書評

黄昏れゆく世界に灯された確かな光

池澤春菜

 韓国のSFを読むとき、わたしは「わたしの物語」がそこにあると感じる。日本のSFにも、欧米のSFにももちろんそういう作品はある。けれどどうしてだろう、韓国SFはより「わたしの言葉」を書いてくれている気がするのだ。
 日常生活から政治と社会、家のこと、母や家族のこと、仕事、子どもを持つこと持たないこと、誰かとともにいることいないこと、SFだからこそ、SFに託すからこそ書ける言葉がきっとある。
 本書はチョン・ソヨンの前作『となりのヨンヒさん』に続く短編集だ。『となりのヨンヒさん』は韓国フェミニズムSFの先駆的な一冊だった。今までのSF作品とは違う物語を目の覚めるような衝撃で読んだことを覚えている。
 本書にも、「わたしの物語」は満ちている。それを形づくるのは、彼女が繰り返し描くいくつかのモチーフだ。
 例えば、よそへ行くこと。引越、星の海を渡る、異なる世界を目指す。そこには希望もあるが、別離と諦めの色が濃い。
 そして箱。「ミジョンの箱」、「ヒョンスク、ジウン、トゥブ」、どちらにも過去へ遡ったり、世界を上書きできる箱が出てくる。主人公は愛する人やものを守るため、何度も試行するが、それでも救えないものがある。
 同性愛者やマイノリティが社会で生きていく困難。
 パンデミックや災害。
 巨大な存在(例えば宇宙企業カドゥケウス)が支配する世界で、自分自身の進退すらままならないこと。
 けれどここに描かれるのは、欠落や哀悼を抱えながらも前に進む物語だ。
 チョン・ソヨンは後書きでこう書いている。
「どのような危機や災厄も完全には解決されず、世界は決して以前の姿に戻れない。ある種の喪失は回復不可能だ。それでも、私たちは最終的にはより良い方向へ進むと信じている。ゆっくり、ためらい、疑いながらも、確実に」。
 ホープパンクというジャンルがある。絶望的な世界で、優しさや希望を武器に進む。その姿勢を、チョン・ソヨンはずっと書いてきた。
 これは、黄昏たそがれゆく世界で「わたしたちの物語」として灯された確かな光だ。

「青春と読書」2026年11月号転載