『テロル』刊行記念インタビュー 月村了衛「現実から目を背けない」
月村了衛『テロル』は、ある青年の内面を通して、暴力へと向かう心理と社会の歪みを描き出す、切れ味鋭い作品だ。
作者は「テロル」という言葉にどんな意味を込めたのか。執筆の背景を聞いた。
構成/円堂都司昭 撮影/キムラミハル
衝撃の幕開けについて
――テロを題材にした小説を書くことになったきっかけはなんですか。
月村 担当編集者からテロリズムについて書いてほしいと御要望をいただきました。日本文学でテロリズムというと、私が真っ先に思い浮かべるのは大江健三郎の「セヴンティーン」と後編にあたる「政治少年死す」です。後者は長年封印されて読めない状況が続いていたんですが、現在では全集に入っているので、買ってきて読んだんです。読了して、テロリズムで書こうと思いました。もちろん、私が大江健三郎と並ぶなどとは思っていません。同じ題材でも作家が違えば作品は、まったく別のものになりますから。ただ、同じ問題を扱うとしても、今の時代に書く以上は、現代の日本社会を背景にした形で書かなければならないだろう。「セヴンティーン」と「政治少年死す」を念頭に置きながらも、あくまで自分の小説として書くしかない、という感じで着手しました。
――日本社会党委員長の浅沼稲次郎を山口二矢少年が刺殺した実際の事件から着想を得た大江の「政治少年死す」は、右翼団体の脅迫で封印されたことで知られ、テロをテーマにした作品のなかでも有名ですよね。
月村 政治的な事件を背景にしながら、同時に一人の青年の内面を徹底して描いている。あの作品はやはりすごい強度を持っている。ただ、私が同じことをやろうとしても仕方がないわけです。むしろ、今の日本社会において、テロというものがどういう形で現れているのか、そこから考えていくしかない。その意味では、大江の作品は出発点ではあっても、目標というわけではありませんでした。
――小説の冒頭に、主人公が元総理殺害のニュースを見て性的興奮を覚える衝撃的な場面が書かれています。それこそ政治と並べて性を大きく扱っていた大江作品を連想するわけですが。
月村 あの射精シーンは、実は大江健三郎の影響ではないんです。私は過去にも『虚の伽藍』で主人公が読経しながら射精してしまう場面を書いています。宗教的恍惚はあっても官能的要素は一切ないようなことを、以前から実感する機会があったんです。ふり返ると、中学校の美術の教科書に、尼僧が法悦の境地にある古典彫刻の写真が載っていました。『聖テレジアの法悦』だったと思うのですが、それを見て、宗教的恍惚と性的恍惚はどう違うのだろうかと考えたりもしました。精神的な高揚が極限まで高まった場合、人間の身体がどういう反応を示すのか。それを描写した表現ですね。小説を執筆していると、特にエモーショナルな場面を書いている時に内容とは関係なく身体的な反応が起こることもあるんです。勝手に断言はできませんが、たぶん他の作家の方や違う分野のアーティストの方もそうなのではないかと思います。
――あの場面は単に衝撃を与えるためではなく、精神の高揚を描くための表現でもあるわけですね。
月村 そうですね。もちろん読む人によっては衝撃を受けるでしょうが、私としては精神状態を表現する一つの方法として書いています。宗教的な恍惚というものも、ある意味では身体的な感覚と結びついている。そういう人間の感覚の問題として捉えていただければと思います。
――なるほど、冒頭の暗殺の場面が宗教画に喩えられている理由がわかりました。その事件は宗教二世による犯罪と設定される一方、犯人が主人公によって神格化される面もあって、宗教がいわば二重になっていますよね。
月村 この作品は全編にわたってその種の暗喩をちりばめているので、読者が全部気づいて解釈する必要はないですけど、そのように気にとめてくれると嬉しいという目論見はあります。暗喩によって重層的にテーマが浮かび上がってくれればいいと思っています。
――作中に実際の固有名詞は登場しませんが、近年の様々な事件を思わせる要素が多く出てきますね。
月村 あくまでもフィクションなので、作品では設定をいろいろ変えていますが、現代日本のテロリズムを象徴するものとして、元総理の暗殺事件は当然、視野に入れたうえで書いています。それ以外にも、作中ではアレンジして書いていますが、いくつかの事件について資料を調べました。資料を読むにつれて感じたのは、こういう事件を起こした人間を、起こす前に社会は本当に救うことができなかったのだろうかという疑問でした。もちろん、犯罪を肯定するわけではありません。しかし、なぜそういう行動に至ったのかを考えずにはいられない。そういう思いがだんだん強くなっていって、一気呵成に執筆したという部分はあります。
日本社会は底が抜けた
――宗教二世や芸能界の性加害など、現代社会の様々な闇の部分が語られています。
月村 ええ。私は三十年ぐらい前から、日本社会はもう底が抜けたと言ってきたんですが、最近の状況を見ると、まだ底があったのかという印象です。底が抜けたと思ったらまた抜ける。二重底、三重底といった具合です。とうとうここまで来たかという危機感があります。現代日本を描こうとすると、象徴的な事件や出来事はどうしても出てくる。むしろ筆の先から自然に出てきたという感覚に近いです。ただ、事実を全部書くわけではありません。私が書いているのはあくまでフィクションですので。小説として書く以上、調べたことを全部書くのではなく、作品に貢献する部分だけを書くようにしています。
――今回の作品は、四百字詰め換算で三百枚ほどのやや短めの長編ですが、構想の段階でこの長さは決めていたのでしょうか。
月村 自分では昨年発表した『普通の底』から第三期月村了衛と自称していて、『テロル』はそれに次ぐ作品と位置づけていました。その上で『テロル』は、三百五十枚だった『普通の底』より短くなるだろうと、あらかじめお伝えしていました。この二作はいわゆるエンタテインメントではないところから発想しているんですが、自分はエンタテインメントの技術が身についていますので、プロットで長くしようと思えばいくらでもできる。でも、この作品の場合、いたずらに長くするよりも、テーマに踏み込む形で切れ味鋭く書く方がいいと判断しました。狙い通りに着地できたので、自分では大変満足しています。
――プロットは立てていたんですか。
月村 最近の私は、どちらかというと書きながら考える傾向にあります。もちろん大まかな方向は事前に考えますが、細かいプロットを最初から決めてしまうと、かえってテーマの追及が限定されかねないリスクがある。だから、以前の『普通の底』の時もそうだったんですけど、ある程度書いたところで編集者に読んでもらいながら進めていく形でした。
――結末も最初から決めていたわけではなかったんですか。
月村 そうなんです。「小説すばる」での連載(二○二五年九月号~二○二六年一月号)が終盤になった際、さすがに最終回をどうするか打ち合わせをしましょうとこちらから編集者に連絡しました。でも、作品のことをずっと考えているうちに思いついたことがありまして、「それで書いてみようと思うのですが、もし駄目だったら当然ボツにして書き直します」と連絡して、許可をいただきました。結果的には好評価をいただきまして、「結末はこれしかないでしょう」ということになりました。そういう意味では、書きながら見つけていった結末と言えるかもしれません。
――作中には非正規労働者の主人公をはじめ、インセル、チー牛、非モテ、無敵の人など、それぞれの言葉で意味するところに差異はありますが、いわゆる弱者男性の問題が出てきますね。月村さんは、どのように考えているんですか。
月村 インセルなどの言葉は、担当編集者との最初の雑談の中で出てきたもので、そういう要素はやはり入れておいた方がいいだろうと思いました。言い方は難しいですが、私自身も弱者男性の気持ちはわかるところが大いにあります。そういう人たちがどんな心理状態にあるのかは、自分の感覚をもとに書いていきました。今はポリティカルコレクトネスの時代で、私もそれ自体は全面的に支持しています。ただ、差別というものが簡単に解消されるとは思っていません。だからこそ、一方が一方を攻撃するのではなく、お互いに尊重するという姿勢が必要なのではないかと考えています。
――小説の中では、弱者男性の心理がかなり生々しく描かれていますね。
月村 ええ。ただ、ああいう人物を単純に悪として描いてしまうと、小説としては面白くないんですね。もちろん、犯罪は犯罪ですし、許されるものではありません。しかし、なぜそういう行動に至るのかということを考えると、人間の内面というのはそう単純ではない。むしろ怖いのは、特別な怪物のような人物が現れて事件を起こすのではなく、どこにでもいるような人間が、一定のある条件下でそういう行動に出てしまうということだと思います。
――つまり、極端な存在ではなく、むしろ普通の人間として描くことが重要だった。
月村 そうですね。読者がその人物をまったく理解できない存在として読むのではなく、「もしかしたら自分もこうなっていたかもしれない」と思えるような距離感が必要だと思ったんです。もちろん、そこまで共感してほしいという意味ではありません。ただ、人間というのは状況によってどこまで変わってしまうのか、その可能性を考えてみることは重要だと思っています。

暴力以上に空気を描くのが大事
――インセル的なキャラクターを描いた作品としては、海外の映画で『ジョーカー』が話題になりましたが、ご覧になりましたか。
月村 『ジョーカー』に関しては最初の打ち合わせで話に出ました。その後、早速『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』も観まして、なぜこの続編は世界的に評判がよくなかったのかがわかったのですぐに編集者にそのことを書いてメールを送りました。
――なぜなんでしょう。
月村 大衆が見たいと思っているのは、自分ではなくジョーカーという「虚構」であり、それを悟った主人公の、本当の自分を見てほしいという思いが描かれたのが『フォリ・ア・ドゥ』なんですよ。観客が期待したのは虚構のジョーカーがハーレイ・クインと一緒に大暴れする映画だった。そこでは作中の大衆と実際の観客、つまり我々が限りなく一致しているんです。そのことを考えた時、大衆が見たかったジョーカーを書く道もありうるわけですけど、今回の作品はそういうものではないだろう。どこまでいっても本当の自分を知ってもらえない焦燥感や絶望感を書ければいいと思いました。
――それは書けましたか。
月村 少なくとも孤絶した主人公の焦燥は書いたつもりです。私の場合、題材としてはどうしても勝者より敗者に視点が向かいます。まともな人よりアウトローの方に寄ってしまう傾向はあるでしょうね。
――書くうえで、社会の構造の問題も、かなり意識されているように感じました。
月村 そうですね。個人の問題だけで説明できることではないと思っています。例えば、長く非正規雇用の状態に置かれている人がいたとして、その人が社会に対して不満を抱くのはある意味で当然でしょう。もちろん、それが暴力に結びつくことを正当化するわけではありません。しかし、社会の側が何も責任を負わないでいいわけがない。そういう意味で、今回の作品では個人と社会の関係をできるだけ意識して書きました。
――テロというテーマを扱う以上、政治との関係も避けられませんね。
月村 その通りです。ただ、私は政治小説を書こうと思っていたわけではありません。政治的な事件は背景としてありますが、あくまで中心にあるのは一人の人間の内面です。政治や社会の問題を直接論じるのは、評論やノンフィクションの役割でしょう。小説の役割は、むしろ人間の内面を通してそうした問題を浮かび上がらせることだと思っています。
――それでも、読者はどうしても現実の事件を思い浮かべながら読むことになります。
月村 それは仕方のないことですね。むしろ現代を舞台にしている以上、読者が現実と結びつけて読むのは当然でしょう。ただ、繰り返しになりますが、小説はノンフィクションではありません。現実の事件をそのまま再現するのではなく、あくまでフィクションとして再構成する。その距離感をどう保つかは、書くうえでかなり意識していました。
――タイトルを『テロル』とした意図についても聞かせてください。
月村 「テロ」ではなく「テロル」という言葉を使ったのは、少し古い言い方ですが、本来の意味を考えたかったからです。テロルという言葉は、単に暴力行為そのものを指すのみならず、恐怖を社会に広げるという意味を持つのではないか。つまり、実際の暴力だけでなく、その背後にある恐怖の感情も含めた概念ではないか。今回の作品では、そういう意味でのテロルを描きたいと思いました。暴力そのものよりも、それによって生まれる恐怖や不安、社会の空気の変化。そういうものの方が、むしろ重要ではないかと思ったんです。
――たしかに、作品を読んでいると、暴力の場面以上に不穏な空気が印象に残ります。
月村 それは意識していました。テロというのは、単に人を殺すことだけが目的ではありません。むしろ社会全体に恐怖を広げることが目的である場合が多い。だから、暴力の場面を派手に描くよりも、その前後にある空気や心理を描くことが大事だと思ったんです。
――小説を書く時、現実の出来事との距離感をどう取るかという問題は難しいですね。
月村 ええ。現実の事件を題材として扱う時には、どうしても慎重にならざるを得ません。ただ同時に、小説家としては現実から目を背けるわけにもいかない。私は基本的に、作家というのは自分の生きている時代を書かなければならないと思っています。もちろん歴史小説を書くこともありますが、それも実際には現在の視点から書いているわけです。その意味では、今回の作品もまさに今の時代を書いたものだと思います。
――読者の中には、この作品をかなり重いテーマの小説として読む人もいるかと思います。
月村 そうかもしれません。ただ、私はあまりメッセージを押しつけるような書き方はしたくないんです。小説というのは、読者がそれぞれの読み方をするものだと思っています。ある人は社会の問題として読むかもしれないし、ある人は一人の人間の悲劇として読むかもしれない。どちらでもいいと思うんです。むしろ、いろいろな読みができる方が小説としては面白いのではないでしょうか。
――この作品を書いていて一番強く感じたことは何でしょうか。
月村 やはり、社会や人間というものの危うさでしょうか。誰でも、自分はそんなことをするはずがないと思って生きています。でも、本当にそう言い切れるのか。状況が変われば、人間はどこまで変わってしまうのか。今回の小説を書きながら、そういうことを何度も考えました。もちろん、誰もがテロリストになるわけではありません。しかし、社会の中で追い詰められた人間がどういう方向に進むのかということは、決して他人事ではないと思います。自分もひょっとしたら、そうなっていたかもしれない。その可能性を完全に否定できる人はいないのではないか。そういう問いを、読者の方にも少し考えていただけたらと思っています。
プロフィール
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月村 了衛 (つきむら・りょうえ)
1963年、大阪府生まれ。早稲田大学第一文学部文芸学科卒業。2010年『機龍警察』でデビュー。12年『機龍警察 自爆条項』で第33回日本SF大賞、13年『機龍警察 暗黒市場』で第34回吉川英治文学新人賞、15年『コルトМ1851残月』で第17回大藪春彦賞、同年『土漠の花』で第68回日本推理作家協会賞〈長編及び連作短編集部門〉、19年『欺す衆生』で第10回山田風太郎賞を受賞。他の著書に『非弁護人』『機龍警察 白骨街道』『悪の五輪』『対決』『脱北航路』『十三夜の焔』『半暮刻』『虚の伽藍』『普通の底』『地上の楽園』ほか。
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