、これもダメ。

--音程以前の段階で、つまずいてしまったのですね(笑)。

前田: 決定的な事件が、小学校の図工の時間に起こりました。オカリナを作ったんですが、僕のオカリナは会心の出来だったんです。形は素晴らしく綺麗で、質感はパーフェクト、音もちゃんと出る。それなのに、先生の評価が悪かった。納得がいかなくて、「なんでちゃんと評価しないんだ!」と訴えたら、先生は「音がずれてる」と一言。このとき、音楽が選択肢から消えました。

--過去には、悲しい消去法があったのですね(笑)。小学生にして小説家を志した前田さんですが、高校生になって演劇の世界に足を踏み入れます。なぜ小説から演劇へ?

前田: 書くのは、独りの作業ですよね。僕は書いたものを人に見せたりもしなかったので、小説を通じての友達ができなかったんです。学校で普通に友達はいましたが、創作することを通じて仲間ができるということに憧れていました。それで、中学3年のとき、渋谷のライブハウス「ジャン・ジャン」で、演劇と出会いました。たまたま雑誌に載っていた公演情報を見て、こんなに安く芝居が観られるんだなぁと思って行ってみたんです。

--美輪明宏さんなどが出演していた、伝説のライブハウスですよね。

前田: そこで芝居を観て、これなら物語をつくることもできるし、友達もできるかもしれないと思ったわけです。それから、高校時代は演劇の学校にも通って、大学での五反田団旗上げへと続いて今に至ります。演劇と小説は、僕の中ではずっと並行してやってきたものです。

 

グレート生活アドベンチャー

戯曲は「恥ずかしい」

--小説として書くことと、舞台の脚本として書くことの違いはありますか?

前田: 説得力の質が違うと思います。例えば、戯曲で「男がいる」と書くのと、小説でそう書くのとでは、意識が全然違います。小説では「男がいる」ことを実感させるためにいろいろと書くけれど、芝居なら現実に俳優がそこにいるわけだから、嫌でも実感しますよね。芝居は素人でも一応はかたちになるんです。それは、生身の人間が舞台にいるというだけで、既にドラマチックだからだと思います。小説は、それが無いから難しい。

恋愛の解体と北区の滅亡

--前田さんは、戯曲「偉大なる生活の冒険」と小説『グレート生活アドベンチャー』のように、同じストーリーを両方で表現することもありますよね。舞台や戯曲ではシニカルだったりシリアスだったりする表現が、小説だと笑える感じになっているように思います。例えば『恋愛の解体と北区の滅亡』では、主人公が過剰なまでに自意識を独白してそれが笑えるのですが、今のお話を聞いて、これも小説の中で人物の存在感を強めるために、意識してやっているのかなと思いました。

前田: そうですね。逆に、戯曲でそういうことをやると恥ずかしくなります。例えば、愛について悩んでいる男を小説で書くと、結構笑える。男は真剣に滅茶苦茶なことを言ったり、やったりするけれど、笑える。でも、それを舞台で生身の人間が演じると、本気っぽく見えてしまう。そうなると、恥ずかしい感じになりますよね。「うわぁ~」と、逃げ出したくなる感じ(笑)。

--生身の人間が存在するというドラマチックな要素があるぶん、そうなってしまうわけですね。逆に、小説では存在が希薄なことを利用して笑いに変えられる。面白いですね!

前田: 戯曲だけ書いていたころは、恥ずかしくなっちゃいそうなシーンは最初から避けていました。小説を仕事としてちゃんと書き始めて、この違いに気づきましたね。

 

混じりあった果てにある、孤独

--近刊『誰かが手を、握っているような気がしてならない』は、とても不思議な小説でした。神様の語りではじまり、その視点が、ある家族の中に入り込んでいく。父、母、姉、妹の4人家族なのですが、妹は神様が見えたり、母はその妹が不倫相手との子ではないかと怯えていたり、複雑な家族です。その4人と神様の間を、主体がどんどん入れ替わっていき、最後は皆が混ざってしまう。ぐにゃりとしていて、「自分」とは何なのだろうと考えさせられました。
脚本を手がけられた舞台「混じりあうこと、消えること」(2008年夏公演)もそうですが、最近の前田さんにとって「混ざっていくこと」というのは大きなテーマになっているのでしょうか?

前田: よく、自分と他人というものが、確固として存在するように言われていますよね。でも、僕はそんなに確固とした違いなんて無いと思うんです。他人というのも結局、自分の中にしか存在していない。自分が見えている、聞こえている、触っていると思うから、他者が存在するわけですよね。自分についても同じで、「自分はこういう外見でこういう声だ」と自分で認識するから存在する。そうなると、自分と他人の間の差ってそんなに無い気がする。

--う~ん、哲学的ですね……。

前田: わかりやすく考えると、例えばハト。公園とかでハトがエサに群がっているとします。僕らは、あれが何十羽いてもまとめて「ハト」としてしか認識していないですよね。ハト研究家に言わせれば色や形に個体差があるのかもしれませんが、一般の人から見ればあまり違いが無い。でも、人間に自分というものがあるなら、ハトにもあるはずですよね。それがわからないのは、ハトの個体差が人間に較べて小さいからなのか。

--英語で羊や魚が何匹いても「群れ」と見てsheep、fishなのも、同じような発想なのかもしれませんね。

前田: そう考えると、もっと大きな存在、例えば神から見たら、人間が何人いてもまとめて「群れ」としての人間にしか見えないかもしれない。

誰かが手を、握っているような気がしてならない

--それで、『誰かが~』には神が登場するわけですね。小説、舞台ともに混じりあっていく人間をひとつの家族にしたことには、何か理由が?

前田: 僕は人間同士の境界なんて曖昧だと思っています。でも、境があると思っている人も多い。そういう人たちが、一生懸命に分かり合おう、相手の中に入ろうとはたらきかけている姿は、すごくいいなぁと思うんです。無駄かもしれないけれど、人間のポジティブな面ですよね。それを描くにあたって、それじゃあ、人が他人と分かり合おうとするのはどんな時かと考えました。それは、まずは恋人だったり家族だったり、近しい人に対してだと思うんです。
でも、それで本当に完全に分かり合って、混じりあってしまったら、また「1」になってしまう。孤独になってしまうんですよ。

--なるほど。『誰かが~』では、天上で孤独だった神が下界の家族に混じっていった結果、最後はまた独りになっていますね。

前田: 全てを取り込んでいるような存在である神様は、すごく孤独だと思います。だから、混ざれない人間のほうがいいのかもしれない。他人と本当に分かり合うなんて不可能だ、とかいう意見もよく聞きますが、悲観しなくていいと思います。分かり合おうとすることは、人間の、バカバカしくも尊い行為なんです。

 

L字型のレゴブロックは邪道!!

--私は、前田さんの小説の中で「ウンコに代わる次世代排泄物ファナモ」(『恋愛の解体と北区の滅亡』収録作)が一番好きです。トレンディードラマを地でいくオシャレな男・タクヤが、ウンコを「次世代排泄物ファナモ」に代えるに至る事件が描かれているわけですが、とにかく笑いました。皆が思っている恥ずかしい感じを代弁してくれた感じでした。

前田: 格好つけたい気持ちというのは、誰にでもあると思います。僕だってあります。でも、突き詰めてやってしまうと絶対にボロが出る。颯爽とオシャレな人だってウンコはするし、カップやきそばの湯切りをしくじって「熱ッ!」となることもあるはずです。僕は、そういう姿を隠すほうが恥ずかしいと思うんですよね。

--前田さんは、そういう恥ずかしさを、否定ではなく愛をもって描きますよね。

前田: オシャレ感そのものは否定しません。ただし、作者の都合のために綺麗にオシャレにまとめてしまうことは、ダメだと思うんです。例えば、映画「世界の中心で、愛をさけぶ」で一番盛り上がる「助けてくださ~い!」のシーン。あんなこと、あり得ない。あんなに自分たちに陶酔できるはずがない。倒れるときに顔面を打っちゃったり、涎が出たり失禁したりすると思う。メイクだってしていないはずです。場所も空港なんだから、近くで不倫カップルがいちゃいちゃしていたり、喧嘩している家族がいたり、「あらちょっとアンタ大丈夫?」とか言って寄ってくるおばちゃん集団がいたりするかもしれない。

--それじゃあ、感動のドラマにはならないですね。

前田: でも、ドラマだからといって都合よくまとめてしまうのは、僕は気持ち悪いんです。作者のための都合のよいパーツを作ってはいけないと思う。最近、レゴブロックにもL字型や流線型のブロックが出現したんですよ。くぼみに都合よくはめられたり、簡単にジョイントできたりするパーツです。便利だけど、そういうものは作っちゃダメだと思います。四角のブロックを四苦八苦して組むことに面白さがあるんだから。
悪役を登場させるのもすごく嫌です。RPGなんて、勇者はものすごい数の生き物を殺していくんですよ。魔王とか、敵はそんなに悪いのか?と思います。

--例えば『グレート生活アドベンチャー』では、主人公がテレビゲームの中の「勇者」になりきって独白していきますが、最後のボス「魔王」を倒すことをかなり逡巡しますよね。

前田: どんなに悪い奴も、お腹を空かせた子犬がいたらちょっと食べ物をやってしまうとか、そういう面があると思うんですよ。『グレート~』の主人公は妄想がすごいから、いろいろ考えてしまう。僕らも、少し想像力を働かせたらそんなに人を悪い奴と決め付けられないはずなんです。

--前田さんの小説は、広く外へ向かうというより、人間の内部へディープに掘り下げて行くタイプだと思います。それは、一人一人の人物を想像力のかぎりに描いていくからなのかもしれませんね。

前田: 作者にとって都合のいい話には、絶対にしたくない。そう考えると、どうしても掘り下げる方向になってしまうんです。もっと小説のうまい人は、大きなドラマをつくりながらも都合のよい人物が登場しないような物語を書けるのだと思います。僕も、四角のブロックだけで四苦八苦しながら、大きな作品をつくれるようになりたいですね。

 

芝居、そして小説の中で炸裂する前田さんの妄想。
その世界は、ときには悲哀を漂わせながら、愛と笑いに満ちています。
内へ内へと掘り下げるのに、決して読者を離れさせない。
それは、妄想が作者のためではなく、読者のために開かれているから。
幼年時代から育まれた前田さんのイマジネーションは、
今後さらに開花し、私たちを不思議な世界へと連れて行ってくれるのでしょう。

取材うらばなし

取材の後半は、前田さんによる五反田ツアーとなりました。お話をうかがったのは、前田さんがいつも原稿や脚本を執筆している喫茶店。オシャレっぽく言うと「レトロで隠れ家的」、オシャレ感を排すると、洞窟みたいなお店でした(笑)。前田さんの散歩コースである公園では、「いつも通るのにこれだけは乗ったことがない」という遊具にまたがり、「意外と楽しい」と微笑むお茶目なシーンも。五反田には、店内がなぜかスタジオジブリのキャラクターで満ちた薬局など、不思議な個性を放つお店が多々あり、ユニークな前田さんを育んだ素地を垣間見ることができました。
巧みなコマ割りとシュールな絵が異彩を放つ衝撃のマンガ「クラゲちゃん」も、どうぞお楽しみください!

 

耳よりニュース

大木家のたのしい旅行 新婚地獄篇

  1. 前田さんの最新刊『大木家のたのしい旅行 新婚地獄篇』が、昨年12月末に刊行されました!
    デパートの屋上から「地獄ツアー」に出かけた新婚夫婦のお話です。これからの生活になんとなく不安を感じている夫婦の新居から、ある日、炊飯ジャーが消えます。ジャーを持った怪しい男を追い、夫婦は「1泊2日2食・温泉付」の地獄ツアーに出発するのですが……。前田さんの妄想力が炸裂した、奇妙で笑えて、しんみりと希望を感じる物語です。
  2. 2月に扶桑社より新刊『夏の水の半魚人』が刊行予定です!
  3. 原案・脚本を手がけたNHKの特集ドラマ「お買い物」が放送決定!
    2月14日(土)21:00から、NHK総合テレビにて放送されます。
 

マイブーム紹介 旬な人の、旬なもの。

趣味でマンガを描いています。タイトルは「クラゲちゃん」。脚本に行き詰まり、ある日続きをマンガにしてみたんです。登場人物がクラゲのみというハードボイルド。顔の違いが描けないので、めがねやリボンで描き分けています。

 

イラスト ハヤシフミカ  写真 高橋依里

 
 

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